「卷頭言」松田 陽一郎 1994
本誌は「北見創作協会」の機関誌で、その冊子名は「ひょうげん」であります。
広辞苑によると音「ひょうげん」に充てる漢字は、次の三字句であります。「氷原」「表現」 「評言」、三句の意味総べてをこの冊子中に充満させて行こうというのが、冊子刊行の趣旨であります。
「氷原」――日本唯一の結氷する海、オホーツク海に面する私たちの郷土、冷涼、茫然、湖沼と起伏する斜面、青い空と黯い海、刺すしばれと乾いた暑さ、環境が人間の感性や思考を育むのだとすれば、この空間の中から生まれる文化であろうと思います。
「表現」――心の具現、心の表出、主体的表現者の集団である創作協会の文字や写真、図や記号による表現の場として、この冊子の存在価値があると思います。又、会員としての意味合いも大きく、いかにこの冊子を活用するかは、創作協会の活動の足跡であり、文化の記録として大きな意味を持つのではなかろうかと思います。
「評言」――創作者は自己の表現を批評しつつ制作を継続する。 又、 創作者は評論家と対立しながら共に切磋琢磨し成長する、厳しく冷酷な評言の中から創作者は蘇生する。 建設と崩壊、創造と破壊、開発と環境保全又は再生、文化は冷酷な側面をいかに克服するかの知恵ではなかろうかとも思います。
一九九四年一月
1994「ひょうげん」第2号(北見創作協会 刊)
「編集後記」松岡 義和 1993
「ひょうげん」の創刊号ができた。その仕事にたずさわることができて、とても楽しい一月をすごした。一字一字自分でタイプを打つという手仕事だ。世の中便利になりすぎたけれど、今でも手打ちのパンライターをはなさない。こだわりである。
創作協会が創立して一年。一周年の総会の日に届けたいと思ってがんばった。発行部数三〇〇、予算にも限りがある。はじめから立派なものは出せないが、これを手がかりにして、創作協会の文芸作品の発表の場にしていきたいと考えている。また、せっかく出合ったわけだから画家と詩人が、小説家と批評家がお互い に接点をもち、刺激し批判し自分の考えを主張する場にしていきたい。
他人の雑誌や新聞に書くのではない。自分たちのホームグランドをもったということだ。なんでも、遠慮なくのびのびとプレーをするような気持ちで発表して もらいたい。
それが機関誌「ひょうげん」を発行することの意義である。
一九九三年八月六日 広島の原爆記念日に
1993「ひょうげん」創刊号(北見創作協会 刊)
「協会創立一年目をふりかえって -再び協会のあり方を問う-」(事務局長)田丸 忠 1993
創作協会設立から一年目の八月が来る。
この一年間、わたしたちは活動の柱として、二つの芸術祭(秋の芸術祭・五月祭)と二つの機関誌 (DOCUMENT・ ひょうげん)の出版をおこなってきた。
芸術祭は作家と発表の場との関係が固定化し、作品の発表や鑑賞の機会・形式が因習に捕らわれているとの批判のもとに、作家の創作環境のありかたを聞い直し、異領域の交流や展示空間の、自主的な運営を特色とするもので、具体的には発表の場を美術館やホールから広場や街角にも広げ、街全体と開催期間を芸術祭とする取り組みであった。
両芸術祭は二十三の参加作品を数えた。二回のウインドーギャラリーは、芸術祭の主旨と商店街に文化の香りを実現させ、アートを鑑賞し、ウインドー・ショッピングを楽しむことができる商店街づくりを推進する商店街との意向が合致して実現したもので、企業によるメセナ(文化支援)の一つの在り方として市民をはじめ他地域からも広く注目を集めた。一番街を会場とした「造形広場」(写生会と立体造形制作)は、ヨーロッパの古い街の画家の広場をほうふつさせた。
美術や写真の個展・グループ展はベテラン・新鋭とも力作を揃え、異領域や他地域とのジョイントなどの試みも見られた。また列車内におけるイベントや、個々の会場を巡る鑑賞ツアー等も企画された。
二つの出版のうち 「DOCUMENT」は芸術祭の全貌を記録に止め、次回への架橋となるもので、関係者以外にも広く販売された。機関誌「ひょうげん」は文芸作品、 芸術・文化の評論、協会の主張等が掲載される総合誌で、八月末の創刊が待たれる。
数日後にひかえた「パリ祭」はワイングラスを片手に芸術文化を語る夕、芸術家の祭・北見創作協会式「パリ祭」であり、いま道路占有許可の申請など慣れないことに煩労中であるが、既に五十人を越す参加申し込みもあり、盛会が期待される。
以上の一年目の成果の上に、「どこも創立の時期は活気があるが、時間が経つといつの間にか組織の維持に力がそがれるようになる」、ことにならないように、 協会発会の理念を踏まえ、姿勢を立て直し、二年目を迎えたい。
それは、個々の創作活動を最優先とすることであり、一つの団体による体制から派生する弊害に対して、二つ目の文化団体として、文化の多層化をはかること。そして、望ましい創作環境を用意するために、創作活動の周辺の文化制度、文化行政、文化情報の問題と積極的に関わっていくことである。「和の精神」が大切であることはわかるが、「和」をもって何をなすべきかを問われなければならないだろう。
事業は今後も総花的でなく、より基本的なものを、精選して実施したい。事業のための事業にならないために、つねに改正し、廃止する勇気を持ちたい。
地域づくり、街づくりは、表現者の活動において、接点を求め、独自で有益な「地域文化」「企業文化」を育てていきたい。
協会の理念と活動は多くの理解と応援を得てきた。しかし、他面多くの無理解や誤解のあることは否定しない、その例として、芸術祭ポスターの市庁舎内掲示板掲示の拒否、申請した補助金が許可でも却下でもなく、棚晒しになっている件などである。このようなことを早急に是正して行きたい。が、だからといって、議員や顔役の力を借りるような安易な手段は避け、自らの手法で当然の権利として解決していきたい。それはそれだけで済むわけでないからである。
北見の文化活動における四二年体制は再検討の時期にある。文化活動は恣意的であり、連続的でも静態的なものではない。わたしたちは今後もさまざまな事態 に対し可能な限り関わっていきたい。
さし当って、美術館の常設展の設置にともなうギャラリー難がある。既に例年の会期がとれなくなったとか、展示面積が半分になったとか等の支障が生じてい る。これについて全北見美術協会の市民ギャラリー設置要望の動きがある。協会もそれに連動したい。
地域と創作活動の際は、作家にとって普遍的な課題である。 最近目にした詩人と小説家の表現は、それについての多くの示唆を含んでいるように思う。
米山将治は次のように述べている。
辺境から本州中央紀行を撃つといった一九七〇年代末の運動論・・・ジャパン・エリア内のカウンター・カルチャー論(「地方の時代」と称する)にならないために・・・
北海道から日本を見る、日本を撃つ、日本を架橋するといった矢印をすっかり捨てしまうことで・・・
しかし、北海道で集稿されるエクリチュールの大半は、ひとまず自然法にそってリベラルな思念への一歩を踏み出す、まさにそのとき、残された片足が開拓史と 戦後史の未解決のなかにゴム長靴を埋められているのに気づく・・・
次は道新に載ったもので読んだ人も多いと思うが、東直己は次のように言っている。
「プライド」というような言葉を丸出しで使う人間はプライドが低いか、多くの場合プライドがない。・・同じく、声高にかたるのが非常に恥ずかしい言葉として・・・「北海道の風土」「北の大地」・・・極めつけは「北海道の特殊性」というヤツ、それらの言葉が真剣に飛び交いそのテの要素がどれくらいの割合で混入しているかを、その作品の水準とは無関係に勘案し、北海道っぽさを頷き合う御当地ゲームのような一部門が確実に存在しているのだから話しがややっこ しい。
「北海道っぽさごっこ」ではなく、・・・すべての地域は普遍的にそれぞれ特殊だ。すべての個人はそれぞれ普遍的に個性的だ。そしてそれが、こと改めて喚くまでもなく、文学の出発点のひとつだ。
人間は無重力、真空、完全孤立の状態で生まれることも、生きることもできない。だから当然その地域や社会や人々の中にいることになる。しかし、最も不思議で面白いのは、私が「今」「ここ」で生きていることだ。 すべてがそこから始まって、そして、いつかはそこで終わる。「今」はいつでもいい、「ここ」はどこでもいい。とにかく、今ここに、自分が生きている、ということ、このことはどう言っていいか分からないほど不思議で面白く、どう言っていいか分からないから、僕はそれを小説に書く。
僕は札幌で生まれ、札幌で育ったから、・・・小説の舞台は札幌である場合が多い・・・それは「北海道文学」の問題ではない。
討論会や機関誌「ひょうげん」の場で、この問題についてぜひ語り合っていきたい。
協会の組織や財政の面についても検討していきたい。会の運営は個人会員、年額二〇〇〇円と各種の参加費でまかなっている。勿論余裕はない。助成金は名実 ともに備えた団体のあかしとして要求していきたい。文化関連の許認可の見直し、協調と癒着の関係もただしたい。
協会はこれからも外圧や惰性によって方針を変えず会員個々にとって有益な場であることを願い、着実に理想を追っていきたいと思う。
1993「ひょうげん」創刊号(北見創作協会 刊)
機関誌「ひょうげん」発刊のことば (北見創作協会会長 )林 弘尭 1993
第一回北見創作協会五月祭‘93
アートワーク/フットワーク/ネットワーク
政界再編成の選挙も終り、日本も少しずつ変化しはじめている一九九三年、創作協会も状況の読み直しと、新しい目標への絶えざる変革を念頭に、活力に満ちた質の高い文化活動を展開したいと考えています。
さて、私たちの創作活動の基盤北見、北見の五月はながい冬を経て一斉に花を開きます。 協会は昨年「第一回北見創作協会五月祭‘92」を展開し大きな成果をあげました。私たちはその実績をもとに、春の芸術祭「第一回北見創作協会五月祭’93」を企画し、春と秋の二つの芸術祭を北見創作協会の主要な事業 として持つことにしました。
三つのW、アートワーク (創作者・表現) フットワーク (受け手・観賞) ネットワーク(情報・ジャンルや地域間の連携) は北見創作協会芸術祭の共通のキー・コンセプトです。それは作品を一堂に会する従来の集約的な芸術祭の発表を避け、北見市全体を美術館、ホールとし作家の個性や表現を平均化することなく、周囲の景観を取り込み、新たな情報や人の流れが新たな風景を生み出し、その出来事の全体を展覧会・イベントとするものでした。
その概要としては、各参加作品は「第一回北見創作協会五月祭’93参加作品」の冠のもとに、期間中、北見市とその周辺において展開したものです。協会は共通ポスター、リーフレット (会場案内マップ) を用意し、期間中「情報センター」を設けました。 また、その全容を「DOCUMENT '93/第一回五月祭/ 第二回芸術祭の記録集-ひょうげん」に集約することとしました。
創立半年後の三月には創作協会の事業計画集会を持ち、一九九三年度の企画をし、さっそくこの五月祭を実施することに決定しました。
五月三日からの「GROUP斜面-北の自然」展を皮切りに六月十六日からは、第二回「街のウインドーギャラリー」写真展を開催、その開期中の五月三十日には、第二回「造形広場」を展開しました。そのどれをとっても精力的に取り組み、内容の濃いもので意味深い文化活動でした。
六月三十日の菅原政雄「詩のあるコラージュ」展をもって五月祭を終了いたしましたが、七月のパリ祭には、思いのほか参加者が多く市商連の方々は、折りよくイスとテーブルを買い込み、パリのテルトル広場を彷彿させる市民の広場をつくりあげました。 作家としての日常的な活動と市民が一体となったこうした活動が、北見にも精神の新しい息吹が芽生えていることの実績として定着しつつあります。 八月末で北見創作協会は一周年を迎え総会が行われますが、そこではこれからの課題として、組織の問題や機関誌について、文化討論会や文化行政についてなど、内部の課題や外部の問題も含めてやるべきことが山積しています。この北見地方における芸術活動(運動)を担うものとして、一層の飛躍を願うものです。
1993「ひょうげん」創刊号(北見創作協会 刊)
第4回「街のウィンドー・ギャラリー」とメセナとしての文化 林 弘尭 1995
今年も北見の街に素晴らしいギャラリーが出来上がった。既に、北見にはウインドー・ギャラリーがあるという道内での評判にもなって、道内のあちこちの町の話題にも挙がるようになり、どのようにして取り組んだのか問い合わせを受けることもありましたし、十月にはNHの「町づくりコンテスト」にノミネートもされてベスト6となり道内の話題となりました。
となり町の美幌町でも、文化活動を続ける「バンビの会」を中心に画家と商店街とがドッキングし、北見と同じく街中のウインドー・ギャラリーが実現して好評です。
このように、北見市ばかりでなく、日本中で特定の美術館を離れた文化活動が発展していくことは、芸術を共有することの拡大ともなり、状況が変化していくことにもなるいま、文化を支さえることの問題は今日の経済を支えることと同様に、大きな問題ともなっていることは周知の通りです。
日本国自体がまだ大きな国際展も開催されない状況ではありますが、福岡市の都市環境美術展「ミュージアム・シティ・天神」や立川市の「ファーレ立川アート計画」など、街角や広場に置かれる大々的で多様な展開は不特定多数の視線にさらされる展覧会として注目されています。
さて、今回で4回目となる「街のウインドー・ギャラリー」は、春の写真によるウインドー・ギャラリーを野外展と精選したので絵画と写真とが合体し、大きさもそろい、作品についてもあらかじめ商店の希望をある程度充たすものとなり、変化に富んだ一層充実したものとなりました。また、参加店は大通りレンガ街、一番街、二番街、三条、サンロード銀座あわせて四十九店舗と店も精選されて、展示の仕方も見易く好評でした。
期間中の十一月三日 (文化の日)には芸術祭鑑賞ツアーが行われ雨模様の中で、このウインドー・ギャラリーの鑑賞が行われましたが、今回は作品一点一点の批評、感想をのべ合う他に展示してある店舗の状況についても批評が行なわれました。
北見の街はとてもきれいで、ショーウインドーにも工夫をこらしている店が多いことにあらためて気づきました。
作品も、展覧会としての充実したものにしよう、大きい作品を展示したことが良く、今後の取り組みを考えさせられながら、二時間に及ぶ鑑賞ツアーを終了しました。
第3回 北見創作協会・芸術祭
アートワーク/フットワーク/ネットワーク '94
■期間 平成6年10月15日~11月15日
■場所 北見市内とその周辺
■主催 北見創作協会
1995「ひょうげん」第3号
表紙・青木 敏夫
表紙・旭 政江
表紙・荒木 洋子
表紙・伊藤 公平
表紙・岡崎公輔
表紙・小川 清人
ベルリンシリーズ
表紙・小川 みち
コンポジション
表紙・柿崎 鈴子
Mさんの義足
表紙・勝谷 明男
雪解け
表紙・篠木 輝子
仮面のある花
表紙・下地 敞
道路工事
表紙・菅 惠子
ライフ
表紙・清水 ミサオ
バナナの木
表紙・鷲見 憲治
馬
表紙・高森 忠
作品
表紙・西原 希夢
作品
表紙・阿部 賢一
待春の浜
表紙・伊藤貴美子
シャープネス1
表紙・五十嵐恵津子
表紙・いのこはるき
無題
表紙・畔原 信子
卓上のこと
表紙・田丸 忠
炉
表紙・林 弘堯
表紙・石澤 雅子
毬遊び
「ひょうげん」の題字は 若松華岳
北海道新聞2022年12月