芦生の森(京都大学芦生研究林)での植物多様性の保全
古より人が住み着き、都がおかれた京都では人手の入っていない森はほとんどありません。ただ一か所、南丹市美山町にある「芦生の森」(京都大学芦生研究林)だけが、まとまった面積で当地の原生的な森の姿を今に伝えています。
人間活動の影響をあまり受けなかったことで、芦生にはカツラ・トチノキ・アシウスギなどの巨木が残されました。数百年にわたり立ち続ける老樹の樹幹や枝は、全国的にも希少な着生植物の棲み処となっています。標高1000m未満の地域でありながら、由良川源流部の渓流帯や断崖などの樹木が侵入しづらい立地には、最終氷期の生き残りと考えられる北方系の遺存種を見ることができます。本来は亜高山帯でみられるミヤマキスミレやコメススキが、驚くことに、芦生では標高500m付近の暖温帯域まで下降しています。ゼンテイカやタヌキランは、芦生が本州における分布の末端地域となります。
こうした芦生の素晴らしい植生は、著名な植物分類学者であった中井猛之進博士をして『植物ヲ學ブモノハ一度ハ京大ノ芦生演習林ヲ見ルベシ』と言わしめたほどの価値があります。
サルメンエビネ
イワウチワ
ニホンジカ
ミヤマキスミレ
オオバアサガラ
カツラの巨木が芽吹く
滝が連続する渓流
ツキノワグマによるスギの樹皮剥ぎ
しかし、現在の芦生では、中井博士が目にしたような鬱蒼とした植生を見ることはできません。かつて林床を覆っていたササ類や多様な草本類は消え去り、地表が露わになっているか、ごく少数のシダ類がモノカルチャーのごとく広がっている地域がほとんどです。
芦生で起きた植生の衰退は、1990年代に急増したニホンジカによる過食害が主な原因であると考えられています。実際、私が京都大学に入学して初めて芦生の森に入った2004年当時、上谷に広がっていたササ類は葉を食いちぎられて立ち枯れ、低木や草本類にはシカの食痕が目立っていました。芦生の森に憧れを抱いていた私にとって、こうした森の惨状はショッキングなものでした。
2006年、芦生の森の変化を危機感を感じていた研究者や職員、学生が核となり、「芦生生物相保全プロジェクト(通称:ABCプロジェクト)」が結成されました。このプロジェクトでは、約13haの集水域の周囲に高さ2mのネット柵を張り巡らせ、その中からシカを排除して生物多様性がどのように変化するかを解明することを目指しました。研究試験ベースのプロジェクトではありましたが、同時に大面積の植生をシカから保護することにもなる取り組みでした。
当時、大学3回生だった私は、保護区と対照区に設置された調査プロットとライントランセクトを使い、各地点に分布する植物を記録する調査に参加することになりました。2006年6月に柵が設置されたときには、柵の内外で植生の違いはありませんでしたが、同年の秋にはすでに柵内で草本植物が再生してきており、保護柵の効果が感じられました。
それから20年近くが経過し、2006年に設置した柵のなかでは緑があふれかえるようになりました。沢沿いでは、設置後すぐに芽生えたサワグルミが3m近くまで生長し、森の次世代が順調に育ってきています。柵の外ではすぐに食べられてしまう植物も、柵のなかでは当たり前のように花を咲かせて繁殖しています。植物たちのこのような姿を目にすると、『これまで活動を続けてよかった』とうれしい気持ちになります。
また、柵内での植生回復に伴い、林床の植物を利用する昆虫相が変化したほか、渓流に流れ込む有機物や土砂の量にも柵の内外で違いが表れてきました。その結果、渓流中の水生昆虫・魚類相が変化し、柵内では渓流水の窒素濃度が低下する傾向まで確認されています。シカの過採食の影響が、生物相だけでなく生態系過程にも波及することが、大規模なシカ柵をつかった試験によって示されつつあるのです。これは、本プロジェクトのユニークかつ大きな研究成果であると捉えています。
大規模シカ柵を使った植生回復試験では、多くの方々のご協力によってネットの維持・交換や見回り点検が行われています。これまでに調査や作業でご尽力いただいた多くの皆様には感謝の念でいっぱいです。芦生の森のシカ問題が解決しないなかで、これから先の20年、40年とこの柵を維持していくことになると思いますが、皆様には引き続きお力をお貸し頂けるとうれしく思います。また、新たに保全活動に参加してみたい、柵をつかった試験研究に興味をもって下さる方がいらっしゃれば、私や芦生研究林、姉妹団体の「芦生ササクエルカス」までご連絡頂けましたら幸いです。