Sigrid Nieberle: Gender Studies und Literatur. Eine Einführung.
VI. Aktuelle Tendenzen der Gender Studies
担当:宮下
大学院生研究会
・DFGによる大学制度内の学院生研究会がジェンダー・スタディーズの学問的確立に寄与
→DFGプロジェクトが研究者間のネットワーク化と後進育成を賄う
・1990年代からの世代による研究成果が学際的かつ国際的な協働関係につながる
ex) 制度機関化した例
Geschlechterdifferenz und Literatur (LMU Mnchen 1992–2002)
Wahrnehmung der Geschlechterdifferenz in religiösen Symbolsystemen (Wrzburg 1998–2007)
Identität und Differenz. Geschlechterkonstruktion und Interkulturalität (Trier 2000–2005)
Gender als Wissenskategorie (HU Berlin 2005–2013)
Dynamiken von Raum und Geschlecht (Kassel, seit 2010)
・解釈学と神学から文化学のテーマへと広がっていく
・インターセクショナリティにおけるカテゴリとしてのジェンダーとジェンダー・スタディーズが持つ認識論的可能性が前景化する
他のあり方
・ジェンダーの差異が他のカテゴリと関係することは1970年代から既に考えられており、ネオリベラルなポストフェミニズムへと行きついた
→相関関係にある差異による相対化および真正さの奪い合い
・ネオリベラルな時代において異性愛規範が強化されている
→権威化や近位とその表象システムに対する政治的問いが提起される
・他のあり方という主張は、基準値(何に対して違うか)と暗示された線引き(いつ、どこでどのように違うのか)を必要とする
→この線引きは文学研究にとっても有効であり、その線引きは研究の対象を定義づけることに度々挫折している:学問的ディシプリンとアイデンティティは相互依存かつ動的に考えられる必要があり、再読されることで発展するということは、生産的な挫折となづけられうるから
→ジェンダー・スタディーズはカノンの中で戦略的に立ち位置を決め、それでもってカノンを確証している。その一方で、女性文学の研究は「他者の」忘れられた文学へと集中しているが、その場合でさえなおも規範的なジャンル概念を用いており、その結果として他者性を前提とすることができる。
・ポストフェミニズム的ジェンダー・スタディーズは、記号学的な差異という言語哲学から出発し、このバイナリ性を批判しオルタナティブなものへと直面することに専念する
「認識論的な物」としてのジェンダー
・ジェンダーは「認識論的な物」として説得的に記述されうる
→ジェンダーは、思考のうちで変容するような自分自身の実証をもたらす
→文学とジェンダー・スタディーズの関係:文が学特定の時代の特定の状況下においてその都度社会読者たちのために何を意味するのかという想定は、変容に従う
・分析カテゴリとしてのジェンダーは文学テクストと同様に実証と一時的なもののメディアとしてみなされる:可能世界とアイデンティティを構想することに寄与する
→認識論も文学も、様々な手段や多様な文脈において想像力を通じた自己の拡張に寄与する
・認識論的かつ美的な差異にパフォーマンス性の基礎的な考えが結びつく
→どのようにして差異が生じるのかが問われるため
ポスト・ジェンダーの布置
・バトラーによるパフォーマンス性の議論がとうじょうしてから、セックス/ジェンダーのカテゴリに対する疑いが挙げられる
・高度な科学技術によるポストヒューマン社会におけるダナ・ハラウェイによる「ポスト・ジェンダー」という概念も提唱される
→医学とフィクションにみられるサイボーグ
→技術を通じてジェンダー・アイデンティティの自己呈示(セルフ・ファッショニング)が可能になるというジェンダースワッピングという考え方
cf) スティーヴン・グリーンブラット
多様性
・インターセクショナルな研究により多様性というコンセプトが登場すると、平等を巡る政治のなかで特に用いられるようになる
→特に経営実践:「ジェンダーと多様性」部門が企業や大学の中に設置されるようになる
・ネオリベラルな人事の収益化可能な方法はフェミニズムの学問の平等を巡る政治の議論を基礎づけることができる
・「ジェンダーと多様性」という概念の結びつきには矛盾がある
→解放と平等を巡る政治の観点で多様性からジェンダーを取り出すことには意義があるが、理論的には説得的ではない:性差は多様性に寄与する様々なカテゴリの一つだから
・歴史的観点を考慮に入れるならば、多様性概念という経済史上の負荷が、フェミニズムにおける承認をめぐる政治と問題なく結びつくわけではない
・数年前からあらゆる政治的な行為の次元でジェンダーのメイン・ストリーミングを導入する際と同様の大きな議論の必要性がある:ジェンダー・ストリーミングはジェンダー・スタディーズとその反省可能性からはるかにかけ離れている。
・文学研究を通じた多様性概念は徹底されていないが、ジャンルの多様性を示す語として長い間使われている
インターセクショナリティと相互依存
・インターセクショナリティという概念は、社会学や人文学の関連においてアイデンティティカテゴリの横断的研究を可能にする
→ジェンダー、人種、階級という古典的カテゴリから始まり、宗教や国家、セクシュアル・オリエンテーションが追加された
・何がこの交差軸に配置されその交差する点において不平等の発生に寄与するのかについての定義は、インターセクショナリティ研究の中心的な課題である
・いかにして社会的構造と社会的集団が互いに結びつけられるのか、どのような構成原理にこの結びつきが従属するのかを問うことも重要
・社会的不平等が支配的な集団に対しても同様にもたらす効果を確認することなしに、抑圧された集団や個人に対する排他的に焦点をあてることで、一面的な分析実践が確立される危険がある
・社会的不平等は私的かつ公共の空間で生じ、それらはアイデンティティカテゴリと相互依存の関係にある
→「階級、性差、人種、身体」という四つのカテゴリを考慮に入れた多層的な分析がインタビューの評価においていかに用いられうるかという社会学に対する提起
・文学テクストは常に手元にあり、テクストそれ自体が象徴的な表象のメディアとしてみなされるべきであるという課題を提示している
インターセクショナルなテクスト解釈
・インターセクショナリティ研究の文学研究への応用にとって、形象やその行為の型を相互依存のカテゴリとの関係で分析することが当然求められる
→インターセクショナルな観点缶においてリアリズムの散文に取り組むことも当然求められ、その散文においては社会的政治的関係がその複雑さで持って描写され批判されている
→家族や社会小説というジャンル、あるいは単なる散文形式にとってこのアプローチは生産的:イェレミアス・ゴットヘルフ『蜘蛛』(1842)
・カテゴリや構造そして秩序というような社会学的な指標を文学的なテクストに対して転用することは十全に行われえないことが明らかに
→美的で叙述的なテクスト構成の特徴はあまりにも軽視されているが、将来的な読解プロジェクトの可能性も示唆
民族的他性
西洋社会とそのヘゲモニーを自負することの反省が問題になるのであれば、「他者」の文化とそこから生じる他性の政治とのかかわり方に対する広い批判が哲学的かつ文化学的な考察において前景化する
「他者」への視線
・エドワード・サイードのオリエンタリズムとヨーロッパの植民地主義の研究において、性差は一見すると歴史的に与えられている
→西洋の男は見知らぬ土地を訪ね、異邦人すなわち異邦の女性をかすめ取ろうとする
・文化的差異そのものとしてオリエンタルな女性は秘密に満ちており、西洋人にとって解釈学的に解読されるに値する
サバルタンの発話ポジション
・グローバル化批判とよく喧伝されるようになったローカルなるものへの意識の趨勢において、アイデンティティがいかにして構想されるかが議論されている
→ガヤトリ・スピヴァクのエッセイがカノンとしてみなされる
・サバルタンスタディーズにおいて、サバルタンな主体にとって権利を主張し権限を与えられた発話の位置はありうるのかという問いが立てられる
・スピヴァクの批判は、サバルタンスタディーズにおけるジェンダーの不足と同時に西洋の脱構築的哲学における民族主義的な自己中心性に対して向けられている
ハイブリッド性、現前、引用
・ホミ・バーバの『文化の場所』(1994)やそのほかの著作はポストコロニアルで文化的な不平等へと視線を向ける
→パロディ化された生物学的「交差」という意味でのハイブリッドな文化的アイデンティティという中心的な概念は、バトラーのパフォーマンス性理論へと結びつき、パフォーマティヴな行為の現前は政治的手段として認識される
→文化のサードプレイスとしてのハイブリッド性は、植民地化される前の文化の起源に関する理念とその純粋性を仄めかしてしまっている
・シスターフッドという概念を闘争概念として長年用いてきて、シスターたちの中でシスターたることがどのような意味を持つのかを暗黙の知にかけてきた「フェミニストたち」というグループは、未だ一度も存在しなかった同質の集団として現れる。
・不安定化した反復の重要な点において植民地のミミクリーというバーバの試みはバトラーのパフォーマンス性と交差する
→ヘゲモニアルな規範性の多様な反復を通じて異化やパロディの効果が生じるだけではない。むしろ引用された秩序それ自体が起源なき構築物として、すなわち引用の引用として可視化され、その効力という点で不安定化する
ホワイトネス・スタディーズ
・「不可視な規範」としての白人のアイデンティティに関する知見を与え、表徴にならない文化的差異による社会的不平等を調査することが可能になる
ex)リチャード・ダイア―『白人』、マイク・ヒル『白人性』
・植民地の歴史において白人であることは西洋社会のヘゲモニアルな自認のしるしである
・白人であることは植民地とポストコロニアルな社会におけるミミクリー実践の一部
→表徴にならない支配者の立場は引用やパロディあるいはゆがみによって中断されたり強固になったりする
コロニアル文学
・厳密にみれば男性性と植民地主義はバイナリ以上のジェンダーと人種構成を明らかにする
・アイデンティティの構想には多様なスペクトラムがあり、民族的にハイブリッドな空間における危機的な男性性に対する民族中心的な観点は男性性の優位として明らかになる
・西洋のヘゲモニーの思考を保証しながらも同時に転覆的な批判も保証する男性性の形象は、英雄的にも、クィアにも、女性的にも描かれる
・ドイツの植民地文化と文学に対するジェンダー論研究は、ここ数年で研究の観点がいかにして変遷してきたかをみてとることができる
移民文学
・1960年代以降移民文学はポストコロニアルな試みにとって重要な研究領域であるが、どのように定義づけられるかが議論されてきた
→移民文学は文化的なハイブリッド化と交差性を扱うだけではなく、そのような言説を詩学的に適切に反省する権利もある
カノンにおける異他的なテクスト
・ポストコロニアル・スタディーズはドイツ文学研究の解釈的カノンにおいて控えめに現れている
→ドイツ語圏の植民地文学に対してわずかな注目しか与えられなかったことと関係がある
・異他はカノンのテクストにおいて形象として研究されているが、「異他的な」作家の「異他的な」テクスト学術的に知覚されることは今なお難しい
→ポストコロニアル・スタディーズは適切な分析手段
→そのアプローチは歴史学的なカノンの更新にやくだつだけではなく、越境文化やインターカルチャーの観点へ開くことにも役に立つ
報告:深澤
S. 113
・ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』(1865)による導入:“Dear, dear! How queer everything is today!” 「あらまあ、今日は何もかもが奇妙だわ!」
( → 今日のクィア理論でも、ある種の象徴的なフレーズとして引用されることがある)
・クィア概念の変遷:奇妙さ(Absonderlichkeit)→ 侮蔑の言葉 → パフォーマティヴな承認政治の中で用いられるように。言葉としては「奇妙」「転覆的」「胡散臭い」人や物を指すと同時に、LGBTの総称としても用いられる。当初サブカルチャーの中で使われ始めたが、それがアカデミズムの特殊用語になった。
・クィア・スタディーズ:ゲイ・レズビアン研究から発展。ジェンダー理論の言語哲学的な権力批判とも連結。その政治目標は多様な生の形態の可視化、承認、平等化であり、異性愛規範の批判と脱構築にある。ここで性(Geschlecht)はもはや一義的ではない。その意味は停止されることはなく、力動的でパフォーマティヴなものと理解されるようになった。パフォーマティヴィティに関する議論の流れの中で、フェミニズム、ポストフェミニズム、ゲイ・レズビアン研究、アイデンティティ理論の刺激がクィア・スタディーズの名のもとに一緒に考えられるようになった。その際のバトラーの計り知れない影響。
S. 114
・ゲイ・レズビアン文学研究(初期の女性学と同じく):固有の(反)カノンの調査。生産、流通、受容の条件の再構成。異性愛文学に対する位置価値の検討。「同性愛文学がそれ自体として主題化されるのは、それがオープンな作家によって書かれ、ホモソーシャル/ホモセクシュアルな欲望が扱われ、あるいは同性愛的な受容において重要な役割を果たすときである。」(Castle 2003, Popp 1992, Sedgwick 1985)
・「同性愛文学」と名指すことの問題:一般的に通用している解釈との間の摩擦。作家や作品をその制作の相に還元してしまう。また同性愛アイデンティティを本質化し、多くの場合病理化を招く。
・1872‐1994年までの刑法175条の存在:男性同士の性交渉を禁止(女性同士の関係は問題にされず)
・有益なのは、異性愛同様、同性愛もまた言説、実践、制度の共演の中で産出されるものであるということを自覚すること。( → 「装置」論的なアプローチと言える。)
・フーコー『知への意志』における「性懲りもない男色家」から「種族」への変容: “Als eine der Gestalten der Sexualität ist die Homosexualität aufgetaucht, als sie von der Praktik der Sodomie zu einer Art innerer Androgynie, einem Hermaphroditismus der Seele herabgedrückt worden ist. Der Sodomit war ein Gestrauchelter, der Homosexuelle ist eine Spezies.“ アイデンティティカテゴリーとしての同性愛の発明が、この概念が用いられた1869年と確定されるかどうかはともかくとして、規律社会における彼の(ホモ)セクシュアリティの記述は今なお有効。
・クィア・スタディーズのポテンシャル:自然/不自然な振る舞いの歴史性を研究するに際し、インターセクショナルな考察方法を採用すること。性指向や同性愛的な振る舞いを、医学、宗教、政治、美学言説の中で調査し、そうして不平等の研究に取り組むこと。( → 言説研究だけでいいのか?)
・同性愛的な欲望は長らく公には表現されえなかったので、それを再構成したり、あるいは脱構築したりすることは文学テクストにとっては重要(Derks 1993, Detering 2002)。
S. 115 (以下やや脱線気味)
・ホモエロティックな傾向を持った男たち:ゲーテ時代、彼らは言葉やファッション、振る舞いでお互いを認識した(Tobin 2000)。Warme Brüderという言葉はQueerとは逆向きに発展した:かつてはホモソーシャルな若者たちの間の、友情崇拝に基づくポジティヴな呼びかけ(ヘルダーリンに宛てたマーゲナウの手紙の署名を見よ)だったが、それが口語で侮蔑の言葉として使われるようになった。
・男同士の愛に最初に「パートナー性」という契機が書きこまれたのはゲーテにおいてであった(Wilson 2012)。
・レズビアンの関係:18世紀初頭、女性の猥褻行為による死刑が最後の例として記録されているが、文学や歴史において、女性同士の関係は脱性化(Entsexualisierung)されるのが一般的。他方、繊細な友情が強調されがち。リアリズムの時代になると、逸脱の形式としてのレズビアンが文学に登場(Gluckman 2012)。
・同性愛的な欲望は、生物学的な性と社会文化的な性とのズレと結び付けられがち。男っぽい女としてのレズビアン、女っぽい男としてのゲイ。ハルバースタムのFemale Masculinity(女性が男のなりをすること):男性性は生物学的な男の専有物ではなく、女性もトランスも男らしさを体現できる。しかもその際の男性性は決して「男の模倣」ではない。Gaga Feminism:カテゴリーを取り消す(undo)。即興性、カスタマイズ、イノベーションを特徴とする。
S. 116(ここで話が戻ってくる)
・クィア・スタディーズもインターセクショナリティ(交差性)の議論に接続しようとしており、民族的・社会的な差異を分析において加味しようとしている。
・クィアな解釈学(queere Hermeneutik)への楽観的な期待:社会をより多様で寛容にするだろう一般レベルでの能力の向上。対する悲観的な見方:クィアは伝統に従った政治関心のコミュニケーションを難しくしてしまう。
しかし文学研究からすると、まさに(性の)非一義化の傾向や、隠匿という戦略(=カモフラージュ)がクィア・スタディーズへの接続点と見なしうる。というのも追加の意味の次元を強調することは解釈学の本源的な技術だから。(そもそも)文学はアレゴリー的に機能する:(ここではド・マンの脱構築的な議論を前提にしている)文学はそれが述べていることとは異なるものを意味する。文法/修辞、あるいはliteral(字義) / figural(比喩)な意味の対立。テクスト内部の修辞がどのように意味を生み出し、またその意味を崩していくか。文学作品は「読む」という行為それ自体がいかに不安定であるかを自ら演ずる。
・これを出発点とするクィア・リーディング:カモフラージュ戦略は中世以来、さまざまなテクストに見て取れる(Babka 2008a, Lorey/Plews 1998)。この戦略はこれまでヘテロノーマティヴに読まれてきたテクストのホモエロティックに含意された隠匿/開陳の可能性を打ち開き、またそれを解釈の可能性として提供する。テクスト内のホモエロティックな欲望の構造が明るみに出たとして、それはクィア・リーディングにとって、テクストから作者の伝記や社会的なコンテクストを推し量れるというわけではなく、その逆でもない。(シュヴァルツェンバッハの『ベルンハルトをめぐる友人たち』(1931)はクィアな記号論的構造を示すが、だからと言って作者がどうという話でもない。)
「従ってクィア・リーディングにおいて重要なのは、解釈学的な暴露の約束を果たすことではなく、むしろホモ/ヘテロの区分とともに与えられ、また社会システムや象徴の体系からの苦痛に満ちた排除を生み出す二元論的な秩序構造を明るみに出すことである。」(S. 117)(クライストの『マリオネット劇場について』は師弟間のエロティックな支配関係と読める(Kraß 2007)。)
ある文学テクストが異性愛規範に批判的なものと位置づけられるかどうかは厄介な問題。繊細さと自己批判が必要。
クィア・スタディーズもジェンダー・スタディーズと事情は同じで、クィア(やジェンダー)というコンセプトのインフレ的な使用は、実体を失わせてしまう。(本書の導入部でも述べた??)
S. 117 コーダ=終止:『ファインディング・ニモ』(2003)=性についての日常的で尋常ならざる物語
・マーリンは、妻と家族全部を失った後、唯一残された子ニモを育てている。ニモがダイバーによって誘拐されてしまい、それを救出に向かう話。(ディズニーのHPより)
・カクレクマノミは集団で生活するが、そのうち最も大きな個体がメスになり、2番目に大きな個体がオスになる。その他の成員は確かにオスではあるが、その振る舞いは中性的。メスが死ぬと、2番目だったオスがメスになる。残った成員からまたオスが生まれる。小さな個体は大きな個体に対し「頭を振り」、また特定の音を出すことで、自分の方が小さいことをアピールする。(SZより)
- Babka, Anna (Hrsg.): Queer Reading in den Philologien. Modelle und Anwendungen. Göttingen 2008a.
- Castle, Terry: The Literature of Lesbianism. A Historical Anthology from Ariosto to Stonewall. New York 2003.
- Derks, Paul: Die Schande der heiligen Päderastie. Homosexualität und Öffentlichkeit in der deutschen Literatur 1750–1850. Berlin 1990.
- Detering, Heinrich: Das offene Geheimnis. Zur literarischen Produktivität eines Tabus von Winckelmann bis zu Thomas Mann. 2., überarbeitete Aufl. Göttingen 2002.
- Gluckman, Catherine Bailey: Constructing Queer Female Identities in Late Realist German Ficition. In: German Life and Letters 65/3 (2012), 318–332
- Kraß, Andreas: Der Stachel im Fleische. Kleists Marionettentheater – ein Queer Reading. In: Literatur für Leser 30/3 (2007), 123–132.
- Lorey, Christoph/Plews, John L. (Hrsg.): Queering the Canon. Defying Sights in German Literature and Culture. Columbia 1998.
- Popp, Wolfgang: Männerliebe. Homosexualität und Literatur. Stuttgart 1992.
- Sedgwick, Eve Kosofsky: Between Men. English Literature and Male Homosocial Desire. New York 1985.
- Tobin, Robert D.: Warm Brothers. Queer Theory and the Age of Goethe. Philadelphia 2000.
- Wilson, W. Daniel: Goethe Männer Knaben – Ansichten zur ,Homosexualität‘. Aus dem Englischen von Angela Steidele. Frankfurt am Main 2012.