トーマス・マン『トーニオ・クレーガー』Thomas Mann „Tonio Kröger" (1903)
報告:深澤
北ドイツのハンザ同盟都市リューベックに、穀物を扱う豪商の次男として生まれた。兄はハインリヒ・マン。父は市参事会議員、副市長にまでなった。母は南米生まれでポルトガル人の血を引く。16 歳の秋、父が死に、百年続いたマン商会は倒産。母とともにミュンヘンに移り、しばし学校生活を続けるも中退。保険会社に見習い社員として勤める傍ら小説を書き始めた。その一つ『転落』が『ゲゼルシャフト』誌に発表され、デーメルに認められた。
ジャーナリストを志し、会社を辞めてミュンヘン大学の聴講生となった。ローマに滞在中の兄の勧めでイタリアに行き、1 年半ほど滞在。その間に最初の短編集『小男フリーデマン』(1898)が発刊される。ミュンヘンに帰ってからは週刊誌『ズィンプリツィスムス』の編集に携わった。1900 年には 2 年半を費やした長編『ブッデンブローク家の人々』(1901)が完成。29 歳で結婚。1912 年に中編『ヴェニスに死す』発表。同年夫人が肺を病み、ダヴォスにあるサナトリウムに入る。その間世界大戦が勃発し、『非政治的人間の考察』(1918)刊行。24 年には『魔の山』、30 年にはナチスを戯画化した『マーリオと魔術師』を発表。1933 年、国外講演旅行中にナチスが完全に独裁政権を樹立し、そのまま家族ともども亡命生活に入り、ナチスに帰国を促されるも従わず、市民権剥奪。
1938 年、カリフォルニアに移住し、プリンストン大学の客員教授となる。『ヨゼフとその兄弟たち』(1933-1943)完成。1944 年にはアメリカ市民権を獲得。『ファウストゥス博士』(1947)の後、アメリカが極端な反共政策を取るに及んで、1952 年アメリカを去りスイスに住んだ。1910 年に手掛けていた『詐欺師フェーリックス・クルル』を再び書き始めたが1954 年に第一部を完成させたのみで、1955 年、80 歳でスイスに没した。
伝記的事実:
・1899 年 9 月、ミュンヘンからデンマークへの旅行で着想を得たとされる。途中リューベックに逗留。
・同級生の Armin Martens がハンス・ハンゼンのモデル(1955 年 3 月 19 日の手紙「私は彼のために『トーニオ・クレーガー』の中に記念碑を立てた」)。なお作家は画家 Paul Ehrenbergとインテンシブな関係を結んでいた。
・作業は繰り返し中断され、1902 年秋まで続いた。1903 年 Neue Deutsche Rundschau 2 月号に発表。同年短編集『トリスタン』に収められ出版された。
青春小説
自伝小説:
・すでに同時代から自伝的側面が強調され、作家の Selbstporträt と見なされた。
・一族の没落(→『ブッデンブローク』)、同性愛的思慕。
・「文学的カモフラージュ」(Detering 2002):作家本人の経験を公共に耐えうる形で表現する戦略
・「生涯を通じてマンが「クローゼットの中の」同性愛者であり続けたこと、一方でその感情の作品を通じての発露は自らに禁じなかったこと、フィクション作品を自らが身に付ける「秘密の形式と仮面」と捉えていたことは、この『トーニオ・クレーガー』という作品について考察する際に、決して外してはいけない前提条件である。」(木戸 2019、65 頁)
・「仮にこれを自伝的作品と呼べるにしても(...)作者の実人生を基礎として、それに文学的脚色を施した、とするのは転倒した理解である。自伝とは、作者の主演する虚構である。」(大宮 2019、S. 106)
教養小説的芸術家小説:
・芸術家小説:芸術と実人生の乖離(←ヴァッケンローダーとティークによる評論『芸術を愛する一修道僧の心情の吐露』(1797)に顕著)。芸術観の表明(特に第 4 章)
・教養小説的な発展:「自作の詩を書きつけたノート」(第 1 章、12 頁)→「何かまとまったものを仕上げる」(第 2 章、27 頁)→我が道を歩み「作家デビュー」「拍手喝采」(第 3章、43 頁)→芸術家としてのアイデンティティの危機「道に迷った市民」(第 4 章、68 頁)→旅行の決意、芸術の地「イタリアは勘弁してくれ」(第 5 章、69 頁)→奇妙な帰郷、詐欺師扱い、「自分の生業が何かをきっぱりと告げた」(第 6 章、87 頁)→船上の追憶(→「原点」S. 71)、「海に寄せる歌」、「彼の心が生きていた」(第 7 章、97 頁)→第 8 章の夢幻的体験、創造・想像力の源のような海、ハンスとインゲの呼び出し、「困難極まりない危険な剣舞である芸術」(120 頁)、「死んだような長い歳月」(109 頁)の後、「僕の心が生きている」(122 頁)→第 9 章の手紙。芸術と生活「二つの世界」のあいだ(126 頁)、「市民愛」の告白、「これからはましなものを作りますよ」という約束(127 頁)
↳ 紆余曲折はありながらも、最終的には芸術家(物書き?詩人?)になる展開
当時支配的だった唯美主義的芸術哲学の表明とその超克(Wißkirchen 2015)
生→死→再生の物語?
作品の循環性・円環性:
・第 9 章手紙末尾でのトーニオの声「この愛情をけなさないでください、リザヴェータ。それなりにまともで、実り豊かなものがあります。そこには、憧れがあり、気がふさぐような妬みがあり、少しばかりの蔑みがあり、純潔この上ない歓喜があるのです。」(127 頁)
・第 1 章末尾での語り手の声「このとき彼の心が生きていた。そこには、憧れがあり、気がふさぐような妬みがあり、少しばかりの蔑みがあり、純潔この上ない歓喜があったのだ。」(25 頁)
↳ 最後になって語り手=主人公という構図が判明。この作品は主人公トーニオ・クレーガーが、少なくとも潜在的には、『トーニオ・クレーガー』を書くことができるようになるまでの物語と理解できる。
間テクスト性(Intertextualität):
・シラー『ドン・カルロス』(1787):第 1 章 17 頁、ハンスとの関係(トーニオはドン・カルロスとポーサ候との関係ではなく、王フェリペ 2 世の孤独に共感している。カモフラージュ?)
・シュトルム『みずうみ』(1849):老人による青春時代の回顧。一途さ。第 2 章 34 頁。
・同「ヒヤシンス」(1852):“ich möchte schlafen; aber du mußt tanzen.“ 第 2 章および第 8 章で登場。両者における意味付けの違い(野口 1997)。
・シェイクスピア『ハムレット』(1600 年ごろ):デンマーク、クロンボー城(劇中「エルノシア城」のモデル)、「認識の嘔吐」(59 頁)。トーニオは帰郷に際し、父の亡霊に出会うハムレットをなぞる:死せる厳父との再会を心中望む(大宮 2019)。またイタリアへの呪詛は、父王を裏切った王妃ガートルードへの報復感情(大宮 2019)。ただし実際に亡霊として出てくるのはむしろハンスとインゲだと言える。おそらくフェアメーレンも登場(転ぶ女)。『トーニオ・クレーガー』成立の約 300 年前に『ハムレット』が世に出たが、300年前というとクレーガー家の興りと重なる(79 頁)。
・ゴットフリート『トリスタンとイゾルデ』(1210?):第 4 章 57 頁で僅かに言及される。
音楽性:
・繰り返されるモチーフ(Intratextualität)
・ソナタ形式:主題の提示(第 1-3 章)‐展開(第 4-6 章)‐再現(第 7-9 章)
リアリズム/アレゴリー:
・表現の写実性・個別性/非写実性・類型化
「二項対立(Konflikt und Gegensatz)」(48 頁):
北 南 (←どちらも二重底になっている)
市民 芸術家
クレーガー トーニオ
生 芸術/精神
父 母
金髪碧眼 黒い髪 (続く)
↳ これらの対立は南が北に屈服する(大宮 2019)のか、あるいは(弁証法的に?)ジンテーゼする(マン研究の定石)のか。むしろ両者の対立は保持され、トーニオはそれらのあいだを往還しているのではないか?
・上記の二項対立は正常/異常の区分に読み替えられる:
北 南
市民 芸術家
生 死
クレーガー トーニオ
普通の人 普通ではない人(非凡だが疑わしさとも不可分)
当為(Sollen) 欲望(Wollen)
異性愛 同性愛
正常 異常
市民的な価値観に照らし、トーニオは自分が異質で異常な存在であることを自覚している。たとえば普通は詩なんて書かないと思っているし(13 頁)、故郷の街で普通の人たちが自分を詐欺師と間違えることも当然だと思っている(88 頁)。そもそも芸術家なんて胡散臭い存在であると考えており、その意味で彼は市民的な価値観や徳目を内面化していると言える。前科者の銀行家(56 頁)と少尉(65 頁)の対比。
ただしトーニオは芸術に携わる自分に優越感を抱いていないわけではないし、おそらくプライドすら抱くようになっている(87 頁)。
・クィア理論の視点:
特にセクシュアリティやジェンダーの観点から、アイデンティティの構成に注目する。それは自然的所与ではなく、社会的・文化的な構築物であり、権力関係の効果である。
(1)本作はすでに第 1 章から異性愛規範に逆らった読みへと誘う。
(2)名前の呼びかけ:
(a) 「トーニオ・クレーガー」という名前は実は初めから分断されていたのではなく、ハンスの呼びかけによって分断されるという指摘(木戸 2019)は重要。これが「強制的異性愛制度のイデオロギーからの呼びかけ」(同、69 頁)であるかどうかはともかく、ここから主人公の内省、異質性の自覚が駆動させられる。
(b) 「クレーガーお嬢さま(Fräulein Kröger)」(33 頁):それ自体女性っぽい(effeminiert)クナーク氏による呼びかけ。トーニオ自身に女性らしさが認められているのでなければ、この場で笑いは起こらないのではないか?(Detering 2002)ここでも芸術/生の分断が内省される。
(c) そもそも自分の異質性を再認させられている帰郷の中で、警察官から尋ねられる名前。公的身分証の不携帯。身分証代わりの校正刷り。
↳ これらアイデンティティの確認は、芸術家とは何者かという問題意識(第 4 章)と連動している。
・生の両義性:
マン研究は『トーニオ・クレーガー』における「生」や「生活」をあっさり北=市民性の側に振り分けることが多いようだが、他方、海のイメージと結びつくような、芸術の源泉としての無定形な生、すなわち内面(同時代の言葉を用いるなら「心的生」)もあるのではないか。内面の表現としての芸術。形式重視の唯美主義よりは、むしろ表現主義に近い。生と形式とは対立するものになるのだとしても、後者はもともと前者に由来するのではないか。芸術家とは何かを問うトーニオの心も「生きていた」(36 頁)り、あるいは「死んでいた」(42 頁)りする。生死の往還。
・クィアな芸術家としてのトーニオ・クレーガー:
彼が同性愛的であり、あるいは女性っぽいというだけではなく、むしろ自分の「異常さ」を自覚し、引き受けることこそクィア的である。クィア・スタディーズもまた「正常」の側からの「変態」という呼称を敢えて引き受けるからだ。そうして異常の側に生まれついた者が、正常なものを視野に収めつつ、一方の世界に安住しないことこそ、芸術家の要件なのではないか。「僕は二つの世界に挟まれており、どこにも安住の地がない」(126 頁)
・今後の課題(発表後追記):
(1)マン研究をクィアリングする。作家を同性愛者と見なし、その作品をカモフラージュという観点から分析する研究は、ともすると「同性愛者」というカテゴリーに囚われてはいないか。インゲへの思慕を、ハンス(=アルミン)への恋心の隠れ蓑と見なすのみならず、それ自体を真面目に受け取ることで、両極の狭間に揺れるトーニオ・クレーガーの姿が一層適切に捉えられるのではないか。
(2)当時の唯美主義を主体化‐脱主体化という観点から捉えられないか。
(3)クィア・スタディーズをゲイ/レズビアン・スタディーズからいかに区別するか。
Thomas Mann: Tonio Kröger. In. Große kommentierte Frankfurter Ausgabe (GKFA). Bd. 2.1, S. 243-318.
トーマス・マン(小黒康正訳):トーニオ・クレーガー(岩波書店)2025(引用はすべて本訳書に拠る)
トーマス・マン(実吉捷郎訳):トニオ・クレエゲル(岩波書店)2003(この訳書には章分けがなく、また Bürger も「俗人」と訳されている)
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Blödorn, Andreas: Von der Queer Thery zur Methode eines Queer Reading. In. Tim Lörke / Christian Müller (Hrsg.): Vom Nutzen und Nachteil der Theorie für die Lektüre. Das Werk Thomas Manns im Lichte neuer Literaturtheorien. Würzburg (Königshausen & Neuman) 2006, S. 129-146.
Blödorn, Andreas / Marx, Friedhelm (Hrsg.): Thomas Mann Handbuch. Leben – Werk – Wirkung. Stuttgart (J. B. Metzler) 2015.
Detering, Heinrich: Das offene Geheimnis. Zur literarischen Produktivität eines Tabus von Winckelmann bis zu Thomas Mann. Göttingen (Wallstein) 2002. Bes. S. 273-322.
Kido, Mayuko: Masken und Spiegel. Die Erzählstrategie in Thomas Manns autobiographischem Essay Im Spiegel. In. Japanische Gesellschaft für Germanistik (Hrsg.): Neue Beiträge zur Germanistik. Bd. 15, Heft 1. 2016, S. 29-42.
木戸繭子:呼びかけ・主体化・服従化――トーマス・マン『トニオ・クレーガー』における名前[前田佳一(編):固有名の詩学(法政大学出版局)2019、第 3 章、59‐79 頁所収]
木戸繭子:トーマス・マン最初の短編散文作品『幻想』における身体とクィア性[日本独文学会(編):ドイツ文学、70 号、2024、128‐141 頁所収]
Lange-Kirchheim, Astrid, Gender Studies. In: Thomas Mann Handbuch, S. 364-372.
野口達人:『トーニオ・クレーゲル』におけるシュトルムの詩『ヒヤシンス』――「眠り」と「踊り」の意味の解釈をめぐる一考察[九州大学文学部(編):文學研究、94 号、1997、97‐119 頁所収]
大宮勘一郎:トーマス・マン『トーニオ・クレーガー』を読む[沼野充義・野崎歓(編):ヨーロッパ文学の読み方――近代篇(放送大学)2019、第 6 章、92‐109 頁所収]
Wißkirchen, Hans: Tonio Kröger. In: Thomas Mann Handbuch, S. 111-114.
アンネマリー・シュヴァルツェンバッハ『女ひとり』Annemarie Schwarzenbach „Eine Frau allein"