Sigrid Nieberle: Gender Studies und Literatur. Eine Einführung. III. Geschlecht, Stimme, Schrift: Psychoanalytische,semiotische und (post)strukturale Interventionen
担当:宮下
「脱構築」という術語が元来より広い意味で用いられるようになった
→(語の理解における正確さよりも)その後を使うことでアカデミックな言説に対するスタンスを表明できる:「再構築的」フェミニズム文学研究と「脱構築的」文学研究に対する二分法を疑問視
再構築的:文学史を修正し、伝記を補完し、伝承の欠落を埋めて、文学史において忘れられ抑圧されてきた女性作家たちの寄与度を正当に評価
脱構築的:作家の文学テクストに対して批判的に分析し、社会文化的な性差の構築について問い直す
→脱構築的方法論は、それによって再度アクチュアリティを獲得できるような作家のテクストにも関係づけられる
再読という企ては、よく知られたテクストに対する新たな解釈作業によって定まり、再構築的かつ脱構築的な作業方法を同時に示す:二分法は維持されない
→本書では、言語と性差の間にある関係を様々に示す 3 つのパラダイムを説明
3 つのパラダイムは、文学やテクストの外にあるものへと一義的に視線を向けるのではなく、むしろ文学テクストが持つ未発見の言語的素材へと集中して取り組む
1960/70 年代には、精神分析、哲学、および記号学の知見(デリダ、ラカン、レヴィストロース、バルト、フーコー)がフェミニズム的転回において積極的な議論において採用されさらに深められた。
エクリチュール・フェミニンの先駆者として、エレーヌ・シクスー、リュース・イリガライおよびジュリア・クリステヴァ
→フランスにおける解放運動へと至るような女性の美学に対する問いをもたらし、その運動は言語能力と精神―記号学に関する試みへと専念
声
シクスーにとって、女性の身体性はその書記において堆積/表現
→メディウムとしての声:文学的テクストの文字性に迫る(メディア本質主義的な)閾値において痕跡もなく失われることはなく、テクストに決定的な質を与え、ファルス中心的な秩序に対抗
重要な問い:
欲望がいずれ―とりわけ文学テクストといった―言語的な表明に現れて読まれうるのであれば、言語(的秩序)に参入するまえに欲望がどのように表現されるのか、欲望はどのような記号的変換に従属するのか
欲望を可聴化するテクストは、作者の声を通じて記号の父的秩序を中断
→声はその意味を固着させるだろう記号的限界を持たず、固有性のファルス中心的な秩序および欠如の論理に対して対立
→シクスーは男性的な暗示を持つ「保存の経済」と女性的な「蕩尽の経済」を区別
キャロル・ギリガンと異なり、シクスーの試論は比喩的であるばかりか徹頭徹尾身体的
→非-記号的次元が文学テクストへともたらされ聞かれる
ex)ミシェル・セールの「肉」やロラン・バルトの「声のきめ(荒々しさ)」
声や発話、歌は前象徴的なものを示し、それはバイナリ的な差異に基づく意味の形成から逃れ去る
テクストにおいてゲシュタルトを獲得するプロソペイアという形象(Menke 2000)
→フェミニズム的美学は意味と形式の可能な形式化を否認:ロマン主義的な中間地帯や変容というイメージ
女性性や母性、さらには性差の役割は、非-文字や言い得ぬもの、あらゆる詩人の背後に立力を授けるような母性の力のために、比喩としてもたらされる
→性差は、精神分析の脱自然化へともたらされる
→精神分析は家族と社会における「自然な」過程ではなく、女性の抑圧と解放を同時に可能にする道具としての言語を通じたアイデンティティの獲得の過程を示す
文字
イリガライは、西洋の哲学史上のカノンが言い得なかったことを探ることで、文学研究的な精神分析を発展
→フロイト読解において女性的な可能性は「否定性」を持つとしても(がゆえに)形成されると強調
→精神分析と哲学の限定的な読解は、精神分析でもって定義付けられた性差の空所に対して、複雑に設定されたアイロニカルな回答であると理解できる
→文字と意図されたものは男性的に補充され、書かれえなかったものと抑圧されたものに立:それらは非-文字として女性性において規定される
エクリチュール・フェミニン/マスキュリン
ジュリア・クリステヴァは、『詩的言語の革命』で言語の政治性を追究
→文学は 19 世紀ごろから。テクストの外にある意味へと遡及するという考えから遠ざかる
→象徴以前というコンセプトを「セミオティック(原記号態)」へ置き換え、言語学と記号学の構造主義的モデルにより明確に基づいて精神分析的な試論を形成
→セミオティックは、ラングとパロールという秩序へと言語獲得を通じて移されるが、周縁的なもの、語りえないもの、不完全さや混乱として示される
女性性をセミオティック=非秩序として捉えているわけではない:あらゆる転覆の戦略が女性的(女性以外の周縁的カテゴリーにも同様のことがいえる)
男性の書き方がエクリチュール・フェミニンに合致するからといって、それがアプリオリにエクリチュール・マスキュリンではない
→文学、言語および社会を性差のバイナリへと従属させることを拒むことは、脱構築的なユートピアへの進入である:差異を幾重にも攪乱し、不正義で非人間的な権力関係の正当化や肯定としてその差異をもはや用いることができなくなる
→文学の書き方や文学研究はもはや、単純な性差の暗示に与できない
→エクリチュール・フェミニンは「探索の運動」として解釈され、「男性が優位に立つ構造から自由に書くことを可能にする
→エクリチュール・フェミニンは文学研究による方法論的ツールの開発を促進:ポストモダン文学の理解に寄与
ex) 多声性、ポリパースウペクティブ、間/メタテクスト性...
ジェノテクストとフェノテクスト
クリステヴァはシニフィアンとシニフィエをいかに美的な次元で議論できるかということに関する用語を提案
→「ジェノテクスト」/「フェノテクスト」=原記号界と象徴界に対応
ジェノテクスト...言語秩序に従属:未だ整序づけられていない言語分節に対する欲求の集積は、前言語的である原記号界と象徴界の表層的形態の間にある媒介的な審級
フェノテクスト...書記として現れ、書くことと読むことの行為においてはじめて遂行されねばならず、そこで再度原記号界が示されうる
∴文学は潜在的には際限のない織物として記述されうる、それは作者ではなく現に存在する形態から書記として読まれうる。
→その限りで著者の電気的な性差は後景に退く:しかしテクストには書き込まれるファルスと母なるものは異なる形成原理であり、女性や男性によって獲得させるものではない:作家は女性や男性足りえず、男性や女性であるかのように書き話すだけ
仮装
『エトランジェ』において、暴露と隠ぺいのモチーフが現われる
→フロイト譲りの仮装としての女性性に関する議論に対する見解
→異他や女性がともに含意するのは、不足や欲望されること:差異それ自体のための記号と
してのファルスと男性的な含意の記号と異なり、自己自身と一致できない
→性差と人種の交錯した関係に則って異他や女性性のアイデンティティの差異を論じる
ex)ブリギッテ・ライマンやエミネ・セヴギ・オズダマルの作品
記号なしに表象なし
表象に関する議論は、20 世紀初頭にフェルディナンド・ド・ソシュールが言語学においてシニフィアンとシニフィエの関係を構築したことが基礎;チャールズ・S・パースが「アイコン」、「インデックス」、「シンボル」でもって表象するものとされるものの多様な関係を示した
文学に関する表象の議論は非常に多岐にわたり統一的な定義を与えることができない
→性差に関する議論でも重要な術語でありジェンダースタディーズの主たる論点に発展
記号言語
文学における性差と言語的記号の関係は、語源、文法および形態の観点から重要
→世界において語られるほとんどすべての言語は文法的かつ社会的な性差における記号的な介入が認められる(Heillninger/Bussmann 2001-2003)
『セントラルパークのジョガー』
テレサ・ド・ローレティス:西洋の想像という文化は視覚的に表象された女性性によって刻印づけられており、性的な差異をとりわけ出背景にして考えなければならないほどであると指摘
→女性性の表象としての個々の女性性(woman)と歴史的で経験論的な女性たち(内的な差異によって女性性の表象へと一致しない)の集合(women)の理論的な差異
エリザベス・ブロンフェン:美的で理論的かつ精神分析的な表象のメカニズムを説明
→女性の身体を物語の根源および目的として位置づけ、同時に分かりやすく示す
ex) ジョーン・ディディオン『センチメンタル・ジャーニー』(1992)
→性犯罪にあった被害者の身体は都市とそこでの生活における表徴となったが、その女性は名を持った一人の女性として語ることはできない
→アカデミズムでの教育を受けて経済的に成功した白人の若い女性は、ヒスパニックおよびアフロアメリカンの若い男性 5 人による犯罪の対象であるばかりか、報道においては都市やそこでのラフスタイル、そして倫理的価値のポストモダン的頽廃として機能
→女性的身体は、不足や過剰と同等に扱われる(個人の存在は不可視化されたまま)
『セントラルパークの 5 人』
事件の被害者であるトリシャ・メイリの自伝『私はセントラルパークのジョガー』(2005)ドキュメント映画『セントラルパークの 5 人』(2012)も公開
→1980 年代の深刻な社会事情を歴史化しながらも、従前のマスメディアにおけるセンセーショナルな演出を繰り返す
事件後に真犯人が名乗り出て DNA 鑑定によって本当の容疑者逮捕に繋がり、それと同時に司法の誤審が明らかに:公判では人種差別的偏見を訴えていた
映画監督は、容疑者たちの側に立った表明ができるかどうかを賭けて再審理に参加
表象する(犯罪や犯罪的欲求の)対象としての個の女性の傷つけられた身体がいた象徴的秩序の場所に、男性の集団的で抵抗する身体がとりかわる
→この 20 年間で都市の表象は、従来的な記号秩序の単純な修復に由来することなく、女性から男性たちへと再編されることが可能に
想像、役割像、表象
シルヴィア・ボフェンシェン『想像された女性性』(1976):ドイツ文学史上あらゆる時代における女性像分析のための基礎を提供
→女性の形象は何度も歪められて描かれており、歴史的な女性の現実と異なる:ステレオタイプかされるか、あるいは実際の社会的な従属は女性性の神話のために美的に誇張され悪魔化されることに現れた。
→歪められることのない真実を女性自身が表現できることが問題ではなく、女性もまた男性のように女性性を想像できることにこそ絶え間ない衝突の原因がある。(その逆に男性もまた女性のように女性性を想像できる)
→複雑にかつ文化的なレパートリーに深く根差した男性性と女性性の原型が男性と同様に女性にも作用を及ぼしている(Theweleit 1977)
「男性像」というが概念に表象を分析するようなきっかけは結びついておらず、男性を自らの経験でもって社会的に可視化するような、フェミニズムの理念にも似た男性中心的な要求と結びつけられた
→男性像や女性像を分析するというよりは、自己や他者のさらなるモデルをつけ加える:その後の研究は男性中心主義や両性具有のモデルを創り出すために女性像と男性像を強調
文学内および文学外への参照に対する批判
想像というきっかけでもって「自然で」歪められていない生の現実が、文学という美的な世界に入り込みうる(こまねばならない)が、自然さを背後に想像された「自然さ」が喚起されるという批判は妥当
→詩学による文学テクストのモデル化と文学外の世界への参照が議論
→文学以外の参照が必要でもない解釈方法が発展:個々のテクストを自律した美的構築物として認める(クローズリーディング)あるいは、特定の文学作品を記述するための他の文学テクストの重要性(プレ/インター/パラテクスト)美的かつ生活世界の空間がいかにして互いに関係づけあい、どのような含意が特にそれらの関係と結びつくのかという問いは文学研究だけではない広さを持つ
例:『ウンディーネは行く』
女性表象の関連は文学テクストにおける「女性の肉体」という現象に喚起される
→女性身体の美化はリミナリティという標語において達成:純潔と罪、生の限界(=死)
ex)ロマン主義における美しき死という表象は不安を昇華したが、女性的表象
1970 年代から文化的ステレオタイプに対する批判的研究が登場
ex)象徴主義やウィーナーモデルネにおけるファム・ファタールやファム・フラジル
ロマン派から古典的モデルネにいたるまでの形而上学的な「水の女性」
メリュジーヌやウンディーネ、オフェーリアは死で連想⇔命を与える水の象徴は男性
ex)インゲボルグ・バッハマン『ウンディーネは行く』(1961)
神話学
神話的形象は、図像や文学的伝統においてアレゴリーとしても描かれ、イメージや文学の伝承に根差し何度も新しく発見される
ex) 1970 年代のフェミニズム神学は「女性的」キリスト教の表象をその特質から再構築
→使徒の表象は女性から男性へと置き換えられたか男性中心的な聖書の伝播において女性は排除されてきた経緯
神話的形象は文学において、そこで語られる基本的な衝突の無時間的な妥当性、反面その都度アクチュアリティを獲得するような人間の行動様式と価値を強調するために用いられる
→神話に登場する名前は安定したシニフィアンを持ち、神話学によって再認される意味を表象:あるいは、筆者および歴史的・現代的な言説の持つ意味の喪失と不足を必要とする場合も
神話的形象とそれによって呼び起こされる美的で歴史的でかつ詩学的な範型を積極的に分析することは、時には非常に好まれる
ex)イフィゲーニエ、ペンテジレーア、メデイアといった古典主義
→形象や筋、象徴的事物は神話の最小要素としての神話素として互いに結びつく(レヴィストロース)
→神話的形象はプロセス的なるものや中間態あるいは非一義性を表象する:性的な差異も
またこの意味の神話として記述神話的な語りは、特定の歴史的状況(第二次大戦後など)において、伝播しやすい
→20 世紀において神話学とジェンダー表象は顕著にみられるようになり、国家アイデンティティや家族秩序、トラウマの克服などの言説へと結びつく
カサンドラとメデイア
メデイアによる女性の表象は、社会的孤立と残忍なまでの気象の荒さによって規定されており、メディアを越えて様々な作品へと翻案
ex)クリスタ・ヴォルフ
→政治的イデオロギーの転覆を狙うような作風(直接的な描写はないが、DDR 体制を思わせる描写は明らか
『カッサンドラ』(1983)
もとは「カッサンドラ、ある物語のための前提」(1983)という講演:DDR の社会イデオロギーに拠った作風
→国家的な統制をうけた模倣的で解釈学的なテクスト生産と意味のモデルの壮大な解体
『メディア。声』(1986)
→DDR 解体後の批判的な小説で、多視点的な語り:ユートピア消失について
→メデイアの生はドラマ的筋展開の果てにあるような悲劇でも破局でもない
→慎重な歴史的時間の再構成であり不安定で価値をさだめようとする語りが個々の目立つ
ex)デア・ローアへの変奏
ジェンダー・トラブル
1990年からジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル(独:Unbehagen der Geschlechter)』は、パフォーマティブなジェンダー・アイデンティティという重要なコンセプトを代表することに
→哲学・言語学・社会学・記号学・言説分析が用いられているのみならず、当時の西洋におけるフェミニズムに対抗するフェミニズムという企てによって注目を集める:人種や階級、性的指向などといったアイデンティティ・カテゴリそれぞれに応じて考慮せず、承認と公正さの関心へと結びつけられない、一面的なフェミニズム
→差異をめぐる闘争
先行性
男性性や女性性の表象は、記号や記号体系によって表象されうるような、先行する性差から出来する
⇔パフォーマティビティは、動態化とプロセスを重要視する
社会的性(ジェンダー)は、象徴的に到達不可能な生物学的「自然」である性差を特徴づける身体的性(セックス)と関係するが、それゆえに存在論的にそこから切り離されえないだろうということを、両者の違いは前提とする。
→バトラーはこの結びつきを疑問視する:「エクリチュール・フェミニン」のような遡及不可能な先行性
→身体的な性であっても文化的実践、すなわち身体的・言語身体的な生成に基づく
パフォーマンスとパフォーマティビティ
パフォーマティブなジェンダー・アイデンティティは、記号学や言語学における特定の言語行為に由来する
→J. L. オースティンにおけるような行為遂行的な特定の動詞:事実を構成し確定する
パフォーマンスされたこととパフォーマンス・アイデンティティ
バトラーの提唱したパフォーマティビティに対する誤解
→ジェンダーのコンセプトを個別の言語行為においてのみ理解しようとした:ジェンダー・アイデンティティに対して恣意的な影響が与えられているかのような誤解
→ジェンダーは言語行為的な意図をもってパフォーマンスされるのではなく、常にパフォーマティブである
誤解と反論
さらなる誤解
i. 身体的な経験の位相を無視している⇔身体的な経験を自然化させる作用を分析することの方が重要
ii. 言語が生物学的な性を生み出す⇔言語は直接的に理解できるのではなく、生物学的にすなわち言語的・認識論的な枠組みに従属する
iii. 個々人は、役割を演じるかのように、ジェンダー・アイデンティティを取り換えることができる⇔長い時間をかけて変容する記号生成プロセスである:個々人はジェンダー・アイデンティティのパフォーマティビティを担う主体(エージェント)である
パフォーマティビティを正当に評価することを試みる、ジェンダーの非同一性を分析する方法論的手段
→インターセクショナリティでもってジェンダー・アイデンティティの生成を確認する
文学とパフォーマティビティ
パフォーマティビティに言及する文学研究は新しくはなく、2000年頃から確認される
オースティンは、劇文学の言語的な特徴を言語の消耗に見なしている
→セクシズムやレイシズムの議論はしばしばこの消耗をめぐる
イロニーや引用といった形態は、読みの次元で成立する
ex)ド・マンを経由したショシャーナ・フェルマンの研究は読みの次元における脱構築的フェミニズムを展開
神話学とその転向:アンティゴネ
バトラーは文学読解においても知られる:フロイト的読解
→最も知られるのは『アンティゴネの主張』
アンティゴネ
→20世紀のポストモダン的な哲学の対象にしばしば挙げられる。
ex)リュース・イリガライは父権的法の限界として読解:父と兄弟の不在において母・娘・姉妹
→バトラーにとって、発言が発言の前提条件として導出されるような転覆可能性が見出される。親族関係というテーマ
家族というエトスと国家という法
ソフォクレスのアンティゴネは家族関係に結びつけられた女性性の表象
ex)ヘーゲルは、アンティゴネの女性性が家族と神的法に結び付き、人間的法としての男性性へと弁証法的に結びつくと読解:個別性と普遍性は互いに結びつき、前者に女性性、後者に男性性を付与する
⇔バトラーは、アンティゴネが兄弟を埋葬する行為を、父権的法に対立する解放的な不服従の行為とみなす
→アンティゴネ―は異性愛規範に対立する特定の未来を呈示する(告白):近親相姦
→その結果としての目つぶし(ex:オイディプス)は、バトラーによって親族関係のアレゴリー:異性愛規範の法に適合しない関係