タイトル:或る夏の日
作家 :岩本 和保
画廊 :美岳画廊
展示会 :岩本和保油彩画展 ーひかりのしっぽー
購入日 :2022年 10月 10日
サイズ :WF4号
技法画材:油絵
この少年たちは野球が上手い。野球部に所蔵しているのだろうか。とは言えユニホームを着ていないので、部活の練習中というわけではない。傍らに自転車が停められていることや青々と茂った芝生からは、ここは野球のグラウンドではなく、自由に遊べる広場のように思える。現在でも野球部と言えば坊主頭の生徒が多いが、右端の少年はやや髪が伸びているように見える。もしかすると野球部を引退した生徒が、急に練習のない生活に慣れず、何となくキャッチボールを始めたのかもしれない。次の瞬間、ボールがグラブにパーンとおさまる音が聞こえてくる。私は歩くのを止めて、暫くキャッチボールに見入る。
絵画に限らず藝術の類いは、鑑賞者が感想を抱いて作品は完成すると言われることが多いが、それを体現するのは難しい。自己表現としてのアートを追求し続けると、作品の中だけで完結してしまう。また、鑑賞者の属性は千差万別であることから、万人が一様に共感することもない。アートも突き詰めれば、日常の会話と同じようにコミュニケーションの一つである。どのように鑑賞者を作品に取り込んでいくか、感想は人それぞれであるが、見る側の没入感こそが優れたアートの尺度のように思う。その意味で、《或る夏の日》は、あたかも自分がこの景色を眺めていたように想像が膨らんでいく。追体験のように場面は共有され、記憶の断片となる。
個展風景①
なぜこの作品は見る側に没入感を与えることができるのか。あらためて作品を遠目から観察してみよう。最初に浮かんだのは、緻密ではあるが細かいわけではないという、一見すると矛盾した点である。少年達の表情は具体的には判別できないし、自転車の形も明瞭には描かれていない。木陰であっても日中であれば、自転車の車輪が識別できないことはないだろう。また、木々の葉や幹も曖昧にぼやかされ、残像のようである。しかし、少年達に野球経験があるのは推察できる。右側の少年はボールの軌道を正確に把握し、ボールに対してグラブと視線を直線的につなぐことができる。左腕は脇をしめて、肘を直角に曲げた正しい捕球フォームだ。今度はボールを投げた少年を見てみよう。姿勢は崩れていない。足取りも軽やかであり、無駄な力を入れず送球していることが伺われる。もう一人の赤いシューズを履いた少年は適度に足を広げ、余裕を感じさせる。この作品はデジタル画像のように均一細かく再現するものではなく、されど描くべきものを描くことで少年の動作を正確に描写していることがわかる。
次に構図について考えてみよう。最大の特徴は細長い形のキャンバスである。もし少年達が正三角形の位置でキャッチボールをしていたら、面白味に欠ける動きのない構図になってしまっただろう。もしキャンバスを定型の長方形にすれば、幅広く公園を描くことになるが、余計なモチーフが入り込み、この作品の魅力であるキャッチボールの瞬間が失われかねない。また、少年達が二等辺三角形になってしまうと、ボールを投げた少年と赤いシューズの少年が重なり、窮屈になってしまう。三人は実にベストなポジションである。ただし、これは作者が意図的に少年を配置したのではなく、いわゆる三角キャッチボールをする中で少年たちが最も美しい場所に自然に立ってくれたと思われる。そして、その瞬間を捉えきったところに作者のセンスの良さが伺われる。なお、三角キャッチボールは距離や方向を変えることで、体のバランスやステップをより柔軟に練習することができる。少しずつ場所を変えながら、キャッチボールをすることでリズム感が生まれ、ウォーミングアップには丁度良い。
個展風景②
今回の個展のタイトルは「ひかりのしっぽ」となっている。その光を追うようにさらに構図を考察してみよう。最初に目に留まるのは、背に太陽の光を浴びた少年である。白く輝くシャツはこの作品において、もっとも明度が高い。眩しくはないかもしれないが、直に日差しを浴びるのは、一般人には酷であろう。夏の暑さをものともしない元気溌剌とした体育会系の少年である。ほかの二人に比べてもどこか体幹が強い。太ももも引き締まっている。キャッチボールをしようと誘ったのはこの少年であろうか。
ボールをキャッチしようとしている少年は、木の陰に沿ったラインに位置している。日向との境界線になっており、構図として非常にバランスが良い。ボールの取りやすさだけなら、もっと陰の中に入っても良いはずだが、境界線にいることで、明暗を強調することができる。また、画面右下の太陽に照らされた広々とした芝生が余白として生きてくる。もしかするとこの少年は眩しくない範囲でギリギリ遠い距離に立っているのかもしれない。結果的には絵画として絶妙のポジショニングである。さらに、この少年の顔と両手首はハイライトされているのも見逃せない。白球の軌道を意識させ、捕球の動きを補完している。もしこの少年が陰になりすぎると、ボールが失われてしまうように感じてしまったかもしれない。ハイライトが少年の動作をより明確にさせてくれる。
ボールを投げた少年は陰に隠れてしまっているように思えるが、こちらもシャツにハイライトが当てられている。鑑賞者は無意識のうちにひかりの点を結び付けることで、キャッチボールの流れが自然と目に浮かんでくるのだ。赤いシューズも白球に呼応するようにワンポイントとして機能している。実際にこの色のシューズを履いていたのかは不明であるが、指し色が欲しいところであり、偶然であればまさに作者思いの少年である。白や青では面白味に欠け、黄色では弱い。立ち姿の少年と相まって、鑑賞の起点となるカラーとなっている。
全体を俯瞰してみよう。細長いキャンバスを用いるにもかかわらず、窮屈な感じはなく、広々とした印象を受ける。理由の一つは右下を大胆に空けているためであるが、画面の上にも注目したい。自転車を置いている先はかなり明るくなっており、鑑賞者の視線を上へと誘導する効果がある。もしこの部分が深い緑に覆われてしまうと、鑑賞者の視線は画面の下へと押し戻されてしまう。いわば視線の抜け道を作ることで、鑑賞者はその先の光景を想像することになる。また、右上は赤茶けており、道が横断しているのかもしれない。一方、画面の左は樹木の幹なのだろうか、鑑賞者の視線をクッションのように受け止めてくれる。木の影と少年の位置から、全体として対角線上のラインを基本にバランスある構図に仕上がっている。右下からは、外灯のような細い直線の影が見て取れ、構図をサポートしている。
おそらく段差のある公園なのだろう。少し高い位置からキャッチボールを見下ろしている視点も良い。真横からでは立体感がなさすぎ、高低差がありすぎると臨場感が失われてしまう。また、実際はもう少し遠目から眺めているように思われるが、絵画として鑑賞者を取り込むに相応しい距離感で描かれている。現実に見ている光景を写真に撮ると小さく感じてしまうことがあるが、単純にクローズアップすれば解決するわけではなく、やはり立体的に見るということと、二次元の映像にするのでは印象として異なる。その点からすると、絵画は焦点を複眼的に自由に操作するだけでなく、明度や彩度を心理的な側面から補正することができよう。いわば記憶に残るような主観と客観が入り混じった光景である。この作品は実際の距離よりも近くにいるような印象をもたらす。
少年たちはいずれも白いシャツに青系統のハーフパンツである。違いと言えばボールを取ろうとする少年には白いラインが入っていること、陽を浴びた少年の赤いシューズくらいである。しかし、それによってシャツの明暗が際立って見え、むしろ個性的な人間像が垣間見えるのだから不思議である。赤いシューズの少年はムードメーカー。ボールを取ろうとする少年はどこか大人びており高校生にも見える。それに比べるとボールを投げた少年はやや幼く感じるが、俊敏で野球のセンスはありそうだ。ここまで想像できるのは、やはり細かくはないが、やはり精緻に描写されているためであろう。写真のように記録することと、記憶に残るということは次元が違うと言って良い。
個展風景③
個展風景④
自転車が作品をより味わい深いものにしてくれる。車輪やフレームは形状が特徴的であり、金属の光沢もアクセントになる。また、自転車に乗って遊びに来たというストーリーも加わる。木陰に停めた自転車は、見落としそうなくらいぼやかされているが、鑑賞者は自転車を発見することで、その光景に馴染んでいく。大雑把に自転車の形を描いているように見えても、車輪の傾き方などは精緻であり、高い描写力を感じさせる。片足スタンドはバランスを保たないと倒れてしまう。特に芝生のような柔らかく段差のある場所は停めにくい。自転車が整然と並んでいないのは、雑然としているというより、停めやすい場所を選んだからと推察できる。
この作品は一瞥して終わるのではなく、眺めれば眺めるほど多くの感想をもたらしてくれる。再び赤いシューズの少年を見てみよう。思いのほか影は長く伸びていることに気づいた。ようやく外に出られるくらいに夏の日差しは落ち着いてきた。それでもまだ潮風は生暖かい。私は買い物をしようと道なりに歩いていると、少年の笑い声が聞こえてきた。夏バテを知らない元気さを羨ましいと思いながら、良い投球フォームだと心のうちで褒める。こんな暑い日なのに公園でキャッチボールをしている少年を見かけたんだ、そう誰かに話したい気分になった。(2023年2月12日)