タイトル:七粒の思い出
作家 :岩本 和保
画廊 :美岳画廊
期日 :2017年 10月 9日~15日
サイズ :8号
技法画材:油絵
「七粒の思い出」はタイトルのとおり、描かれているのは七粒の「どんぐり」のみというシンプルな構成になっています。モチーフが少なく、地味であるほど誤魔化しが効かなくなるため、表現力が問われます。
最初にどんぐりの配置に注目してみましょう。七粒のどんぐりは、画面の中央を横に並んでいます。ほぼ直線上に並んでいますが、右の二粒は少しだけ上下に離れています。端にあるどんぐりを線で結ぶと、細い三角形になり、バランスが保たれているように感じるのではないかと思いました。この作品から醸し出される落ち着いた雰囲気は、どんぐりの配置も影響しているのではないでしょうか。画面を広く使うのであれば、一番右のどんぐりをもっと右下に寄せることも考えられます。また、どれか一粒だけ規則性を無視して、外れ値のような場所に配置し、画面に動きを与える手段もあったと思います。ただ、そのようにどんぐりを並べると却って人間の意図を感じてしまい興ざめしかねません。この「どんぐり」たちは子どもが拾って遊んだ跡とも、自然とそこに辿り着いたとも様々に解釈できますが、結果としてこのような場所に並んだと考える方が、思い出というコンセプトに合致すると思います。
また、画面の中心にどんぐりが寄っているため、広い余白が生まれます。この作品はどんぐりもさる事ながら、背景が非常に重要な意味を持っていると思いました。背景こそもう一つのモチーフであり、主役と言っても過言ではありません。ところが、その背景を説明するのはとても難しいのです。というのは、普通に作品を写真に撮ると、かなり白っぽくなってしまうことが分かりました。特に白の筆致が浮いてしまい、アクセントを超えて目立ってしまいます。一般的に絵画は写真ではなく、現物を鑑賞するべきと言われますが、マチエールだけでなく、色彩も正確に伝えるのは難しいことを実感しました。現物はピンク、オレンジ、黄色、白が複雑に混ざり、温かみのある色彩になっています。
さて、静物画と言えば、テーブルに乗っている果物などを思い浮かべる人が多いでしょう。テーブルクロスや部屋の壁紙も静物画のポイントになりますね。それに対して、この作品の背景は具体的なものは示されていません。どんぐりであれば、地面や芝生を描くことも考えられます。「七粒の思い出」のどんぐりは、夢の中に出てくるような淡い世界に落ちているように思いました。心象風景と言っても構いません。大切なのは、現実の世界でなくても、地面を意識させることです。ピンクを主体とした背景は、夕焼けに染まった懐かしさを演出してくれます。しかし、漠然と色を塗ってしまうと、どんぐりが宙に浮いた感じになってしまいます。鑑賞者にどんぐりは地面に落ちていることを認識させるには、影をつけることが最も有効でしょう。この作品でも影がついていることは直ぐに分かります。さらに観察していると、どんぐりの高さからすると思いのほか影は長く伸びていることに気が付きました。夕方であることを暗示することで、作品に時間の概念が与えられます。どんぐりは部屋の中という指摘もあるかもしれません。しかし、一般的に照明は天井にあるため、より短い影になるはずです。また、どんぐりのハイライトは淡く、ぼんやりとした空気感からすれば、戸外とするのが妥当です。ただし、心象風景の戸外とは何かを考えると複雑になり、作品の魅力とも言えます。
普通に写真に撮ると白っぽくなる
どんぐりの影を青でハイライト
あらためて背景の微妙な色彩の変化を観察してみましょう。右側は珊瑚色とも呼ばれるコーラルオレンジに近いです。左側にかけて次第に色は薄くなり、黄色やアクセントとして白が用いられています。梔子色と言っても良いかもしれません。梔子色とはアカネ科のクチナシの実で染めた少し赤みのある黄色で、古今和歌集にも出てくる平安時代から伝わる名称です。優しく色が混じり合うことで生まれるこの空気感は作品の見所です。影の向きだけでなく、右側の背景の方が濃く、右から陽の光を浴びていると感じますね。どんぐりの配置に戻りますが、どんぐりは右側の二粒に距離があります。しかも、作家のサインは右下にあるため、全体的に右側に重心があるように感じます。どんぐり、背景の色、サインと三つの要素で画面のバランスが整えられていると思いました。
おそらくこの作品のコンセプトとして、この背景の珊瑚色×梔子色のような色調に強いこだわりがあったと考えられます。「思い出」を語るに相応しい色彩が広がっています。一方で、茶系統であるどんぐりが背景と同化しやすい弱点も潜んでいます。緑色の木の葉は形としても色彩としてもアクセントになっています。ただ、作品をじっくり眺めていると、背景とどんぐりが混じり合うことを否定せず、むしろ境界を曖昧にすることで、記憶という心象風景に鑑賞者を引き込むようにしているのではないかと思いました。記憶の不明瞭な側面をも表現されているのではないかと。
ところで、どんぐりは何科の植物の種なのでしょうか。直ぐに答えられる人は少ないはず。調べてみると、「コナラ、ミズナラ、クヌギ、カシワ、アラカシ、シラカシなどのブナ科の果実の総称、とくにクヌギの果実をさして使われる場合もある」 と解説されていました[1]。日本には22種のどんぐりを実らす樹木があるようですが、主に見られるのはコナラのどんぐりです 。確かに子どもの頃に見たどんぐりはこんな形をしていました。この作品で描かれているどんぐりの種類を見分けるのは難しいですが、堅果が細長く、殻斗は小さめであること、ギザギザのある葉からするとコナラのどんぐりと推測しました。
正解はさておき、このどんぐりは殻斗の有無、色や艶だけでなく置かれている向きも違っています。似ているけど同じではなく、微妙に変化している点は、背景の色調と共通しています。七粒それぞれに個性があり、物語を感じさせてくれますね。どんぐりの向きについてさらに着目すると、三角形の頂点にある粒は、それぞれ画面中心を向いているため、安定感をもたらします。特に右下の殻斗のあるどんぐりはやや黒いのに対し、その上にあるどんぐりは薄茶色で殻斗はありません。遠近感とコントラストによる心地良いリズムが生まれています。また、枝葉のついているどんぐりは、ヨットの帆のようにバランスをとっています。重なり合う小さめのどんぐりも挨拶をしているような可愛らしさです。見過ごしてしまいそうな光景かもしれませんが、この七粒のどんぐりが持つ思い出のような日々の出来事を大切にしたいと思わせてくれる作品でした。(2022年2月26日)