タイトル:列車が来たら
作家 :岩本 和保
画廊 :美岳画廊
展示会 :岩本和保 油彩画展 片道切符の旅
購入日 :2019年10月7日
サイズ :P15
技法画材:油絵
駅舎で列車を待つ女性という題材は、情緒に溢れ、線路は画面に奥行を与えることから、現代のピクチャレクスと言える。しかし、どこかで見たような絵画と評価されたり、他の作品と比較されたりするため、作者の力量が問われることになる。そして、この作品はそのような批判に耐えるばかりか、胸を突く新鮮さに満ちている。
その理由の一つは、女性の細やかな動作にある。僅かに左足を前に出し、列車が来る方向を見ている。右足はやや浮いているようだ。ピアスやイヤリングをしているのだろうか、右手を回して左の耳たぶを弄っている姿は、せわしなさを感じさせる。恐らく耳たぶを触るのは心を静める彼女の癖なのだろう。それゆえに切なさが高まっていく。右手で右耳を触ると腕が体に隠れてしまうが、右腕を左側に回すことで、体に動きが生まれるのも重要である。荒いタッチにもかかわらず、右手は耳たぶを掴んでいるという動きが明瞭であり、触れるという感触が鑑賞者に伝わってくる。それほど長くはない髪を縛ることで、視線を首筋に集める効果もある。また、淡い桜色のリボンによってさり気なく注意を引かせているのも良い。
左手は手首をくねらせ、鞄を押さえるような動きをしている。僅かな腕の角度にも注目したい。列車が来るかもしれないと体を傾けたことによって、鞄が肩から落ちそうになっているのを防いでいるのだろう。左手を丸めて鞄を支えている様子も見て取れる。明るさの強弱によって腕や足の筋肉の動きを巧みに表現している。それとなくしている腕時計が、鑑賞者に列車の到着時間を意識させるに有効なモチーフになっていることも見逃せない。また、スニーカーから少し見える青い靴下は、色彩を与えるだけでなく、足の動きを補完していることにも気付く。さらに、左足が白線を踏み、スカートの先端も白線にかかっていることで、列車の到着が近いという緊張感を呼び寄せている。
今回の個展の副題は、「片道切符の旅」となっているため、単なる旅行ではなく、別れを描いているように思える。ただし、半袖の服や線路脇の生い茂った雑草からすると、進学や就職シーズンである春というより、初夏の季節感がある。ならば、何か突発的な事情があったのだろうか。そもそも家族や友人に見送られている場面ではない。荷物が少ないのも気がかりだ。どのような理由で旅立つのか、鑑賞者の想像を掻き立てる。彼女は電車が来るのを待ちわびているようにも見える反面、この街を離れることを躊躇っているようにも見える。スカートが揺らいでいるのは、風を感じさせるとともに、女性の胸の内にある不安を暗示させる。また、スカートの揺らめきは鑑賞者の視線を線路の側に誘導するという意味においても重要なポイントになっている。
作品に接近すると、駅の看板は「みやこだ」と読める。作者が静岡県の出身であることから、天竜浜名湖鉄道の都田駅と考えて間違いない。天竜浜名湖鉄道は、掛川から静岡の平野の縁に沿って天竜二俣を通り、東海道本線の新所原に合流する。東西の移動は沿岸に近い東海道本線が主流であることから、いわゆるローカル線である。都田は、浜名湖の北東の丘陵地帯にあり、ぶどう、みかんや梨といったフルーツ栽培が盛んであるという。天竜浜名湖線のホームページ[1]では、「地名は、いにしえ人が都恋しさから付けられたと言われていますが、定かではありません」と紹介されているのも興味をそそる。都田駅を調べていたところ、静岡新聞のホームページにこの作品とよく似た写真が掲載されていた[2]。
都田の紹介を長々としたのは、この作品があまりも都田駅の雰囲気を的確に捉えていることに驚いたためである。駅舎の古ぼけた柱、薄くなりかけた白線、待合室の丸いベンチはもとより、作品の右側に描かれた光を通す穴も実際に存在している。この僅かな光は、鑑賞者の視線を散らすために意図して穿ったものと考えていたが、実際の駅舎にも見て取れる。もちろんこの光が画面構成において有用であることから、消さずに描いたのだろうが、都田駅の特徴を余すことなく表現されていることに、よそ者の私も不思議と嬉しくなってしまう。駅舎から見える樹木は、手前が青々と濃く茂っているのに対し、より線路の真上に位置する木々は淡く黄緑色をしているのも、写真と酷似している。当初は天候による光の加減によって色彩に違いが生じていると思ったが、植生による違いかもしれない。いずれにしろ都田駅に縁がある人ならば懐かしさが込み上げてくるだろう。
あらためて全体を観察してみる。プラットホームは画面の中央に位置し、女性はやや右側に立つ。左側は長く伸びる線路が中心をなす。画面上部は駅舎の屋根と空で占められている。画面構成上、主人公である女性は存在感に比して、大きくは描かれていないことが分かる。むしろ線路に十分なスペースが与えられ、左端の樹木や雑草は不要とさえ思える。しかし、これによって臨場感が増し、線路の奥にある風景に目を凝らす効果が生まれている。「列車が来たら」のタイトルのとおり、鑑賞者はみな線路の先が気にかかる。消失点を最も目に付きやすい位置に持ってくることで、女性と線路を一体として流れるように作品を鑑賞できる。
筆使いは荒く感じられても、細部まで意識されて描かれているのが素晴らしい。画面左の線路に沿って生えている雑草は、種を特定するのは困難だが、1mくらいの高さがあり、真っ直ぐ伸び、如何にも除草が大変という雰囲気からセイタカアワダチソウのように見える。セイタカアワダチソウは空き地に生える雑草の代表格である。その奥は竹林であろうか。黄緑色の風合いや細い縦線による幹は竹林に見える。ただ、写真では竹林は見つけられなかったので、作者の創意かもしれない。実際はともあれ、細かく擦ったような縦線は画面に変化をもたらし、鑑賞者を飽きさせない。反対にプラットホーム側は夏を感じさせる濃い緑が茂っている。
線路は途中で交差し、遠くが曲がって見えるのも良い。鑑賞者の視線のスピードを和らげ、これから到着するだろう列車を想像する時間を与えてくれる。画面上部は、広々とした空が占めている。これだけ大胆にスペースを割くのは難しいが、作品に余韻をもたらす。今回の個展では「変わらないこと」という作品も出品されており、女性が同じ服装をしていることなど都田駅に向かって歩く連作と思われる。「変わらないこと」と「列車が来たら」では空の雰囲気が異なっていることに注目したい。前者は夏の強い日差しを感じさせる青さがあるのに対し、後者は多様な色が混じった複雑な空模様になっている。女性の表情を窺い知ることはできないが、この空が彼女の心理を物語っていると言えよう。(2021年3月20日)
[1] 天竜浜名湖鉄道株式会社
https://www.tenhama.co.jp/about/station/miyakoda/
[2] 静岡新聞 文化生活部ブログ「くらしず」