タイトル:変わらないこと
作家 :岩本 和保
画廊 :美岳画廊
展示会 :岩本和保 油彩画展 片道切符の旅
購入日 :2019年10月7日
サイズ :P10
技法画材:油絵
「変わらないこと」は、当サイトで紹介している「列車が来たら」[1] と同じく「岩本和保 油彩画展 片道切符の旅」で購入した作品です。両作品で描かれている女性は、服装や髪型が共通し、同じカバンを持っていることから連作と考えて良いでしょう。舞台は静岡県浜松市北区、主人公の女性が都田駅まで歩いて向かう情景が「変わらないこと」、ホームで電車を待つ情景が「列車が来たら」という流れです。単独の作品としても見応えは十分ですが、連作と解釈し、相互の関係性を考えると、鑑賞に深みが出ると思います。今回は、両方の作品を見つつ、作品の魅力を探っていきましょう。
[1] MY ART ROOMでは『列車が来たら』を紹介しています。
両者を比較したとき、意外にも最初に目に留まったのは空の違いでした。「変わらないこと」は、「列車が来たら」に比べて明るく、夏の強い日差しを感じます。ただし、単純な青空ではありません。青い部分は画面上の一部に限られ、しかも青というより水色近い色彩です。また、下から湧いてくる薄い雲が、夏の熱気を感じさせます。雲といっても形は明瞭ではありません。積乱雲のような典型的な夏の雲を描けば、あまりにも絵になりすぎて嘘っぽくなってしまったでしょう。この作品は一つ一つを精細に描いているわけでありませんが、写生によるリアリズムに即しています。
さらに背景について考えてみましょう。「列車が来たら」の背景は駅舎と線路です。どちらも遠近感を活かし、旅情あふれるピクチャレクスな構成に仕立てやすいと思います。一方、「変わらないこと」は、遠目に映る丘陵と手前の水田が背景の中心ですが、理想的な田園風景とは趣が異なるように感じます。麓にある家屋や電柱は現代的で、向井順吉が描くような古民家は見当たりません。また、女性を画面中央に配置し、平行して眺める構図は、高低差をつけて景色を俯瞰することができず、道なりに鑑賞者の視線を誘導することもできないため、描くには難易度の高い場面と言えるでしょう。実は、この個展で最初に惹かれた作品は、「変わらないこと」でした。一見すると変哲のない景色なのですが、空と同様に写生に基づくリアリズムと油画の筆致を活かした美しさが、鑑賞者の心を捉えて離さないのです
個々のモチーフをもう少し細かく分析してみましょう。山の稜線に沿って使われている黄色は、太陽の光を浴びていることを示し、夏らしい光に満ちた風景を演出しています。平面的になりやすい構図ながら、奥行を感じるのは山が複雑な色味を帯び、多様な木々が生い茂っていることが感覚的に理解できるからだと思います。山頂は青みがかっている箇所もありますね。
緑に覆われた水田は、簡略に描いているように感じるかもしれません。しかし、手前を見てください。稲が水田から力強く伸びているのが分かると思います。これによって稲穂がぎっしりと逞しく育っていることが伝わってきます。風がそよぎ、稲穂がすれる音まで聞こえてくるように感じませんか。また、水田と道路の隙間には雑草が茂っていますが、日陰になるため濃い緑色を用いています。道路に迫り出すように伸びる草は、稲に負けない生命力が漲っています。一口に雑草と言っても、先端が細い披針形をしている葉もあれば、丸みを帯びた葉もあり、背丈も様々です。女性の左側は赤い点が打たれているのが識別できるでしょうか。この作品は、空、丘陵、家屋、水田、道路と横軸を構図の基本としていますが、雑草のラインを入れることで、立体感が強まり、画面にリズムが生まれています。この作品には、明確な季節のモチーフは登場しません。個々のモチーフを丁寧に観察し、組み合わせることで、鑑賞者が共感できる仕掛けが施されているわけです。
ところで、「列車が来たら」は駅の柱に「みやこだ」との表記されているのが読めます。「変わらないこと」は、具体的な場所を示すヒントは描かれていません。ただ、じっくりと鑑賞すると、この作品からは地形を読み解くことができます。遠景の山はさほど高くはなく、連山というより丘陵といった程度でしょう。また、女性の場所から丘陵までは歩ける距離に見えます。つまり、丘陵地帯の麓に広がる水田は、広大な平野というより限られた平地を利用した河岸段丘を思わせるものがあります。都田周辺の地図を見ると、天竜川を主流とする扇状地の山と平地の境にあり、南側は丘陵地帯で盆地になっていることがわかります。浜松市のホームページには、「天竜川扇状地地域は、天竜川の侵食作用による河岸段丘と天竜川からの土砂等の堆積により形成された扇状地地形が見られる地域」[2] との記載がありました。地形を意識させるという点では、「列車が来たら」より「変わらないこと」の方が優れているように思います。もし、この作品を見て懐かしいと思う人がいれば、自分が住んでいた場所と地理的な条件が類似しているのかもしれません。私が以前に住んでいた千葉県にも同様の景色がありました。
注意深く観察すると、主人公の女性の真後ろに影ができているのに気がつきます。また、山の稜線を照らす日差しからすると、女性は南に向かって歩いていると考えられます。都田駅の東側には田園が広がっていますので、この女性は都田駅の北東から都田川を沿うように歩いているのかもしれません。麓の家屋も実際に見える風景なのでしょう。この作品を地理的観点から考察したのは、もし漠然と田舎を想像しながら絵を描いても、理想的な原風景にすぎず、鑑賞者の琴線に触れるのは困難であることを伝えたかったためです。実際の風景を観察し、表現されていることが大切なわけです。
[2]https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/nousei/shinko/agri/noson_kankyo/hpdata/7-2.html
ただし、写真のように描けば良いかと言えばそれも違うでしょう。女性に照りつける日差しからは、もっと濃い影になりそうですが、黒は作品に与える影響が非常に大きいです。淡い影にとどめたのは正しい判断と思いました。また、女性が歩く道は、車両が通れる道幅はあるため、実際は舗装されているかもしれません。真偽は不明ですが、もしアスファルトの道路を描いてしまうと色彩が短調になり、重くなってしまうでしょう。画面下の余白は、鑑賞者との距離感として必要であり、茶系統にまとめたのは色彩のバランスから適切だと思いました。絵画におけるリアリズムの難しさは捨象にあるのかもしれません。この作品はリアリティの抑揚に優れています。
遅くなりましたが、主人公の女性に目を向けてみましょう。「列車が来たら」では、女性はプラットフォームの白線を踏んでいること、ピアスを触る仕草などから、やや不安で落ち着かないように感じました。「変わらないこと」の場面ではどうでしょうか。両作品とも女性の表情を直接に伺うことはできません。「片道切符の旅」という個展のタイトルからすれば、女性は長く住んだこの場所を離れることは間違いなさそうです。おそらくは何回も歩いた道だと思います。太陽が強く照りつける中、日傘をさすことなく、顔を上げて、風景を目に焼き付けながら歩く姿が印象的です。眩しさは気にしないのでしょうか。下を向いていれば、物思いに耽っているように見えますし、急ぎ足であれば電車の到着時間が迫っていると推測できますが、この女性は、腕をほとんどふらず、随分ゆったりとした足取りに感じます。この風景が女性にとって大切なものであることが伝わってきます。また、「列車が来たら」では、時計と鞄も作品を読み解く鍵になりますが、「変わらないこと」では反対側になり、鑑賞者の側からは見えません。歩く姿に重みが増します。
もう一度、構図から考えてみましょう。背景は前、中、後とありますが、いずれも横軸の四角形を基本にしています。また、中央に配置された女性は、頭と両足を頂点とする細長の三角形となり、全体として安定感のある構図になっています。しかも女性の首のあたりが作品の中心となり、建物のラインと重なるため、鑑賞者の視線は真ん中に寄っていきます。言わば鑑賞者の視線を散らしにくい構図と考えられます。しかし、シンプルかつ安定した構図のために、ちょっとした動作が大きな意味を持ってきます。女性が正面ではなく、少し横を向いているのは、鑑賞者に表情を想像させるためと思いますが、それだけではなく、女性がその先にある景色を眺めているという印象を強める効果があります。また、僅かに振られた右腕、かかとを上げた左足にも目が行きやすくなります。歩くという動作でこれだけ魅了させるのは難しいことでしょう。「変わらないこと」というタイトルと構図の趣旨が合致するように感じました。この作品を見たとき、どこの景色で、女性は何を見つめているのか、そして、何を考えているのか、鑑賞者の想像が膨らんでいくはずです。(2021年7月26日)