タイトル:緑陰
作家 :岩本 和保
画廊 :北岡技芳堂
展示会 :岩本和保展 -あなたがそこにいる-
購入日 :2022年 4月 16日
サイズ :WSM
技法画材:油絵
神社の石段を上る女性、タイトルは「緑陰」、季節は初夏であろうか。樹木をすり抜ける風は、わずかに湿気を帯び冷たさが心地良い。2022年4月にギャラリー北岡技芳堂で開催された「岩本和保展-あなたがそこにいる-」では次のように作家のメッセージが添えられていた。
『描かれている人物はあなた自身かもしれないし、
あなたがいつか見つめていた誰かかもしれない。
絵の中の人物と風景に、あなたの物語を見つけてもらえますように。』
個展風景①
人物画でもあり、風景画でもあるこの作品は、あたかも自分の人生の記憶の一部のように自然と心に染み込んでくる。どこかでこの場面を見ているような、もしかしたら重要な一コマであったようにすら錯覚してしまう。この不思議な力を少しずつ紐解いていきたい。
石段を上る女性は、体のバランスを崩しているように感じられる。右肘から先を横に伸ばすことで転ばないようにしている。よく見ると右手は開いており、赤い部分があることからスマートフォンを持っているのだろうかと思ったが、作者に尋ねたところ、特に何かを持たせているわけではないということだった。とすれば右手はやや慌てて無意識に開いているのかもしれない。この右手は鑑賞者の視線を集める点としても機能している。
丈の長いスカートをはいているが、一つ一つの石段が高いのだろう、右足を大きく上げているため、体の重心にブレが生じているのがわかる。スカートがたなびく様子で、歩く動作を適確に捉えているのは秀逸である。また、黒い厚底のサンダルは、踵が少し浮いているように見える。つまり、右足がちょうど階段について、左足を上げようと踵を持ち上げようとした瞬間である。足に力を入れたために、右腕を伸ばしてバランスをとろうとする動作と繋がりを持つ。より細部に着目すると、赤い髪留めの位置によって、女性の視線を知ることができる。髪留めは頭部の中心からやや左上にあることから、俯き加減であり、右足のひとつ前くらいの石段を見ていると考えられる。まとめるとこの石段は急な勾配であり、女性はここを歩き慣れておらず、転ばないよう慎重に上っていることが読み取れる。写真に引けを取らない正確な描写こそ、この作品が実際の記憶のように染み込む要素の一つと言えよう。
さらに女性の左腕の直線が絵画として重要なポイントとなる。もし左腕も右腕と同じように横に伸びていれば、滑稽でだらしない姿勢になってしまう。左腕が垂直に伸びることで、上品さが失われることなく、淑やかな印象を与えてくれる。赤い髪留めから左足にかけての直線を補完するラインにもなることにも気づいた。石段の横のラインに対して、左腕が垂直に交わることで、美しさが際立つ。この作品は実際にモデルを用いて写真を撮影し、それを基に絵画に仕立てているが、入念にポージングを検討したか、多くの写真から最も美しい姿勢を選んだに違いない。日常の風景を単に切り出すのではなく、数多の場面の中から美しいものを見出すことが大切なのである。
個展風景②
続いては、服装について考えてみよう。ノースリーブの服を着ているこの女性は、腕に強い日差しを浴びたまま歩いているが、日傘をさしていない。夏場の冷房や日差しからすれば、カーディガンを羽織っている方が馴染む。そもそもこの女性はどこへ何をしに行くのだろうか。黒い皮のバッグは光沢があり、全体的にフォーマルな装いではあるが、結婚式に参列するにはカジュアルに過ぎる。ノースリーブや柄はあっても白地のスカートも不向きであろう。また、この女性は周囲に気を配っていない。もし誰かと一緒に歩いているなら、急な階段であるからがゆえに相手のことがより気になるものである。彼女のために誰かが荷物を持ってあげていることも考えにくい。一人で神社に参拝に訪れたのだろうか。謎めいた状況に思えてくる。しかし、この個展のコンセプトに立ち返ると、具体的な事実の解釈は鑑賞者に委ねられており、むしろ鑑賞者の記憶を呼び覚ますような絵画としての構図、色彩及び描き方に注力されていると考えるべきであろう。
そのような観点に立って、あらためて服装を考察するどうなるか。まずノースリーブの服は、腕のラインを強調し、体の動きを明瞭に表現できる利点がある。カバンを持つ感覚が伝わるほど、動きのある絵になっている。もし長袖にすれば肘の関節が隠れてしまい、ここまで臨場感のある絵にはならなかっただろう。特にこの女性の左腕は左右にブレがないため、真後ろからは描きにくい。ノースリーブの服はこの弱点を克服してくれる。もちろんスカートを短くすれば、脚の動きも明確になるが、露出が増えすぎてしまう。脚に比べ腕の方が動作のパターンは多いので、どちらかを選ぶならノースリーブの方が動きの効果に優れている。
個展風景③
次に濃い青色の服は二つ効果がある。一つは「緑陰」の雰囲気を阻害しないこと。二つ目は髪留めの赤を引き立てくれることである。紺色は、初夏の樹木に覆われた境内の涼やかな空気を感じさせてくれる。この作品を見たとき、彼女はどこかに消えていってしまいそうな気がした。階段を上っていくにつれ、紺色の服が背景に溶け込むように感じるのかもしれない。また、服と背景に一体感があることで、赤の髪留めが指し色として非常に効果を発揮する。もし全体として白系統の服を着ていれば、明るすぎて赤の力が弱まってしまっただろう。赤の髪留めは鑑賞者の視点の中心とも言えるため、紺色の服の配色は絶妙である。
一方、白いスカートは光が当たり鮮やかに描かれている。石段の登り口は直射日光を浴び明るく、上がるにつれて木々の葉で陽の光は遮られる。女性はその中間の場所を歩いていることに気づいた。下は明るく、上に行くにつれて暗くなる石段と女性の服を合わせることで、全体として光の流れが調和している。当然ながらこの女性は上っていくのだが、絵としてはこの場所にいることが最良なのである。また、白いスカートは光と僅かな揺らめきによって、右足を上げる動作を表現されているのも見逃せない。スカートは無地では面白みに欠けるが、派手にすれば絵のイメージが損なわれてしまう。ランダムに淡い葉のような形の文様が散っているこの柄もさりげないアクセントとして素晴らしいコーディネートである。
カバンにも注目したい。フォーマルな装いとして持たせたのかもしれなが、絵画として重要な役割を果たしている。この作品はモチーフが少ないため、何か小物で変化をつけたいところであろう。しかし、全体的のバランスを考えると、黄色や茶系統の色は避けたい。「緑陰」のとおり青と緑の美しさを邪魔しかねないし、髪留めの赤の効果を打ち消してしまう。ワンポイントとして黒は使い難いが、光を当てることによって革の質感によるアクセントが生まれている。しかも右腕は横に振っているのに対し、左腕はカバンの重さによって石段を上る際の体の均衡を保っているのが分かる。髪留め、右手、カバン、左足の踵を頂点とする菱形がバランスの妙と言えよう。このカバンは黒に見えるのだが、近づくと大胆に白が塗られていることに気づいた。服と同じ紺色であり、黒は使われていない。さらに持ち手は金色に見えたのだが、実際はスカートと同じような白系統の色が使われていた。よく見るとショルダー付きかもしれない。左肩に光が当たっているが、ウール等の服の素材と異なり、革であるために光が反射しているようにも見える。ショルダーバッグであれば、左腕が垂直に伸びているのはより自然な動作となる。
今度はこの作品の風景画としての側面を考えてみよう。「緑陰」というタイトルであるが、緑はあまり目立たず、植物の葉として明確な形をもって描かれているのは、左上から伸びる枝のほかは、左上にわずかに緑の葉を覗かせるのみである。実際に樹木を見上げて観察すると木々の葉が重なり合うため、思いのほか緑は識別しにくい。黒っぽい青のようにも感じられ、「緑陰」というタイトルは理にかなっている。いわゆる青葉である。緑の葉を限定的に描く事によって、鑑賞者の視線は上へと向かう。葉の所々に強い光を当てることで、風に揺らいでいるように見えるのも心地良い。
女性の先にある陽だまりは、鑑賞者の視線をとめるクッションとして機能している。もし、上部が全体的に暗がりであれば、鑑賞者の視線は女性で止まってしまい、息苦しい絵になってしまっただろう。この陽だまりは鑑賞の休憩ポイントにもなる。ここで少し時間を置くことで、周囲に茂る青葉に目が行くのである。あたかも石段を上るのに疲れて一休みするように、絵画においても休憩すべき場所を入れることで、鑑賞する時間が長くなる効果をもたらす。
構図について考えみよう。この作品の中心を測ると、女性の左肘あたりということがわかった。つまり女性は左に寄っていることになる。見方を変えれば女性の右側は狭く、左側に大きなスペースが確保されている。女性の左側は石段の線が消されており、ぼんやりとした空間になっている。ある種の余白と言っても良い。石段のシミや線、光の当たり方を観察すると、右下から左上の淀みに向かって大気や光が流れている。さらに女性の先にある陽だまりに向かって大気は蛇行している。もし女性を中心に描いていれば、下段、女性、上段と三分割されてしまっただろう。女性を少し左に寄せることによって、大気と光の通り道ができ、一体とした構図が生まれている。
石段を上った先の様子は窺い知ることはできない。もともと長い石段なのだろう。静岡浅間神社に取材したそうである。駿府城の北西にある静岡浅間神社は、丘陵の先端に位置し、ここを起点に北の賤機山に向かってハイキングコースが伸びている。延喜元年(901年)、醍醐天皇の勅願により富士山本宮より分祀 と歴史は古く、森に包まれた境内は広い[1]。話がそれてしまったが、構図としては画面の上が「緑陰」に覆われているのがポイントである。わずかでも空が見えれば、鑑賞者の視線は一気に上へと登っていく。しかし、そのまま視線が画面の外に抜ける恐れもある。この角度からすれば写真を撮っても空は入らなかったと思われるが、「緑陰」が鑑賞者の視線は受け止め、再び画面の中心へと視線は戻り、より深い鑑賞へと繋がっていく。
[1] 静岡浅間神社 http://www.shizuokasengen.net/
ところで、作家の岩本和保さんが尊敬する画家としているバーニー・フュークス展が渋谷のBunkamura Gallery [2]で開催されており、作品を鑑賞する機会に恵まれた。ギャラリーのHPには、「バーニー・フュークス (1932年~ 2009年)は、逆光、ぼかし、余白、それらを駆使することで空気感と生命力を絵画に落とし込み」と解説されており、本作とも共通する点が見られる。厚塗りが主流の油絵において、薄塗りを重視するのも珍しい。バーニー・フュークスはゴルフや野球などのスポーツ場面を描いたものが著名であり、主人公のみならず観客と一体となった風景として高い評価を得ている。「Joan Benoit」[3] のように主人公が画面の大半を占める作品であっても、背景の観客と星条旗が主人公と同じくらい重要な構成要素と言えよう。そして、技法だけでなく、鑑賞者の記憶に自然と心に染み込んでくることが根本的な共通点のように感じられる。記憶と言っても、朝から夜までの行動を逐一覚えている人はいないだろうし、小説や漫画を読んでも登場人物のセリフをすべて暗記している人はいない。とすれば記憶とは、無数の断片が集まって一つの形をなしているような、それ自体が錯覚とも言える不確かさを持っている。この作品はその断片と断片をつなぎ合わせ、欠けてしまった記憶を繋ぎ合わせてくれるように思えてならない。(2022年5月30日)
個展風景④
[2] https://www.bunkamura.co.jp/gallery/exhibition/220525berniefuchs.html
[3] アメリカの女子陸上選手。1984年のロサンゼルスオリンピックのマラソンで優勝