タイトル:お気に入り
作家 :岩本 和保
画廊 :すみれ画廊
会場 :アールグロリュー(Artglorieux)・銀座シックス(GINZA SIX)
展示会 :岩本和保・画集出版記念展-その手の中に-
会期 :2024年10月17日~10月23日
サイズ :M6 (41.0×24.2cm)
技法画材:油絵
タイトル:お気に入り
作家 :岩本 和保
画廊 :すみれ画廊
会場 :アールグロリュー(Artglorieux)・銀座シックス(GINZA SIX)
展示会 :岩本和保・画集出版記念展-その手の中に-
会期 :2024年10月17日~10月23日
サイズ :M6 (41.0×24.2cm)
技法画材:油絵
Episode 3 夏を仰ぐ・お気に入り
■絵画の視点で考える
《夏を仰ぐ》と《お気に入り》は同じ女性と海岸を描いています。今回は二つの作品を見比べながら鑑賞してみましょう。まずはキャンバスの形です。《夏を仰ぐ》は縦長、《お気に入り》は横長になっています。キャンバスの形は描く対象を選択する、逆に考えると描かないものは鑑賞者の想像に委ねることを意味します。《夏を仰ぐ》は面積の半分以上を空が占めています。空を描いた作品といっても過言ではありません。一方、《お気に入り》は波打ち際が画面の中央のラインになっています。空や海よりもカバンを持つ女性に力点が置かれているように感じました。
《夏を仰ぐ》はタイトルのとおり、空を見上げるということとキャンバスの形を連動させています。空を描きたいのであれば、キャンバスを大きくすれば足り、必ずしも縦長にする必要はありません。大切なのは鑑賞者の視線の流れです。赤い服は目立つため、鑑賞者は最初に女性に目が行きます。そして鑑賞者の視線は、キャノチエ(帽子の種類)で一呼吸した後、一気に空に向かって飛んでいきます。雲の描き方もポイント。水平線から沸き立つように入道雲を描くことも考えられますが、そうすると鑑賞者の視線はゆっくりと雲の形を辿っていくことになり、スピード感は減退してしまったでしょう。この作品では水平線の上に雲の材料となる水蒸気がぼんやりと描かれ、青い空の上に一つの雲の塊が浮かんでいます。三段階の構成が鑑賞者の視線に勢いをつけるのです。さらに雲の塊には陽が差しており、視線をきっちりと受け止めてくれるのも良いですね。夏の季節が凝縮されているように感じました。ところで、空は比較対象が無くなるため、日常的な遠近感を把握するのは難しくなります。私たちは雲を見たとき、どのくらい遠くにあるのかは上手く説明できません。そのため空をメインに描く場合、鑑賞者に観念的な空間をどのように意識させるかがポイントになります。《夏を仰ぐ》では空の薄い青い部分はより奥へ、その上にある一つの雲の塊はより上へと空間の広がりを感じさせつつ、なぜかこの雲に辿り着けるような感覚をもたらしてくれるのです。
《夏を仰ぐ》
《お気に入り》は正方形のキャンバスも似合うと思うのでないでしょうか。《夏を仰ぐ》は眩しいくらいの晴天であるのに対し、《お気に入り》は少し気だるさを感じる昼過ぎ、潮風が肌にまとわりつくリアルな空気を感じました。もしこの作品の縦を長くすると、そのまま空が広がることになり、空は余白のような余情をもたらす効果があったと想像します。その反面、主人公の女性はより小さく見えることになるため、風景と人物のどちらがメインなのか曖昧になってしまったかもしれません。岩本和保さんが描く人物は後ろ姿が多く、表情をそのままうかがえるのは珍しいことから、本作は人物(とカバン)にウェイトが置かれているのは間違いないでしょう。横長のキャンバスには何かしらの意味があるはずです。描かれていない光景は鑑賞者が補完することになります。潮風によって砂埃が舞い、彼女は少し俯いているようにも見えました。《夏を仰ぐ》と比べると海岸ならではの湿気と砂埃を強く感じます。風はおさまり、鑑賞者たる私はうすめがちに目をあけたときの光景と解釈するとどうなるでしょうか。キャンバスが横長であるのは構図ではなく、鑑賞者の視界そのものになります。もう一つ《夏を仰ぐ》では女性はほぼ中心に立っているのに対し、《お気に入り》では少しだけ右に寄っていることに気づきました。最初は構図上のバランスをとるためと考えていましたが、鑑賞者たる私は砂埃で一旦目を閉じたため、彼女との位置関係が少し分からなくなったのではないか。つまり、彼女は真正面にいると思って目を開けたが、少し右にずれていたという経緯です。もっとも作者にはそのような意図はなかったと考えています。砂埃が舞うほどの一陣の風が吹けば、彼女の帽子や髪はもっと乱れるはずです。浜辺に打ち寄せられる波も高くはありません。この作品からイメージされるシーンの一つと考えていただければ幸いです。
主人公の女性に注目してみましょう。《夏を仰ぐ》は意識したポーズに思いました。人物はざっくり描かれているように見えますが、背筋を伸ばし、右足にやや重心を置いています。ヒールを履くことでふくらはぎが引き締まり、足先までのラインが長くすっきりとした印象を与えていますね。つま先の向きも美しく見せる立ち方です。よく観察すると彼女は物凄く顔を上げているわけではありません。確かに彼女と雲の位置からすると、それほど首を上げなくても雲は十分に見えるはず。帽子の傾きや構図の妙によって仰ぐイメージが強調される効果があると思いました。帽子を掴む手は風にあおられて咄嗟に動いたというより、動きを付けるためのポーズでしょう。腕が横に伸びすぎることなく、帽子を持つ仕草も優しい。右手には《お気に入り》と同じカバンを持っていますが、肩にかけるストラップが見当たりません。もともとストラップはないタイプなのか、構成上描かなかったのかは分かりませんが、この作品だけを見るとスケッチブックを持っているようにも想像できます。仕草一つでいろいろなシーンを想像できるのは絵画の醍醐味ですね。帽子の明るさは日差しを浴びる雲とリンクしています。
水平線と雲
一方、《お気に入り》はより自然な雰囲気を感じました。写真を撮られていることは意識せず、偶然の瞬間を切り取ったイメージです。足と足の幅が狭く、ふくらはぎに力は入っていません。ポイントはカバンの持ち方。左手で抱きかかえるとともに、右手を優しく添えて落とさないよう注意を払っています。彼女は少し俯いてカバンを見つめています。海に来ているのであるから、普通は海を眺めるはず。カバンから何かを取り出そうとしているのでしょうか。確かに左手でカバンを開く直前にも見えます。しかし、体の正面にカバンを向けた方が中身は取り出しやすく、この体勢ではカバンを開けたときに蓋が邪魔になり、前のめりにカバンを覗き込まなければなりません。やはり彼女はカバンそのものを見ているのが正しそうです。そして、とても穏やか表情をしています。近寄ってみると髪に小さなハイライトが四つほど打たれているのを見つけました。遠くからでは認識できない程度ですが、俯くことで顔の周辺が暗くなりすぎないよう配慮したものと推測されます。そして、彼女はなぜカバンを見つめているのか、それは鑑賞者の想像に委ねられます。
構図と色彩の配置について、深掘りしてみましょう。《夏を仰ぐ》は女性と雲が概ね垂直に並び、帽子は水平線と重なっています。細長のキャンバスと相まって十字の構図が形成されています。さらに波打ち際はやや緑がかるとともに、白い泡も目立っています。水平線、波打ち際、砂浜の階段と横のラインを狭い間隔で引くことで、空をより広く感じることができます。階段の隣にあるブロックも重要であると気づきました。もしブロックがなければ、やや間延びした空間になってしまったかもしれません。ブロックはまさに構図としても重みを与えてくれます。両側のブロックと彼女の帽子を結ぶと三角形になります。さらにブロックと雲を結ぶとより鋭角な三角形が形成されます。十字の構図は意識しやすいと思いますが、三角形の構図が「仰ぐ」という姿勢を補完する役割を果たしています。 もう一度ブロックを見て見ましょう。思いのほか明るい赤を配色していることに気づきました。錆なのか汚れなのかは判別できませんが、明度が高く、意図的に配色したと思われます。アクセントになるだけでなく、ブロックを起点とする三角形を意識させやすい効果もあります。階段の上はやや暗く、その先にある砂浜は明るくなっていますね。また、海は同じような色に見えますが、注意深く観察すると、彼女に近いところはやや明るく、画面の端はやや青が深くなっています。光と影の微妙なコントラストが感覚的なリアリズムを生むのです。
構図の考察①
《夏を仰ぐ》は構図も色彩も、空と海、そして彼女と地面のコントラストが強調されていましたが、《お気に入り》は全体として穏やかに調和しています。階段の手すりは縦のラインですが、構図の軸というほどではありません。横のラインは間隔に大きな差はなく、境界を明確にするという意図もあまりないように思います。階段の上下で砂浜の明暗に大きな違いはありませんが、描き方を変えていることに気づきました。階段の上は筆致が明瞭になっています。特に左下はリズミカルになっているのが興味深い。階段の両側にあるブロックは大きさの割に目立っていません。砂浜に溶け込むような感じです。やはり《夏を仰ぐ》のブロックの赤の配色は意図的なものと分かりますね。主役は海であり、こちらを振り向いた彼女であるため、ブロックは控えめに描いたと考えられます。海の描き方に注目してみましょう。画面の左側は濃く、彼女を挟んで右側は淡く、陽のきらめきを感じました。太陽の位置関係(おそらく画面右が西)を示すだけでなく、色彩により構図のバランスを整える効果もあります。横長のキャンバスであるため、鑑賞者の視線は横に動くことになります。画面の左右で海を同じように描いてしまえば、鑑賞者は彼女に注目して終わってしまうでしょう。海の濃淡が鑑賞者の視線を上手く散らすことになり、時間の経過や大気の様子にまで思考を巡らせることに繋がります。《夏を仰ぐ》と比べると、水平線は黄色やオレンジの比率が高いように思います。空は全体として雲がかかり、白っぽいですね。青い空と海がせめぎ合うのではなく、陽の光で融和していくように感じました。《夏を仰ぐ》は帽子の鮮やかな赤いリボンがアクセントになっていましたが、《お気に入り》では遠慮がちな茶色になっています。そのため、帽子よりもカバンが目立ちます。カバンに注目してみましょう。厚い植物の繊維によって編まれています。素材としては帽子も似ているのかもしれませんが、カバンはどのモチーフに比べても質感が強調されています。図柄は向日葵でしょうか。流行りのカバンというより懐かしさを感じるデザインです。
構図の考察②
門の先の海
■シーンを想像する
《浜風うけて》のシーンから数年後、再び彼女をモデルに撮影をしているというのが、私のイメージです。《浜風うけて》の画像を見返すと、走り方に幼さが残っているように感じられます。髪型も影響しているのかもしれません。それに対して、《夏を仰ぐ》の女性は後ろ姿でも大人になったという印象があります。若さと自信のバランスが整っています。
そうか、あのときのモデルさんか。どこかで聞いた覚えのある名前だった。とは言え、彼女の方から以前にもお仕事をさせていただきましたと教えてくれなければ、私は気付かなかっただろう。撮影の準備が終わると、彼女は私に「夏らしい雲が浮いていますね」と明るく言った。シャッターチャンスであることを伝えたかったのだろう。もともと機転が利くタイプなのである。彼女は凛とした姿勢で空を仰ぐ。私はこのシーンを撮りたかったのだ。
最初の一枚で十分に思えたのだが、企画の方が変わるかもしれないので、幾つかのパターンを用意しておく。彼女はどのような場面が求められているのか適切に理解している。コミュニケーション能力も高い。大学に入学したばかりらしいが、将来はこのままモデルを続けるのだろうか。それとも役者でも目指すのか。デスクワークも立派にこなせそうである。数年前の撮影を思い出し懐かしさがこみ上げてきたが、そもそも私は彼女のことをよく知らないのだ。雲も増えてきたので、そろそろ撮影を切り上げようと思ったとき、潮風にのった砂埃が飛んできた。思わず顔を腕で覆い隠しながら目を閉じる。少し無駄な時間を過ごしてしまったかもしれない。ゆっくりと目を開けると、カバンを砂から守るように抱きかかえている彼女の姿が映った。カバンについた砂を優しく払っている。私は一つだけ彼女ことを知った。そのカバンがとても大切なものであることを。(2025年6月30日)