タイトル:光の中を歩く
作家 :岩本 和保
画廊 :ギャラリーアーク
展示会 :アドニス展
購入日 :2019年7月17日
サイズ :F4
技法画材:油絵
この作品を前にしたとき、鑑賞者は自然と公園の中に立っているような気分になる。画面左下から伸びる手すりが緩やかな勾配を強調し、かつ充分な余白が取られている。また、下部が広範に明るくなっているため、出発点として目が行きやすく、絵画における鑑賞者の立ち位置を明白に示してくれる。あたかも鑑賞者は公園を散策している最中に、偶然、眼下を歩く女性に目に留まり、その美しい光景に歩みを止めたという舞台を何気なく演出できる作者の技量に敬意を表したい。絵画との物理的な空間を超え、鑑賞者を如何にして描かれた世界に引き込むかが、優れた絵画の最初の条件であるが、この作品は4号という小品でありながら、大胆な構図をもって成功している。
もちろん主役は木漏れ日の中を歩く女性である。画面右の植え込みが主役である女性に鑑賞者の視線を適切に誘導している。女性は長袖であるが、丈の短いスカートを穿いており、「光」というタイトルから季節は秋ではなく春、咲いている花は椿だろうか等と想像しながら眺めるのも良い。左側の樹木は、鑑賞者の画面から脱線させないという点で効果を発揮している。もしこの木がなければ、公園としての開放感はあっても、絵画としては間が抜けた印象になってしまうだろう。手すり、植え込み、樹木の3つのモチーフが女性へと繋がり、絵画として意味のある引き締まった空間になっている。樹木の影は、青々と葉が茂っていることの裏返しであり、太陽の眩しさを強調してくれる一方、女性は陽のあたる場所を歩いていることから、夏の暑さは感じさせず、心地よい天候を感じさせる。この作品の第一印象は光と影のコントラストに目を奪われるが、じっくりと眺めれば、影は濃紺というような深さはなく、黄色や水色の淡さが混じっていることから、葉は完全には茂っておらず麗らかな春を思わせる。水面に映る木々が描かれることは絵画に多くあるが、この作品は地面に映る影によって樹木の生命力を感じる醍醐味を味わえる。
女性の先には、右への曲がり角と左上の階段とが見える。ゆえに鑑賞者は、この女性がどちらの道を選ぶのか思わず推測してしまう。よく見ると階段の下には手すりに寄りかかる人影らしいものが描かれているのに気がつく。銅像ではないだろうし、樹木の陰の錯覚だろうか、鑑賞者は目を凝らすことになる。画面下から中心までは空間を広く取っているのに対し、上半分は女性を中心に情報を密にすることで、絵画としての強弱を生み出している。いずれにしろ女性が右に行けば自分も右、階段を下りれば自分も降りる、散歩のルートは女性が決めることになり、鑑賞者は足を止めることになる。絵画としては、鑑賞者の視線を留め、もう一度ゆっくり眺めてみようという気持ちにさせてくれる。
この女性に再び注目してみよう。赤ちゃんを抱っこしているのではないかと画廊の方は話していた。右肩の桜色の部分は抱っこ紐で、腰のあたりから赤子の足先が見えるというのである。私はこの女性を見たとき、妙に脹ら脛に力が入り、鷹揚と歩いているのが気になった。しかし、赤子を抱いているなら、むしろ自然な歩き方に見える。天気につられて散歩しているに過ぎないと思っていたのが、赤子を連れていると思うと、全く違った景色に見え、あらためて絵画を観察したい気持ちが湧いてくる。真偽は定かではないが、この女性がどのような属性で、何を想い歩いているのか、鑑賞者に推測する楽しみを与えてくれるのは間違いない。想像を逞しくすれば、階段下に見える人影は女性の上の子供かもしれない。上の子は散歩にやや飽きており、先に行ってしまい手すりに寄りかかり母が来るのをちょっと憮然としながら待っている。もちろんこれと異なる場面も思い浮かぶ。桜色の部分は看護師の制服にも見える。紺の薄手のカーディガンも看護師が着ている印象が強い。ならば病院近くの公園を看護師が、通りがかった場面と想像することもできる。多様な想像を生み出すことができることも魅力的な絵画の重要な条件である。退屈な絵が直ぐに見終わってしまうのは、作品に留まらせる要素に欠けているためである。女性が歩く先に2つのルートを描いているのは非常に大きな役割を果たしていることに気が付く。
大まかな筆致にもかかわらず細部まで適確に描ききれていることに卓越した画力を感じさせる。写真のような精度はないはずなのに、デジタルカメラ以上に明瞭に記憶に残るのである。近づいて観察すると、女性の上着は橙色が混じっていることに気が付く。木漏れ日は白、黄、緑、赤茶など色彩の変化が絶妙というほかない。この作品は、印象派を思わせる雰囲気ではあるが、技法的な類似点よりも、ルノワールが幸福を描こうとしたように、どのように描くべきかという思想、すなわち幸福感が共通しているのではないかと思う。(2021年2月27日)
■追加情報
作家の岩本和保さんから、この女性はカーディガンを羽織っており、滑り落ちないよう右手で肩を持っているということでした。確かに服の袖が少しだらんとしているのが気になっていました。羽織っている姿からは5月頃の暖かさをより感じますね。階段の手すりに寄りかかっているのは人影です。目の錯覚でも幽霊でもありません!(2022年4月24日)