Rebel Life

Rebel Life

『怪物の生まれた日』

 

 ある国のある場所に作られた研究室。その研究室は国、軍などの最高責任者たちによって秘密裏に作られた。その存在は他国の人間はおろか、国民にさえも知られておらず、その場所を知っているのはさらにほんの一握りの人間だけだった。

その人類大半に感知されていない研究室が悲劇の始まりの場所だった。

year 2043 November  24th

 

その日、研究室には普段の光景が広がっていた。

白いタイルの壁に埋められたデジタル時計は午後九時を回ろうとしており、研究員たちは勤務終了時間にむけて、一日の片付け作業を行っていた。

そんな中、研究室正面にある大きなモニターの前で作業をしていた一人の研究員が、周囲を警戒するそぶりを見せていた。

怪しい行動をとっていたその研究員は、自分が誰の目にもとまっていない数十秒の間を見つけると、その瞬間を狙い、手元にあったコントロールパネルにパソコンを繋げて、カタカタとキーボードを叩いた。そして最後にエンターキーを押すと、彼のパソコンにcompletedの文字が表示された。

彼はその画面を見ると、コントロールパネルとの接続を切り、研究室を後にした。

 その姿を一人の研究員が見ていたが、その人は彼のことを怪しむそぶりはせず、どちらかと言えば羨むような表情をしていた。

 そして、それから少しの時間が過ぎ、その研究員が男のことを見たことすら忘れた頃、また別の研究員が疲れた様子を見せながらコントロールパネルの前に立った。しかし、その研究員はさっきの男とは違ってパソコンを使おうとはせず、片手に資料を持ちながら、備え付けのタッチパネルを操作し始めた。

「システムエラー発生、システムエラー発生。緊急プログラムに乗っ取って、サーバーを強制シャットダウンします」

すると突然、耳に響く警告音とともに、異常を告げる放送が流れ始めた。同時に自動調節の照明が落ち、大画面のモニターには何かの危険を知らせる赤い画面が映し出された。研究室内はその赤い光で染められ、一瞬にしてその場をパニックに陥らせた。

「どうなってる……。エラーなんて今まで一回もなかったのに……なんでこのタイミングで……」

 コントロールパネルの前にいた研究員はパネルを操作していたこともあり、自分がこの騒ぎを起こしたという自覚があった。

「おい、緊急プログラムを停止しろ。あのプログラムのやり方で電源を落としたら、今までの研究がすべてパーになる」

 すると近くにいた別の研究員が威圧的に彼に言った。

「だが、止めてどうする」

「俺がデータの飛ばないやり方でうまくシャットダウンさせる」

 突然話しかられた研究員は、罪の意識から焦りを感じて、その返事を聞くと場所を入れ替え、彼をパネルの前に立たせた。

「……わかった。いいか、止めるぞ!」

「早くしろ!」

――ヴゥゥゥゥゥゥン――

研究員二人の声を荒げた言い合いが聞こえた後、パネルの前からどかされた男によって緊急プログラムが停止し、混乱の中に静寂が生まれた。

そしてざわついていた研究員たちは警報音が消えたことでふと我に帰り、薄暗い研究所の中にはパネルの操作音だけが響き始めた。

「……よし、終わった。これで俺もクビにならずに済む」

 数分後、手動でサーバーをシャットダウンさせることに成功すると、研究員は勝ち誇ったような顔でネクタイを緩め、安堵をこぼした。

周囲の人間もその発言から彼の勇気ある行動が自身たちの未来を救ったのだと思い、彼に賞賛と感謝の声を投げかけ始める。

事が起こったのは、そのさらに数秒後のことだった。

「おい、あれ誰が表示させた」

研究員の中の一人がそう言って研究室の正面に貼られたモニターを指した。

するとそれに数人がすばやく反応し、全員に褒めたたえられていた男も彼らの目線に気づくと同じ方を見た。

『Thank you.』

 照明の落ちた暗い研究室の中でぼんやりと光を発しているモニターには、そうたった一言が書かれていた。

この時、研究室にいた全員がモニターに表示されたその文字にくぎ付けになった。

 英雄気取りになっていた男が、横にいるシステムエラーを起こさせた研究員の方を向く。だが彼はその視線には気づかず、血の気の引いた顔でモニターを見たまま、こちらを振り向きさえしなかった。

 その沈黙から再び生まれたざわつきの傍らで、研究所内にはもう一つ、誰にも気づかれない『ゴォォォォォ……』という鈍い音が遠くから鳴り響いていた。

 

 この日、人類は自分たちを超えた怪物を生み出した。そして制御のきかなくなったその怪物は鎖を外された獣のように、だが自我を持った何かに従い、生みの親である人類に制裁の剣を落とした。

怪物の誕生したこの日は、同時に二百万年続いた人類の文明が初めて粛清を受けた日でもあった。

year 2043 November  25th

 

時刻七時半。

「行ってきまーす」

「行ってらっしゃい」

 朝食を取り終え、制服を身にまとった少年がスクールバッグを持ち、母親と声を交わしながら家を出る。

 その日は雲量八ほどの、快晴に近い、清々しい天気の日だった。

彼は自宅を出ると、学校に通うために最寄り駅へと向かった。住宅地をいつもの経路で抜け、ビルや銀行、飲食店などの様々な種類の店舗が並ぶ商店街を歩いていく。

街はいつもと変わらず、多くの人が道を行きかっていて、彼もその中に混ざりこんでいた。

駅のホームに着くとまもなく電車が到着し、彼は順番を待ってそれに乗った。

高架橋を行く電車からは人工物で覆われた地平線がよく見え、彼はその景色を眺めながら降りる駅に着くのを待った。

その時だった。

彼がふと瞬きをしたその瞬間、視界が一瞬眩い光に覆われ、目がくらんだ。

光は彼だけでなくビルの中にいる会社員や民家の中の赤ちゃん、町のホームレスにも同じように見えていた。

それからその光が消えると、今度は窓の外、地平線の彼方で何かがゆっくりと立ち昇った。そしてそれがちょうどキノコのような形に見え始めた時、少年が窓ガラス越しに見ていた街並みが衝撃波に飲み込まれ、視界が空の方へ持ち上がった。

さっきの会社員が入っていたビルは全面のガラスが同時に割れ、小さな赤ちゃんのいた民家は土台ごと吹き飛ばされ、ホームレスが座っていた周辺には上から大きなコンクリートの塊が落ちてきた。

 そして少年の乗った電車は、車輪が線路から外れ、一つだった鉄塊は一両ごとにばらばらになりながら地面に落ちていった。

year 2052 December  20th

 

約20年前のあの日、地球上の人類の約40%が突然の死をとげた。その数およそ30億人。彼らが死ぬことになった理由は、どこかの核所有国が放った一発の原子爆弾だった。ただ、人類史上最強の化学兵器でも一発でそれほどの人を葬れるわけはなく、30億というとてつもない数字を生み出したさらなる原因は、人間が作った忌々しい、ちょうどハンムラビ法典のような精神によるものだ。自己防衛などと聞こえの良いことを目的とした核兵器による反撃。それによって人口の集中する先進国などは軒並み多くの国民を失うことになった。

残された人々はその日を崩壊の日と呼び、人類史上最大の危機を目の前に恐怖を感じ、身を隠すようにその人生を過ごしていた。

無論、混乱する世の中を前に、力のない行政はその影響を受けると瞬く間に機能しなくなり、後を追って法も秩序もその効力を失った。

「おぎゃあ…おぎゃあ…」

 以降、町には鼻を刺すような死体のにおいが漂い、両親に捨てられた、または両親を失った子供の泣き声が日常的に聞こえるようになった。

「かわいそうに……こんなところに捨てられて……」

 そんな悲劇的な光景のなか、高架橋の下に捨てられていた、生まれて三か月にも満たない赤子に手を差し伸べる女性がいた。

 彼女は赤子を包んであった毛布ごと持ち上げると、大切そうに腕に抱え、布の隙間からその子の顔を覗き込んだ。 

 すると赤子は今まで上げていた泣き声をぴたりと止め、しばらくすると安心したように寝息を立て始めた。

「ふふふっ……」

 それを見た女性は愛おしそうに笑い、赤子を抱えたままその場を立ち去った。

 

「ただいま」

それから女性は歩いて自宅へ帰り、家の扉を開けた。

彼女の自宅は昔、保育園だった建物を住めるように修繕したもので、住宅にするには十分すぎるほど大きかった。

「あ、母さんだ」

「お帰りなさーい」

女性が音を立てて扉を開けると、家の中にいた二人の子供がそれに気づき、部屋の奥から玄関の方へ走り寄ってきた。

「あ、赤ちゃんだ」

「母さん、また拾ってきたの?」

 二人は女性の腕に抱かれた毛布を見ると、赤後の顔を覗き込むようにしながらそう言った。

 赤ちゃんは視界に入ってきた二人の顔をまじまじと見ると、目を細めて笑った。

「こら、リョウ君。その言い方はしないって約束しなかった?」

 すると彼女は二人のうち、黄色い髪をした子供の言ったことを注意し、自由が利く方の手のひらを彼の頭に押し付けて、その注意を言い聞かせた。

「えー、だって」

 しかし、子供の方も年齢的の反抗したい時期なのか、そう単純には言うことを聞き入れず、逆に文句を口にした。

「もう、だってじゃないの。ちゃんと助けてきたって言って」

 女性は彼の文句に弱り切った顔をみせ、彼の頭から手をどけた。そして注意されてもなお無邪気に笑う彼を見ると気持をすっと切り替えた。

「さあ、じゃあ赤ちゃんをお風呂に入れるから。二人とも手伝って」

 そして二人にそう頼むと、赤ちゃんを抱えたままお風呂場へと移動し始めた。

「はーい」「はーい」

 子供二人は女性のお願いに対して楽しそうに返事をすると、パタパタと飛び跳ねるように彼女の後を追った。

 そして部屋の奥には、その二人の背中を目で追う一人の少女の姿があった。

year 2060 April  15th

 

「――おい聞いたか、あの話」

「――聞いたよ。またいなくなったんだってな、例の爆心地に行った奴ら」

「――ああ、馬鹿だよな。金になるウマイ話があるとか言ってたけど、死んじまったら元も子もないのにな」

 ある街の路地で男二人が世間話をしている。

「はぁ…はぁ…」「はぁ……はぁ……」

 その路地裏のさらに奥にある屋根付き商店街の跡地。そして、そこに響く二人分の足音と荒い呼吸。

崩壊の日。あの悲劇が起きてから19年、この壊れた世界に産み落とされたリョウとカイスケはその世界に順応し、生きていくために毎日手を悪の色に染めていた。

「この突き当り左の道にいる」

「わかった、とどめは任せて」

「おう。先に回り込んでるぞ」

 二人は並走しながらそう言って、お互いの顔を見合うと小さく頷いた。

 すると左側を走っていたカイスケがリョウと別れて別の細い路地へ入った。

彼はゴミや瓦礫の散らばっている道を駆け足で器用に抜け、標的を挟み撃ちにできるように先回りをした。そしてさっきリョウに指示した道に出るとそこに面している店の屋根に上り、背負っていたクロスボウを手に持った。

 数秒後、道の奥からローブを身にまとった人影が現れた。

 カイスケはそれを見ると矢筒から矢を抜き、それを装填するとスコープを覗き込んだ。

「ふぅ……」

標的は、息を吐いて集中しているカイスケの姿には気づいていないようで、ゆっくりと歩き進んでおり、彼の照準は瞬時に合った。それからカイスケは息を吸う間もなくクロスボウの引金を引いた。

 発射された矢はカイスケの元を離れると、空を切るように高速で飛び、標的の横腹辺りを見事に貫いた。

「よし……!」

 カイスケは自身の打った矢先が的を射たことで達成感を感じ、思わず喜びの声をこぼした。

「あと頼んだぞ、リョウ!」

そして後ろから標的を追っていたリョウが、走しってくるのが見えるとカイスケは大きな声でかれを呼んだ。

「任せて!」

 そして、続けてリョウがそう叫ぶと、破れたマントに隠れていたレザーケースからナイフを引き抜き、ボルトの刺さった標的に飛び掛かった。

 標的はカイスケのクロスボウによる一撃を食らった直後まで、何をされたか理解できていなかったようだった。だが、二人の大声を聞いて状況を理解したらしく、背後に迫るリョウの気配に気づくと、腹に刺さったボルトを気にすることなく彼の方を振り返った。するとその勢いで身にまとっていたローブが取れ、中から機械的な表装のヒューマノイドが現れた。機械の身体は灰色がベースとなった外装で覆われ、ところどころは配線がむき出しになっており、その出で立ちは恐ろしくも、不気味で、異様な雰囲気を醸し出していた。

 しかし、リョウはその容姿を見ても物怖じする様子をみじんも見せず、それどころか彼の表情は飛び掛かろうとした瞬間、冷血さを増し、標的のそれに劣らないほど不気味になった。そしてリョウは飛び掛かった勢いのまま標的の腕にしがみつき、関節部分に持っていたナイフを突き刺すと、勢いに任せてその腕をもぎ取った。

 金属の腕は鈍い音とともにナイフの刺さった箇所から抉れるように抜け、リョウは取れた腕を持ったまま、体を翻して標的から距離をとった。

 すると機械は一歩遅れて、身体を移動したリョウの方向へ向け直し、残った手を握って頭の高さまで持ち上げた。

「はっ……!」

 リョウはその動作から先を予測し、瞬時に自分の身の危険を感じた。ただ、体の動きはその思考に追いつかず、行動に移すことはできなかった。

「間に合え!」

 遠くからそれを見たカイスケは急いで矢を装填し直し、今度は標的の首筋を狙って迎撃をはかった。

だが、彼の反応は機械よりさらに一足遅く、放った矢先が到達する前に機械は拳を振り下ろし、地面を斜角に殴りつけた。周囲のアスファルトには放射状に衝撃が走り、特にリョウがいる方に向かって剥がれたコンクリート片が飛び散った。

それによってリョウの周辺には土煙がたち、彼の姿は一時的に見えなくなった。

 カイスケの矢はその直後に到着し、彼の狙い通りの場所に命中した。矢は機械の首筋から背中の方へ貫通していて、それは明らかに致命的な一撃だった。

攻撃を受けた機械はその衝撃で重心が後ろに反れ、拳を握ったまま仰向けに倒れた。

 するとそれを見ていたかのようなタイミングで、土煙の中からリョウが現れた。彼は折った金属の腕を盾にして飛んでくる破片を防いだらしく、ほとんど無傷のようだった。そして身体の前に構えていた腕を放ると彼は再び駆け出し、倒れた機械に馬乗りになった。

致命傷を受けたロボットはもうほとんど動かず、死を悟ったような目をしていた。その姿を見たリョウは表情をさっきまでの不気味なものからどこか悲しげなものに変え、持っていたナイフを外装の隙間からゆっくりと刺し込んだ。

「やったな……リョウ」

数秒後、建物の上にいたカイスケがこちらに歩み寄ってきて、おもむろにリョウの名前を読んだ。

「……」

 しかし、リョウはなぜか口を開かず、茫然としていた。

「なんで僕たちがこんなこと……」

 それから少しの沈黙を続けたリョウは、突き刺さったナイフから手を離すと、ピクリとも動かなくなった機械の傷口を見ながらそう静かに呟いた。

 この時、本来なら達成感が満ちるはずだった場の空気には、なぜか深い静寂だけが漂っていた。そして二人はその無の時間の中、ロボットが作った小さなクレーターの中心に落ちている鉄くずをただ見つめていた。

 

彼らがこんな生活を送ることになった発端は、今からちょうど十年前。ある晴れた空の日のことだった。

year 2054  May  18th

 

その日は春の訪れを感じられるほど、暖かな気温だった。

庭先に吹くほのかな風には時折り桜の花びらが乗ってきて、気の滅入るような景色の中に安らぎと新鮮みを運んできてくれた。

そんな風が吹く中、リョウは瓦礫が散乱している庭の中で草いじりをしていた。

そしてふと瓦礫の側に生えた植物の影に蝶が隠れているのを見つけた。

しかし、その蝶はなぜか地面に横たわるようにしていて、彼が近づいても飛び立つそぶりを全く見せなかった。

リョウがその蝶の様子を不思議に思って、蝶を隠していた草をかき分けると思いもよらないものが現れ、リョウを驚かせた。

蝶の身体はいびつに変形していた。特に羽は本来の美しい白色をしていたが、中途半端な大きさしかなく、かわいそうだが決して美しいとはいいがたいものだった。

そんな蝶の身体にはすでに小さな蟻が数匹たかっていて、その白い羽も少しづつ蝕まれていた。

リョウはその姿にひどく心を痛め、思わずその蝶を手に取り、たかっている蟻を払い取った。そしてベルトについているレザーケースから黄丹の色をしたナイフとりだすと、それを地面に突き立てて浅い穴を掘った。

その穴が数センチの深さになると彼は手の中に残った白いものを窪みにそっと埋め、掘り返されたばかりの土の色を見つめた。

「リョウ、カイスケ。おやつにするからみんなを連れてきて」

それからしばらくリョウが感傷に浸っていると、その泥沼にはまったような感情から彼を引きずり出すように声が聞こえた。

その声は庭を挟んで家とは反対側にある正門の方から聞こえ、リョウがその方を振り向くとそこにはいくつかの荷物を持った母の姿があった。

「はーい!」

リョウが母に気づくと、同じように庭に出て、自作の弓で遊んでいたカイスケがその母の声にいち早く反応を示した。

カイスケは最後に一度だけ、持っていた弓で矢を打ち、あらぬ方向へ飛んでいったそれを慌てながら回収すると、一緒に呼ばれたリョウの方へ走り寄ってきた。

リョウはその姿を呆れたような目で見つめながら、彼のようすに微笑した。

「行こう、リョウ」

「うん」

リョウはカイスケに話しかけられると、さっきまでしていた暗い表情を顔から完全に消し、軽い笑顔でカイスケに返事をした。

そんな二人のことを遠くから見つめる赤い髪をした男の影。その視線は森に植えられた木々の間から発せられ、二人だけでなく彼らの敷地全体に向けられていた。

リョウとカイスケが住んでいる家には母を含めた三人のほかに大人一人と子供十二人が同居している。そしてその十五人の家族の中には、時計が三時を過ぎると全員で家の裏にある丘に登り、中腹の広場でおやつを食べるという習慣があった。また、リョウとカイスケは子供たちの仲で一番年長だったため、そういった全員で行動をする時などは人手不足にある世話役を頼まれることがあった。

「みんな、三時になったから丘に行くよ」

「ほら、靴はいてー」

家に先に入っていったカイスケは玄関をあがってすぐにある大部屋、後に続いたリョウは二階の個室にいた子供たちにそれぞれ声をかけ、彼らが外出するのを催促した。

「ほら父さん、母さん先に行っちゃったよ」

リョウが最後に入った最年少の子供が寝ている部屋には、この家に住んでいるもう一人の大人である父とリョウの二つ下のテルがいて、二人は一緒に先月来たばかりの赤子の世話をしていた。

「ああ、もうそんな時間か。それじゃ、行こうか」

父はそういうと勢いよく立ち上がり、部屋の中にいる二人の赤子を抱き上げて部屋を出た。すると父の横にいたテルがなぜか座ったまま、ぼうっとしていた。リョウはその表情に既視感を覚え、ふとさっき自身がしていた顔持ちを思い出した。

「二人とも、何してるんだ。行くぞ」

 それからリョウがまたあの感情に飲み込まれそうになると、今度は父の声が廊下から聞こえ、リョウは我に返った。

「ほら、テルも行こう」

「あ、うん」

そして同じような状態にいたテルの手を引き、父の後に続いた。

 

二人が丘の上の広場に着くとそこにはすでに家族全員がいて、楽しそうな声を上げながらお菓子や飲み物を口にしていた。

そのなかでも母が中心にいる集団は小さい子供たちが多く、ぜんたいの中でもひときわ明るく騒いでいた。最後に広場に着いた二人はその塊から少し離れたところにカイスケの姿を見つけ、彼の傍へ行って腰を下ろした。

カイスケは古い本を見ながらさっき使っていた弓の改良をしているらしく、二人が近づいてきても手元から目線を上げることはなかった。

「どう、弓矢の方は。精度上がった?」

「うーん、芳しくないんだよな」

しかし、彼はリョウが話しかけるとそれにちゃんと受け答えをし、興味津々の二人に手元を見せてくれた。

「この本が難しすぎるんだ。数字とか出てきてもううんざり」

そして地面に置かれた本のページを顎で示すとそれに対する不満を言い、リョウとテルの協力をあおった。

だが、流れるように目線を移した本のページには、カイスケの言う通り何かの公式らしき一文や単位のついた数字の記述が多数見られ、全体の内容はリョウにも理解不能だった。

「これって家の棚にあった本?」

すると彼と一緒に本を見ていたテルがカイスケにそう聞いた。

「えーっと、たぶんそうじゃないかな」

「……たぶん?」

 そしてカイスケの返答を聞いたリョウは彼の曖昧な物言いに思わずオウム返しをした。

「ああ、この本は父さんに借りたんだ。この前、母さんにちゃんとした弓矢が作りたいから教えてって言ったら、父さんがこの本を持ってるから借りて作りなさいって」

「そうだったんだ」

「でも、お父さんの部屋にこんな本は無かったよ?それにこの本、意味は私にもわからないけど、作り方とは全然関係ないことも書かれているみたい」

カイスケが本についての新情報を告げると再びテルがそれに食いつくようにいった。

「え……?」「え……?」

それを聞いたリョウとカイスケは一度テルの顔に目を向けた後でお互いの見合い、眉をしかめた。

テルは昔から体が少し弱く、外より家の中で過ごす時間が長かった。そして彼女は余した時間で本を読んでいて、家の中にある本のことは誰よりも良く把握していた。そのことはリョウとカイスケを含めた家族の中ではよく知られていることで、だからこそ彼女の言うことはいつもそれなりの説得力を持っていた。

「じゃあ、この本はどこから持ってきたんだ」

「父さんが新しく買ってきたんじゃ……」

「でもお母さんはお父さんが持ってるって言ったんでしょ。なら新しく買ったんじゃなくて、もともと持ってたってことになると思うよ」

三人はそれぞれ思うことを口にし、そのあとでしばらく黙り込んだ。

そして少し間を開けて、またテルが口を開いた。

「それに……この本、すごく高そう。分厚いし、表紙に金属の装飾がされてる。うちにこんな本を買う余裕ないよ」

「確かに……」

リョウとテルは開いていた本の表紙を表にして、細部まで作りこまれている金属の装飾を見つめた。

「よし、俺父さんに聞いてくる」

するとカイスケがテルを伺いながら持っていた弓を地面に置き、すたすたと歩いていった。そして父に本のことを聞き始め、しばらくするとどういうわけか父と一緒に戻ってきた。

「二人とも、この本のこと聞きたいか?」

父の物言いはなぜか鬼気迫る感じがし、リョウとテルはごくりと息をのんだ。そして父は二人の反応を見ると最後についておいで、とだけ言って、広場の脇にある抜け道へ入っていった。

 

父の後を追って三人が茂みの中へ入っていくと、その奥にはやけにきれいに舗装された道が現れ、その道は生い茂る木々の中を長いこと続いているようだった。

「父さん、この道は?」

「秘密の通路。お前達、小さい頃に広場の奥の森には入るなってきつく言われたろ。その理由がこれってこと。変に見つかったら困るからね」

カイスケが道のこと問うと、父はさっきよりは柔らかい顔でそう言い、三人はそれを相槌を挟みながら聞いた。

「まあ、そうはいっても、この先にあるものはそんな大それたようなものじゃないから期待はするな」

 三人の前を行く父は最後に忠告のようなものを告げるとしばらく口を開かなくなり、それから四人は十分ほどその一本道を歩き進めた。

 そしてようやく道の終わりが見えると急に頭上を覆っていた木々が開け、その先に一軒の建物が現れた。  

「あれが……隠していたもの?」

「そう、秘密の飛び出す保管小屋、とでもいうかな」

「おお!」

 建物の近くまで来ると先頭を行っていた父が足を止め、待ちきれなくなったカイスケが一人走って小屋に向かいだした。

「ああ、気をつけろよ」

 それを見た父は同時に声を出し、彼に注意を促した。

「大丈夫だよ! 危ないものなんて何もないもん!」

 しかし、カイスケは父の言うことに耳を傾けず、小屋の前に着くと本を持っていない方の手でためらうことなく扉を引いた。すると扉は開かず、代わりに彼の頭上から三本の太い矢が降ってきた。

「うわあ!」

 その矢はカイスケの身体と本を掠るように通り抜けて深く地面に刺さり、驚いた彼は思わず持っていた本を落とし、のけ反った体制で固まった。

「だから気をつけろって言ったんだ。よかったな運が強くて」

「笑い事じゃないぞ……ああ、ホント死んだかと思った」

カイスケは笑い事のように横を通り過ぎていった父にぶつぶつと文句を言い、慎重に自分の背丈ほどある矢の間をすり抜けた。

「秘密の飛び出す……ね……」

リョウとテルはそのことを見守りながら地面に刺さった矢を見つめ、父の言っていたことの真意を理解した。

それから三人は小屋の裏手に回った父の後を追った。

リョウが何気なく小屋の壁に触れると、手にはとても冷たい温度と何をしても壊れそうにない硬度が伝わってきた。

「三人とも、ついてきてるな」

父は彼らに確認をとると、その冷たい壁に這っていた蔦を掻き分け始めた。そこに立て付けられた小さな扉から建物内へ入った。

「わあ……!」「すごい……!」

そして小屋の中に入ると、三人はまず書物の多さに衝撃を受けた。

縦二メートル強、横およそ三メートルの木製の本棚が十数列。そのなかにカイスケが持っているものと同じような分厚い本が隙間なくしまわれ、そこには怖ささえ覚えるほどの重圧感があった。

リョウとカイスケはその重さに言葉を失い、場は一切の音をなくした。

「すごい! 本がこんなにいっぱいある!」

すると最後に入ってきたテルが部屋の中を見るなりさっきのカイスケのように駆け出し、自分よりうんと高い本棚を見上げた。

「お父さん、ここの本は読んでいいの?」

テルは見たことのない数の本を前に興奮気味になり、キラキラした目で父の方を向いた。

「……まあ、良いか。お前達にだけなら見せても支障ないもんな。でも、一つ約束。ここのことは四人だけの秘密にすること、いいね」

今までにないほど嬉しそうなテルの様子を見た父は、少し渋りながらも妥協をゆるし、違いを立てるように言った。

「はーい」「はーい」「はーい」

そして三人が一緒に返事をすると父はよし、と言って、テルにどの本が読みたいのか聞きながら彼女の傍へ歩み寄った。

テルは父にあちこちの本を取るように父にせがみ、まるで金銀財宝を見るかのような目で本の中を覗いた。

「珍しいね、テルがあんなにはしゃぐなんて」

 その一連を見ていたリョウは同じようにしていたカイスケの横に並んで話しかけた。

「まあ、自分の好きな物が目の前に合ったら誰でもああなるだろ」

 カイスケは目線をテルと父に向けたまま、どこか満足そうにそう返事をした。

「良かったね」

「なにが?」

「何がって……。テルのために、その本のことを父さんに聞いたんでしょ?」

「な、なに言ってんだよ。俺はそんなお人よしじゃない」

そしてリョウが核心をつくことを言うと、彼ははっとリョウの方を向いて言葉を詰まらせながらそれを否定した。

「へぇー」

カイスケの慌てぶりから図星だったことを悟ったリョウは、悪い笑みを浮かべながら彼の顔を覗きこみ、逃げるように歩き出した彼を目で追いかけた。

それから彼がテルと父の話の輪に入っていくのを見届けると、ふと傍にあった窓の外が気になり、目線を移した。すると少し先のところに桜色の花びらを付けた木が一本見えた。

「おあ、リョウも来いよ」

リョウがその木に目を留めていると、彼を呼ぶカイスケの声が聞こえた。

「あ、うん」

リョウはその声に気づくと桜を見るのをやめ、彼らのところへ歩いていった。

それから彼らは日が傾くまでその小屋に入り浸り、計一万と三百冊あるという本を手分けしいて漁った。

本棚に置かれている本の種類はカイスケが借りているものと同じような道具に関するものから、歴史、世界情勢、生物や植物について書かれた本まで様々だった。

そして三人をこの小屋へ案内してきた父は誰かから疑問の声が上がるたびにその解消に手を貸した。

 

数時間後、空に夕日の色が混じりだしたのを見ると四人はそろそろ家に帰ることにし、小屋を後にした。

特に父は三人以外の子供を長時間母に任せっぱなしだったことに焦りを感じているらしく、やけに急ぎ足で歩くよう言ってきた。

四人がそそくさと歩く中、リョウは小屋を出たタイミングで、さっき窓から見えた桜の木をもう一度見つけ、その儚い美しさに思わず笑顔を作った。

「リョウ、早くしろ―」

「あ、うん」

 すると足を止めていた彼を見た父が名前を呼び、リョウはその声を耳にするともの惜しそうに目線を移し、ゆっくりとその足を動かし始めた。

それから、来た時と同じ一本道を戻って四人が広場に着くと、そこにはちょうど片付け作業をしているみんなの姿があった。

「こらぁ、お前達―! どこ行ってたんじゃ!」

四人が茂みから出できたのを見つけた母は彼ら、主に父のことをしつこく追い掛け回し、彼のことを捕まえようとした。その時の母の顔はどこか楽しそうに笑っていて、はたから見ていてもその様子は微笑ましかった。

 

それからしばらくし、三人は怒られてあたふたしている父と片付けを進め、子供たちを家へ誘導していた。

最後尾を任されたリョウは手に軽い荷物をいくつか持ち、忘れ物がないか確認するために広場の方を振り返った。すると彼は目に映った視界の中に忘れ物ではなく、場に一人残っている母の姿を見つけた。

母は広場の端に設置された落下防止の柵に手をかけ、眼下に広がる壊れた景色を眺めていた。

「母さん、帰ろう!」

リョウ置いてきぼりになっている母を思って彼女を呼び、数秒のあいだ返事が返ってくるのを待った。

「母さんさ、時々ああやって景色を眺めてるよね」

すると家へ帰る下り坂の下からカイスケが歩いてきて、隣に立つと同じように母を見ながらそう言った。

「うん、父さんに聞いたらそっとしておいてあげてって言われたけど、やっぱり気になるよね」

リョウは口を動かしながらカイスケの顔をうかがい、お互いの考えを確認するといまだ帰るそぶりを見せない母へ近づいた。

「母さん、早く戻ろうよ」

「みんなもう帰ってるよ?」

しかし、二人が歩み寄って声をかけても、彼女は少しも反応を見せなかった。

「見て、二人とも」

すると突然、ずっと沈黙を保っていた母が口を開いた。

二人は母に言葉につられ、流れるように柵の先、崖の下にある景色を見た。

そこには半壊の建物や、鮮やかな花びらを付けた木の枝、深い緑色の草木が点在していた。そして、そのすべてを橙色の夕日が地平線の近くから照らし、一枚絵のような景色を作り出していた。

「わあ! すっげぇ!」

カイスケはその思わぬ美しさに目を奪われ、柵に手をついて景色を眺めた。

「あははっ、きれいでしょ」

その姿を見て微笑んだ母は両手でカイスケと、反対側にいるリョウの頭を撫でた。

「でもね、母さんが二人の歳くらいの頃はもっときれいだったんだ。……できるなら、もう一度だけあの景色を見てみたいな」

この時、母の声は普段よりずっと弱々しく、少し湿っぽさがあった。

 

 その日の夜、あたりが寝静まった頃にベッドへ入ったカイスケは少し硬いマットレスに横たわったまま何時間もすごし、それでもなお眠れないでいた。

「なあ、リョウ」

そんな光りがほとんどない部屋の中で、カイスケは隣で彼と同じように寝むれないでいたリョウに話しかけた。

「なに?」

「お前、父さんに連れていかれた小屋の近くに桜の木を見つけたろ」

「うん」

「あの木の枝を今から取りに行こうと思うんだけど、一緒にいかないか?」

カイスケがリョウのことを呼んだ理由。それはあまりにも突拍子もないものだった。

しかし、リョウは彼の考えていることを瞬時に悟り、起き上がって窓の外を見つめた。

「母さん、悲しそうだったもんね」

「俺、母さんにあんな顔してほしくない」

「僕もそう思う」

二人はそう二言三言呟くと、ほとんど同時にベッドを抜け出し、こっそりと部屋を出た。

外の地面に足をつけると、歩幅は次第に広くなっていき、二人は気づくと全速力で夜道を走っていた。足元は空に浮かんでいる満月に照らされて明るく、暗闇に恐怖を感じることはほとんどなかった。

そして広場から茂みの中へ入ると、その先には昼間と同じように舗装された道が続いていて、二人は吸い込まれるように奥へと進んでいった。

だか、その道の先にはあったのは昼間とは少し異なる光景だった。

「小屋が……!」

そう呟いたリョウは景色の変貌ぶりに自身の目を疑い、視界が開けた地点で立ち尽くした。カイスケはそんなリョウを置いて慎重に歩みを進め、ある程度のところで同じように立ち止まった。

二人が目を留めた景色の変化、その大半はあの小屋の壁の一部にあった。

破壊されていたのだ。建物正面の壁が、ぽっかり口を開けたように。

壁は鋼鉄のように硬いため、壊したのは獣の類ではなく、道具を使える人間。そして壊され方からして、何か目的があったように見えた。

「なんで壊されてるんだ……?」

カイスケは冷たい壁の前まで来ると手のひらで壊された箇所をなぞり、破壊の理由を考えた。しかし、後から追いついてきたリョウと一緒に建物の中に入ると、中の様子に変化はほとんどなく、その理由はわからなかった。

二人は無言のまま周囲を見まわし、散らかっている足下に気をつけながら部屋の中の捜索を始めた。ただ、

二人は無言のまま周囲を見まわし、散らかっている足下に気をつけながら部屋の中の捜索を始めた。本棚に置かれた無数の本達や壁際に置いてあるちょっとした家具、小物類。その一つ一つを見て所在を確かめていく。ただ、二人は昼間来た時に、どこに何があって今何がなくなっているかがわかるほど、物の位置と数を覚えていなかった。そのため、それなりの時間が過ぎても成果は全くのゼロで、事件が解決する兆しは見えないままだった。

「何かわかった?」

「いや、何も。外回りも見てきたけど、足跡とかの痕跡はなかった」

リョウは昼間と同じ場所に立ち、同じように窓の外を見た。

「ねえ、ここを荒らした人はなんでわざわざ壁を壊したんだろうね……」

そしてふと気づいたことを口ずさんだ。

「うーん、入り口を見つけるのが面倒だったんじゃないか?」

「だからって壁は壊さないでしょ。普通なら、こういうガラスを破るよ」

カイスケの冗談半分の推測に対して、リョウは無駄に辛口な意見を言い、窓の枠に指先を置いた。

するとその時、彼は窓から見える景色の中にあるものを見た。

「なんだろう……」

リョウは初め、それをなんて事のないものと思いながら目を凝らした。

「え……!」

しかし、その正体に気づくと、はっしたように窓に手をつき、顔を近づけた。

彼が窓の中に見つけたもの、それは夜空に立ち昇る灰色の煙だった。そしてその煙は彼の家がある場所から出ていた。

「どうした?」

カイスケがリョウを呼ぶと、彼はその声を置いて外へ行き、自分の目で直接景色を見た。すると木々の間から風が吹き出て、リョウの元に物の焼ける臭いが運ばれてきた。

「おい、俺を置いてくな……って、嘘だろ」

後を追ってきたカイスケも、外に出るとすぐにその煙柱に気づき、思わず言葉を失った。

 二人は同時にお互いの方を見合い、医師の疎通を図った。そして何かが通じ合ったような感覚が走ると、同時に走り出し、今考えていることが間違いであることを祈りながら家を目指した。

 

しかし、残念にも彼らの予測は当たり、辿り着いた先に待っていたのは残酷な現実だった。

二人がその場に着いた時、家は大きな炎に包まれていて、手遅れなことは火を見るよりも明らかだった。辺りにはひのこや灰が飛んでいて、炎が燃え上がる轟音以外に聞こえてくるものはなかった。

「母さん! みんな!」

 リョウは家を見るなり、周囲を見回して逃げだした家族の姿を探した。だが、人の気配はどこにもなく、全員がまだ家の中にいることを悟ると、彼は無謀だとわかっていながらも炎の中に飛び込もうとした。

「やめろ! 死ぬ気か!」

 するとそれを察知したカイスケが力ずくで彼を散り抑え、その場に踏みとどまらせた。

「はあ……はあ……」「はあ……はあ……」

二人は荒く息を吐きながら、ただその現実を見ていることしかできず、頭の中は真っ白だった。

そんな二人が諦めかけた時だった。

崩壊し始めている家の中から人影が現れた。

「父さん!」

リョウはその体格から父を連想し、響いている轟音に負けない声で彼を呼んだ。

二人は感極まって彼の元へ駆け寄り、つかの間の喜びを分かち合おうとした。そして近づいてみると父は腕にテルを抱えていて、二人の喜びは二倍三倍に膨れ上がった。

だか、二人が父だと思っていたその人影は、実際のところ彼ではなかった。比べてみるとその影は体育会系で大柄な父より少し小さく、華奢だった。

その間違いに気づくと、二人は身の危険を感じて咄嗟に足を止めた。

「すまない……この子しか助けられなかった」

するとその人影はゆっくりと二人の前に気絶しているテルを降ろし、自身の不甲斐なさを謝った。

二人は赤い髪の、父さんよりずっと若そうな男を前にどうしていいかわからず、立ち止まったまま地面に膝をついた彼を見下ろしていた。

year 2060 December  20th

 

路地裏で機械を動かなくしたリョウとカイスケは重たい鉄くずを交互に担いで街の中へ移動していた。

「あー、重たい……」

「もう、雑に扱うなよ。これ以上壊れたら全然お金にならないんだから」

 荷物を持つ番になったカイスケが文句を口にすると、彼の運び方をリョウが注意した。

「はいはい、わかってるって」

「わかってない。この前だって、大丈夫だって言っておきながら結局腕を壊したでしょ」

「あれは元々壊れてたんだって」

「ふーん、どうだか」

リョウはカイスケの普段の行いに嫌気がさしているようで、彼の言い分には全く耳をかさなかった。

 するとリョウが目を離した間に案の定、機械の頭部が胴体と分裂し、重量感のある音とともに地面に落ちた。

「あ、頭取れた」

 言われたそばだというのに、カイスケの態度はなぜか他人行儀で、口調も平然としていた。

「あー! だから、言ったじゃん、気をつけてって! もう、何回目だと思ってるの?」

 それに対し、リョウ大声を上げながら落ちた頭に駆け寄り、勢い任せにカイスケを非難した。

「まあ、そう怒るなって」

「怒るよ、もらえるお金が減るんだから。大体カイスケは倒す時から雑すぎるんだよ。一番高い部品のところに矢を打ち込むし、何発も無駄撃ちするし」

「それはお前がさっさとかたをつけないからだろ?」

「だから、近距離戦はそう簡単に攻撃を仕掛けられないんだって」

二人は歩みを進めながらお互いに文句を言い合い、それは人通りのある街中に入っても続いた。そして人目に触れながら街の一角にある一軒の店に着くと、その中へ入った。

「おう、二人とも。なんだ、また喧嘩してんのか」

 すると店の中にいた店主が二人に声をかけた。

「喧嘩じゃない、運んでいる途中でカイスケがまた壊したから、叱りつけてるんだ」

「はっはっはっ、そうかい。どれ、見せてみろ」

 店主はリョウの説明を聞いて甲高く笑い、重たそうにしているカイスケから機械の部品を受け取った。

「あー、重かった」

 カイスケはふさがっていた手が空くと、背負っていたクロスボウを近くのカウンターに立てかけて二、三回肩を回した。

「これはまた…‥派手にやったな」

 店主が大きな独り言を口にしながら鑑定を始めると、リョウは同じ部屋の中にある作業場に入って置いてあった椅子に腰かけた。

「店長、それいくらくらいになりそう?」

 そして店主に話しかけながらベルトのレザーケースを外し、さっき機械にとどめを刺したナイフを取り出した。

 山吹色をした刃には目立たない程の刃こぼれがいくつかあったが、金属とぶつかった割には軽傷で済んでいて、砥石ですぐに直せそうだった。

「んー、破損は激しいが、この前みたく核に傷はついてないからな。まあ、お前らの頑張りに免じて少し負けてやろう」

「さすが店長。太っ腹だな」

「なんでカイスケは偉そうにしてるんだよ」

 水をかけた砥石でナイフを研ぎながら、リョウは反省の色を全く見せないカイスケを批難の声を浴びせた。

「はっはっは、お前らのためじゃなくて、俺のためだよ。そうしてやらねぇと、またテルちゃんにどやされちまうからな」

 店長は作業をしながら張りのある声で笑い、頭をかいた。

「テルちゃんと赤い旦那は元気か?」

「うん、テルは最近は体調も良くて、落ち着いてるよ。でも、おじさんは一ヶ月前に家を出たっきり、まだ戻ってない」

 リョウは作業を続けながら店長と会話を交わした。

「そうか、それは少し心配だな」

「そのうち帰ってくるって。長い間帰ってこないことなんて、いつものことじゃん」

 二人の声が少しばかり暗くなると、見かねたカイスケは場を明るくするように気怠げな口調で言った。

「それもそうだな。まあ、とりあえずテルちゃんが元気ならいいんだ」

 店長はカイスケのおかげで安心したように表情を和らげた。

 二人が帰る場所を失ってからのこの六年間、リョウとカイスケは唯一生き残ったテルと彼女を救い出した赤い髪の男とともに生活をしていた。テルを救った男は三人を自分の家に住まわせてくれたが、六年たった今でも素性をまったく明かさず、家にいない時間も多かった。

「ああそうだ。お前ら、仕事の募集が来てるんだがどうする?」

 話しが一巡し、しばらく金属音だけが聞こえる間が空くと、何かを思い出したように店長が立ち上がった。そしてカウンターの側へ行くと、その上に置かれた一枚の紙を手に取り、二人に見せた。

その紙には大きな字で環境保全活動という見出しが印刷されていて、下に日時や場所の詳細が記載されていた。

「爆心地においての瓦礫撤去及びサンプル採集?」

「ああ。主催者は国際的な研究所の人間らしくてな、深刻な人手不足らしい」

「おい、二十万って書いてあるぞ……!」

 その中の報酬金額に目が入ったカイスケは思わぬ金額に目を疑い、驚きを口にした。

「はっはっは、いい驚きっぷりだな。それは危険度を鑑みた結果の金額だ」

「危険度?」

「そう。なんでも、まだ爆心地には放射能が残っていて、身体に害を与える可能性があるとかないとか」

「ふーん」

 店長の少しあやふやな説明を聞いたリョウは彼の声を半分聞きながら、目線を紙に集中し、てそこに書いてある内容を把握した。

 

「まいどあり、何かあったらいつでも来いよ」

「言われなくても、近いうちにまた機械でも持ってきてやる機械背負って来るさ」

「はっはっはっ、今度は綺麗なまま持ってくるんだぞ」

「ギクッ……!」

「お邪魔しました」

「おう。またな、リョウ。テルちゃんにも宜しく言っといてくれ」

「はーい」

 数十分後、店主から買い取り金を受け取った二人は、彼に挨拶をして店を出た。手には思ったより充実したお金の束が乗っていて、この時ばかりはリョウの足取りも軽かった。

「思ったより貰えたな」

「うん。店長には一層頭が上がらなくなったね」

 二人が歩く道は簡素な建物が目立ち、人通りもそれなりだった。

十七年前に訪れた崩壊の日。その日以来、生き延びた人達は残った街の建物や自身の作った家に住み、一日一日をどうにか食いつないで生活していた。ただ、不思議なことにどの街を見ても行き倒れる人間は少なく、生活もそこまで厳しいとは感じていなかった。

「ただいまー」「ただいまー」

「あ、二人とも、お帰り」

 リョウとカイスケが自宅に帰ると、一人で留守番をしていたテルが返事を返し、それを出迎えた。

 彼女は台所で夜ご飯の支度を始めたところだったらしく、二人が玄関の扉を閉めて部屋へ入ってくる時にはトントントン、というリズミカルな音が聞こえていた。

「今日はどうだった?」

「結構多くもらえたぞ」

 テルが成果を聞くとカイスケは偉そうな口調を使い、彼女にブイサインを向けた。

「そっか。いくら?」

「えっと、十万と小銭が何枚か」

「へー、本当だ。いつもより多い。今日はカイスケ、ヘマしなかったんだね」

 テルはリョウが荷物からとりだしたお金の束を見ると、少し驚き、カイスケをわざとらしく褒めた。

「ううん、したよ。今日もしっかり、ボロボロに」

 しかし、今日の出来事を知っているリョウはそれを訂正し、便乗するように冗談を飛ばした。

「ああ、もう。どいつもこいつも俺をバカにしやがって」

 すると当の本人は自分が遊ばれているのが気にくわないらしく、火を吹くような勢いで騒ぎ立てた。

 

 翌日リョウとカイスケは昨日店長から受け取った仕事の募集の紙を持って、街の中を歩いていた。

「二人ともー、待ってー」

 すると後ろから彼らを呼び止める声が聞こえた。

 リョウとカイスケが後ろを振り返ると、道の遠くに走って近づいてくるテルの姿が見えた。

「あれ? テルだ」

 彼女を目にしたリョウは不思議そうに呟き、その姿を追った。

「はあ……はあ……」

「なんで着いてきたんだよ」

「だって今日の仕事は人手がいるんでしょ」

 上がった息を整えていたテルにカイスケが声をかけると、彼女はやけに楽しそうに答え、ニコッと笑った。

 リョウたちの家から街外れにある爆心地へ行くには、栄えている街の中より薄暗い裏の道を通るのが最短だった。

その道は戦争中の闇市のようにどこで仕入れたのかと聞きたくなるような希少品が多々売られていて一定数の人間がいるが、同時に治安も悪かった。だからここを歩く人は決まって顔を隠し、なるべく貧しそうな格好をしている。

裏道に入ると、三人も周囲と同様にフードで顔を隠し、口数を減らしてできるだけ道の端を歩いた。

 それから、街を離れるにつれてすれ違う人の数は減っていき、爆心地まであと一キロほどのところまで来ると、あちこちに背の高い瓦礫の山が転がり始めた。

 そして、家を出てちょうど一時間後、三人は目的地に着いた。

 普段なら人の気配が全くない爆心地には、すでに二十人ほどの人間が集合していて、後からも続々と仕事の参加希望者が到着した。

「はい、では定時になったので始めさせていただきます」

 すると集団の中で一際目立っていた格好の男が近くにあった台に上がり、集まった参加者全員に向けて声をかけた。

 男は血の気のない顔に、ワックスできっちり決まった髪。黒い革手袋に、風変わりなワイシャツ、黒いロングコートを身に着けていて、見るからにただ者じゃない、異様な雰囲気がした。

「え―、本日は本来であれば瓦礫の撤去、採集をしていただく予定でしたが、こちらの都合により内容に少し変更点がございます」

 男が話を始めると、参加者の後ろの方にいたリョウは一人嫌な予感を覚え、隣にいたカイスケとテルにその感覚を共有しようと口を開いた。

 だがリョウが最初の一言を発しようとした時、檀上にいた男が彼に気づき、ひどく威圧的な目で睨みつけてきた。そして気味の悪い笑みを浮かべると、参加者に気づかれないようにその視線をリョウから移した。

 リョウは男の鋭い眼力に恐怖を感じ、一瞬目が合っただけだというのにそれ以降声を発せられなくなった。

「内容の変更って、何やらされるんだろうな」

「今から説明してくれるでしょ。ちょっと待ちなって」

 テルとカイスケは彼に起こっている異変には気付かず、何ともないように男の話を聞いていた。

 リョウは二人の注意を引くように目で訴えかけたが、その努力も虚しく、男の話はどんどん先へ進んだ。

「報酬金に関しましては既定通りの金額を皆さんにお支払いしますのでご心配なさらず」

 そして男が参加者たちの最も根にあるものの保障を告げると、集団の中から喜びの声が漏れ始めた。

「ようし、金のためだ。ひと仕事してやるか」

 そのなかにはカイスケの声も混じっていて、彼は肩を回しながら自身のやる気を示した。それと同時に、周囲の人もさまざまな形でやる気を見せ、そこに意欲に満ちた集団ができあがった。

「本日、皆さんに行なっていただくのは…‥健康調査です」

 しかし、彼らの気持ちは男が直後に放った一言で見事に打ち消された。

「へ?」

 参加者たちは全員目が点になり、豆鉄砲をくらった鳩のような様子で男を見上げた。

「えー、我々人類は今、多くの問題を抱え、自然消滅の危機に瀕しています。政治、情勢、環境。中でも深刻なのは放射能による身体への影響です。そこで私たちの団体は十七年前の災害が今の人類にどのような影響をもたらしているかを調査、研究し、その研究結果から人類文明復興の糸口を探そうとしています。そこで皆さんには健康調査を受けていただき、その結果を研究材料に加えさせていただきたいのです」

 男の熱弁は最初全員を驚かせはしたものの、ちゃんと筋が通っていて、最後まで聞いてみるとすんなり納得できるものだった。参加者の中には彼の話に心を動かされたものもいるらしく、ところどころからは歓声が上がっていた。

「というわけで、本日のお仕事は今お話しした通りです。えー、変更点をご理解し、了承した方から順番にこの道の先へ進んでください」

 話を終えた男が参加者を誘導すると、集まっていた集団はぞろぞろ移動を始めた。

 健康調査は道の先にあるらしい仮設診療のトラックで行われるらしく、参加者たちは三人一組にまとめられ、一組ずつそのトラックの元へ案内されていった。また、先に行った組の人たちは向こうで待っているらしく、最初の集合場所に戻ってくるのは前に立って話していた黒い服の男だけだった。

 同じ組になったリョウ、カイスケ、テルは男の話を聞いていたときのように集団の後ろの方に回り、彼らの順番がきたのはそれから三十分ほど後だった。

「二人とも、気をつけて……!」

 三人の中で唯一不穏な空気を察知していたリョウは、男がいなくなった時を見計らって二人に忠告をした。

 その直後、再び男が道の先から戻ってきて、ついに三人の番がきた。

 カイスケとテルは出発直前に言われた一言のことを考えながら男についていき、時折男の真後ろを歩いているリョウの背中を見た。しかし、気をつけてという短い言葉だけでは情報があまりに不十分なため、二人はその意味を理解することはできなかった。

 それからしばらく歩き続けると、男は三人を瓦礫の少ない広場のようなところに通し、そこで待つように言った。そして三人のそばを離れると、瓦礫の山の裏に消えていった。

「ねえ、リョウ。何に気をつけるの?」

 テルは男の姿が見えなくなったと同時に小声で彼にそう聞いた。

「この仕事、たぶん罠だったんだよ」

 するとリョウは深刻そうな表情でそれに答えた。

「罠? そんなの気のせいだろ」

「うん、さっきまでは僕もそんな気がするだけだった。でも、周りの瓦礫を見て」

 そう言われて周囲を見渡すと、二人のうち、カイスケの方はすぐあることに気づいた。

それは広場のところどころに亀裂があり、クレーターのように地面が窪んでいること、そしていたるところに細かい血しぶきが残っていることだった。

「この広場の形、見覚えない?」

「ある……」

 カイスケは頭の中で昨日の機械のことを思い出し、はっとなりながらそう口ずさんだ。

「あの男、人間じゃない」

 彼の様子からヒントに気づいたことを察したリョウはいまだ理解に至ってないテルにもわかるよう、簡単明瞭に事態を表した。

 そして彼がそう発した次の瞬間、噂を聞きいていたかのように瓦礫の中から男が現れた。

 男はなぜか気味の悪い薄笑いを浮かべていて、明らかに何か仕掛けてくる雰囲気をまとっていた。

 状況を完全に理解したリョウとカイスケは、ベルトにつけたナイフとそばに落ちていた金属の棒をそれぞれ手に持ち、間の距離を開けながら前へ出た。

それに対して男の方は、歩みを適当な速度に緩め、二人の正面に来るとその場に立ち止まった。

「ここに連れてきた人達はどうした」

「彼らはしっかり私達の研究材料になりましたよ。まあ、健康状態のデータではなく、解剖用のサンプルとしてですが」

「殺したのか」

「残念ですが、その通りです」

 リョウとカイスケが推測の真意を確かめようとすると、男は言葉を詰まらせずに平然とそれに答えた。

すると会話が途絶え、わずかに沈黙の間が開いた。それから変化があったのはほとんど一瞬のことだった。

睨み合いの時間が続いていた中、最初に動いたのはカイスケだった。彼はタイミングを見計らい、ここだという瞬間に持っていた鉄の棒を男目掛けて投げ、先手をとった。

カイスケが行動を起こすと、男は驚異的な瞬発力を見せ、それとほぼ同時に止まっていた足を前に出した。

しかし、本当に驚くべきは男の反応の良さではなく、そのあとの動きの素早さだった。

男は足を一歩踏み出したあと、視界から消えた。そして二人のもとに突風が伝わってくると、カイスケの目の前に男の姿が移動してきた。そしてカイスケは声を発する間もなく、ものすごい後方に飛ばされた。

「ウェッ……!」

リョウが背後を確認すると、カイスケは数メートル後ろにある瓦礫に打ち付けられ、口から血を吐いていた。リョウはその姿から漠然とした、だが今まで経験したことないほどの恐怖を感じ、ナイフを握ったまま硬直した。

「虎城リョウ、ようやく……また……会えましたね」

 するとリョウの恐怖をさらに煽るように男が知っているはずのない彼の名前を、嬉しそうに呟いた。

 しかし、リョウはそれを聞いて逆に我に帰った。そして男がなぜ自分の名前を知っているのか脳内で考え、後込みながらもナイフを構え直した。

「威勢が良くて何よりです。では小手調べと行きましょう」

 彼の姿勢を目にした男は微笑みながら革手袋を深く付け直し、こちらへ歩き始めた。

 さっきカイスケが飛ばされた時、あれは傍から見たら急に彼が飛んでいっただけのように見えただろうが、リョウの目にはその一連の流れが瞬間的だが映っていた。それが見間違いでなければ、男はあの一瞬でカイスケに接近し、腹を蹴り飛ばしたことになる。

 男が着々と近づいてくる中、リョウは彼の人間離れした、というより人間ではない速さの攻撃に備え、息を深く吐いた。

 そしてまた男が視界から消え、直後に彼の拳が目の前に現れた。リョウはそれを交差させた両腕でいなし、男の首へナイフを振り下ろした。そしてさらに男の力量から、その一撃がかわされることを予測し、男が刃をよける先にお返しだ、と言わんばかりに右蹴りをあわせた。

 だが、男はリョウが想定した以上の手練だったようで、彼が勝利を確信した蹴りは、男の左手一本で簡単に防がれた。

その瞬間、リョウの中にあった恐怖は漠然としたものから死への恐怖に変わり、瞬く間に身体の感覚を支配した。

すると、その顔を見た男はさっき見せたような気味の悪い笑みを浮かべた。

その表情を見てさらに恐怖したリョウは、男を遠ざけるためにナイフを右手に持ち替えて、大きく振り払った。

その動きはあまりにも隙だらけだったため、それが裏目に出てリョウの右腕は振り切る前に男につかまれた。彼はその腕をじわじわと上にあげ、リョウを身体ごと空中に持ち上げた。そしてバキッという音が鳴り、リョウの腕に激痛が走った。

「うわあっ……!」

 リョウは痛みのあまり持っていたナイフを落とし、男が腕を離すとその場に崩れ落ちた。すると視界にあまりの痛みに動けなくなっているカイスケと、今になって恐怖を思い出したような様子のテルの姿が入った。

「くっ………」

 それを見たリョウは悶絶しつつも倒れたままではいられず、ゆっくりと立ち上がった。そして痛む右腕をかばいながら男に近づき、左の拳を男に向けて放った。

しかし、男は赤子の手をひねるようにそれを受け止め、その手を引き寄せると逆に強烈なボディブローをお返しされた。

そして再び倒れたリョウはもう立ち上がる気力すらなく、腕と腹部の痛みを堪えているので精一杯だった。

「虎城リョウ、辰宮カイスケ、テル。六年前に起きた惨劇の生き残り」

 三人が動けなくなると、男は少し乱れた服を整え、今度は三人の素性を自慢げに口にしだした。

「私はあなた達をずいぶん探し回ったんですよ。足跡を辿り、近くの街をくまなく捜索しました。でもあなた達は見つからなかった」

 表情豊かに話す男の姿は徐々に不気味さを増し、最後にとても残念そうな顔をした。

「だから私はあなた達をとても高く評価したんです。我々の捜索網にもかからず、逃げ延びる者なんてそういませんからね」

「わけわかんねえ、何一人で語ってるんだよ。ていうか、なんで顔も知らないお前があの日のことを知っていて、俺達を探してるんだ?」

 すると地面にうずくまっていたカイスケが瓦礫に手をかけながら立ち上がり、男を睨みつけて言った。

「ああ、なるほど。あなたはあの時ご自宅の中にいらっしゃらなかったお二人に話していないんですね?」

 しかし、男はカイスケの視線を気にすることなく、自分だけで何か納得し、かと思うとなぜかテルに向けて問いを投げかけた。

「あっ……あっ……」

 だが、テルは喉をつまらせたように短い声を途切れ途切れに発するばかりで、どれだけ時間が過ぎてもその問いには応えなかった。

「それどころでは……ないようですね。まあ、当然でしょうか。では明度の土産ということで私からお話ししましょう」

 テルの様子を変に温かな目で見て、返答が返ってこないことを察した男は一瞬にこやかになると話を進めた。

「まず、私は人類文明復興を掲げている団体の人間ではありません。というより、お気づきでしょうが、人間ですらありません。ヒューマノイドです」

 ユーモアのあること言ってみせた男は、それに合わせて自身の腹部を叩き、金属音を鳴らした。さらにその後、男は二人にとって思いも寄らぬことを口にした。

「そして六年前のあの日、私はあなた達のご自宅にいました」

「俺たちの家……?」

「はい。ここまでお話すれば、もうお分かりでしょう」

 そして、話しながら男がまたにこりと笑うと、その隙のある姿にどこからか黒い銃口が狙を定め、引き金を引いた。

「おっ……と」

 すると男は発砲音と同時に飛んできた銃弾を紙一重でかわし、弾の飛んできた方向を横目で確認した。

 その様子を見たカイスケは辛うじて立っていた足の力を抜き、その場に尻込みをした。それから目線を男とと同じ方へ移すと、その先にはぼろぼろのマントを羽織った人間が一人、ハンドガンを片手に立っていた。

「あ……おじさん……」

 カイスケは薄れゆく視界の中、見覚えのある人影に喜びを覚え、安堵の声をこぼした。

「せっかくいいところだったのに、危ないですね」

 その人を目にした男はおどけながら黒いロングコートの乱れを整え、また革手袋を付け直した。

「すまないね、キトラさん。でもあんた、あのまま放っておいたらその子達のこと殺してたでしょう。困るんですよね、未来ある若い芽を摘まれちゃ」

 突然現れたその人は男をキトラと呼び、文句を言いながら数歩前に出た。

 そして彼の姿がはっきり見えるようになると、その男の人はカイスケの想像した人とは違っていた。しかしカイスケはそのことに気づかず、意識を失った。

 二人はお互いの間合いが重なるギリギリの距離で相手を睨み合い、沈黙を保った。

そしてその数秒後、キトラがふところからハンドガンを取り出すと同時に、両者の引き金が引かれ、銃弾が発砲された。

キトラはさっきと同様に持ち前の瞬発力で向かってくる弾を高速で避け、余裕を見せた。

 だが、男の人はキトラのようにその場から動こうとはせず、なぜか代わりに向かってくる弾の方へ手のひらを向けた。そして、よけるには手遅れなほど銃弾が男に接近すると、その金属は弾頭の先から粉のようにバラバラになって消えた。

 その後、さらに奇妙なことが起こった。

 銃弾が効かないことを確認したキトラはハンドガンをしまうと、黒いサバイバルナイフを取り出して、男の方に走りこんだ。

男はそれを変わらずハンドガンで迎撃しようと発砲を続け、ナイフを持ったキトラは弾に当たらないように左から回り込んで男に近づいた。

そしてキトラのナイフが男の喉元にとどく寸前に迫ると、男の銃がさっきの弾のように粉体になった。さらに、砂のようになったその物体は男の逆の手の平まで細長く伸び、ちょうど日本刀の形に変形し、勢いのあるキトラのナイフをしっかりと受け止めた。

「さすがですね」

「そいつはどうも」

 二人はつばぜり合いをしながらもお互いを煽り合い、さらに刃に力を込めた。

「少しですが、パワーは私の方が上ですね」

「じゃあ、こういうのはどうだ」

 キトラがさらに挑発をすると厳しそうな顔で男がそれに乗り、刀の峰を抑えていた手を動かした。すると光を反射してた刃の一部がまた粉体に変わり、今度は小さなハンドガンを作り出した。

キトラがそれに目線を移すと、男はニヤリと笑いながら銃口を彼に向けて、引き金を引いた。

「うおっ……っと。危ない危ない」

 しかしキトラは男が放った、その意表をつく攻撃をもかわし、それでもまだ余裕があるのか、おどけた態度を見せた。

 二人の距離が再び開くと、どこからかプロペラの回る音が聞こえてきた。

「おっと、これ以上戦うのはまだ早いですね。ではまた、ごきげんよう」

 するとキトラは音の方を気にしながら身なりを整え、タイミングよく跳躍した。するとどこからか飛んできたティルトローター機に乗り込んだ。

「隊長―! 無事ですかー!」

 プロペラ音が聞こえなくなり、男が機体の後ろ姿を眺めていると、しばらくして彼が来た方向からもう数人の人が走ってきた。

「ああ、大丈夫だ。それよりあの二人の傷を、急いで」

 隊長と呼ばれた男は、その中の一人に自分ではなく倒れていたリョウたちの手当をするように言い、自身の服の汚れをはたき落とした。

 すると気絶していたリョウとカイスケが目を覚まし、おもむろに体を起こした。

「二人とも大丈夫かい?」

「結構ひどいです。この子は口から血を吐いていて、あばらが心配。こっちの子は右腕が腫れてて、折れてるかもしれません」

「あー、ごめんね。俺がもうちょっと早く到着してれば無傷だったのにな」

 彼らは二人の傷の状態を見てあれこれと話をし、手当てを進めた。

「あの、手当はうれしいんですけど皆さんは……?」

 リョウは気絶していたため、何が起こったのかわからず、状況を把握しようと会話を遮って男に声をかけた。

「ああ、まだ名乗ってなかったね」

すると男はリョウの言葉を察して、話を中断してそれに応えた。同時にどこからか、強い風が吹き始め、地ならしが聞こえてきた。

「俺たちはオペレーターズ。この壊れた世界を作り直し、美しい世界を取り戻す特別極秘組織だ」

そしてリョウとカイスケが手当てをしてくれた人達の肩を借りながら立ち上がると、隊長の後ろに今まで見たことない程の大きいスペースシップ型航空機が四機、土煙を上げながら近づいてきていた。