沖 縄
沖 縄
いよいよ鹿児島港から沖縄本島へ上陸を目指す日です。一時は沖縄まで行くことを諦めかけたこともありましたが、家族に後押しをされたこともあり沖縄走行を決意しました。
鹿児島港午後6時発の沖縄便に乗船。翌日の午後4時40分に本部港(南側・那覇市の反対側で北側に位置します)に接岸、午後7時に那覇港入港予定です。
運賃は2等で、鹿児島~本部(もとぶ)港まで13,300円、自転車が2,270円、合計15,570円になります。
あと船内で使うお金として、当日の夕食&翌朝の食事、加えて翌日の昼食代が必要になります。ただ、一品ずつ取ったとしても少なくとも700円の食費代は必要でしょう。でも、少なくとも船内食にすることで旅の細やかな楽しみの時間を設けることをお勧めしたいですね。とにかく毎日自転車のペダルを漕ぎ続けているわけですから、ご自身に対するご褒美と考えることも必要ではないでしょうか。
沖縄までは長い航路になります。なので「長い船旅はいやだな?」と思われる方もおられるかと思います。でも、昼は毎日自転車のペダルを漕ぎ、夜はテント生活の繰り返しです。このことを思うと船内は、雨の心配もなく、テント設営を必要としない、正に安心して寝られる最高の空間・場所なのです。ですから私の場合は、長い船旅なんか全然苦になりません。
さて、乗船後4人の青年と話が弾みました。一人はこの日、東京から沖縄へ移住のため乗船しているものでした。この青年、ハブは勿論のことですが冗談半分のジョーク交じりで、随分、私をビビらせてくれたものです。他3人の内の一人は北海道出身の青年でバイクツーリング中でした。他の二人は、自転車で旅をしているところでした。二人とも関東出身でした。
別れた後、私のブログ(アメブロ)を訪問してくれて、ベタを付けてくれましたが。
それにしても船で沖縄へ渡るなど、私の長い人生の中でも想像すらしたこともありませんでした。本当に素晴らしい体験をすることが出来ました。
私の若いころは、沖縄へ行くためにはパスポートが必要でした。この頃、沖縄出身の友人が船で沖縄を往復していたことを思い出しました。
さて、船内は結構、乗船客で賑わっていました。恐らくほぼ100㌫の乗船率ではなかったでしょうか。
船は鹿児島を出港すると名瀬、亀徳、和泊、与論、本部港へと接岸すると、終着、那覇港に入港します。なので、下船される方、乗船される方で船内は常に賑わっていました。
船が沖縄本部港へ入港したのが予定通りの午後5時前でした。船が接岸する寸前までは那覇で下船する予定でした。つまり、上陸する港が、沖縄を離島する時の乗船場所になるわけです。
本部港接岸直前でしたが船上からフェリーターミナルを見渡すと、ターミナル空間の広いのことが見てとれました。つまり、「離島前夜、ここで寝ることが出来る!」と判断した私は、急きょ本部港で下船することにしました。
下船したのが午後5時でした。沖縄上陸、第一歩となる走行の始まりです。本部港から那覇市内方向へ進むため、沖縄本島を反時計回りで周回することになります。この夜の野営場所となる名護市の場末にある「道の駅許田」へ向かって走りました。
本部港(本部町)から名護市までの道のりはすごく平坦であるうえに、道路も広くて凄く整備されています。また、名護市はプロ野球球団のキャンプ地とあって、国道449号線沿ですが結構賑わっていました。
名護市内を抜けると国道は449号線から71号線に変わり、更に少し走ると58号線に変わります。目的とする道の駅は宇許田にあり、道の駅に着く頃には、お店もほぼ閉店間際でした。後ほどの情報ですがこの道の駅の売上ランクが、なんと全国でも上位クラスであることをお聞きしました。
まぁ、私にとってお店の売り上げ等どうでも良いことで、気になるのは夜の治安のことでした。TVで拝見する那覇市内の成人式についてですが、派手に騒ぎ立てる様子を目にしていたので、あまり良いイメージではありませんでした。
と言うわけで、この点についてお店の方に尋ねてみると、「ここは悪くありませんよ」との答なので、安心したものです。
でも、テント設営をするための適当な場所が見当たりません。やむを得ず、商店の正面海岸に面して長いテーブルが設けてありますが、その備え付けの固定した長椅子で寝ることにしました(写真)。この夜は、結構、海風もあり沖縄といえども寒い夜でした。ただ長椅子の全面(海岸側)の足元部分に板が貼り付けられていたので、これが風除けとなってくれたので、随分助かりました。私の身を隠すための防犯の役割も兼ねてくれました。
この夜は、東京都内から愛犬と共に乗用車で旅をされている50歳代の男性との出会いがありました。彼は東京の自宅を売却のうえ、早期退職をして愛犬と共に乗用車で旅を続けているものです。北海道の海岸では愛犬が熊と戯れている写真を拝見しました。恐れ入りました。
私の自転車の旅を知り、彼は「自転車での日本一周はすごい。・・・」、と称えてくれたものです。
この日は、那覇空港を少し通り越したところにある「道の駅豊崎」を目指すものでした(豊見城市)。
どこの県でも言えることですが、都会の中での野営は出来るだけ避けることを心がけました。そのような意味で那覇市内にあるこの道の駅についても、要注意、そのような心境でした。
沖縄は、お風呂屋さんが少ないように思われます。事実、残波岬への道中に一カ所、温泉のあることを地図上で確認できていましたので、そこでお風呂に入る予定でした。ところが、うっかりその場所を通り過ぎてしまったのです。結果として沖縄へ上陸後、離島前夜(ホテルで宿泊)になるまで入浴の機会を逃してしまったのです。
日本海沿岸を走行中、関東出身のご夫妻と出会いがありました。このご夫妻、ほぼ一年を通じて、車で日本中の旅を続けているとのことでした。その時の会話の中で「沖縄はお風呂が少ないから困る・・・」との感想を洩らしていましたが、確かに的をえていると思います。ただ、もともと沖縄は暖かい土地なのでシャワーがあればいい、そのような生活習慣があるのでは?との話もお聞きをしました?
さすがに那覇市街へ入ると、車も多くなります。自転車で旅をする者にとって、事故のリスクが付きまとうので都会であることは好ましくありません。
無事、「道の駅豊崎」へ着きました。すると、夜間になると、なんと警備員さんが警棒を右手で持ち、それを右肩の上に載せて巡回を始めたではありませんか。なんだか、私が威嚇されているようで、なんとも物騒な様子です。その姿を見て驚きました。このような光景を見るのは初めてです。鹿児島での無愛想な警備員さんどころではありません。
警備員さんのお話によると、「以前、道の駅駐車場で若者がバイクを破損して大騒ぎをしてみたり、どなたかが障がい者トイレのシャワーを使ったようで、翌朝になるとトイレの外側まで水が流れていたことから、市の要請で警備委託を受けることになった」との説明でした。
でも、そのようなこと、私にとって関係ありません。本当にいい感じがしませんでした。でも、その反面、警備員さんがいたから安心して寝ることができたことも、また事実でした。
ちなみに、この夜は、お店の長椅子で寝ました(写真)。
昨夜の「道の駅豊崎」を6時10分に出発。少し走るとコインランドリーのある場所が確認できたので、早速そこで洗濯を済ませると、今夜の宿泊場所である「道の駅かでな(写真)」を目指しました(嘉手納町)。
沖縄の西側は平坦な道が続きます。また沖縄の南側先端を回り込み、ひめゆりの塔に立ち寄ってみました。入口には、献花の花束が売られていましたので、それを買って私も献花をし、合唱をしました。
ひめゆりの塔を少し過ぎると、そこから先・東側へ進むとやや起伏のある道が多くなります。少々覚悟をしておく必要があります。
なお、「道の駅かでな」は、走行ルートからかなり外れた位置にあたりますが、道の駅で寝ることを前提とする以上、ルートを少々はずしてでも立ち寄る必要があります。可能な限り宿で泊らないのが旅のスタイルでしたから。
基地の町なので、ある意味ここも町の中心圏内に入ります。なので、情報を基にすると若干“要注意”のリスト場所でした。
幸い何もなく朝を迎えることができました。それでも夕方のことですが、さすがに基地の町ですね。3人の若い外人さんがラジカセから流れる音楽のリズムに合わせて器用に踊りだしました。私には全く分かりませんが、ただ手足・腰の動きを見ていると、その動きが凄い、と思ったものです。あらぬ情報を聞いていたともあり、さすがに一睡もできない夜でした。
ところで昨夜は、爆撃機でしょうか、とにかく離陸と同時に、爆撃機が天空に向かってほぼ垂直の状態で、とんでもないほどの爆音を残しながら飛び立つのを見ました。あれほどまでに垂直に飛び立つ様子を見たのは初めてのことです。それだけに、爆音も中途半端ではありません。嘉手納で暮らす人たちの抱える悩みがよく理解できます。とにかく驚きました。
「道の駅かでな」を昨日と同時刻の6時10分に出発しました。この道の駅は、東側海岸走行場所から西側沿岸に近い位置になりますので、昨日走ってきた同じ道を引き返して、昨日走った国道へ戻る必要がありました。
走行ルートは、嘉手納町から東側のうるま市側へ出た後、宜野座村を通り、東村から西側沿岸沿い国道58号線沿いにある「道の駅おおぎみ」を目指しました(写真)。
ところが宜野座村へ向かう国道329号線を大浦湾から341号線に入らなくてはいけないのを、どうやら看板を見過ごしたまま走ったようで、西側沿岸・名護市の国道58号線に突き当るまで、誤って走ってきたことに気付きませんでした。仕方がありません。本線の東側沿岸まで戻る必要があります。しぶしぶ後戻りをしたものです。
沖縄も東側のこのルートになると、やや寂しい感じがしたものです。それだけに、コンビニも見当たらなくなります。ま、間抜けなことをしながらも、なんとかこの日の走行も無事、終えることができました。
目的の道の駅(写真)に着くと、ここで夕食です。道の駅の軒下には、バナナやパイナップル・ミカン等が所狭しと陳列してあります。写真の中で、「すだれ」が見えていますが、閉店になると果物を店の中に入れる訳でもなく、陳列してある果物の上に無造作にすだれを覆うだけです。簾(すだれ)をひもで留めるわけでもありません。結局この夜は、私が“番犬”になりました。
この夜は軒下で寝ることをお店の方にお願いしていたので、なんだか嫌でしたね。冗談で「今夜、ここの果物がなくなったら私のせいになりますよね。これまで取られたことがないのですか」と尋ねてみると、お店の方が笑ってから「ないですよ」と涼しげな顔で言葉が返ってきました。これほどまでに無防備で開けっ放しなお店を目にしたのは初めてのことです。
北側住民の方々がいかに正直な生活をされているかが分かりました。つまり、この地域の防犯がいかに良いのかを如実に物語っているものです。沖縄で生活をするなら、北側だ!と思いました。ちなみに私もパイナップルをひとつ買って、食べられる状態にしていただきました。安かったよ・・・
この夜は、写真の左端にある商品陳列台で寝ることが出来ました。勿論、私ひとりです。道の駅の向かいは国道を挟んで海になります。
この日の周回は、一旦、東側へ出たあと辺戸岬から西側沿岸を走る予定でした。すると、道の駅を出発する間際に道の駅で勤めている女性の方が早朝出勤されてきました。
私が走るコースを知ったお店の方が、「そのままこの国道を沿岸に沿って走るのがいいですよ。反対からだと、上り坂になるのできつくなります」との助言を頂きましたので、助言どおり道の駅を沿岸国道に沿って辺戸岬を目指しました。
昨夜の野営場所、国頭郡大宜味村にある「道の駅おおぎみ」を出発後、国頭村の中心を過ぎた頃ですが、「9月から12月にはハブの増加する時期に入ります。畑や草のある中に入るときは十分気をつけましょう」と、村内放送が流れました。北海道での「ヒグマ出没注意」の看板以来の恐怖を感じたものです。
ここまで様々な道を走りましたが、辺戸岬から東側の峠越えのアップダウンの繰り返しは、上位クラスに匹敵するほどの難コースです。このコースは、道の駅の方の助言どおり、西側沿岸から東側へ向かって走るのが正解ですね。その逆を走ると、かなり長くて厳しい上り坂を克服しなければなりません。
峠を越す途中に小さな村がありましたが、そこで3人の青年がお昼休憩をされていました。自動販売機が目に付きましたので、立ち寄ると、逆に飲み物を頂く結果になりました。そこで、一人の青年についてですが、小樽市から移住されたそうで、どうやらこの地に根をおろしておられるそうでした。
少々地元の方と話し込み、その場を跡にしました。
厳しい峠を越すと、一面が草原のよう見晴らしの良いところにたどり着くことが出来ます。すると、頂上付近に一軒の「茶屋夢蘭」というお店のあるのが目に付きました。実は、3人のうちの一人からこのお店のあることをお聞きしていましたので、疲れを癒すため是非、立ち寄ることにしていたのです。
お店は峠の峰にあります。立ち寄ってみると、素敵なママが現れました。敷地の外にもテーブルが置かれてあります。お店が草原のとても見晴らしの良いところにありましたので、「店の中に入るのはほしい」との思から、外のテーブルの席に座ることにしました。
お店は高原にあるので視界を遮るものもありません。まさに360度の大パロラマです。広大な自然の大地を味わうことが出来ます。本当に心地良い深呼吸が出来ました。見渡す限り一面が緑に覆われています。素晴らしいところでした。恐らく沖縄の観光でも、ここを訪れる人は、ほぼいないはずです。自転車ならではの観光です。個人的には那覇市内のような雑踏の中を歩くくらいなら、ぜひこの地を訪れてほしいものです。
お店では、アイスコーヒーとぜんざいを注文しました。関西のぜんざいは、熱いのが当たり前ですので、メニューにぜんざいの文字が見えた時は、「この暑いのに、どうしてぜんざいがあるの・・・?」と一瞬驚きました。ところが、沖縄のこの季節のぜんざいは冷たいのがぜんざいでした。冷えたぜんざいもなかなか乙なもので、心ゆくまで満喫することができました。それにママがすごく美しいうえに愛想のよい方でしたので、心地よい至福の時間でした。
下りに入ると、山の中腹でしたけれども、家が一軒ポツンとあります。そこで目にしたのが縁で腰を据えて年配のご夫婦が寄り添って座っている光景が目に入りました。立ち止まって話を伺いたかったのですが、いかんせ下りでしたので、アッと言う間に通りすぎてしまいました。後戻するのも面倒くさくて、そのまま進みました。それにしてもすごいところで生活をされているものです。お話をしたかったのですが、とても残念でした。
さて、本来は昨夜の道の駅でもう一晩、野営をするつもりでした。が、予定よりも早く峠を越せたので、結局、明日乗船する本部港まで走り抜けました。岸壁にある待合所の一角で野営をするつもりでした。
ところが、港を目前にして真っ暗になってしまったのです。それでも「後わずか」、との安心感から、途中、コンビニに立ち寄る等、のん気にしました。でも、この余裕が落とし穴で、結果として野営するはずの港(フェリーターミナル)にたどり着くことができませんでした。下船したときに岸壁を情景を頭の片隅にインプットしていたはずでしたが、昼夜の風景がまるっきり違います。
人ひとり通るわけでもなく、たまに車が通る程度です。フェリーターミナルを探すことができません。そこで目に付いたのが「ホテルBELLEVUE(写真)」。ついに諦めて、このホテルへ入り込みました。知らない土地での夜間走行は禁物です。それでも、お風呂に入ることが出来たので助かりました。
この日は、沖縄周回を終えていよいよ沖縄出発の朝です。鹿児島から乗船した時と同じ船です。本部港を9時00分に出航です。
昨夜泊ったホテルを8時過ぎに出発。実は、泊ったホテルの前に国道があるわけですが、その国道を隔てた真向かいに本部港フェリーターミナルのあることに気付きました。すぐそばまできていたのに、港周辺一帯が真っ暗だったので、全く分かりませんでした。
私の脳裏には、当然フェリーターミナルは夜間であっても明かりが灯ってると思っていました。ところが、岸壁周辺を一生懸命、見詰めたものの周辺一帯が真っ暗であったことからさっぱり分かりませんでした。
「クソ!」と思いましたね。でも、そのおかげで、ホテルに泊ることができました。何といっても5日ぶりのお風呂にも入ることが出来たのがよかった。旅を通じて、お風呂に入れない日数の記録を塗り替えました。
本部港は乗船手続きをされる旅人で賑わっていました。それにしても、これほどまでに乗船される方がおられるとは予想外でした。
再び一泊の船旅が続くことになります。鹿児島へ向かうときは、沖縄へ上陸するときのように海が穏やかとは言えませんでしたが、ま、比較的、揺れの少ない航海ができました。また昼食・夕食ともに船内で済ませました。この時間が旅の疲れを癒す至福の時間となりました。
鹿児島入港予定が、翌朝の8時30分です。