昨夜の宿泊場所である福岡県宗像市にある「道の駅むなかた」を6時30分に出発しました。
この日は、日本有数の大都市である福岡市街を通り抜けるひつようがあります。「ここを自転車で走るのもいやだな~」との思いがありました。が、走ってみると以外にも市街地を楽に通り抜けることが出来ました。理由は、メイン国道がバイパスになっていなかったことです。メイン道路が高速道路で結ばれていたからです。
市街地を通っていると、東京で例えると「表参道」を彷彿させるような街並みがありました。道幅も広すぎず、狭すぎずです。通りにはケヤキの緑樹が眩しいばかりに道路と歩道の上空を覆っています。道の両サイドには様々なお店が軒を連ねています。とてもいい感じです。夏の街路樹にケヤキはピッタリですね。
ま、「いいところだな~」と思いながらも、素通りです。いつものように先を急ぐ旅人の味気なさを感じたものです。まるで、先を急ぐ渡り鳥と同じです。
門司を渡るためには、移動手段とするバスに一便でも早く乗る必要があります。でなければ、この日目指す道の駅に着くのが下手をすると暗くなる恐れがあるからです。
とにかく先を急ぎました。門司までの距離の長いことを、これほど感じたことはありません。近く思っても、走ってみると結構あるものです。
さて、気になるのが門司から下関へ渡るための連絡時間です。仮にタイミングが悪くて乗り損ねると、門司で1時間ほど待つ必要があります。なので、この日の朝は、とにかく一歩でも前進するのみでした。そのかいあって、荷物専用のトラックと人を搬送するためのバスの出発時間に辛うじて間に合うことができました。なので、途中、門司港駅を少し離れから見る程度で、バス停へと急いだものです。
到着したときの時間が11時45分で、バスの出発が12時ジャストでした。下関側へ渡る時間が一本遅れると、結果として山口市の「道の駅きららあじす」へ着くのが遅くなります。
少し後書きになりますが、私が九州へ上陸しようとしたのが9月21日でした。ところがこのとき、人道関門トンネルが補修工事に入り、9月1日~12月17日までの間、通行止めになっていたのです。初めて人道関門トンネルが通れると期待しながらここを目指していたのに、とても残念でした。この工事期間中、自転車はトラックで、人はバスによる代替輸送になっていたわけです。
さて、目的の道の駅ですが、少々薄暗くなりかけた頃に着くことができました。ですから、本州へ渡るのが一本遅れていたなら、道の駅へ着く頃は暗くなっていたことになります。
この夜は、東京で生活をしていた宮崎県出身の青年が、郷里の宮崎へ住まいを移すために自転車で宮崎を目指しているところに出会いました。二人で話した後、彼はテントで、私は廊下が板張りの上で寝袋でごろ寝です(写真)。
それは別として、この日の夜は道の駅を利用する過程で、初めて嫌な思いをさせられました。寝ているすぐ前で大型バイクを真向かいに止めて、エンジンを思いっきり空ぶかし。おまけに寝ている私たちにのテントに向けてライトを照らします。傍のテーブルには同じ仲間の別の男女二人が座り込みました。あきらかに威嚇をするかのような行動でした。
この日の夜は、少し離れでしたが駐車場には、乗用車で旅行中の他の旅人もおられました。
この件があった数十分後でしたが、巡回中のパトカーが立ち寄ってきました。タイミングが悪いよ。
道の駅でこのようなことがあるのは、極めて珍しいことでした。と言うのか初めてのことです。ま、たまたま、なにか運の悪い日だったのでしょうか。
昨夜共にした青年に、「頑張っていい職に就けることを祈っておきますね」と、言葉をかけて、この朝お別れをしました。あの青年、頑張っているのかな。東京よりも九州の方がいいよ。
さて、昨夜の青年の情報により、この日目指す場所は、「潮風公園みなとオアシスゆう(山口県由宇町)」です。青年に会うまでは、瀬戸内海沿岸を走るうえで、最も悩みの種としていた区間でした。でも青年の情報では「寝るには困りません、屋根もありますから。ただ、風が吹くと寒いでしょうね」、と言うものでした。
実は、この区間に道の駅がありません。しかもテントを持ち合わせていないので、ほんとに困っていた走行区間でした。下手をすると宿に泊ることも考えていました。なんとしてもこれだけは避けたかったのです。
この日の天気予報では、明日は雨になることが分かっていました。なので、翌日、足止めを食うと最悪、連泊を強いられることになるので、この夜はどこかの宿で泊ることは絶対に避けなければなりません。そのためには、とにかく野営できる場所まで行き着く必要があります。
途中24時間営業のマックスバリュが目に付きました。そこには長椅子もあり軒先も長いので寝るための条件が揃っています。雨でもしのぐことが出来そうです。食べ物についても困りません。それに近くには、コインランドリーもあります。万が一、翌日、走行中止になったとしても留まれそうです。かなり迷いましたが、やはり青年から得た情報の場所を目指して走りました。
山口県由宇町にある「潮風公園みなとオアシスゆう(左の写真)」にやっと着きました。台風のように横からの吹き込む強烈な風でない限り、少々の雨なら十分しのげるほどの大屋根の付いた休憩所が数カ所あります。 ここは海水浴場になっています。とにかく素晴らしいところでした。
結果として、天気予報どおり深夜から降りだした雨は、二日間も続きました。そのため、ここで3泊することになったのです。この過程で風の吹く日もありましたが、さすがは瀬戸内海です。海は常に穏やかでした。写真右端に長い生垣が見えます。その裏が国道になっています。
この夜、この場所で寝たのは勿論、私ひとりでした。
この日は深夜から雨が降りだしました。これまでなら雨であっても強行突破で走り続けるのが当たり前でした。しかし、ゴールも間近になると安心感に加えて、この時期の雨に濡れると寒いので濡れてまで走ることはできません。しかも、広島市街を走り抜け出さなくてはなりません。
広島市のように大きな市街地を抜けると、ましてや走る国道がバイパスになっているところがあると、時には立ち止まり地図を見詰める時間が必要です。
ということでこの朝は、そこそこの雨が降っていましたので「今日の走行は中止!」と決めました。
中止になると当然この場所から出歩くことができません。昨夜の青年の情報から少し離れにコンビニのあることが分かっていましたので、小降りの合間を縫って、朝食のパンと新聞それに退屈しのぎに週刊誌を買い込むため出かけました。
まぁ、こうして、プ~太郎のような一日を、ここの座イスで過ごすことになったわけです。
夕ご飯は、施設にある食堂で食べることができました。さて、寝ている場所から比較的近いところに、カラオケのあるのを目にしました。「行きたいな~、行こうかな~」なんてことを考えてもみましたが、結局終日この場所で居座る結果になったのです。
この日の広島市の天気予報は、11時には雨からのち曇りになっています。あれ、今日は雨は降らないと思っていたのに? ヤバい、雲が空を覆ってきました。しかし思い切って6時30分に出発しました。目指すは「呉市」です。
約2Km程走ると、コインランドリーが目に付きましたので、まず洗濯をしておくことにしました。すると10分程すると結構な雨が降ってきたではありませんか。天気予報とどうも違います。携帯電話で天気予報を確認しても、どうも芳しくない方向へと変わってきました。
これでは広島市内を通り抜けるのがしんどい、と判断。結局、この日も走行中止にしたのです。
ところで、コインランドリーで洗濯の終わるのを待っていたところ、若い女性が入って来ました。そのあと、この女性が掃除機で床の掃除をし始めました。座っていた私は、掃除の邪魔になると思って出入り口のところへ場所移動して掃除の終わるのを待つことにしました。
するとそのあと、次のようなやり取りが始まったのです。
女性:「すみません、他の方も来られますので、雨宿りはこの先へ行けばありますから、そちらへ行っ
ていただけますでしょうか!。他のお客さんも来ますから」。
*そちらとは、どうやら昨夜私が泊った屋根つきのところを指しているようです。
私:「洗濯をしているのですけれども」。
女性:「すみません。自転車に乗ってる方で洗濯をするために寄られる方もおられます・・・」。
*私が洗濯のために立ち寄っている事実を知ったので、この女性、ばつが悪くなったようでした。
どうやら経営者のようです。もしかすると私のことを「浮浪者」と思ったのかもしれません? いずれにしても、なんともお客さんに対するまずい対応であったことは否めません。悪い意味での思い込みによる発言です。この方は、サービス業としての常識がゼロ、失格に等しいですね。旅の思い出を一瞬にしてぶち壊してくれました。
洗濯を終えると、コンビニで必要なものを買ってからすぐさま昨夜の場所へ引き返しました。結構な雨が降ってきました。とてもではないですが、走れるコンディションではありません。
ところで私が戻ってから10分ほどすると、雨の中を台車を引きながら一人の男性がやってきました。びしょ濡れです。どう見ても旅を続けている様子で、年齢は40歳代と見受けました。
私は彼と話をしよう、との思いから、彼の傍へ行きました。でも彼は不機嫌で他人を受け入れる姿勢が見受けられません。これはダメだ、と判断した私は、自分の寝床としている場所へ戻りました。他人との接触を拒む姿勢を見ていると、他人とのかかわりを持ちたくないのでしょうか。
やっと雨も上がりましたので、三日ぶりの出発になります。
岩国市街を抜けると、海側右手に宮島を見ながらの走行でした。時間的に余裕があれば当然立ち寄るべきところです。しかし、これまで同様のスタンスで素通り走行になりました。
広島市街について、予め通るべき道を頭に叩き込んで出発したので、バイパスもうまく迂回しながら市街を通り抜けることができました。それでもやはり雨の中を走らなくて良かったと思ったものです。
広島市街までは比較的近く感じたものの、その先の呉市街までがなんとも遠く感じたものです。それでも、呉に着いたのは14時30分でした。
呉に着くと夜の寝場所を探す必要があります。ただ地図上に明記されている「健康ランド大和温泉物語」のあることをすっかり忘れていたため、安いビジネスホテルで寝られるところを探すために町をうろうろしたものです。
自力で探し出すことが出来ないので、最後の切り札としてタクシー乗務員に訪ねてみました。すると、ここで初めて健康ランドのあることが分かりました(写真)。
ただし、ここの健康ランドは、インターネットカフェと類似したところがあり、既定の時間を越すと超過料金が加算されるシステムが取られていました。ただ、ネットカフェほど高額な追加料金を取るわけではありません。それでも私はケチって、と言うのか自転車の置く場所も気がかりなので、ときどき覗く必要もありました。結果として入館したときは21時になっていました。
ところで、この日の夕方になると突然、寒波のような寒さが襲ってきました。冬突入の予兆のようです。その寒さは、薄着をしていたこともあり震え上がるほどでした。幸いユニクロ店がありましたので、すぐ長袖のシャツを3着買いました。この日を境にして、一気に寒くなったものです。
夕食は、寒かったのでラーメンを食べることにしました。それが大当たり、私はラーメンはいつも味噌味ですが、コクがあり、だしも良くでていました。ほんとに美味しかったですね。なんといっても温まることが出来たのが良かった。
温泉に入館したのが21時でした。10時間ゆったりコースで1,600円、これに深夜料金500円が加算されます。時間延長料金が1時間に付き、200円が必要でした。
朝風呂に6時に入り、7時前に退館しました。ここも良かったですよ。
呉を7時前に出発。昨夜、突然襲った寒波の余韻で、朝の冷え込みもこれまでとは桁違いでした。早速、昨夜買った長袖を重ね着するほどでした。
街を少し走ると長いトンネルを抜けます(ここのトンネルは、歩行者を排気ガスと騒音から守るため、歩道と車道の間に、透明のアクリル板で仕切られていました)。呉市街ともお別れです。呉の町は想像以上に発展した町でした。
ところで朝起きるとなんだか頭の芯が少し痛みます。それにやけに寒気もします。明らかに風邪の前兆のようです。パン食の後すぐパブロンと風邪用のドリンクを飲んでおきました。昨夜の寒さが堪えたようです。北海道以来の風邪薬の服用となりました。
この日はいよいよ四国上陸のため、まず尾道を目指します。この道も比較的平坦でした。
尾道に着いたのが14時50分でした。ま、この時点では予定通りの走行です。尾道駅の国道の傍に向島に渡るターミナルがあり、その傍に桟橋があります。そこから小さな船に乗って向島に渡ります。尾道から対岸の向島に渡るための船が頻繁に運行されています。乗船時間を気にする必要はありません。
<尾道~今治までのルート>
①尾道~船~向島
②向島~橋(因島大橋)~因島
③因島~橋(生口橋)~生口島
④生口島~橋(多々羅大橋)~大三島
⑤大三島~橋(大三島橋)~伯方島
⑥伯方島~橋(大島大橋)~大島
⑦大島~橋(来島海峡大橋)~今治
向島に着いたのが15時05分でした。本来は、ここから四つ目にあたる大三島まで走るはずでした。そうすれば島内に「道の駅今治市多々羅しまなみ公園」がありますので、そこで夜を明かす予定でした。ところが三つ目にあたる生口島を走りだすと、すでに薄暗くなってきました。島であるうえに慣れない土地です。ちょとヤバい雰囲気になりかけてきました。
それでも進む以外手段がありませんので走っていると、お手洗いが目にとまりましたので、とにかく手洗いのために立ち止りました(左の写真)。用足しを済ませて外へ出ると、隣に部屋のあることに気付きました。覗いてみると、なんと休憩所になっているではありませんか。中へ入ると中央に台座もあり、そのうえ蛍光灯まで使えます。驚きました。願ってもない場所です。これ以上走ると、真っ暗な田舎道を走ることになりますので、ヤバい条件でした。すぐさま走行を中止して、ここで寝ることにしたのです。
夜になるとかなり冷え込みも厳しくなってきたので、ほんとに助かりました。思わぬ神の助けとなりました。