「自転車で日本一周の旅」、鹿島立ちの日です。自宅を出発後、初テント設営の夜でもあります。「道の駅」で寝ることの知識を持たないままの出発でした。つまり、海水浴場を中心としたテント暮らしの知識しか持ち合わせていません。考えてみると、なんとも無思慮な旅立ちであったことか、自身唖然とする思いです。
自宅を出発して和歌山市街を抜けると、海南市へ入りました。地元であるといっても過言でないはずの町で、この日、早くも迷い込んでしまいました。すると、このとき突然、梅雨独特の強い雨が降ってきました。傍にガソリンスタンドが目に付いたので立ち寄り、一声かけた後、雨宿りをさせていただくことにしました。
ここで初めて気付いたわけですが、白浜へ向かっていつもりが、真逆方向となる高野山側へ向かっていたのです。どうやら気付かないまま走っていたようです。原因は、ロータリーで進む方向を間違えてしまったようです。頭の羅針盤が狂っていたのですね。
雨宿りをしているとGS店員の青年が私の傍へ歩み寄って来ました。私が日本一周を目指していることを知ると彼が「ブログをしていますので写真を撮らせてもらって、写真をブログに載せてもいいでしょうか」と問いかけてきました。雨宿りをさせてもらっている手前、「いいですよ」と答えると、すぐ「パチリ」でした。
通り雨だったのか、少しすると幸い雨も上がりました。再出発です。数箇所の峠を越えながら田辺市街の手前まで辿り着くと、「かんぽの宿 紀伊田辺」が目に留まりました。そこで入浴と食事・洗濯のすべてを済ませることにしたのです。この時点の私には、まだ、まだ、経済観念が乏しくて贅沢さが消えていません。
かんぽの宿を後にすると、外は既に真っ暗でした。テント設営の場所がないので、とにかく白浜の海水浴場まで行くしかありません。田辺市街を通り過ぎるとコンビニが目についたので、休憩を兼ねて立ち寄ることにしました。
ところが、出発した後、休憩した場所で大切なヘルメットを置き忘れてしまった事に気づいたのです。白浜方面へと進んでいたわけですが、ヘルメットを置き忘れた田辺市街の手前まで、夜道を引き返しました。ところが、忘れたはずのコンビニの場所に大切なヘルメットは見当たりません。先の思いやられる旅立ちの初日になりました。
時間も深夜になりました。走行していると白浜の手前に新しくできた「白浜温泉とれとれの湯」が目に留まりました。広い駐車場があります。そこでテント設営許可を得るため、お店を伺いました。でも深夜なので当然どなたもおられません。
こうなれば広い駐車場の隅っこにテントを無断で設営するしかありません。テントを設営していると、従業員と思われる3人の方が車でお店に戻ってきたではありませんか。そこで、お願いの言葉をかけたものの、残念ながら許可の言葉を頂くことができません。設営しかけたテントをしぶしぶ収納したものです。やむを得ず少し先の白浜海水浴場まで移動するしかありません。気を引き締めての再出発でした。
白浜に着くと時間は既に、深夜の1時30分を過ぎていました。海水浴場の離れに松林の砂場がありましたので、そこで野営をすることにしました。傍にはコンビニもあります。コンビニに出向くと和歌山県有田市から車で遊びで来ている青年と出会いました。青年と1時間ほど話が弾み、三重県松阪市へ向かう道のりについての情報を得ることができました。この後、傍にある松林でテントの設営したのです(写真)。
結局、仮眠に入った時は3時を過ぎていました。それでも翌朝の4時過ぎには起床でしたので、ほとんど寝ないままの出発でした。なんのためのテントなんだ~。こんな夜でした。
昨日の昼、一時的に降った雨も上がり、この日は、一変して真夏に近いほどの太陽が照りつけます。白浜から三重県松阪市へと続く国道42号線は、アップダウンの連続に加えて暑さが襲いかかります。自転車に満載の状態で走るわけですから、精根尽きた感じでした。
ヘルメットを紛失したので、沿岸の町を通るたびに「自転車店がないかなぁ~?」と気に留めながら走行したものです。が、さすがに私の必要とするヘルメットを手に入れることができません。安全走行を考えると、どうしてもヘルメットが必要です。それに、ヘルメットは以外にも暑さ防止対策にもなります。
厳しい暑さから逃れるため沢を見つけると立ち止まり、そこから流れる自然の冷水をタオルに浸して、頭の上に絞り出しては涼を求めたものです。爺が熱中症から逃れるための秘訣でした。熱中症にかかることなく、体調を崩すことなく進行できた“特効薬”であったように思います。
この日の目的地は、橋杭岩で有名な和歌山県串本町内にある「荒船キャンプランド」です。まず串本町内にある串本温泉で入浴。この場所からキャンプ場までは、まだ少々走る必要があります。ところが計算を誤りキャンプ場手前で真っ暗になってしまいました。目的地に着いた時は午後8時になっていましたから。
キャンプ場が近くなると、未舗装の細い林道を通る必要があります。でも真っ暗でさっぱり分かりません。たまたま地元の方を見かけたのでキャンプ場を訪ねると、「そこの丘にある道へ入って行きなさい」と指をさしますが、暗いこともあり、私にはどう見ても道路とは思えません。見えるのは、一面が森でした。
自転車に乗ることもできない未舗装で石ころがむき出しの上り坂へと進みました。周囲がスギ林のような木で覆われたうっそうとした林道です。「この道、ほんとかよ・・・」と疑念を抱きながら走行したものです。でも、教えを頂いたとおりに進むと、なんとか着くことが出来ました。忘れることのできない夜道でした。
キャンプ場に着きました。広いキャンプ場の一角に管理人のお住まいがあります。伺ったものの既に消灯しています。時間の遅いのに加えて予約も入れていません。それに梅雨時です。仕方がないので手続を諦めた上で「ま、朝でもいいか、」と広い芝生内で勝手に手探り状態でテントの設営に取り掛かっていると、管理人ご夫妻が驚いた様子で慌てて出てきました。それはそうですよね。私の考えが浅はかでした。
事情説明をすると、朝が早いのでとりあえず事務所へ出向き、手続きを済ませると同時に料金を支払うとあとは爆睡でした。このとき見詰めた夜空は、悠久の時間を思わせる満天の星が広がっていました。これほどまでに星があるのか、と思えるほどでした。大阪では見られないほどの満天の星空でした。得した~の気分でしたから。
昨夜の星空が嘘のように一変して、早朝を迎えると雷雨の空模様になりました。慌ててテントを収納したものです。収納と同時に雨が降り出しました。えらいことゃ~そのような早朝でした。
出発と同時に篠突く雨です。進む前方から顔面をめがけて、雨が容赦なく叩きつけてきます。それに雨が目に入ってくるのが辛かったものです。まるでバケツをひっくり返したかのような雨です。でも、走りながら「負けてたまるか!」と雄たけびをしながら走ったものです。ほとんど狂気ざたです。それでも、炎天下よりも、雨の中を走る方が快適に走れることに気付たものです。
新宮市街を通り抜ける七里御浜の一角に「道の駅紀宝町ウミガメ公園」があります。ここで小休憩をしました。道の駅で上着を脱いで搾ると、まるで洗った雑巾を搾るときに滴り落ちるのと同じ状況です。この時点になってもまだ私には、道の駅で寝ることの認識がありませんでした。その知識があれば、間違いなくここで留まっていたはずです。
道の駅を少し進むと砂浜に座礁したフェリーがあるはずす。それを写真に収めようと思っていたものの、とてもではありませんが撮れる環境ではありません。座礁したフェリーは、かなり解体されていましたが確かに砂浜に残骸の痕跡が見て取れました。
熊野市から尾鷲市へ至る道は、かなりの峠を越えなくてはなりません。雨の中、麓手前から山頂を見上げると、滝のように雨が流れている様子が見て取れました。山肌から流れ落ちる水量は、中途半端ではありません。
峠へ入ったものの私の脚力では、きつい勾配を上ることは到底できません。自転車を押しながら歩いていると、きつい勾配のある道を滝のように雨水が足元を容赦なく流れてきます。その一方で、歩いても歩いても頂上に着くことができません。
途中、道路工事中の現場に差し掛かると、そこに警備員の方がおられたので、「峠までは、まだどのくらいありますか」と尋ねると、「もう少しでトンネルがあるので、そこが頂上ですよ。それよりも貴方、風邪をひきますよ」と、ずぶ濡れになっている私の姿を見た警備員さんが驚いた様子で、私の体調を気遣ってくれたほどです。
問題は下りに入ってからでした。上りはエネルギーを使うので寒さも気になりません。が、下りに入ると体力を使いません。すると、ずぶ濡れの体に風が吹き付けてくるので、あっという間に体温の下がってくるのが分かります。寒さに震えあがりました。ま、それにしても、よくぞ雷が鳴らなかったものだと安堵したものです。この旅を通じてまたもや忘れることのできない、この日の走行でした。
それにしても、このルートは、長いトンネルが待ち構えていました。
尾鷲市街へ着くと目的の「シティホテル望月」に掛け込みました。比較的、駅に近いところです。カウンターで手続きを済ませると、私の立っていた足元を見ると、”失禁”でもしたかのように滴がたまっているではありませんか。ずぶ濡れの私を見て、宿の方がよくぞ泊めてくれたものです。
手続きを済ませると、すぐお風呂に入りました。そのあと、外で洗濯を済ませると、宿の向かいにある食堂で夕食をすることにしました。ここのママと随分話が弾みました。以前、神戸の青年がやはり日本一周の途中で立ち寄ったことの話等を聞きしました。帰りには、お水まで頂きました。ここで「鳥羽方向へ向かう沿岸線を走るのはやめておきなさい。地元の方でも車であまり走らないよ」との忠告を受けましたので、若干、走行ルートの修正をすることにしたものです。
左の写真は、三重県松阪駅舎の軒下から駅前を眺めたものです。この日の移動は、昨日と打って変わって、これがまた暑い一日でした。前日ほどの峠越えではありませんが、それでも上り坂を目指さなければならない峠がありました。暑さと上り坂の二重苦の闘いでした。
移動途中、上り坂で沢を見つけると、いつものように冷水でタオルを濡らして頭から水を掛けるほどでした。こうなると人間、きれい、汚い等一切考えません。とにかく61歳ですから前進するのが精一杯です。熱中症対策として、このような行為を2~3回行ったでしょうか。頭から水を掛けると、これがなんともいえない心地になります。頭から体に向かって、電流でも伝わるかのようです。冷却効果抜群でした。
松阪市街に着くと、紛失したヘルメットを買うためいち早く自転車店に向かいました。日差しを避ける観点から、更には安全面のためにも、あるいは前方から吹き付けてくる雨よけのためにも、どうしてもヘルメットが必要でした。松阪市外に着くと待望のヘルメットを買うことができたのです。
用件を済ませると、この日の夜は松阪駅舎の軒先でごろ寝をすることにしました。駅前には交番もありますので、「これは安心だ、」と思いきや、深夜一度も警察官の姿を見ることもありませんでした。都会の駅舎で野宿をすることは無理があるようで、この夜は、結局じっと座ったままでの姿勢で一夜を明かしました。
以後、安易な気持ちで駅舎で寝るのは、睡眠不足になるので極力避けることを心に誓ったものです。
この日は、松阪駅から国道23号線を通り、津市から四日市へと向かいました。ところが、この道が四日市を過ぎた頃からだったでしょうか、気付かないうちに、なんとバイパスに変わっているではありませんか。ある程度走った後だと、自転車といえども、危なくて引き返すことができません。とにかく次の出口で降りる以外方法がないのでそのまま走っていると、40歳代と思われる自動二輪車に乗った男性に追い抜きざま、辛辣な口調で怒られてしまいました。「こちらも好き好んで走ってるのと違う、」と心の中で訴えましたよ。できれば、「ここは自転車は通れないよ。気を付けてね」と、親切な一言がほしかったものです。
それにしても、自転車・歩行者の進入禁止標識が全然目に留まりませんでした。
命からがらの思いで一般道路に出ることが出来ました。生き地獄の心境とはこのことです。名古屋市街を抜けると天候も雨に一変しました。またもや大雨の中での走行を強いられることになったのです。
本来は知多半島も走り抜けるべきところですが、このコースへ入っても寝床の目処がついていないうえに雨です。寝場所に困るので、心のなかで回る余裕など全くありません。道の駅を使う要領を心得ていたなら、必ず立ち寄っていたはずですが。
とにかくこの日の夜は、ビジネスホテルで寝ることを考えながら走りました。そこは豊橋市街、駅近くにある「東横イン」でした。ここに着いたときもやはり、ずぶ濡れでした。それでも着いたときは、ホッとしたものです。
何とか雨の降らない一日でした。移動先は、愛知県豊橋市から静岡県御前崎灯台です。特段、寝る場所を決めていたわけではありません。とりあえず御前崎灯台付近でのテント設営を考えていたのです。
浜松市内を快調なペースで走っているときでした。コンビニに立ち寄り再出発後、間もなくすると、なんだか嫌な予感がしました。すると、そのあとすぐタイヤが「べしゃ~」となり、アッと言う間に空気が抜けてしまいました。旅を通じて初めてのパンクです。先ほど立ち寄ったコンビニの駐車場まで引き返しました。
コンビニの駐車場で修理をしたものの最後の空気がどうしても入りません。そんな悪戦苦闘する私の姿を見たトラックの運転手の方が声をかけてくれました。「車にすべてを乗せて近くの自転車店まで連れて行ってあげる」というものです。思いがけない助け舟です。このときの私は、心底困っていましたから、ほんとに嬉しかったですね。
辿りついたのが浜松市新橋町にある「丸亀自動車販売店」でした(内陸側)。自動車修理&自転車販売を営業している会社です。自転車販売店の担当者がたまたま留守でしたので、修理工場の方にお願をしました。ところがこの方、もしかすると仕事が忙しかったので虫の居所が悪かったのでしょうか? 怪訝(けげん)な顔つきでした。でも、事務所に女性の方が2~3名座っていましたが、とても親切でしたが。
それにしても、ここの自転車販売店、二階建てのうえ、素晴らしい自転車が沢山置いてありました。
パンクの後、どうしようか?と悩んでいましたので、それにしても助かりました。こんなにもタイミングよく親切な方に出会えるなんて、単なる偶然でないような思いを抱きました。感謝感激の気持ちでした。
次に辿りついたのが御前崎灯台でした。灯台近くの駐車場一角で野営の準備に取り掛かっていたところ、怪しい雲行きになってきました。すると、突然、雷まで鳴り出す天候へと変わりました。広げかけたテントを慌てて収納。行くあてがあった訳ではありませんが、とにかく場所移動することにしました。
あてもなく移動していると、御前崎に「海鮮なぶら市場」の店が目に付きました(左・写真)。広い軒先があるうえに長椅子まであります。それに自動販売機があるので、その明りで幸い暗闇の状態から逃れることも出来ます。即刻、今夜の寝床に決めました。なんともタイミングの良いことでしょうか。
長椅子を並べて、その下で蚊取り線香を焚き、あとは寝袋で寝るだけの状態です。さて、寝ようか、とその体制に入ると、私の寝ようとした長椅子の傍に一台のパトカーが止まりました。
二人の警察官が車から降りてきました。そこから私の気分を害しないように、それとなく上手な職務質問が始りました。私も説明するのが面倒くさいので、自ら免許証を提示して身分を明かしたのです。警察官もこれで職務が全うできた、と安堵したのか、そのあと地元で食べられる美味しいお店の情報提供をしてくれるほどに話が弾みました。さすがに職質の仕方が上手でしたね。すっかり乗せられてしまったようで、私も随分しゃべったように思います。
最後に、「建物の裏側で寝たら」との警察官の助言もありましたが、雨が降るかもしれない天候では野営もできません。恐らく治安のことを考慮しての助言だったのでしょう。
深夜に入ると、雨も降りだしました。神の助けもあり、幸い広い屋根のある下なので、いくら雨が降っても濡れる心配だけはありません。素晴らしい場所に出くわしたものです。
こうして一日を振り返ってみると、なんだか幸運に恵まれていたことに気付かされたものです。
焼津駅を通過して国道416号線を横浜方面へ進むと、大崩海岸に出ます。その名のとおり、がけ崩れがいつ起きても不思議でないほどに危険を感じるような道でした。のり面には、落石防止の金網が張り巡らされていますが、その金網も年代を感じさせるほどに錆ついています。反対側は断崖絶壁の続く海岸線です(焼津駅を過ぎたところで、日本坂トンネルの周辺になります)。
この場所の手前でしたが「かんぽの宿焼津」が目に留まりましたので、そこで「お風呂に入ろう」と思い小高い丘にある宿まで足を運んだものの、まだ入浴の時間になっていません。待つのも面倒なので諦めて立ち去りました。そのとき地元の方が「厳しい道だよ・・・」との助言もありましたが、アップダウンはほぼないものの確かに嫌な道でした。
この日は夜になるまで、なんとか雨も降りませんでした。ただ、寝床の目処が全く決まっていません。とりあえず地図上では、静岡県沼津市原町中の町内に「天然温泉ざぶ~ん」のあることが確認できていました。なので、そこで風呂に入ることだけを考えての移動でした。「ま、なんとかなるさ」、そんな感じでした。
目的周辺に着くと、コンビニがあったので、そこに立ち寄りました。そこで年配の男性に温泉の所在を確認すると、親切な地元の方でしたが軽トラックで先行したうえで、私を温泉まで誘導してくれたのです(写真は温泉の休憩室です)。おまけにコインランドリーまで教えてくれました。親切な方でした。
この日の夜は、寝床が確定できてなかったので、午前2時まで温泉で粘りました。閉店間際ですが外に出ると大雨です。このとき温泉の1階で別の勤務をしている若い女性と15分ほどお喋り、「日本一周をしている方に初めて出会いました。勇気を頂きました。ありがとう・・・」の言葉を頂き、お別れをしました。
その後は、温泉の斜め向かいにマクドのあることを確認していたので、とりあえずそこへ入り、店員さんにお願いをしたうえで夜の明けるのを待ったものです。眠かったな~
夜明けと同時に昨夜確認をしていたコインランドリーへ向かいました。コインランドリーでは、私よりも年配の男性との出会いがあり、この方がまた親切な方で様々な情報を提供してくれました。
深夜から降り出したと思われる雨は、出発したあとも雨が降り続いていました。けれども、天候も徐々に回復の兆しがあり、駿河湾に沿って快調な走行でした。
ところが、沼津駅を過ぎて国道414号線を走ると、江浦湾に出ます。ここにある多比第二トンネルを抜けると口野橋交差点に出ます。つまり、伊豆半島入口にあたる場所になります。この交差点を右折すると、急に自転車が重くなり、進むことができなくなりました。「おかしいな? なんでだろう?」と確認をしてみると、なんと、荷台のフレムー支柱が折れているではありませんか。支えをなくしたため、荷台の荷物が泥除けを抑えつけています。そのことがブレーキとなり動けなくなっていたのです。最大の原因は、支柱を止めてあるネジが緩み、欠落したことです。この時点で「ああ、日本一周が出来なくなった、」と一瞬、諦めたものです。
とにかく、すべてを自宅に搬送する必要があります。そこで、周辺を見渡してみると、海岸そばに立つご夫妻が目に留まりました。駆けつけて、事情を説明したうえで、宅配のできる方法がないかにつての情報を求めました。ご夫妻は、国道沿いで「商い家(左写真)」の民宿を営まれていました。
このお店は、偶然にもプロの競輪選手がよく利用されていることを知りました。その関係で、ご主人が「自転車に詳しい方を知っているから、そこで修理が出来るかもしれないから連れて行ってあげる」と言って、お店の軽トラに自転車を乗せて知人のお宅へと向かってくれたのです。
しかし、フレームがアルミのため残念ながら溶接修理ができません。予備の荷台もありましたが、私の自転車には合致しないので諦める以外仕方がありません。完全に諦めているとご主人が、少し離れに自転車専門店があるから、と次はそちらへ移動してくれたのです。大きなお店でしたが、さすがに予備の荷台までは置いてません。取り寄せるとしても一週間必要であることも明かになりましたので、この時点で一旦、帰宅する以外に選択の余地がなくなりました。
随分ご親切にしていただきましたが、お店を通じてすべての物を自宅へ宅配していただくことにしました。このあと私は、新幹線で帰宅することになったのです。この日からちょうど一週間のブランク、なんとも気の重い一日でした。
再出発するのに、ちょうど一週間を要しました。同じ場所から出発するため、「商い家」さんにお願いをしておきましたので、再度、すべてのものを「商い家」へ宅配させていただきました。7月21日の朝、私は新幹線でお店を伺いました。自転車がお店に届いたのが13時でした。すぐ荷造りの後13時50分には再出発をすることができました。真夏で太陽の照りつける、とにかく暑い日でした。真夏本番です。
目指す先は、伊豆市土肥海水浴場です。伊豆半島、走行の初日でしたがとにかくアップダウンの連続で、半日の走行でしたが厳しい道のりでした。おまけに本格的な暑さの訪れです。またもや沢の水を頭にかぶせるなどしながらの移動でした。
炎天下のなかをなんとか目的地である「土肥海水浴場」へたどり着きました。左の写真は、海水浴場そばにある防風林(松原公園)内の一角で野営をしたものです。
実は、この海水浴場の手前にもう一箇所、別の海水浴場がありましたので再度そちらへ引き返していると、バイクで走る警察官を目にしました。そのとき突然、花火の音が「ば~ん」と聞こえてきました。目指していた海水浴場から打ち上げられた花火です。これはだめだ、と思い引き返しました。
引き返したそのすぐあとです。写真の松林で「さて、どこでテントを設営しようか・・・」とキョロキョロしている私の不審な行動を察知したようで、私の傍へ若い警察官が来ました。それは先ほどバイクで見かけた警察官でした。どうやら私が警察官を見てから引き返した、と思ったのでしょうか?
職務上、止むをえない行為ですが、しかし自転車を見れば、およそのことは判断出来ると思うのですが。この旅、二度目の職質を受けることになりました。とほほ~
写真の場所については、予め警察官に事情説明をしたうえでのテント設営したものです。この近くに「黄金の湯」の温泉がありましたので、そこで入浴を済ませることもできました。
テント設営場所は、松林を背景にして美しい砂浜の海水浴場でした。夏の海はいいですね。それにしても、伊豆半島は美しい海岸の多いところです。
昨夜の場所を6時ジャストに出発。途中、石廊崎灯台にも立ち寄りながら、この日の目的地である南伊豆町内にある「弓ヶ浜海水浴場」を目指しました。
石廊崎灯台を更に海辺に下ると、大きな岩が海面にせり出したところがあります。独特な形状をした岩場ですが、その先端まで歩いて行けるようになっています。また、この“岩場の根っこのところ”にくぼみのある部分がありますが、そこには神社が祭られています。素晴らしい景勝地でした。立ち寄るには面倒くささもありましたが、立ち寄って良かったと思ったものです。
この日も、なんだかんだと思いながらも目的地に着くことができました。
左の写真は、南伊豆町内にある「弓ヶ浜海水浴場」です。砂浜でのテント設営は、テントの中に砂が入るので、本当は嫌でした。それと、多くの海水浴場について言えることですが、若者がたむろして騒ぎ立てるので、場所的にもあまりお勧めできません。ただ、この伊豆半島で二晩目となるこの日の夜ですが、静かで安心して眠ることができました。
それにしても伊豆半島は、アップダウンが続くので、自転車に荷物を載せて走る者にとっては恐怖を感じる道でしかありません。
走ってみて伊豆半島のアップダウンの厳しさを改めて実感しました。それに加えて暑さが私を容赦なく襲ってきます。とにかく上り坂での炎天下を回避するためには、早朝出発することが最大の条件でした。それでも8時になると照りつける日差しはで背中を刺すように熱くなるほどでした。なので、この時点での気温がすでにかなり上昇していることを実感したものです。
あまりの暑さにたまりかねて、走行中の峠で、幾度となく座り込みました。時には登り坂の木陰のある道端で野良猫のように「ゴロン」と寝ることさえもありました。あの暑さだけは忘れることが出来ません。
とにかく連日の猛暑に加えて、アップダウンの連続です。暑さに輪を掛けるかのように、「ジャ~ン、ジャ~ン」とセミがけたたましいほどの大合唱が交じり、さすがに疲れもピークに達していました。
すると、この旅を通じて初めてライダーハウスを発見しました。一泊700円ほどだったことから、その誘惑に負けそうになり、「今日はここで泊ろうか・・・」とさえ思えるほどでした。それでも、峠を上る途中で木陰を見つけては休憩を繰り返し、熱中症に気をつけながら、とにかく踏ん張ったものです。
この日は、伊東市内に入ると、地元の方に温泉の場所を聞き出してから、そこへ向かいました。この日の夜は、「オレンジビーチ海水浴場」の砂浜での野営でした。その海水浴場手前の町内にある「和田の大湯」で入浴。ついでに食堂で夕食を済ませてると海水浴場へ移動しました。いつも思うことですが結構、定料金の温泉施設のあることに、地元の方への羨ましさを感じたものです。住民の皆さん、なんとも贅沢な生活を送られていますね。
ここもまた綺麗なビーチでしたね。
この日の移動は、鎌倉市内の海岸にある由比が浜海水浴場です。走行途中「片瀬海岸西浜海水浴場」に立ち寄ってみました。有名な海水浴場ですが、この日は、テレビで見るほど大勢の海水浴客で賑わっているわけではありませんでした。暫らく「ぼ~っと」眺めていたものです。
この日は、やっとの思いで伊豆半島から脱出することができました。伊豆半島走行は悪夢でした。相模湾に沿って走ると稲村ケ崎があります。そのそばに「稲村ケ崎温泉」がありましたので、そこで入浴です。ところが、この日は土曜日ということもあり、海水浴場を利用したお客さんがこれでもかとばかりに温泉に押し掛けてきたため、館内は大混雑でした。脱衣場も浴室も入り乱れていました。
ここの温泉、なぜか、やけに入浴料金が高かったですね。どうしてなんでしょうか。設備やスペースも驚くほど優れているわけでもありません。入浴料金がなんと、1300円もしました。館内でゆったり出来るスペースがある場合は、この値段が妥当であると思います。この日の私は、慌てていたのでそれほど館内を調べたわけではありません。それにしても、他の施設と比較すると高い料金だと思いました。
写真は、野営場所となる海水浴場です。都会に近い海水浴場なので致し方ありませんが、伊豆半島沿岸にある海水浴場の砂浜があまりにも綺麗でしたので、この日、野営することにした「由比が浜海水浴場」の砂浜は、やや見劣りがしたものです。
さて、この日の野営場所ですが、海水浴場のすぐそばを国道134号線が並行しています。問題は夜間になると、暴走族が爆音をとどろかせて派手に走るではありませんか。「これはやばい」と思い、防潮堤のそばにテントを設営しました。要するに、国道から走るバイクの視界からテントの存在が入らない位置に設営したのです。
まぁ、何事もなく一夜を明かすことが出来ましたが、けたたましいほどのバイクの爆音に悩まされました。う~、都会に近いところでの野営は、やばいと実感したものです。
海水浴場を出発する朝でしたが、波打ち際に向けてシーカヤックを引っ張っている私よりも年配の男性を見かけました。話しかけてみると、これから魚釣りに行くところでした。私も乗ってみたい気分になったものです。
この方いわく「人間いつ死ぬか分からないから、楽しまないとだめだよ。あなたも楽しんでいるんでしょ」。このようなやり取りをしたものです。
この日は、いよいよ東京都内に入り込む記念すべき日です。
この日もよく走りましたね。三浦半島をぐる~と周回してから国道15号線を走ると、横浜市街にある「コスモワールド」にたどり着きました。ここには観光専用に「日本丸」が係留されています。その傍で小休憩のあと更に前進したものです。
横浜市内も「コスモワールド」周辺もうまく通り抜けると、あとは比較的、苦労することなく都内へたどり着くことが出来ました。それでも暑さだけは辛かったですね。都会独特のアスファルトから照り返す熱気に悩まされたものです。まさに横浜市街地を走る時がそうでした。
国道15号線を走り続けると、多摩川に架かる六郷橋を渡り、東京都大田区へ入ったのが14時でした。ついに都内に入り込んだ瞬間でもあります。
都内を更に進み品川駅前を通ると、いよいよ銀座へと突き進むことが出来ました。この日の銀座は「歩行者天国」の日です。以前、東京を訪れた時も、やはり歩行者天国の日でしたが、どうやら私には、歩行者天国には縁があるようです。
ただこの日は、自転車に荷物を満載、それも爺のすることですから、見てくれなどお構いなしの格好です。ま、恥を忍んで、ぬけぬけと、ドヤ顔をしたまま自転車を押して銀座を歩きました。それにしても、まさか銀座のど真ん中を積載自転車を引っ張りながら通り抜けるとは、思ってもみなかったことです。
ここから東京駅前を通り、本当は、千葉県内に入り、どこかの海岸で寝よう、そんなふうに考えての走行でした。途中、江戸川区内で道路工事中の警備員さんに情報を求めたところ、どうも寝れるところがありません。このまま進むと日が暮れることになります。なのでこの周辺で留まることにしました。
辿り着いたのが東京都江戸川区船堀にある「東京健康ランド(24時間営業)」でした。なんとかこの日の寝床が確保できた瞬間でした。それにしても、まさか都内の健康ランドで泊れるなんて予想外のことでした。
出発の朝、江戸川区内のコインランドリーで洗濯をしていると、北海道出身で都内在住の女性と話す機会がありました。彼女は「東京で何十年も住んでいますが、暑さだけは今でも慣れません・・・」と、この夏の暑さに悲鳴を上げていました。
とにかく朝から都会独特の蒸し暑さを体感するほどでした。北海道出身の方にとっては、耐えがたい暑さであることは確かです。
洗濯の後、千葉県内の臨海線を走っていると、お店の敷地の清掃に勤しむ姿の外人さんと、お互いの視線が合いました。私は彼の傍まで行くと立ち止まりました。彼はオーストラリア出身でしたが、時々友人を頼ってこの地を訪れているそうでした。この日は、友人のお店のお手伝いで、敷地の雑草を抜いているところでした。
彼は気さくな方で話が結構、弾みました。自転車談義のなかで様々な助言を頂きました。この方もすでに日本一周をされていることを知り、驚きました。敷地内には、専用の自転車が置かれています。よく見ると前輪にも荷物が積載できる設備があります。彼は私の自転車を見ると、「後輪だけに荷物を載せるとスポークがおれるから、前後輪に分けて載せなさい」と、的確な助言をしてくれたのです。
「スポークが折れる」、このことばの重みを実感した瞬間でした。私の認識不足でした。なので本来は、荷物を前後輪に分けて積載する装備のある自転車に乗るべきだったのです。後悔、先に立たずでした。私よりも年配と判断したのですが、本当によく話し込み、そのあと記念写真を撮ってから別れました。
さて、写真は、千葉県君津市内にあるネットカフェです。この日は、千葉県富津市内にある青堀温泉で入浴をしました。入浴の時は既に夕暮れです。露天風呂の中で、近くに住む30歳前半の男性ともう一人、関東から家族で旅行中の男性の3人で、私の日本一周の旅について話が盛り上がりました。
そうこうしているうちに雷が鳴り出しました。本当は近くの海岸でテントを設営するつもりでした。「これは困った?」と、私の事情を知った30歳の男性が、「おれん家で泊るか、」と嬉しい言葉をかけて頂きましたが、まさか「ハイ」とは言えません。すると青年が「近くにジャスコがあるから、そこで寝る。車に自転車を載せてあげるから」。と別の提案をしてくれたのです。
お風呂から出ると、彼の軽トラに自転車を乗せて近くにあるイオン店に向かいました。私はお店の軒先で寝るつもりでしたが、でもやはり警備員のことが脳裏に浮かびました。
すると移動途中、ネットカフェの看板(左写真)が目にとまったのですぐ、そこに誘導していただきました。私にとって願ったり叶ったり、の有難い心境でした。同時にネットカフェを宿代わりにしたのも、これが初めての体験でした。
手続きを済ませると、私の今夜の大切な寝床になる部屋へ案内されました。小さな空間の一角には、当然PCも備えてあります。でも私は、PCを触る気持ちは一切ありません。寝ることだけのことしか考えていません。とりあえず寝るだけの空間は十分あります。
受付の少し離れには数種類の飲み物が備えてあります。勿論、飲み放題です。だからと言って冷房の利きすぎる館内で、冷たいジュースを二杯も三杯も飲めるはずがありません。また、これでもかとばかりの膨大なマンガの本が本棚に揃えてあります。
とりあえず仮眠するだけの空間は十分あります。室内にあるのは、備え付けのひざ掛け程度の薄い毛布が一枚あるだけです。冷房が利きすぎているため寒くて眠れません。それでも家の中で寝られる、それだけでも幸せ気分でしたから。
昨夜の君津市内のネットカフェを早朝に出発。君津漁港手前を迂回し、海岸線の国道をひたすら北上しました。ただ本線に出るのに少々苦労したものです。
この時点になっても私の頭には、まだ「道の駅」の存在が思い浮かびません。なので地図を頼りに海水浴場を見つけては、極力そこでテントを設営しながらの移動でした。この日も行きついたのが、鴨川市内にある前原海水浴場でした。
海水浴場に着き、「さて、どこにテントを設営しようか・・・」と迷っていると、神戸市出身の男性との出会いがありました。結構、長話をしました。彼は一旦、私の場を離れたので帰宅したと思っていたのですが、なんとビールを買って引き返してきたではありませんか。ビールを買うため場を離れたわけです。でも私はアルコールが苦手です。とてもではありませんがお付き合いできません。でも、あの時、無理をしてでも飲むべきだった、と後悔したものです。“空気が読めなかった”ということでしょうか。
彼は奥様から、関西弁を地元で使うことを禁じられているそうでした。職場でも家庭でも孤立状態で困っている心情を打ち明けてくれました。それが、同じ関西人の私と出会ったものだから、はばかることなく、思いきり関西弁で話してくれました。なので彼は、なんともいえない気分になってくれたはずです。でも、本当に悩んでいました。無理して関東人になる必要などないはずです。ガンガン関西弁を使えばいいんですよ。
ところで、間寛平さんが世界一周に旅立つとき、この海水浴場近くにある港から出航したことを、彼の話から知ることが出来ました。いずれにしても、砂浜の美しい海水浴場でした。また彼とお会いしたいな・・・、元気かな・・。
自転車の旅を通じて、九十九里浜にたどり着けば、まず日本一周が可能である。ここまで辿りつけるか否かが、日本一周達成を占ううえでのひとつの目安としていました。辿りつけたことが嬉しかったものです。よし、これでいける! そんなふうに思ったものです。
ところで、九十九里浜へ向かうため、直線車線を交差点で右折しました。このときでした。ここへ来るまでも路肩に砂のあるのを見ていましたので、要注意と認識しながら走行していました。その砂で、この旅を通じて初めての危機に直面したのです。
右折をした直後、前方に目を向けると砂の塊が視界に入ると同時に、反対車線の別の脇道に乗用車が右折を試みて、私と同じライン入ろうとしている様子が確認できました。気を付けなければ、と思うと同時に私と並行するように強引に進入(接近)してきました。これはヤバいと思い、危険を避けるため、やむを得ず自転車を砂のある路肩側へ寄せました。
それが運の悪いことに、一番はじめ目にした砂山に自転車の前輪をはめ込んでしまったのです。同時に自転車のバランスが崩れてしまいました。自転車の転倒を避けるため、とにかく砂山から抜けだしました。と同時に、いつ転倒してもおかしくないほどの蛇行運転に入ったのです。このときの私は、一瞬、転倒する、もう駄目だ、と思ったものです。とにかく転倒寸前の体制をなんとか整えました。よくぞ後続に車が来ていなかったものです。
不思議なことに、すごくバランスを崩したにもかかわらず、転倒せずに済みました。あの時の状況を振り返っても、転倒しなかったのがいまだ不思議としか思えません。あの時転倒していたなら、大怪我をしていたことは間違いありませんし、自転車も破損していたことでしょう。もしもあそこで転倒していたら、走行の継続は不可能でしたし、奇跡でした。
さて、この日は、銚子市までたどり着きたかったのですが、九十九里浜へ入るとかんぽの宿が目に付いたので、そこで入浴を済ませました。そこでゆっくりしすぎたため銚子市まで約11Km残した旭市下永井(県道408号沿い)という海岸の草むらで野営することになりました(左写真)。予定外でした。
とにかく海岸に草むらがありましたので、そこで野営することが出来ました。地元の方から「夏でも、涼しいですよ」とは聞きましたが、いや、涼しいを通り越して寒いほどでした。傍にはコインランドリーがありましたので助かりました。
「水戸ランド温泉ゆ」が閉店になっているのでしょうか、検索ができません。
下記写真です。
この日は、10時ころから雨になりました。特に鹿島サッカースタジアム手前に辿りつくとゲリラ雷雨に襲われました。ここへ来るまでも既にずぶ濡れでしたが、このときの雨の降り方も中途半端ではありません。おまけに雷鳴が轟くので、危なくて進むことが出来ません。たまたまJRの橋梁が目に付きましたので、その下へ避難したほどです。橋梁の下で上着を脱ぎ搾ったものです。
もうすぐ8月なのにそれにしても梅雨時のように、急激な雨の降ることがしばしばあります。昨年もそうでしたが近年、何だかゲリラ雷雨の起こることが各地で頻繁になってきました。やはり異常気象なのかなあ?と考えてしまいます。
やがて雷も止み、雨も小降りになったので、再出発です。このあとすぐ鹿島サッカースタジアムの前を通るわけですが、外から見るスタジアムは立派でした。つい、立ち止まり写真を撮ってみました。試合の時は、かなり盛り上がるのでしょうね。
昨夜野営した場所から銚子市街に入り、そこから犬吠埼灯台へ立ち寄りました。道路はとても整備されていたのですが、結構アップダウンのある道なので帰りは、同じ道を引き返さず、灯台から海岸線を迂回する形で、銚子市街へと戻りました。
犬吠埼灯台前には、お店が数件あります。少し覗き見る程度で、そそくさとその場を立ち去りました。
この日は、水戸市内にある「水戸ランド温泉ゆ(=写真)」で泊りました。本当はここが24時間営業であるとの認識で入店しました。が、それが今は宿泊客だけの利用で24時間営業をされていないことが分かりました。なんでもここの温泉がたまり場になり、利用客が余にも騒ぎたてるので24時間営業を廃止したということでした。でも無理を通して、ロビーにある椅子をお借りして仮眠をさせていただくことができました。
7月29日(木)、 この旅2回目のパンクです。雨が降っていたので、閉鎖店舗の軒下で修理をしました。雨でしたので助かりました。チューブ交換をするので、まずは、車輪を取り外す必要があります。
この日は、両足のふくらはぎを中心としてすごいむくみが出ていました。でも、痛みがある訳でもありません。長距離のため、足に疲れが出てきたのかな・・・?その程度の認識でした。であればこれから続く長い道のりなので、この状態では走れなくなるかもしれない、と判断。昨夜泊った温泉の近くに整骨院の看板が目に留まりましたので訪ねてみました。そこで電気治療をしてからの出発でした。
説明によると「足を下に向ける時間が長いので、血のめぐりが悪くなっている可能性がありますので、寝るときは足を出来るだけ頭の位置よりも高くしてから寝てください」とのことでした。電気治療の後は、とりあえず腫れが引きました。
走行中、逆方向からカナダ人ご夫妻が自転車でやってきました。ここへ来るまでの間よく雨が降っていましたが、このときは幸い雨も止んでいました。ご夫妻は自転車で日本一周をされているところでした。私との出会いをご夫妻が心から喜んでくれました。同じ志の方と出会うと嬉しくなるものです。特に自転車の旅は孤独や気力との闘いの中、日々走っているので、このような出会いはすごく励みになるのです。
ご夫妻は、身振り手振りと英語を交えてのやり取りでした。英語が話せなくても、日本語が話せなくても、なんとでもなるものです。そのあと互いに記念写真を撮り別れました。今頃ご夫妻どうしているのかな?
いわき市勿来(なこそ)駅前まで来ると、「民間交番」がありました。要するに民間の年配の方がボランティアで宿案内等をされているわけです。とても親切な案内をしていただきました。それにしても「民間交番」ですか、素晴らしい発想ですね。
この日の宿泊は、いわき市勿来町にある「勿来温泉関の湯」でした(=左写真)。国道沿いにある立派なホテル兼用の温泉(24時間営業)です。とにかく清潔であるうえに、浴槽も広いし、何といっても仮眠室も良かったですね。それにリクライニングシートが最高でしたよ。もう一泊したくなるほど魅力を感じる施設でした。ぜひ利用してほしいほどの超一級品のホテル&健康ランドでした。
野を越え山越え~、ではありませんが、この日もひたすら走りました。時には、野生のシカを見ることもできました。さすがに東北も東へと進むにつれ、本当の意味での自然豊かさを感じます。
移動途中、塩屋埼灯台を訪れました。故・美空ひばりさんの「みだれ髪」の記念歌碑が、灯台の近くを通る国道6号線沿いにありました。それに灯台へ続く上り坂の途中に「喜びも悲しみも幾歳月」の記念碑もありました。私の小学生当時映画で上映されたことのある思い出深いものです。いずれにせよ故・美空ひばりさんの歌った「みだれ髪」で、この灯台が一躍有名になったことは確かです。結構、観光客が訪れていました。
左の写真は、福島県原町内にある「原町シーサイドパークオートキャンプ場」です。海岸のすぐそばにあります。この日利用した施設です。地図を頼りに行き着きました。着いたときは薄暗くなっていました。この旅を通じて二度目のキャンプ場です。
町営ですが、普通のサイトは結構な値段でした。私は自転車なので駐車場のスペースは必要ありません。一晩テントが設営できればいいだけのことです。でも当然のことですが、すごく高い料金を提示されました。とにかく交渉をしました。単独であるうえに火を使う訳でもありません。単に寝るだけですから。その結果、サイト外の松林であれば、仕方がないので特別に許可します、とのことで、ご覧のようなところでテントを設営することができました。とにかく場所があればどこでもいい訳ですから。やからですね。
同じ敷地内に温泉施設がありましたので、入浴することができました。助かったな。
キャンプ場出発後、それ程走っていない地点の真野川に架かる橋詰で、自転車で南下してきた男性
(58歳)と出会いました。彼も日本一周中で、大阪を出発のあと日本海側を北上して北海道を周回されたあと、太平洋沿岸を南下しているところでした。58歳と言うことでしたが、見た目よりも若かったですね。
彼は交通事故に遭い医師から「歩けなくなるよ・・・」と聞かされたことが切っ掛けとなり、歩けるうちに自転車で日本一周をしよう、と決意されたそうです。それにしてもすごいバイタリティー溢れた方でした。
この日は、在職中、同僚と訪れたことのある「松島」にたどり着きました。多くの観光客で賑わっていました。このとき海岸周辺を見詰めていると、なぜか空しくなってきました。ひとつ言えることは「観光客には、夜、寝る場所があるのに、私にはない・・・」、そのような空しい思いがこみ上げてきたことは確かでした。寝床の決まっていないときは、とにかく不安に襲われるものです。この日の私は、まさにそのような心理状態でした。
空しさから抜け出すため、そそくさと出発したものです。松島を後にして東松島へと移動しました。市内に着くと、「やまとの湯」で入浴。ここでコインランドリーを聞き出したので、そこへ直行しました。時間は既に夕暮れです。でも、この夜の野営場所がまだ決まっていません。それだけにやや不安な気持ちでした。
コインランドリー(左の写真)を訪れると20歳前半の女性が、ドラムに入れた私の洗濯の量を見て「それだけの洗濯は、もったいないですね」、と彼女が、心をこめて同じ言葉を二度繰り返しました。でも私は、「いいえ、洗濯が出来れば、それだけでも助かりますから」とことばを返したものです。
このあと、私が「この近くにテントを設営できるような海岸はありせんか・・・」と、彼女に尋ねてみました。すると彼女が「ここで泊ってください。上司は今、出かけていませんが、大丈夫だと思います」と予想外の言葉が返ってきたではありませんか。
そこで私は、お店の駐車場が広かったので、「もしよろしければ、駐車場の一角でテントを設営させてください。建物の中なんてとんでもないことです。外で十分ですから。それだけでも助かります・・・」とお願いをしてみました。そのうち上司の女性が帰ってきました。すると「・・・どうぞ中で寝てください。恒例のことですから。毎年一名は寝てもらっていますから・・・」と、嬉しいお言葉を、重ねて頂戴したのです。このときの私は、神のお言葉ほどに聞こえたものです。
お言葉に甘えて、この日の夜は、コインランドリーの店内で寝ることが出来ました。ただ午後10時? だったでしょうか?「10時になると自動ロックになりますから、一旦外へ出て扉を閉めると入ることができませんから、それだけ注意してください」と、言い残されると皆さん帰宅されました。おまけにお菓子まで置いてくれました。このような経緯で、この夜の寝床が確保できました。なんとなく心が沈みがちなこの日でしたから、家の中で寝られること自体、奇跡で夢のような出来事でした。
店内には自販機があり、清潔な御手洗いまでありました。なので不自由なく夜を明かすことが出来ました。ほんとに清潔なお店でした。
真心こめて親切にしていただきました。でも、3月11日の震災で、この街も多大な被害を受けていることを報道を通じて知りました。とても心を痛めています。
前日宿泊した「エムズ失本店(コインランドリー)」を出るとき、お礼のメモ書きを残して、早朝に出発しました。ところがペダルを漕ぐと右側股関節が痛みます。この日は、上り坂のあることが予想されるので、この状態で今日の道を乗り切ることは当然不可能です。
これはダメ、と判断した私は、朝一番、急きょ整形外科に行くことを決意しました。この時点でこの日の走行は中止です。地元の方に訪ねてたどり着いたのが、東松山市内にある「わたなべ整形外科(左写真)」でした。月曜日ということもあり、また整形外科専門でしたので病院は患者で満員です。
13時を過ぎたころになるとやっと私の順番になりました。実によく待ったなぁ~。事情説明の上「先生、ここでやめる訳にはいきませんから、痛み止めの注射を打ってください」とお願。早速、股関節の痛みのある筋肉に注射をしていただきました。それに1週間分の痛み止めの薬を頂き病院を跡にしたものです。
診察が終わったのが午後2時前でした。市内にインターネットカフェのあることが分かりましたので、この日の走行は諦めて、そこへ入り込みました。安静を心がけて、とにかく足を動かさないようにしたのです。一連の処置が効を奏したのか、翌朝になると痛みをほとんど感じなくなりました。
無理をして進んでいたなら、どこかで必ずリタイアしていた可能性がありました。時には、気負う心を静止する勇気も必要だと思います。注射一本のおかげで、この日以降の走行でも、股関節が痛むことがありませんでしたから。
この日もすごく暑い一日でした。走行していると、歩道上の木陰のそばで一人の青年が座り込み、地元の年配の女性と話し込んでいるところに出会いました。話しかけてみると、「あまりの暑さに頭がクラクラしてきたので、座っています」とのことでした。少し言葉を交わした後、この青年と別れました。
この日目指す場所は、気仙沼市街にある健康ランドです。今夜はそこで寝ることにしていまいましたので、とにかく健康ランドを目指しました。
施設は気仙沼市街地の一角にあります。街を走っていると、気仙沼市が発展していることを実感しました。施設は24時間営業の小さな温泉です。ここで泊るつもりでしたが、この日は、なぜか先を急ぎたい衝動に駆られて、結局、入浴を済ませると市内の港湾に沿って「道の駅高田松原」へと向かいました。
道の駅まであと少しの地点でコンビニを見つけたので、そこに立ち寄り夕食の弁当を買い、敷地内の一角に腰を据えて食事を済ませました。食事を終えた後、さて出発をしよう、と自転車にまたがると、旅を通じて3回目のパンクをしているではありませんか。すでに薄暗くなっています。でも仕方がありません。駐車場の一角でコンビニの街灯を頼りにしてパンク修理に取り掛かりました。
私の修理する光景を離れから見ていたのか、そばにあるバイク屋のお兄さんが心配になったようで、やって来ました。色々話が弾みました。彼は癌であることも聞きました。どうしているのかな。でも、この町も多大な津波被害を受けています。私の立ち寄った周辺一帯、根こそぎ家屋が津波にさらわれています。
立ち寄ったコンビニの近くには気仙川があり、高田バイパス道を通ると「道の駅高田松原」へと通じています。コンビニどころか、この町全体が津波に飲み込まれたようなので、皆様のことがものすごく心配なのです。
さて、道の駅に着くと、午後7時30分を過ぎていました。道の駅に着くと、なんと、昼間、路肩の木陰で座り込んでいた東京の青年が椅子に座りこんでいます。彼は北海道宗谷岬を目指しているところでした。この夜は、道の駅構内にある芝生で彼と隣り合わせでテントを設営しました(左写真)。このとき彼がテントの中で使うには重宝で小さなランプをくれましたので、私はクマよけのスズをプレゼントしました。
関東の青年とは、道の駅をほぼ同時に出発することでお別れをしました。
夏の東北は、関西の暑さとあまり変わりません。この日もとにかく暑い一日でした。そのようなコンディションのなか、厳しい上り坂を走っている途中、トンネルに入る手前でしたが親切な方に出会いました。私の進行方向から車で走ってきた年配の男性が私の姿に気付いたらしくて、このとき「かなり疲れている?」と感じたのでしょうか、男性の走ってきた途中にコンビニがあったので、そこまで引き返し、氷のかちわりを買ってから私の元まで戻りそれをくれたのです。
かちわりをくれるとき、「しんどくなったら、どこの家でもいいから駆け込みなさい」と気遣いのことばをいただきました。分かれ間際に「お名前を教えてください」と伝えると、「このような人もいるというだけでいいですから」、と告げると立ち去ったのです。忘れることのできないすごく親切な方との出会いでした。
さて、高田松原の町は、幹線道路となる国道45号線を中心とした新しい町並が見受けられます。
この日、目指すところは、「道の駅やまだ」です。ところが道の駅に着くと、どうも野営に適していません。とにかく道の駅のあるところから海岸近くに出たところに「三陸山田温泉浜の湯」があるので、そこでお風呂に入ることにしました。
お風呂の近くに海水浴場がありますが、良く見るとテント設営禁止の看板が掲げられていましたので、諦めました。海水浴場傍の防風林のなかにキャンプ場もありましたが、どうも整備が行き届いてないように見受けたので引き返していると、広い公園があり芝生も綺麗でしたので、そこで野営をすることにしたのです(写真)。
テント設営後、近くを散歩中のご夫妻がやってきました。ご親切にも奥様から、おにぎりを二つ頂きました。
ところで、町の公園担当の方がテントを目にしたようで、私のそばに来ました。「テントの設営が禁止されていますから」と忠告を受けましたが、そこで経緯を説明したうえで、「絶対にごみを残しませんから・・・」との条件で、なんとか許可を頂きました。でもご覧のように、とにかく広い公園なので熊のことや治安のことも含めて、何だか寝心地の悪い夜でした。
写真は岩手県「陸中野田駅(道の駅のだ)」の駐車場です。この日は、青森県境までもう少しの位置まで接近できました。実は駅舎の軒先で寝るつもりでしたが、ちょっと気になることがあり、夜中に急きょ駐車場の一角に移動してのテント設営になりました(写真)。駐車場なので危険な場所ですがここ以外、設営の場所がありません。
この日の野営場所ですが、実はここ(道の駅のだ)よりもずっと手前にある「道の駅たのはた」でするつもりでした。ところが道の駅のある峠の麓にあるガススタ、スタッフの情報から、「最近、この近くでも熊が出ました。どこに出ても不思議ではありません」と聞かされので、急きょ野営場所を変更したわけです
それまでは、ガススタの少し外れの港町に温泉がありますので、そこで入浴の後、峠にある「道の駅たのはた」に行くつもりでした。でも熊の情報を聞かされると、さすがにビビりました。少なくとも山間部にある道の駅で寝ることは避けることにしたのです。そのためには予定以上の距離を走る必要があるので、お風呂に入ることを取りやめることにしました。
通りすがりで野営予定の「道の駅たのはた」へ立ち寄りました。道の駅は山頂に比較的近い裾野にあるうえ、森林が道の駅まで迫り出しています。確かに雰囲気が悪るすぎることを感じました。なので、やはり、もう少し先にある道の駅へと急ぎました。
峠を下ると田野畑役場近くにお店がありましたので、そこで夕食の弁当を買い、駐車場で弁当を食べた後「さあ、出発・・・」と思いきや、この旅4回目となる後輪がパンクをしているではありませんか。夕方でもあり残された走行距離を考えると焦りました。
修理を終えると、時間的にも余裕がなくなりましたので、とにかく急ぎました。
日が暮れるまでになんとか目的の道の駅に着くと、車で下北半島の旅を終えて帰宅中のご夫妻と巡り合いました。私が下北半島を周回することを聞くと、「下北半島を単独で回るのは危険ですから、やめておいたほうがいいですよ。道もきついし、車さえも通りませんから。何もありませんよ。何かあったら大変です。わたし達も行かなければよかった、と思ったほどです」との助言を受けました。
この助言が、このあとの走行ルート変更となる重要な情報(かぎ)になりました。
岩手県「陸中野田駅(道の駅のだ)」を翌朝5時40分に出発。この日も日差しのきつい一日でした。これまでと同様、歩道上の木陰に出くわすと、そこで数分間、寝ころんだものです。眠気に加えて頭がクラクラしていたからです。おまけに、昨日に引き続き、5回目の後輪パンクをしました。パンクが続けて起きると「本当に日本一周が出来るのだろうか?」と心細くなったものです。
この日は70Km台の走行でしたので、比較的早い時間帯で八戸市街に着くことが出来ました。八戸市街を通る国道45号線沿いに「すなっこ温泉」がありましたので、ここで入浴しました。このあと、パンクの連続で予備チューブが手薄になっていたので、急きょ自転車店に向かい調達することにしました。ついでにタイヤ交換もしておく予定でしたが、交換できるサイズがありません。ママチャリであれば、こういうときはいいものです。
お店で海水浴場の場所や下北半島についての情報を入手。下北半島について「道が厳しいからやめておきなさい」との助言でした。このあと洗濯を終えると、野営場所となる海水浴場に向かいました。
目指すは、大須賀海岸にある海水浴場です。でも、結構な距離がありました。またもや時間と走行距離の計算を誤ったがために走行途中で真っ暗になってしまいました。ちょっとのんびりしすぎたようです。
立ち止まっては、数回通りすがりの方に海水浴場の場所を尋ねますが、まったくご存じありません。町を歩く人影すらあまり見かけなくなってきました。それでも走っているうちにやっとの思いで辿りついたところが、「蕪島」でした。小さな公園と綺麗な砂浜(海水浴場)のあるところです。ウミネコが沢山見られました。
左の写真は、海水浴場のある公園の一角にテントを設営したものです。海岸には多くの若者が見受けられたので、出来るだけ目立たないところを選んだうえでテントを設営したものです。
ところが若者が一晩中、花火を打ち上げて気勢を上げるなど、朝まで大騒ぎでした。おまけにテントのすぐ傍が道路ですが、この道を爆音を響かせながら走っているかと思うと、時には近くで止まるのが感じ取れます。「ヤバいところで寝てしまった」と一瞬、後悔をしたものです。
結局、一睡もできませんでした。でも、何事もありませんでした。ま、なんだかんだ言っても北国の若者は、まだ純情だと思いました。
この日は、八戸市の蕪島から八戸港の岸壁に架かる八戸大橋とハ太郎大橋を渡りながら、下北半島を目指しました。むつ市までの道は、平坦でなだらかな道が続くので、それほど苦にならない行程だと思います。
それでも、東北の東にあるむつ市内を走りましたが、暑さのあまり眠気を感じるほどの暑さだったですね。東北まで来ればもっと爽やかで涼しさを感じるものと期待していたのに、真夏の東北は暑さに関してはどうも関係がないようです。自転車で走るから、よけい暑さを感じるのでしょうか。
八戸市の自転車店で「塩矢崎方面へ向かう太平洋沿岸へ向かう道は、厳しいからやめときなさい」との助言を素直に受け止めて、338号線(北太平洋側)を通り「むつ市街」を目指しました。
むつ市街を少々走り抜けると大間へ向かう国道279号線の途中に早掛沼公園があり、その一角に「早掛レイクサイヒルキャンプ場」がありますので、そこでテントを設営することにしました(左写真)。
ここの芝生はとても手入れが行き届き、芝生を見ると眩しさを感じるほどでした。管理棟にあるシャワー室も清潔でした。これが近くであれば、また行きたくなるほどに心がくすぐられたものです。それに洗濯もできるし助かりました。
この夜は、関東から来た青年ライダーが一人、この方は大間へ行くそうでした。「東京から一日で下北まできたので、疲れました」、と心情を露呈されました。明日は、大間まで行き、そのあと東京へ戻るそうでした。
もう一人は、チャリで北海道を目指している関東の青年でした。彼は、宗谷岬を目指していました。「明日は恐山へ行くのでここでもう一泊します」、と明日の日程を打ち明けてくれました。三人で長時間の話だけなのに楽しい思い出になりました。年齢を抜きにして話せるのが良いですね。
※(注)8月8日の旅行記は、北海道でも同じ記事を張り付けています。
青森県むつ市内のキャンプ場を6時に出発。この日からいよいよ北海道走行に入ります。
むつ市のキャンプ場を出発すると、海岸線に並行する279号線を通り大間町へと向かいました。マグロ魚で有名な大間港からフェリーで函館まで移動の後、キャンプ場を目指すものです。
昨夜のキャンプ場で得た青年の情報では、函館へ向かうフェリーの便が14時過であることが分かっていました。なのでこの時間を念頭においての走行でした。つまりゆっくりした走行でもいい、そのような感覚でした。
ところが走行途中、フェリーの便が「大間港発、11時30分」であることが弟の連絡で明らかになりました。この連絡を聴き、頭から冷水を浴びせられる思いがしました。この便を逃すと、最終が夕方になるので、例え函館へ渡ったとしてもそのあとの行動が難しくなるので、当然、大間に留まるしかありません。
11時30分に乗船するためには、最低でも10時30分までには大間港に着かなくてはなりません。例えこの時間に着けたとしても、乗客が多ければ乗船できる保証などありません。それに「電話予約は受け付けていません!」とのことでしたので、とにかく一刻も早く港に着く必要がありました。
弟から受けた連絡の後、死に物狂いで走行したものです。その甲斐あって、予定よりも早い時間に着くことが出来ました。到着後は、体力も消耗し尽くしたうえに足もガタガタです。ターミナルに着くと乗船手続きのため大勢の方が並んでいましたが、とにかく乗船切符を手に入れることが出来きホットした瞬間でした。
船内では、山梨県出身の20歳の青年と知りあうことができました。彼も自転車で日本一周をされているところで、本州のほぼ全域を走り終えていました。後は北海道周回をすると、関東の自宅を目指して走るのみでした。彼は、各都道府県庁にも立ち寄っていたので、すごいですね。
函館に着いたのが13時15分でした。下船の後、彼と別れると函館から時計回の周回に入りました。目指す場所は、知内町にある「知内スターヒルズキャンピングヤード(=左写真のキャンプ場)」です。函館港フェリー乗船場から45Kmの位置になります。
知内町までは、海岸を並行する国道228号線を走りますが、道は平坦で、「やはり北海道は、いいな~」となんだか鼻歌まじりで走ったものです。これまで走ってきた道とは、明かに違うことに気付きました。走っても走っても平坦な道が続くので、幸せ気分に浸りました。
お風呂は、キャンプ場手前にある「ビユウ温泉のとや」で入浴。キャンプ場に着いたときは夕暮れでした。単独野営は私だけでした。
周辺を見回すとすぐ近くは森です。「ここは本当にクマがでないのかよ・・」とあらぬ心配をしたものです。北海道の人はクマに対してタフですね。熊のことを気に留めるだけでもストレスがたまります。