そこはコウベ大橋を北に進んだ海の見える街道の一角。洒落た和風喫茶店の入口の脇の細道を少し進み、奥の隠し階段を降りた地下にある。コウベ・シンジケート直営店の1つ【タンホイザー】である。
「本日もお疲れ様です」
ヘルガが帽子を脇へ置き、店員メイドから差し出された水を飲む。まおが店内を見回す。
「わあ! これがウワサのウラ喫茶店なんだね!」
先日のヘルガ誘拐騒動から2週間ほど経ったある日、予定より早く仕事が終わった2人は、ヘルガにお茶に誘われた。
「紅茶マフィアになろうというのに、紅茶を飲んだことが無いなどナンセンスですから」
そう微笑みながらヘルガは2人分のダージリンを注文する。
「あれ、ナギ姫は?」
「ナギさんは、いつも飲まれません。ですよね、ナギさん?」
「ええ、私は大丈夫。いつもどおり抹茶をお願いします」
「え~、せっかくシンジケートの喫茶店に来たのに…!」
「紅茶は高いし…それに、昔のことを思い出すから飲まないことにしてるんです」
「そっかー…ぜんぜんお茶くらいわたしが奢ってあげるのに~。姫は真面目だからな~」
まおはメニュー表を見た。そして目玉を飛び出す。
「えっ、ええっ!? け、桁が1つおかしいよ……!?」
そんなまおの表情をヘルガは面白がる。
「うふふっ、それはもう、紅茶マフィアが警察に追われながらも誠心誠意、海外から「輸入」しているんですから、これくらいの値段にはなりますよ」
「はわわわわっ」
「今日はまおさんの紅茶デビューということで、ここは私に奢らせてください」
コクコクと頷くまお。そうこうしているうちに紅茶の入ったポットと抹茶の入った湯呑が運ばれてきた。
給仕担当のメイドが、ポットから紅茶をカップに注いでくれる。
白磁の高級そうなカップの中に波々と注がれた琥珀色の液体を、まおはじっと眺めた。
「こ、これが…紅茶……! 赤いお茶なんだね。生まれて初めて見たよ!」
まおは目を輝かせる。
「すんすん、いい香り~。あっ! これが犯罪の香り!? 紅茶を飲むとおまわりさんに捕まっちゃうし!」
「それはちょっと違うと思いますよ…?」
ヘルガは苦笑する。しかしまおは初めて飲む紅茶を前に真剣だ。ゆっくりと、そして恐る恐るカップを口へと運ぶ。そして液体を口に含む。
目をつぶって、真剣な表情でそれを飲み込む。しかしすぐに、ぱあっと、笑顔になるとケラケラ笑い出した。
「あははっ、なぁんだ! 他のお茶と変わらないじゃない! もっとビリビリしたり、口が燃えちゃうのかと思ったよ!」
そんな愉快そうなまおを観察しながらヘルガもカップに口を付ける。
「紅茶を初めて飲む人を観察するのは楽しいものです。皆一口飲むときはおっかなびっくり。でもいざ飲んでみるとなんの変哲もないお茶なんです。なぜ政府はこれを禁じるのか。世の中、よく分からないこともありますね。しかし、まあそのおかげで我々紅茶マフィアはボロ儲けなんですけど」
こんな2人のやり取りの隣で、ナギが静かに抹茶を飲んでいた。
「それにしてもナギさんが、ウラ喫茶店に足を運ぶなんて珍しくないですか?」
ヘルガが問う。
「…うん、まあ……この人がどうしてもって言うので……たまにはいいかなって」
ナギはぶっきらぼうにそう答えた。「へえ」と、ヘルガはほくそ笑む。
「そういえば風のうわさで、まおさんはナギさんのお屋敷に1週間試用期間として住み込みで働いてたって聞いたんですけど、まだまおさんはいらっしゃるんですか?」
「……まだ置いてる。……期間は…1ヶ月に伸ばしました」
「へえへえ~」
ヘルガはにまにまが止まらない。
「……何ですか?」
ナギが冷ややかにヘルガを睨む。
「別に何でもないですよ~」
ヘルガはうそぶいた。
「ヘルちゃんお姉様! 飲みきっちゃった! 次、何か頼んでもいい?」
「ええ、どうぞ、もちろんですとも。うちのシンジケート、仕入れの種類は豊富ですから、気になったものを頼んでみるといいです。ただまあ、淹れるのが得意なメイドがそこまでいませんので、あまり期待はしないように。コウベの美味しいお菓子と一緒に食べる分には問題ありませんよ!」
まおは仔細漏らさずに観察する様にメニューの隅から隅までを確認する。そして新しいお茶を注文する。
新たなポットとカップが用意され、そこにお茶が注がれる。先ほどよりは少し薄い色。ミントの爽やかな香りが漂う。
「うまっ! 凄くスッキリしていて飲みやすい! さっきのもよかったけど、味がぜんぜん違うよ! これ!」
「これはフレーバーティーですね、ミント系のハーブが使われているのでしょう。……しかしこの丁寧で上品な味は……本当にウチのメイドが作ったお茶ですか…?」
ヘルガは訝しむ。
すると目の前に長身のエメラルドグリーンの目をした女性が礼儀正しく立っていた。その髪は金色で、その長髪を結って下げている。
「はっ、貴方は! 元総メイド長のエッダ様!」
ヘルガは深々とお辞儀する。それにつられてまおもヘルガの真似をして会釈した。
「久しぶりですね、ヘルガ様。今日はフレーバーの納品でここを訪れてまして。ついでに若い給仕メイドたちの手元がおぼつかないようでしたので、指導を少々」
「まさかエッダ様のお紅茶をいただけるとは光栄です。これが日本一の紅茶マフィアの腕前なのですね!」
ヘルガが目を輝かせる。
「それは過去の栄光というものですよ、ヘルガ様。私はもう隠居の身。ただひっそり日々の生計を立てているだけですので」
ふとエッダがテーブルに座る面々を見回した。
「あらあら? 本当に今日は珍しい方に会いますね」
エッダは嬉しそうにそう言うとナギの前に歩み寄る。そしてその顔を見つめながら片膝を付き深々とお辞儀をする。
「ナギお嬢様。お久しぶりでございます。エッダです。最近は店でもお見かけしなかったので、どこにいらっしゃるのか常に気にしておりました。しかしお噂はかねがね。市内に蔓延る残党勢力相手にご活躍の様子。お父様とお母様も大変お喜びになりますわ」
「エッダ…」
ナギは抹茶の湯呑をテーブルに戻すと、エッダに顔を向ける。
「風の噂でお屋敷に使用人を雇ったと聞きました。いかがですか? 昔のようにわたくしをまたお側に置いてはくださいませんか」
「……どこまでこの噂は広がってるんですか……まったく…」
ナギはため息をつく。
「……。エッダ、私は一人で生きていくと決めたのです。父と母へ捧げてくださった忠義は私には不要です。そこにいる、お団子頭の使用人はビジネスライクな関係なだけです。無能だったらとっとと追い出しますし…」
そう言ってナギはまおを睨む。とばっちりを受けた まおはただ涙目になる。エッダは残念そうに呟く。
「……そうですか。不肖エッダ、お嬢様のお気持ちを変えることができないのは重々承知です。しかし、もし必要なときはすぐお呼び立てくださいませ。必ずや貴方様のお力になりますので…」
「……」
ナギはそんなエッダをただ黙って冷ややかに見つめる。
すると何やら辺りが騒がしくなった。給仕中のメイドやウエイターたちが慌てる。
「なんだって、そんな急に」
「先ほどお電話でいらっしゃると…!」
「早く片付けを! 手の空いてるものはお出迎えの準備を!」
忙しくテーブルを整頓し、片付けきれていなかった食器類を急いで奥にしまう。そして店員たちが入口に一列に並んだ。すると入口のドアが開く。
ガチャン
入口から桃色の髪をなびかせた少女、シンジケートの給仕部門メイド長の紫陽ひまりが入ってきた。その後ろには無機質な表情をした白黒柄の少女、T.T.01が続く。
「店長、こんにちわ。しばらくここの厨房を借りたいのだけれど、良いかしら?」
「ええ、もちろんですとも、ひまり様。今日はお客様も少なく問題ございません」
店長と呼ばれた二十代後半のメイドが慌てて笑顔でそう述べる。
「それはよかったです。ルミネ様のご指示で、この子に紅茶の淹れ方を教えることになったの。手伝ってくれるかしら?」
そう言いT.T.01を連れて店内を奥へと進む。するとひまりはナギたちを発見した。
「あらあら~? ヘルガちゃんにナギちゃん、新入りちゃん、それに……」
ひまりはエッダの前に進みでる。
「エッダ先生じゃないですか~。お久しぶりです!」
ひまりは、にこやかな笑顔を振り撒く。
「ひまりさん、しっかり給仕部門をまとめ上げているようですね」
エッダはナギの前で跪くのをやめ、立ち上がるとひまりに向き合った。
「はぁい、もちろんです。先生の教えはしっかり守ってます。コウベシンジケートのマフィアとして恥じぬよう、皆を指導し、一級の紅茶を淹れられるように導いています」
「それはとても頼もしい」
「本日もルミネ様から直々に、あのT.T.01に給仕の作法を教えることになったのです」
「そうですか」
「次の全国大茶会では、コウベを一等賞にさせますよ!」
「ふふ、楽しみにしています」
にこにこと笑いながら会話を続ける二人。それを聞き、なんとなくトゲトゲしたものを感じたまおはそっとヘルガに目配せする。ヘルガはそれに気づくも、気にするなとでも言いたげに頭を横に振った。
「それでは、先生。ひまりはお仕事があるので失礼しますね! みんなも、ごゆっくりくつろいでいってね~」
そうしてひまりはT.T.01を連れて店の奥へ去っていった。
「今日の夕食は、カレーピラフ・オア・ハンバーグ、どっちがいい!?」
「…………ハンバーグ」
「おっけー!」
ヘルガとのお茶会が終わり、ウラ喫茶店を後にしたナギとまおは、帰りに夕食の材料を購入すべくスーパーへ立ち寄った。
「はわー、それにしてもエッダさんのお茶とっても美味しかったなあ。それにエッダさん、綺麗で礼儀正しくてすごく素敵な人だった!」
「……エッダは元々私の母の妹分で、紅茶マフィアであると共に、風海家の使用人でした。でも、どうも私はあの人が苦手なんです」
「えー、そうなの? エッダさん、姫のことすごく心配してるように見えたけど……」
2人は野菜売り場に入る。
「昔から私のことを実の妹のように親切にしてくれますが、どこか何を考えているかわからない部分があって……」
「ふうん、そうなのー? そんな風には見えなかったけどなあ」
そう言いながら、まおは野菜売り場の野菜をどんどん買い物かごに放り込む。
「ちょ、ちょっと待ちなさい、ブロッコリー、買わないで……ニンジンも要らないでしょう?」
そんな買い物かごをみてナギが焦る。
「おおっ、そう? ハンバーグの付け合せにちょうどいいじゃん」
「そんなもの食べなくても、人間生きていけますから…!」
ナギは力説する。
「え~、食事はバランス良く取らなくちゃ。うーん、仕方ないなあ、それじゃ、片方戻していいよ?」
「そ、それでは……」
そう言うとナギはかごからブロッコリーを取り出すと、元の場所にそっと戻した。
そうして食材を買い揃えると、二人はスーパーを後にした。
「でもやっぱり紅茶マフィアになるなら、紅茶の淹れ方くらいしっかり覚えたいな。エッダさん、私に教えてくれないかな?」
まおが空を見上げながら呟く。
「……まあ、そうですね。技術は一流ですから、教えてもらって損することはないでしょう。ただ実際、教えてくれるかは別の問題ですよ?」
「うん、また時間ある時にお願いしにいってみよっかな」
星空の下、二人は屋敷への坂道を進み続けた。
◆◆◆
「あの~、こんにちわ~」
翌日、ナギの手伝いを終えたまおは1人中華街にある店を訪れていた。周りの中華風の建物の中にぽつんと洋風の白い店構えが目立つ。ドアを開けて中に入ると、香草や香辛料の独特な香りがまおを迎えた。
「あら? 子猫さん、いらっしゃい」
ちょうど店の棚を整理していたエッダはドアに進み寄ると、まおを出迎えた。まおははっとなって身なりを正す。
「貴方、もしかしてナギお嬢様の……」
「は、はい! わたし、ナギ姫の王子兼ビジネスパートナーの円堂まおって言います!」
「王子さま…ですか。ふふっ、お嬢様に、こんな素敵なご友人がいらしたのですね」
そう言いエッダは微笑む。率直に褒められたまおは、どのような態度をとっていいのかと、身体をもじもじとさせた。
「あのっ、昨日いただいた紅茶、とってもおいしかったです!」
「ふふっ、それはどうもありがとう」
「それでその、わたし、この前淹れてくれた紅茶にすごく感動してしまって。できればエッダさんに紅茶の淹れ方を教えてほしいと思って今日は来ちゃいました」
不躾なお願いをしている自覚があるのか、まおは若干控えめに話す。
「貴方は、どうして紅茶を学びたいのですか?」
エッダはまおの瞳を見つめると、優しく問いかける。
「それは、その……私、ナギ姫と違って、あまり戦いでは役に立てないから…紅茶マフィアとしての取り柄がほしいっていうのと……それと」
「それと?」
「わたしはどんな小さなことでも姫の力になりたくって…。いまは姫は紅茶を飲みたがらないけど、でも、いつかまた飲んでみてもいいと思う日が来るかも知れない。そのときわたしが最高の紅茶を淹れてあげたいんです。だから今からでも勉強したいんです…!」
まおは勢いよく想いをエッダに伝える。エッダはしばし考え込む、そして微笑んだ。
「……なるほど、いいでしょう。こちらへいらっしゃい」
そう言うとエッダはまおを店の奥へと誘った。
「お湯は沸騰するまで置いてください。茶葉はだいたい1人3グラム弱。ポットとカップは淹れたお茶が冷えないように先に温めておきます」
店の奥のキッチンで、エッダがお茶の用意を始めた。それを隣で観察するまお。ピィィと沸騰したヤカンが鳴く。
「そしてそのまま熱湯を勢いよくポットに注ぎます。だいたい1人あたり150ccですね。そのあと温度を下げないようにマットでポットを保温しましょう」
マットに包まれたポットをエッダは居間のテーブルに運ぶ。そこにはすでにお菓子が置かれていた。
「茶葉の大きさにもよりますが、ボットの中で3分程度蒸らします。その後、カップに同じ濃さになるように注いでいきます。しっかり丁寧に、最後の一滴まで淹れるんですよ?」
そうしてエッダはカップに茶を注ぐと、それをまおの前に差し出した。それをまおは口につける。
「うわっ、おいしい!」
「これはセイロンのディンブーラというお茶です。どうです、飲みやすいでしょう?」
まおは目を輝かせる。
「はい、こんな上品な飲み物があるなんて!」
「基本はこれでおしまいです。あとは相手や場所、季節に合わせてどのようなお茶を出して差し上げるか、ブレンドとして何を足すか、付け合せの食べ物にどのようなものを用意するかが腕の見せ所ですね」
「さっそくやってみてもいいですか!」
「ええ、もちろんです」
ディンブーラを飲み終えたまおはキッチンに戻ると、さっそく湯を沸かし準備に取り掛かる。その様子をエッダは眺める。まおは難なくそれをこなし、お茶の準備を終えポットと共にテーブルに戻ってきた。
「一度見ただけなのに、なかなか手際が良いですね。さすがはナギお嬢様に認められてお屋敷に住み込みで働いているだけのことはあります」
「あはは~、ありがとうございます」
そんな風に褒められて、まおは無理やり押し掛けて使用人になったとは口が裂けても言えなかった。
「さて、いただきますね」
エッダがそっと、まおの淹れたカップに口をつける。まおはそれをじっと見守る。一口飲むとエッダは微笑みながら頷いた。
「うん、良いですね。茶葉の香りと風味がしっかり出ています。とても丁寧です」
まおの表情が明るくなる。
「貴方は筋がいい。良いでしょう。貴方にはもっと色々教えてあげましょう。そうだ、今度はフレーバーティの作り方を教えてあげます。今から言う材料をお店から持ってきてください」
そうしてまおはエッダの店に通うようになるのだった。
◆◆◆
ナギが学生服にコート姿でスポーツバッグ片手に湾岸沿いを歩いていた。そして巨大な工業地帯の一角、シンジケートの運営している「工場」に入っていく。
簡素な待合室。しばらくすると工場の主、マツリカが現れた。
「やあ、ナギお嬢さま、おつかれさま~」
「……マツリカさん、今日もガラクタを引き取ってほしくて来ました」
ナギはスポーツバッグを開け、中から銃やらパソコンやらを取り出した。この前ババロア一家のガイテツたちを倒した時に事務所から持ち出したものだった。
「そういえばまた事務所を潰したんだって~? 暴風のナギの名はダテじゃないねえ」
マツリカはナギが取り出したものを手に取り確認する。
「全部でだいたい4シリングくらいかな。お支払いはいつもどおり、コウベポンドでいいよね」
「ええ、大丈夫です。私の借金の支払いはコウベポンドも認められているので…」
「ごめんねぇ、こっちも現金が不足しててさあ。本部からも内部的に必要な資金はコウベポンドで支給されるけど、外で材料買う時に使い勝手悪いし。それに最近何を慌ててるのかたくさん発行してるみたいだし」
マツリカはフフッと笑うとポケットから銀貨4枚を取り出しそれをナギに渡す。
「またなんかレアなものあったら持ってきてね。予算の範囲だったら、買い取るからさ」
「ええ、お願いします」
するとマツリカは何か思い出したように手を打つ。
「おっ、そうだ。この前、T.T.っていうロボを作ったんだけど、その子の新しい戦闘試験もしたいんだった。もしナギお嬢さま、ヒマだったらまた来てよ。特別手当出すからさっ」
「?…はい、わかりました」
「おーっ! ナギちゃんだっ!」
するとつんざくような大声が2人の会話を遮った。そして一人の少女がどかどかと部屋に入ってくる。紫の髪を両方で縛り、キリリとした目とギザギザの歯を持つ、鰐塚らむである。
「今日は何しに来たのっ!?」
らむが大声で問う。
「ええ、工場にガラクタを買い取ってもらおうと思って」
「そっかー!そっかー! ちなみに、このあと予定ある!? 無かったら、今からガラクタ探検とオサカナ救助に行くんだけど、ナギちゃんも一緒に来る?」
らむはニコニコと大声でナギに話しかける。ナギは軽く頷く。
「……そうですね、今日はもう仕事もありませんし、ガラクタを探しに行きましょう」
コウベ市内のとある埠頭。ナギとらむは並んで釣り竿を垂らしていた。
「……なかなか引っかかりませんね」
「引っかからないのはそれはそれでイイことだよ! オサカナのミンナがお腹いっぱいで元気な証拠だモン!」
らむはケラケラと笑う。その時、ナギの竿が動く。
「……!」
「おっ、何か来たね! 誰だろ! カッコイイコだといいな!」
ナギは竿を強く握りしめ、リールを巻く。どうやら生き物では無いようでそれは抵抗する様子もなく、糸に引かれるがまま近づいてくる。若干の重量がある。ナギは引き上げ手に取る。
「なあんだ、ガラクタだね」
それは縦横20センチ程度の平たい黒い金属の破片だった。鉄よりも軽そう、それに裏側はデコボコと圧力で加工された跡があり、どうも何かの機械のカバーのようだった。
「つまんナーイ、ワタシはオサカナが良かったな~。ナギちゃんそれ貸して。工場に戻ったらハカセに見せてみるよ。お金になりそうだったら、次回来た時に渡すシ~」
「ええ、それではお願いしますね」
そう言うとナギはその破片をらむに渡す。
「やっほー、ナギ姫~」
後ろから聞き慣れた声がする。ナギたちが振り向くとそこにはまおがいた。
「……えっ、どうしてここがわかったんですか……?」
「それはね愛のチカラだよ! …というのは流石に冗談で、本部の人にナギ姫はいつもこの曜日は工場に物品を売りに行くって聞いてたからさ」
「えっ、むしろたったそれだけでここがわかったんですか? それはちょっとコワイですね…」
ナギが若干引く。まおはらむを見つけると笑顔で近づいた。
「わあ、シンジケートの人? 初めまして、ナギ姫の王子兼専属メイドの円堂まおだよ!」
「ドーモ、鰐塚らむダヨ! キミが噂のナギちゃんの王子様ダネ! ハジメマシテ~」
「……ホントに全く、どこまで広がってるんですか、その噂……」
その会話にナギがゲンナリしたように上を向く。まおはナギが釣り竿を持っていることに気づく。
「おや? ナギ姫、釣りするの!? え~っ、わたしも誘ってほしかったのに~」
ナギに抱きつくまお。ナギはため息をつく。
「まったく、ややこしい……それはそうと、エッダは教えてくれたんですか?」
「うん、筋がいいって褒められちゃった! 正式に給仕の特訓をしてくれるって!」
ウキウキと話すまお。それをそっと見つめるナギ。
「それは、何よりです」
「ふっふー、紅茶道を極めちゃうぜ。そしてゆくゆくは姫のための最高のお茶会を開催する!」
「まあ…それでも私は紅茶は飲みませんけどね」
「そんなー、ご無体なっ! ……あっ、そうだ!」
まおは鞄をゴソゴソと探ると、クッキー缶を取り出した。
「エッダさんが余ったのを分けてくれたんだ~。そうだ、良かったキミにもひとつ」
「おぉー、おいしそうなクッキー! アリガト! ハカセたちと食べるヨ! そうだ、お礼と言っちゃなんだけど、こんど工場に来たらワタシの水族館を見せたげる。マタ遊びに来てヨ~」
こうして らむと別れると、2人は帰路につく。
◆◆◆
「だいぶ、上達しましたね」
「ありがとうございます! エッダさん!」
エッダの店に通い続けること3週間。まおの淹れたお茶を飲むエッダはカップをソーサーに戻すと口を開く。
「これならシンジケートの月例お茶会に参加してみても良いでしょう」
「月例お茶会?ですか?」
「ええ、シンジケートが月に1回行っているお茶会のことです。そこで給仕係のメイドたちが己の給仕力を競います。今の貴方の腕を試すにはもってこい。それに賞金も少しは出ますよ」
「えっ、賞金ですか! やります!」
「良い返事です」
エッダは上品に微笑む。
「とはいえ、参加するのはコウベのベテランたちですし、評価するのはあの宝座ルミネたちです。一筋縄ではいかないでしょう」
「…そうですよね、何か私にしか出来ないお茶を考えなきゃ…。紅茶マフィアの皆が思いつかないような何かを…」
「地下にはお店でも出してないフレーバーをいくつか置いてます。そのあたりも参考にすると良いでしょう」
そう言うとエッダは年季の入った古い小さな鍵をまおに差し出す。
「えっ、いいんですか?」
「ええ、色々試してみましょう」
そして2人は地下室へ向かう。
地下室の扉を開く。そして電灯を付ける。
「わわっ、たくさんある!」
そこは小さな部屋だったが左右の棚にところ狭しと瓶が立ち並ぶ。
「ここは私専用の隠し倉庫なのですよ。珍しいお客様や大事な方へお茶を出す時に配合するフレーバーを収めています」
「わあ、すごいですね! ベリーだけでも細く種類があるし、果物も花も本当に色んな種類がある!!」
まはキラキラと目を輝かせる。次々と瓶を手にとっては眺める。そんな中、棚の奥に何かを発見する。
「写真立て…?」
腕を伸ばしその写真立てを取り出すと、中には1枚の写真が収まっていた。右には銀髪姿の燃えるような真っ赤な目の女性が椅子に腰掛けていて、その左にスマートで優しそうな碧い目をした男性が寄り添っていた。そしてその真中には二人に良く似た少女が少し恥ずかしそうにはにかんでいる。そしてその3人の傍らに立つ若い頃のエッダ・ベリエンシェーナ。
「この真ん中の女の子、もしかして……姫?」
「あら、懐かしい写真ですね」
エッダがそれを覗き見る。
「ええ、こちらは風海家ご一家の写真です。まだ、大戦も始まらず、皆様お元気だった頃の…」
まおは写真立てを両腕で持ち上げる。
「かっわいー!! ナギ姫マジ天使! 昔はこんな女の子みたいな笑顔できたんだ! いまの仏頂面からは考えられない! エッダさん! この写真、コピーしてもいいですか! この写真のためならいくらでもタダ働きしますよ!!」
「ダ、ダメですよ……。流石に勝手にそんなことをしては、お嬢様に叱られてしまいます…」
地下室を初めて見た時より高いテンションでエッダに迫る まお。あはは、とエッダは苦笑するしかなかった。
「ええ~っ、いいじゃないですか~」
しかしまおは、あることが気になりだしたようだった。さっきとは打って変わって表情が曇る。
「…あの、姫のパパとママはどこに?」
「……」
エッダはそっと視線を反らす。
「……、死んだとは考えられません。しかし宝座の陰謀に巻き込まれて…」
「ルミネ様たちが?」
「ルミネというより、その父親……いえ、これは貴方に話すことではありませんね」
エッダは写真立てを取り上げた。
「貴方はナギお嬢様をお守りすることだけを考えてあげてください。過去のケジメは、過去の者だけが取るべきです」
そう言うと、エッダは部屋の扉に立つ。
「ここは自由に使ってください。私は少々休憩します」
そうして、まおを置いて去っていった。
<後編に続く>
(→ 後編)