ウラ喫茶店【タンホイザー】のキッチンに立つT.T.01。
「ネットワーク接続……国内ネット検問を突破……北アメリカ回線を経由……ヨーロッパ回線に接続……英語・仏語・独語・璉語で検索開始……………ヒット506、有効103、上位可能性…6」
ピィィ。ヤカンが沸騰した音でT.T.01は我に返る。そして熱湯をポットに移す。それをトレーに載せ、ひまりたちの待つテーブルへと向かった。
T.T.01がそれぞれのカップに紅茶を注ぐ。ひまりと給仕部門のメイドたちがそのカップを口に運んだ。するとメイドたちが感嘆の声を上げる。
「ええっ、これはすごい」
「こんな美味しい紅茶、初めてかも」
「もしかしたらエッダ様並にお上手なのではないかしら?」
しかしハッと我に返り沈黙する。そして恐る恐るひまりの動向を注視した。ひまりもカップのお茶を飲み干すと、それをゆっくりソーサーに戻した。そして笑顔。
「流石マツリカちゃんが作ったロボットなだけはあるわね~! たったこれだけの時間でここまで出来るようになるなんて。それに私達の好みも把握してくれて、想いを感じるとても素敵なお茶だったわ」
「想い? いえ、私は単に基本的な給仕技術に、季節、温度、皆様のコンディションを計算し、その統計と今までの事例の検索データから有意となるお茶を製造したに他なりません」
T.T.01はそっけなく答える。若干の沈黙。慌ててひまりの取り巻きのメイドが取りなす。
「いやいやしかしT.T.さんの技術は素晴らしいですね。これで今度の全国大茶会でのコウベの優勝は確実ですよ!」
「……そうね~、うん、力強い仲間が増えてひまりもうれしいよ~」
いつも笑顔を貼り付けているひまりの本当の感情はわからないが、とりあえずそう答えるひまりの言葉に周りのメイドたちはほっと胸を撫で下ろす。
そこに外から1人のメイドが駆け寄りひまりにタブレット画面を見せた。
「メイド長、今度の月例お茶会の参加者の名簿を作成していたのですが、この円堂まおって方、ご存知ですか? なんでもエッダ様が管理会へのツテを使って無理にエントリーさせたというお話を聞いたのですが……」
「円堂まお? ああ、あの新人ちゃん。ナギちゃんの自称王子様か。へえ、あの子も紅茶を淹れるんだね~、てっきりカタギだと思ってたんだけど」
「…なんでもエッダ様が手ずからご指導している子らしく…」
すると笑顔のひまりはそっと目を開いた。青みがかった黒い瞳がそこから覗く。
「ふ~ん、へ~? なにそれ、面白い~。先生はもうご引退されたのに、そんなことするんだ~。しかもわざわざこの前まで一般人だった子に教えてるの? 何? 当てつけ?」
完全に冷めきった口調。取り巻きのメイドたちはそれに凍える。
「う~ん、もしかしてひまりたち、先生に心配かけちゃってるのかな~? これは安心してもらうためにも、もっと頑張んなきゃね~」
そう言うとひまりはT.T.にもう一度お茶を淹れてくるように命じた。
◆◆◆
誰かの夢、思い出の中の話。日本全土を巻き込んだ紅茶マフィア大戦が収束するも、まだコウベの情勢が安定せず、いくつかの勢力がシンジケートと争っていた頃。そのうちの1勢力、カシワダ一家がシンジケートに降参した。
「抗争に負けたカシワダ一家がシンジケートに降ります」
報告を受けた総メイド長のエッダが、その弟子として下働きをしていたひまりにそう伝える。
「ひまり、コウベとカシワダ一家の仲直りのお茶会をします。その準備をお願いできますか?」
エッダは優しく問いかける。
「はい、もちろんです、先生。いままで給仕メイドとして練習してきた成果をお見せしますね!」
ひまりは目を輝かせながら答える。そして早速準備に取り掛かった。
「カシワダさんたちがよく使っていたのは中華系の紅茶だったから、それに季節のフレーバーをいくつか混ぜよう。お菓子はシンジケートのホテルで使っている高級ケーキとクッキーをいくつか。これで仲直りの証っ!」
我ながら上手な組み合わせだと、ひまりは得意げになった。そして当日。
おろしたばかりの純白のメイド服に身を包んだひまりは、手際よくテーブルにカップや菓子を配膳していく。テーブルには総メイド長兼給仕部門メイド長のエッダとその側近、それに向かい合って、カシワダ一家のボスとその側近2人が座っていた。そしてその後ろにはそれぞれの部下たちが立ち並ぶ。
カシワダがエッダに愛想笑いを浮かべる。
「いやはや、あなた方に逆らおうだなんて、愚かなことを考えたものでした。これからはシンジケートの為に誠心誠意お仕えしますので、なにとぞ私達をよろしくお願いします」
「ええ、ボスの風海にはよく伝えておきますので、ご安心ください」
「…そうですか、それはよかった。これで私の部下たちも路頭に迷わずに済む…」
カシワダがほっと安堵する。ひまりはそんな会話を横にカップに紅茶を注いでいった。
「ほう、これは私達のところで扱っていた茶ではないですか。本当に、感謝のしようがありません」
カシワダがカップに入った茶を眺めて感嘆の声を上げる。その側近たちも安心したように頷く。エッダはそんなカシワダ達を見て微笑む。
「コウベシンジケートのために!」
カシワダたちがカップを掲げそう叫ぶ。
エッダは軽く会釈すると、カップに口を付けた。それにつられてカシワダとその部下も紅茶を飲み始める。しかし……
「ゴフッ…! これは一体……!」
カシワダたちの口から鮮血が飛び散る。エッダとその側近はハンカチを口に当て、口に含んだ紅茶を吐き出した。カシワダたちは机に突っ伏す。それをエッダたちは見下す。
「ふふ、先ほどのお茶に胃の壁を溶かす薬が混ぜさせていただきました。ご安心を。死ぬことはありません。しかし、しばらくは動けないでしょう」
カシワダが腹を抑えながら、恐怖をはらんだ表情でエッダを睨みつけた。
「あなた方はコウベシンジケートの…そしてあろうことか偉大なる風海様に楯突いたのです。それは決して許されるものではありませんよ?」
エッダが手を伸ばし合図を送る。すると庭の生け垣に潜んでいた武装したシンジケートの構成員が現れ、ボスたちが倒れて混乱しているカシワダ一家の部下たちに発砲した。
「グッ…エッダ……ベリエンシェーナ……」
発砲音にかき消されながら、カシワダが唸り声を上げる。
「さて、警察を呼んでください。これでカシワダ一家はおしまいですね」
静かに微笑むエッダ。撤収の準備をする構成員たち。
「さあ、行きますよ、ひまり。上々のお茶会でしたよ」
エッダはそっとひまりの肩に手を置く。しかしひまりは突然の出来事に、エッダの声が聞こえていないようだった。震える身体。そして絞り出すように小さくつぶやく。
「ひまりの…初めてのお茶会が……」
そして、呆然とテーブルを見つめ続けていた。
「ひまりさん、ひまりさん? どうしたんですの? そんな呆けて。今日は月例お茶会なのですよ?給仕部門のトップがそんなことでどうするというのです」
コウベシンジケート本部【ヴァルトブルク】の一室。ぼんやりとソファに身を沈めていたひまりの顔を宝座ルミネが覗き込む。
「はっ、いいえ、ふと考え事をしていて~…。大丈夫。すぐ行きますね~」
そう言うとひまりは立ち上がった。
一方その頃【ヴァルトブルク】の別の一室で待機していた まお。今日使う紅茶や給仕する手順について頭の中で復習をしていた。しかし同時に様々なことも駆け巡る。
ナギの両親のこと、シンジケートの過去の出来事、あるいはエッダと宝座家との確執。どうやらエッダは今のシンジケートに不満を抱いているようだった。特訓の合間の会話からもそれは強く感じられた。ナギのことといい、何かしらのことが今のシンジケートとあったに違いない。よくよく考えてみれば、ほぼ部外者だったまおが、いきなりシンジケートのお茶会に参加出来た事自体おかいしい。そこにはエッダの大きな後押し……ナギと仲良くしていたまおが、エッダに目をかけられたのももちろん理由としてあったのだろうが、一方今のシンジケートに不満を持つエッダによって、一泡吹かせるための「当て馬」給仕メイドとして仕立て上げられたのでは、と思わなくもない。
ナギ姫の言うように、エッダさんはいつも笑顔でとても丁寧だけれど……
まおはそんな想いを抱くも、ブンブンと頭を振る。そして立ち上がると大きく息を吸う。
「私は、ナギ姫の役に立ちたい! ただ、それだけなんだ!!」
そうして余計な考えを振り払うと、ぱちんと頬を叩き気合を入れた。
◆◆◆
ホテルのイベントホールには多くのテーブルが並び、メイドや組織の関係者が集まっていた。その中央の大テーブルにはシンジケートの総メイド長である宝座ルミネ、給仕部門メイド長の紫陽ひまり、管理部門メイド長の桜井ヘルガ、そして給仕部門の各ウラ喫茶店の店長や給仕長が座っていた。
そこに1人ずつ、お茶会に参加するメイドが自分の淹れたお茶を持ってきて、幹部たちに振る舞う。参加者は全部で10人。
そのうちの8人はウラ喫茶店に配属されている給仕係のメイドである。残りは円堂まおとT.T.01。すべての紅茶は飲みきれないので、評価者はそれぞれのカップの香りを嗜み、一口味を確認する。
最初に登場したのはT.T.01だった。用意したお茶を寸分のムダな動きもなく配膳する。
「!」
そのお茶を飲んだルミネとヘルガが驚く。
「これ、小さい頃にヨーロッパで飲んだ味と同じ味がします!」
ヘルガは感嘆の声を上げる。
「やれやれ、まさかここまでとは…」
ルミネはT.T.01を見やる。
「素晴らしい出来ですわね、T.T.さん」
「いえ、私はレシピ通りに作ったまでですので」
ルミネの称賛にそっけない返事をするT.T.01。しかしルミネは満足そうに頷いた。T.T.01は退場する。次はまおの番だった。
「こんにちは! わたしの修行の成果を見せますよ!」
そう言うと踊るようにカップを皆の前に用意し、手際よく注いだ。
それを楽しそうに眺めているのはヘルガだけで、ルミネは様子を見るようなすました表情。ひまりは明らかに機嫌を損ねていた。やはりまおがエッダに教えを受けていたのが気に入らないらしい。そしてそんなひまりの態度に揃えるように、他の店長や給仕長たちはそっけない態度で応じる。
「はーい、どうぞ! 冷めないうちに召し上がれ!」
まおはにこやかにそう告げる。一同はカップに口をつける。
「!?」
すると店長や給仕長たちは戸惑いの表情をあげる。それはルミネやひまりも同様だった。
「こんな味…初めてです!」
ヘルガが驚く。
「すっきりとしていて、それでほんのり爽やかな果実の味がします……でも、これはいったいなんでしょう、柑橘系でもないし、ベリーやリンゴとも違いますね……でも、どこかで食べたことある味なんですが……」
それは皆思い当たるようで、各々が考えを巡らす。するとまおは自信気にヘルガを見る。
「ヘルちゃんお姉様、気になっちゃう?」
「はい、ぜひ教えてほしいです」
「それはね……スイカのフレーバーを混ぜてみたのさ!」
「スイカ!?」
その答えに一同が驚く。
「そう、わたし、この前生まれてはじめて紅茶を飲んでさ。そのおいしさにびっくりしたんだ。それでその感動を誰かに伝えたくて。でもシンジケートの人たちって紅茶は飲み慣れてるから、どうすればこの感動を伝えられるかってずっと考えてたんだ」
そしてまおは人指し指を出す。
「そこで何かみんなに驚かすことができれば、それが感動にならないかなって。エッダさんのお店のフレーバーで色々試してみたんだ。そしたら面白いのが出来てさ、エッダさんも驚いてた。これなら皆も驚いてくれるんじゃないかなって思って、淹れてみましたっ!」
「ほあ~」
ヘルガはただただ関心してまおを見つめる。
「ふっ」
ルミネはただ失笑ととも苦笑ともつかぬ笑いを漏らすだけだったが、じっくりとカップとまおの顔を見比べた。ひまりもカップを眺めて考え事をするように、うつむく。そしてまおは退場した。
その後はシンジケートの給仕係のメイドたちが続いた。
「……」
給仕したメイドたちは固唾を呑んで評価者がお茶を飲むのを見守るが、皆、黙々とお茶をいただくだけだった。時折そのメイドの上司である店長や給仕長だけが、軽く頷いたり、微笑むだけ。ルミネ、ひまり、ヘルガは無表情のまま。これらの紅茶は無難な味、そう形容するほか無かったようだ。
そうして最後のメイドのお茶が終わる。するとひまりがそっと席を立った。
「……ひまりもお茶を淹れたくなっちゃいました。よろしいですか? 総メイド長」
そう言いルミネを見やる。ルミネは渋い表情を作るも、その沈黙を許可と受け取ったひまりはそのままホテルの厨房へと消えた。
そしてしばらくしてポットを片手に戻ってくる。
そして各人のカップへと注いだ。
それはダージリンをベースとしたブレンド茶だった。ダージリンはコウベシンジケートが創業当初から取り扱っている伝統的な茶葉だ。もちろん他のメイドたちもそれを使った茶を披露したが、そんなお茶よりも一段高い風格を感じさせる良い香りが漂っていた。
皆一口飲む。
「うぷっ」
ヘルガは青ざめた表情でカップをソーサーに戻す。不味くはない……不味くはないのだが、付け足しが多いというか独特なアレンジの多さが足並みが揃わず、全体のバランスを壊している印象だった。香りはいいのに…。他の店長や給仕長たちも一瞬手を止めるも、勢いよくカップの紅茶を口の中に掻っ込んでいた。そんな中ルミネは平然と飲み干す。そしてそっとひまりに伝える。
「……ひまりさん、気は済みまして?」
「ん~、そうですね、とりあえずは」
ひまりは頬に人差し指を当てて笑顔を作ると、そのまま席に戻った。
「それでは今月の論評を始めましょう」
それぞれ評価者の前にアンケート紙が配られる。参加したメイドたちは一列にそのテーブルの前に並んだ。ひまりも立ち上がるとその列に加わり評価を待つ。評価者は各々がそれぞれのメイドの所作や紅茶の香り、味、温度などに対して点数を付けていく。そしてお茶会運営担当のメイドがそれを集計すると、その結果を書いた紙束をルミネに渡した。
「……ふむ」
ルミネはそれに一通り目を通す。そして紙束を揃えると一気にビリリッと破り捨てた。それに驚く一同。そこにはルミネ、ヘルガ、そして各ウラ喫茶店の店長と給仕長の評価が書かれていたのだが、その結果が気に入らなかったようだ。ルミネは立ち上がると声を発する。
「結果を発表しましてよ。3位、ひまりさん。2位、円堂まおさん、1位、T.T.01さん」
「あらら~?」
ひまりは困り顔で首をかしげる。その結果にまおが顔を明るくする。T.T.01は無表情のままだ。
ルミネはまおの前に立つ。それにまおは驚くも、ルミネは論評を始める。
「まず、まおさん。安定した技術もさることながら、着眼点が面白かったですわ。わざわざ紅茶マフィアたちを驚かそうというその意気込みも良いです。ただ、季節は考えるべきですし、できればもっとシンジケートが取り扱ってるお茶を使ってほしかったですわね。それでも給仕メイドとしては文句はないですわ」
次にT.T.01の前に立つ。
「そしてT.T.01さん、わたくしがマツリカ博士のところから連れてきて、この様な評価も可笑しいですが、貴方の技術は卓越していた。まさに欧州の高級ホテルで味わう紅茶を思い出しましたわ。まさか日本で、さらにはこのコウベでそんな紅茶が飲めるだなんて……これは小さな感動です。常に飲み手のことを考えた素晴らしい一杯でした。ただ一点、逆に完璧すぎて貴方らしさを見ることができなかった。そこはまおさんと対照的でした」
その台詞にT.T.01は初めて少し驚いたような表情を見せる。
「らしさ…ですか?」
つい、T.T.01はつぶやくのだった。ルミネは小さく頷く。
そしてルミネはひまりの前に歩み寄る。
「…しかしわたくしたちはコウベの紅茶マフィアなのですわ。わたくしたちにはわたくしたちの伝統や想いがあります。その点、ひまりさんのお茶はシンジケートの伝統を重んじていました。それでも3位なのは…それについて、ひまりさんも皆さんも何となくおわかりだと思うので、これ以上は申し上げません」
ひまりは、恨むような瞳でルミネを睨む。ルミネはただ寂しげにひまりを見つめ返した。ひまりは髪留めのリボンを外して床に叩きつけると、そのまま会場を後にしてしまった。
ルミネは周りを仰ぐ。
「今回は様々な気付きのある、素晴らしいお茶会でした。紅茶マフィアとは、ただ紅茶を「輸入」して売りさばけばいいだけの活動ではありませんわ。皆さん、今回のことを糧に日々の仕事に生かしていってくださいませ」
その後、入賞者には運営担当から表彰楯と賞金が手渡された。
◆◆◆
夜、風海家の屋敷。ナギが食事の時間になり、居間に現れた。すると奥の暖炉の上に、表彰楯が飾られていた。それをまじまじと観察していると、まおがキッチンから料理の皿を運んでくる。
「あ、姫、それね! 月例お茶会で入賞したんだよ!」
「…見ればわかります。しかし貴方もなかなかやりますね」
「でっしょー? わたしのお茶飲んで、みんな驚いてくれた。大成功だよ!」
「驚く? 一体どんなお茶を飲ませたんですか…」
ナギがいぶかしむ。
「いつかナギ姫にも飲ませてあげるよっ!」
「だから私は紅茶は飲まないと言っているでしょうに…」
しかしナギの声は柔らかかった。まおは料理の皿をテーブルに並べる。
「さて! 今日は賞金も入ったからね! ちょっと贅沢に牛肉のステーキをご用意しました!」
ナギはそれを聞いていそいそとテーブルにつく。そして目の前に置かれた厚い肉の塊に目を輝かす。
「おにく…こんな素敵なおにくが食べられるなんて…」
ナギは表情こそ崩さないものの、真剣な表情で皿を見つめる。それを見ていてまおも自然と笑顔になる。
「はい、栄養のバランスもしっかりとね!」
そう言うとまおは山盛りのサラダの皿をその隣にどかんと置いた。その瞬間怯え出すナギ。
「あ、あの…。せっかくのお肉のご馳走にこのサラダは不要なんじゃ……?」
「だーめ! バランス良く食べなきゃ! 1口お肉食べたら、1口野菜も食べるんだよ?」
満面の笑みで答えるまお。それにナギが青ざめる。
「う…うう、せめて、レタスを半分に……あと、2口お肉で1口野菜でも……いいですか?」
ホテル【ヴァルトブルク】の執務室。デスクに座るルミネの前に、ひまりが立つ。
「こんな夜に呼び出してー、何の御用ですかー? 宝座総メイド長?」
ひまりは髪をかきむしったのかボサボサ頭で、明らかにふてくされていた。
「ええ、仕事で喉が乾いてしまったので、お茶を一杯入れて欲しいのですわ」
そんなひまりに対して、ルミネは優雅にそう伝える。ひまりの口の端が不自然に歪む。
「ふーん、へーん。そんなのあのロボットちゃんか新人ちゃんにしてもらえば良いじゃないですかー! なんで私!?」
「これは、総メイド長からの命令ですわ。早く用意して頂戴」
「むーっ、自分勝手! いじわる!!」
そう言うとひまりはふてくされながらも、執務室を後にする。そして十分後、トレーにポットとお菓子を載せてひまりが戻ってくる。
ひまりはカップにお茶を注ぐ。ルミネはそれを手に取ると、顔に近づけて香りを味わう。
「やはり、これが落ち着きますわ」
「なんですかー、イヤミですかー?」
ひまりはもうそこまで怒ってはいなかったが低く唸り続ける。
「忘れませんわ。これが私達の幼い頃からの味。そしてこれは私の親友が、苦労して身につけた味。最近は何をこじらせてるのか、若干ヘンテコな風味になってますケド」
「ちょっ、何ハズいこと言ってるんですか…」
ひまりが突然の言葉に驚く。ルミネはそっと目を細める。
「ひまりさんだって頭ではお分かりでしょう? いまはシンジケートが生き残れるかどうかの瀬戸際。そのためには少しでも力はあったほうが良い」
「ええ、ええ、それは分かってるつもりです…、でも、先生があまりにも身勝手で…あんな風に新人の子をぶつけて来て……また私のこと、バカにしてる……、それが許せなくて……!」
ルミネは立ち上がるとひまりに寄り添う。そしてそっと抱き寄せると、耳に囁く。
「あんなロートルのことは忘れてしまいなさい。あれはもう過去の人間です。現にいまの給仕部門の長は、貴方なのですよ?」
「うう、でも私、ロボットちゃんにも新人ちゃんにも負けちゃった…」
ひまりはほんのりと涙を流す。
「部門の長は、何も技術だけでなるものではありません。組織をよく理解し、部下たちを管理する力が必要ですわ。それに何よりわたくしを心から支えてくれる方が必要なのですよ」
「……ルミネちゃん…?」
ひまりは涙を拭うと、ルミネの顔を見つめる。
ルミネは小さく微笑むとひまりから離れ、デスクに座り直した。そしてひまりにも椅子に座るように促す。そしてひまりの分のお茶を淹れる。
窓からは満月が映し出されていた。そんな夜空を二人は眺める。カップに口をつける。
「とても良い空。そして良いお紅茶。ああ、落ち着きますわ」
そうしてルミネはそっと微笑む。
◆◆◆
夜更け。持ち運び用の電灯の小さな明かりを頼りに、鰐塚らむが釣り糸を垂らしていた。
「レスキュ~、レスキュ~、オサカナレスキュ~」
脇においた海水入りのクーラーボックスにはすでに数匹の海魚が泳いでいる。
「これが、釣り、というものですか…」
隣ではT.T.01が釣り竿を垂らしている。
「そう、海の中にはオサカナってのが沢山いてね! この辺の海はキタナイから、助けてあげるんだ!」
「魚…海の生き物…」
T.T.01は、らむの話を聞きながら、そっとつぶやく。
「それにしても、ハカセ、ゴキゲンだったね!T.T.がお茶会で優勝してたくさん賞金もらったから!」
「ええ、お役に立ててよかったです。アレくらいのことでしたらいくらでも…」
「最近、ハカセは開発に熱中してるから! いっぱい色んなもの作っていっぱいお金が必要そうだから、ワタシたちで助けてあげよう!」
「ええ、私でよければもちろんです」
するとそのとき、T.T.01の竿が大きく引っ張られた。
「おお、これは大きいヨ!」
らむはT.T.01の竿を掴むと急いでリールを巻き出した。かなり重い。2人がかりで竿を引き寄せる。
「ナンダ!? コレ! もしかして、クジラ!?」
しかしらむとT.T.01、シンジケートでも戦闘力の高い2人の力で引き上げられないものはない。勢いを付けて釣り竿を引っ張り上げると、その拍子にその大きな物体が2人の頭上を飛び越えた。そしてそれは埠頭に、べたっ、と大きな音を立てて打ち付けられた。らむたちは近づきさっとライトで照らす。人間大のそれは…というか人間に見えるそれは和服を着て長い髪を伸ばしていた。
ライトで照らされ正気を取り戻したのか、その人間は頭を上げて呻く。
「う…うう……ここはコウベですか…? お腹……空いた……」
そう言い終わるや否や、その人間はガクッと倒れ込むのだった。
<4話に続く>