【外伝】
「腹ペコ少女と
砂漠の街」
メイドマフィアK ネームノベル
外伝
<腹ペコ少女と砂漠の街>
……ぐーぎゅるるるるぅぅ
大型トレーラー3台が小型四輪駆動車2台に挟まれながら、埃っぽい風が吹く空と草のほとんど生えない平原だけの景色を駆けてゆく。
時おり視界にかつて存在したであろう交易都市の残骸が見える。かつてはシルクロードとしてヨーロッパ、中東、アジアを結び多くの商隊が行き交ったこの地域も、今は独立勢力とそれを阻止したい旧支配国、そしてそれに介入した近隣アジア諸国を中心とした多国籍軍の戦争 真っ只中だった。
……ぐぉぉ、ぐぉおるるるっ!
車列の先頭を走る車の運転席で、迷彩服を着たアジア風の顔つきの青年が苦笑する。
「ナビラ伍長の腹時計はいつも盛大だなあ」
青年はちらりと助手席を覗き見る。すると助手席で車窓から外の景色をぼんやり眺めていた黒髪の女性が青年に振り向く。彼女も青年と同じ迷彩服を身にまとっていた。
しっとりとした黒い髪を後ろで纏め、全身浅黒い肌、少し垂れた目尻、その奥の青い目。ナビラ 伍長と呼ばれた女性…ナビラ・ダルランは目を細めて青年を見つめた。
「おや、鳴いてましたかね?」
ナビラがぼんやりとそううそぶくと、運転手だけでなく後部座席に座っていた仲間たちがどっと笑う。
「伍長の食いしん坊は皆知ってるんですからっ。隠そうとしても無駄ですよ。おや、街が見えてきましたね! さすが伍長の腹時計、時間も正確ですね!」
青年は笑いを噛み殺してそう言った。ナビラは笑みをこぼしながら目を伏せる。
「チェンくんや皆の方こそ何を言ってるのやら。今日の仕事が終われば一週間の休暇なのです
よ? それで今日はちょっといいレストランに行く予定でしょ? 私は朝からきっちり食事調整してたからお腹が鳴ったのです。ご馳走を前にしてお腹の調整をしない貴方たちの方がおかしいのです」
「冗談ですってば。皆楽しみにしてるんですから! 伍長の見つける店はいつも美味しいですからね!」
「中央アジアは初めてですからねえ、どんな料理が食べられるのやら。やはり羊料理ですかね、ラクダのお肉も美味しいと言う噂も…」
車列が街中へ入る。自然とスピードが落ちる。
普段なら多くの人で賑わっている街は車もほとんど走っておらず、人影がなかった。
「なにやら今日は人通りが少ないですねえ…」
チェンが運転しながら辺りを見渡す。
「ふむ…これはちょっと嫌な予感が…」
「まさか、こんな街中で?」
道端に爆弾を仕掛けて通行する車を爆破するのは地元ゲリラの常套手段だった。しかし市民もいる街中でそのようなことをするだろうか。
するとそんな考えに応えるかのように3軒先の商店が突如爆発する。その衝撃と爆風をもろに受けてナビラの車は横転した。
「ぺっぺ、爆薬の入れすぎだ!!」
チェンが口から砂を吐きながら悪態をつく。
「スウェーデン製の車で助かった」
ナビラたちは即座にシートベルトを外し武器を掴むとドアを開け身を潜めた。爆発は1回だけではなく市中から次々と聞こえてくる。
「2号車! クズネツォフ上等兵、無事かっ」
ナビラが無線で最後尾の警備していた仲間に連絡する。
『とりあえず全員無事ですけどっ、めっちゃ撃ちまくられてますよぉ』
無線越しにクズネツォフの悪態と後ろからパラパラと小銃の発射音が聞こえた。
「遮蔽物を利用して応戦しろ。身の安全を第一に考えろ」
ナビラが牽制で相手のいる方であろう方向へ射撃する。その隣にチェンがバトルライフルを持って近寄る。
「空荷のトレーラー襲って何になるってんだ! あいつら何考えてるんすかねえ!」
「いや、これは街全体を攻撃しているみたいね」
「あーあ、今回の仕事は補給品の護衛だけだから楽だと思ったのに…」ナビラがライフルを構える。
「これはレストランもキャンセルですかね……傭兵稼業も楽じゃない」
◆◆◆
互いに遠距離から撃ち合うだけで攻防に変化はなかった。何度か市内の奥で激しい爆発音が聞こえたが、2時間ちょうどで収まった。気づけば頭上を味方のヘリコプターと航空機が忙しなく旋回するようになり、信号弾の閃光と発煙を合図と共に襲撃者たちは去っていった。
「お腹減った……」
ナビラは腹に手をやる。チェンたちと共にトレーラーの運転手たちを保護すると、警戒しつつ彼女たちの事務所のある近郊の基地へと向かった。
正規軍部隊の基地の一角に、ナビラたち民間軍事会社の兵舎や倉庫などの施設が立ち並んでいる…そのはずだったが、その区画は焼け落ちて廃墟と化していた。
呆然とするナビラとチェンたちの後ろから声がかかる。
「おー、みんな、無事だった?」
「ベネデッタ社長!」
チェンが声をあげる。皆が振り返るとそこには事務スタッフを従えた金髪の30代半ばの女性が立っていた。サングラスを下げナビラたちを一瞥する。サングラスの隙間からは薄緑の眼が見えた。ベネデッタ・オリアーリ、ナビラたち民間軍事会社『オリアーリ商会』の社長である。
ナビラは報告する。
「社長、人的損害はありませんが……しかし車両は全てスクラップです」
「たはは、やられたね」
ベネデッタはぼりぼりと頭をかく。
「こっちも事務所から逃げ出すだけで精一杯だった。運良く怪我人はいなかったけど、相手さんの迫撃砲の雨でこのザマさ」
そしてガラクタと化した「元」事務所の残骸を指差す。
「あまり儲かる商売じゃなかったし、ここらが潮時かなあ。と!いうわけで我らがオリアーリ商会は明日から休業ってことにする。皆には飛行機のチケットを渡すから、しばらく自由にして て」
ええー、と隊員やスタッフから驚きの声があがる。ナビラは冷静に、しかし、やれやれ、とため息をつく。
「…仕方ありません。それでは私の班もしばらく自由行動ということで。私は社長について行きましょう」
ナビラは当然のようにベネデッタの側に歩み寄る。しかしベネデッタは首を振った。
「いやナビラ、あんたの私物も全部燃えたんだ。たぶんパスポートの再発行とかで必要な書類があるだろうから、一度実家に戻りな」
「え……はあーー?」
ナビラも驚きの声をあげるのだった。
◆◆◆
国際空港で隊員の皆と分かれたナビラは、ベネデッタが大使館から取り寄せた仮パスポートを手に北アフリカ行きの飛行機乗り場を探す。
そして北アフリカ・アルジェ行きの国際便に乗り、アルジェからガルダイアという街へ行く国内線に乗り継ぐ。
「会社に預けていた書類が全て灰になるなんて。そして再発行に出生届が必要とは…。こんなことならマルセイユのどこかにアパート借りて書類全部を置いておくべきでした…」
飛行機を降りると強い日差しと乾いた風がナビラを迎える。
「何年ぶりでしょうね。相変わらず埃っぽい街…」
ナビラはタクシーを掴まえると行き先を告げ乗り込む。
ガルダイアは北アフリカの10万人程度の街だ。砂漠地帯になだらかに連なる山の間の谷底に木の根のように街が張り巡らされている。古代より敬虔な教徒たちの住処とされ、またアフリカ奥地からサハラ砂漠を越えて地中海へ塩と金塊を運ぶキャラバンの中継地だったらしい。
空港から谷の街へ入ったタクシーに身を委ねて20分ほど。ナビラにとって見慣れた景色が現れる。左右にヤシの木が生える大通りを曲がったある一角でタクシーは停車した。
クリーム色の四角い一軒家。ここらではありきたりの一軒家。ナビラの実家である。3年前、1 つ下の妹の結婚式に帰ったとき以来だった。
ベルを押すでもなく裏の勝手口から中に入る。
すると台所でばったりと中年の女性と鉢合わせになった。女性は一瞬ぎょっとするも相手がナビラだとわかるとしかめ面をして口を尖らせた。
「ちょっと、帰ってくるなら連絡をよこしなさい。それから玄関から入りなさいね!」
「…役所に用事があって帰ってきただけだから。私の部屋、まだあるよね?」
ナビラはそれを無視するように廊下へと移動する。そしてかつての自分の部屋を見つけると中へ入りドアを閉めた。
「もうっ、どこまでも勝手な子!」ドアの向こうから怒った声が響く。
3メートル四方程度の部屋。ナビラはここで妹と一緒に暮らしていた。その妹も3年前に結婚して出ていったきりだ。ここはさらに若い弟たちの部屋になっているはずだったが……その気配は無い。代わりに季節外れの服や普段使わない家財が置かれ物置のようになっていた。
足元に片手サイズの本が落ちていた。表紙にはアルファベットの文字、おそらくフランス語、そしてパンの写真。ナビラはその本を拾い上げるとページをパラパラとめくる。様々なパンのレシピが色褪せた写真と共に載っていた。ナビラは一通りページをめくるとそっと閉じた。
「……ただいま」
そしてぽそりとつぶやく。
部屋の気温がだいぶ高いことに気付く。ずっとこの部屋が締め切られていたため熱気がこもっていたのか。ナビラは冷房のスイッチを入れようとする、しかし冷房は動かなかっ た。配線を確認したがどこが故障しているのか分からない。
「あの、冷房が動かないんだけど…」
ナビラは台所に戻ると長椅子に座りテレビを見ていた母親に不平をつぶやく。
「ああ、あの部屋ね。去年くらいから調子が悪くてね、本当は下の子たちの部屋にしようと思ってたんだけど、もう誰も使ってないわよ」
ナビラの母は娘には見向きもせず答える。
「えっ、ファティマの高校入学祝いでプレゼントしてから、まだ5年も経ってないのに…?」
「電気屋さんに見てもらったら? どうせ今日は役所ももうおしまいだろうし、暇でしょ、あなた」
「ううむ…」
「なんて顔してるの、もう秋なんだし冷房が無いくらいで死にゃしないわよ」
ナビラはと仕方なく外に出ようとする。
「外に出るなら服着替えてスカーフも付けてってね。そんな兵隊さんみたいな格好でうろつかれて近所で噂になったら困るから」
「……」
ナビラは一旦部屋に戻り着替えを済ますと外に出る。
歩いて5分ほどで近所の電気店に着く。
「あの、すみません」
フランス製の家電がまばらに棚に置かれた店の中。その奥からナビラと同世代の青年が現れる。
「お、その声もしかしてナビラか、帰ってたんだな!」
ナビラの幼馴染アブデルは片手を上げて挨拶する。
「冷房が壊れてしまって。ちょっと見てほしいんですケド」
「お、いいぜ。けど今日はまだ仕事が残ってるから、早くて明日の朝かなあ」
ナビラはそのセリフにゲンナリする。
「私を蒸し焼きにする気…?」
「大丈夫だって、もう秋だぜ? 1日くらいどうってことないだろ?」
「アブデル、貴方…この街の気温が一体どれくらいか知ってるの…?」
ナビラは垂れ目の目端を精一杯釣り上げて抗議する。
「分かった分かった、仕事が終わったら見に行ってやるよ」
アブデルは頷くと手を振った。
「へへっ」
アブデルは少し乾いた笑い声をあげる。
「何か面白とこ、あった?」
「あのナビラが『貴方』だって。それに喋り方まで丁寧になっちまって。昔からは想像もつかないなあ。お前は街を出て変わっちまったんだな」
「…そんなことないよ。私は私のまま」
ナビラは独り言のように言い返す。
「おねえ、いっつも急だよねえ」
アブデルに冷房を修理してもらった後の夕飯時。母と弟たち、それにナビラの帰りを聞いて やってきた妹と一緒にテーブルを囲む。妹ファティマはナビラの1歳下でナビラと容姿がよく似ていたが、寡黙なナビラと正反対によく喋る。
「結婚式も急に戻って来たときはびっくりしちゃった。そしてすぐ帰っちゃうだもん。あ、でもご祝儀たくさんくれてありがとう! おかげでけっこうイイ家具を揃えられたよ~」
ファティマはバッグからスマートフォンを取り出す。
「ねえ見て、うちの子1歳になったんだ。ようやく少し喋るようになったんだよ~」
そこには妹似のやんちゃそうな赤ん坊が映っていた。ナビラは黙ってうなずく。
「あれ、そういえばお父さんまだ帰ってこないの?」
ファティマが尋ねる。
「お父さんは知り合いの急な呼び出しで向こうに泊まるらしいから、今日は帰ってこないんだってさ」
母親は黙々と食事をしながら答えた。
「えっ、もしかしてまだおねえが家出したこと怒ってるの? もう何年前の話よ」
ナビラも黙ってご飯を食べる。
「お母さんもそんなツンツンしなくていいじゃない。おねえ、もし居心地悪かったらうちの家に泊まっていいんだからね?」
ナビラは小さく頷く。そして母親に向き合う。
「あの」
「何よ」
母親はじろりと睨む。2人の鋭い視線が交錯する。
「パンのおかわりください」
そっとナビラは皿を差し出す。
「はぁ…台所にあるから好きに取ってきて焼きなさい」
そのやり取りを見てファティマは目を丸くする。
「あははっ、おねえは相変わらずよく食べるねえ」
食後にナビラは妹を家まで送ると街を散策した。繁華街で数グループの若者が騒いでいるのを除き、街は静かだった。ナビラは街外れの丘へと登る。その向こうにも丘が、そしてその向こうにも…そしてその先に暗い砂漠が広がっていた。どこまでも続く砂の大地が、星明かりを受けてかすかに青く照らされていた。砂と星だけの世界。
ナビラは地面にそっと寝転ぶと夜空を眺めた。そしてポケットから片手サイズの本を出す。それは先ほど部屋で見つけたパンの料理本だった。
◆◆◆
10年前。
「わたしがいちばんっ!」
「ひぃひぃ、ナビラ走るのはえーよ!」
幼馴染のアブデルが息を切らしながら抗議の声をあげる。ガルダイア近郊の丘の上で、12歳のナビラが疲れ切った少年たちを前にガッツポーズする。
「ふふっ、この街で私にかけっこで勝てる人間はいないのさ!」
少年を前にナビラはふんぞり返る。
その時、ナビラは背後に気配を感じた。
「ふーん、それじゃ、私とも勝負してもらおっかなあ」
この地域のアラビア語とは異なるイントネーションにナビラが振り返ると、淡い緑の瞳をした金の髪に半袖の軍服姿の女性が立っていた。肌が白い。この辺りでは見かけないヨーロッパ系の人間だった。
「うえっ、ヨーロッパ人!」
少年たちが普段見慣れない存在にどよめく。
「誰が相手でも負けない!」
ナビラは意気込む。
2人はスタート地点に並ぶと少年たちの号令で一斉に駆け出した。しかし勝負は一瞬で決した。スタートを最初に飛び出したのはナビラだったが、その軍人はどんどん加速し、ゴールまで半分もいかないところでナビラを追い抜いてしまった。
「はっはっはっ、どうだ少女!」
「うそっ、大人だって私には簡単には勝てないのに!」
ナビラは悔しがる。その軍人はカラカラと笑う。
するとそこに数人の大人が現れる。
「軍曹、ここにいましたか」
頭に青いターバンを巻いた現地の役人風の男と、この軍人と同じ制服を来た人間が数人かやってくる。
「お父さん!」
役人風の男が自分の父だと気付いたナビラは駆け寄る。
「ナビラ、また男の子たちとかけっこか。お前ももう中等部になるのだからもう少し慎みを持ちなさい」
「ムフスィーさん、それではこの子が?」一緒に競走をした軍人が声をかける。
「はい、私の娘ナビラです」
父親はナビラの肩をぽんとたたく。
「ナビラ、彼女はフランス軍のオリアーリ軍曹だ」
「ぐんそーさん?」
そう呼ばれた軍人はしゃがんでにっこりすると、ナビラに手を差し出す。
「初めましてナビラ。私はフランス帝国外人部隊のベネデッタ・オリアーリ。よろしくね」
ナビラは差し出された手と父親の顔を交互に見る。父親は頷く。ナビラはベネデッタの手をそっと触る。
「こんにちは…」
ナビラがたどたどしいフランス語で挨拶をする。
「安心して、私どっちも喋れるから、ナビラの話しやすい方でいいよ」
そこに父親が割り込む。
「ナビラ、この方たちはガルダイアの街に基地を建てに来たんだ。それでこの周辺の地理を知りたくて役所にいらっしゃったんだが、私達も忙しい。お前はこの街に詳しいだろう? だから案内してあげてくれ。軍曹は女性だから…気にすることは何もないぞ」
ナビラがおずおずと頷く。
「ではムフスィーさん。ご息女をお借りしますね。」
「はい。ナビラ、失礼のないようにな」
その日からナビラとベネデッタの日々が始まった。日中の暑さを避け、ナビラの学校が始まるまでの早朝と、放課後の夕方、出来る限りナビラはベネデッタの任務に付き合った。
ある日の朝、とある丘の上にて。
ベネデッタの部下が測量機器で地面を測っているのを眺めながらナビラは言う。
「兵隊さんの仕事って武器で敵と戦うことだと思ってた。こんな遠足が役に立つの?」
「私達は工兵だからねえ。基地を建てたり地図を作ったりするのがお仕事なのさ」
うーん、とベネデッタは背伸びをする。ナビラは更に問いかける。
「軍曹さんたちはどうして遠いヨーロッパからここに来たの?」
「ベネデッタでいいよ」
「…ベネデッタ、さん」
ベネデッタはそんなナビラを見るとにやりと笑う。
「ここの南で油田を奪った欲張りな連中がいてね。国のお偉いさんたちに取り返して来いって言われたから、わざわざやってきたのさ」
「ふうん」
「それで私達は軍隊を通すために補給基地をここに設けようとしているわけだけど、ここの街の人達、どちらにも付きたがらなからなあ」
半分はナビラに向けて、半分は独り言と後ろにいる部下に向かってのぼやき。ナビラの父親が直接対応してくれなかったのもそんなところだろうとベネデッタは察していた。部下たちもそれを聞いて苦笑する。
「さあ、おやつにしようか。街で買ったパンがあるよ」
ベネデッタはそう言うとバックパックからこの土地特有の『カサラ』と呼ばれる平たい円盤型のパンを取り出した。ナビラはパンを見て目を丸くする。
「え、もしかしてそのパン、この街一番のパン屋のじゃない?」
ナビラは受け取ると匂いをかぐ。そして確信する。
「うん、そうだ。ここのお店のパン、少し高いからたまにしか買ってもらえないんだよね」
ナビラは少し興奮しながら小さくお祈りをすると、パンをかじった。そして頬張ると美味しそうな笑顔を作る。
「ナビラはパンが好きなの?」
ナビラは両頬をいっぱいにさせながら大きく頷く。
「そうか、そんな君にさらに良いものがあるぞ! さて、何かな?」
そう言うとベネデッタはさらにバックパックから小瓶をいくつか取り出す。
太陽の光を浴びてキラキラした小瓶の中には色とりどりの色のジャムが入っていた。
「基地あった缶詰から作ったやつだけど、よかったらどうぞ」
それをナビラに差し出す。ナビラはそれを手に取り目を輝かせる。蓋を開けてひとすくい手に取り味を確かめまた目を輝かせる。気に入ったジャムを見つけるとそれをたっぷりパンに塗り頬張はじめる。
「良い食べっぷりだねえ。見てて楽しい!」
ベネデッタはとびきりの笑顔を向ける。
「…あ、それなら」
そして何かを思いつく。
「?」
ナビラは口をいっぱいにして、ベネデッタを見つめて首をかしげる。
「それは明日のお楽しみにしようか!」
訳がわからない、といった表情のナビラに、ベネデッタはいたずらっぽく笑う。
翌日の早朝、今度は街の南の丘を登った。ベネデッタたちが記録を取り終えて休憩に入る。
「ナビラ、お疲れさま」
時間つぶしに本を読んでいたナビラにベネデッタが近づく。
「今日は良いもの持ってきたよ。じゃーん」
ベネデッタが包紙から丸っこいものを取り出した。
「?」
それはナビラの見たことのないものだった。言われるがままそれを手に取る。とても軽い、そして匂いをかぐとほんのり小麦粉の焼けた良い香りがする。
「パンだよ、パン!」
「えっ、これが?」
ナビラの見たことのあるパンはカサラを始めとしたこの土地特有のもので、主にイースト菌を使わず水や油のみで作るものが大半だった。そのためヨーロッパのパンのような膨らんだものを見るのは初めてだった。
「こんなボールみたいなパン? 本当にパンなの…?」
「食べていいよ」
ナビラはかじりつく。そして目を輝かせる。ふわっとクロワッサン状のパン生地が口の中でサクサクと心地よい音を立てる。初めての食感。そしてパンの中から生地の甘さとは別の魅惑的な味覚が広がる。
「甘い! 甘いよ、これ!」
ナビラは興奮してパンの中を覗き見る。ベネデッタは嬉しそうに笑う。
「ショコラティーンと言ってね、チョコの入ったパンさ」 ベネデッタが説明する。ナビラは次の一口を食べ始める。
「……こんなに美味しいパンが、それもこの街の外にあるだなんて!」
全部食べ終えたナビラは空を仰いで放心するようにつぶやいた。するとその様子を面白そうに眺めていたベネデッタの部下が近づく。
「よう、ナビラ。軍曹のパンはうまいだろ」
そう言いながらその部下もベネデッタからショコラティーンを受け取る。
「え、どういうこと? もしかしてこれ、ベネデッタが作ったの…?」
ナビラが驚きの表情でベネデッタを見る。ベネデッタはにやりと笑ってみせた。
「聖者様だ、聖者様がいる…っ!」
ナビラはおずおずと尊いものを崇めるかのようにベネデッタを見上げた。
「そんな大げさだな」
ベネデッタは笑って手をふる。
「そんなに気に入ったなら、また作ってあげるさ」
◆◆◆
しばらくしてベネデッタたちの測量活動は終わった。しかしナビラは暇を見つけては基地へと遊びに行くようになった。ベネデッタのパンがその目的の半分、そして残り半分は彼女から街の外について聞くことに興味を持ったからだ。
「そう、私の生まれは北イタリアの山の中でね、なーんにも無いところだった。それが嫌で隣国フランスのマルセイユの親戚のパン屋に逃げたんだけどね、そこも2年くらいで飽きちゃってさ」
ナビラとベネデッタ、それとベネデッタの部下たちはテーブルを囲む。
「気づけばお金も無くなっちゃって、それでパン職人の募集があったから行ってみたらそこは軍隊でした、というオチさ」
部下たちがどっと笑う。
「しかしまあご飯係として入ったけど兵隊のお仕事やってるうちに馴染んじゃったね。パン作るより建物や橋作る方が性に合ってたし、おかげでいろんな場所に行けたし。まあ行き当たりばったり生きてるっちゃ生きてるかもだけど、ナビラみたいな面白い子に会えるなら、この稼業も悪いもんじゃないさ」
そうベネデッタは笑ってみせるのだった。
「ナビラ、もう軍の基地に行くのはやめなさい」
ある日、いつものように早めに基地に向かおうとしたナビラを父親はたしなめる。
「どうして? お父さんがいいっていったんでしょ?」
「それはそうだが…最近は物騒だしな。それにお前がフランス人と仲が良いという噂が立って世間体が悪い…」
「ベネデッタはイタリア人だよ?」
「ああ、ああ、父さんが悪かった。少しでも外国人と接してお前の見識が広がればと思ったが、これ以上はダメだ。…約束できるな?」
「…はい」
そうしてナビラはベネデッタと会えない日々が続いた。
ある日の学校の帰り道。ナビラは路地裏に会いたかった人物が壁に寄りかかって待っているのを見つける。ナビラは近づく。
「ベネデッタ」
「久しぶり。最近遊びに来てくれないから心配したよ」
「…ごめん。父さんがもう言っちゃダメって言ってて」
「うん、きっとそうなのかなって思ってた」
ベネデッタはナビラを見つめるとにかりと笑う。
「そうそう、今日はこれをあげようと思って来たんだ」
そして一冊の小さな本を差し出す。アルファベットで書かれた表題にパンの写真が載っている。
「私がパン屋時代に買った料理本があったんだ。これをナビラにあげる」
ナビラは受け取る。
「またそのうち会いに来るさ。まだしばらくはこの街にいるからね」
家に帰るとナビラはベネデッタからもらった料理本を眺めた。大体は写真でわかる。分からないところは父の部屋からフランス語の辞書を借りて単語を調べた。だいたいが食材か調理法についての内容だったので、いくつかの単語を調べれば難なく読むことが出来た。
翌日からナビラは帰ってくるなり台所に籠もるようになった。食材屋で材料を買い集め実際にヨーロッパのパンを作ってみる。しかし思ったような味にはならない。
最初はそれを感心して観察していた両親も、娘が得体のしれない、しかも食べられないものを量産していることに気付くと呆れはじめた。
「あなた、どれだけ材料を無駄にしたら気が済むの?」
ついに母親が言った。娘とその隣に山積みになった焦げた物体を交互に眺め、ため息をつく。
「む、上手くいかないんだもの。ちょっと母さんも作ってみてよ!」
そう言い料理本を押し付ける。母親がため息をつきながら料理本に目をやりつつパンを作り始めた。焼き上げてなんとなくそれっぽい形にはなるものの、本の写真とは雲泥の差だ。
「あら、うまくいかないねえ…」
「えっ…」
母親はもう一度本を読み何が間違っていたか調べようとするも、すぐに諦める。
「まあ、こんなの街の誰も食べたこともないから作れなくて当然よ。それよりナビラも料理に興味を持ったなら、これから私のお手伝いをしなさいな。どうせいつか始めなきゃだし、良い機会でしょ」
この街の誰も作れない……その言葉に衝撃を受けたナビラは、その後に続く母親の言葉は頭に入ってこない。料理本を手に取ると駆け出していた。
自分には料理の才能がない!
それにこの街の人達も作れないなら…
ベネデッタたちが帰っちゃったら、もうあのパンは食べれない…!?
◆◆◆
翌朝、寝不足で目に隈を作ったナビラは学校への道をとぼとぼと歩いていた。一晩中ベネデッタたちが居なくなった後のことを考えて寝付けなかったのだ。ナビラは学校へ向かう途中、自然とベネ デッタのいる基地の方へと足を向けていた。朝の時間なら父親にばれる心配もないし少しくらいなら…。そんな軽い気持ちで基地を除くと入口にいくつもの小型トラックが並んでいた。
覗き見るとベネデッタがそこにいた。入口の近くで10人ほどの部下を前に何やら話しかけている。
「今日は隣の村の井戸の修理に向かう。安全圏内だとは言え基地の警備範囲から外れるので油断しないように」
ベネデッタの話す流暢なフランス語をナビラはほとんど理解できなかった。ただベネデッタたちが車に乗ってどこかへ行ってしまう。もしかしてヨーロッパに帰ってしまうのだろうか。……その結論に辿り着いたナビラはいてもたってもいられなくなった。こっそりトラックの荷台に忍び込む。
ベネデッタたちは4台の小型トラックに分乗すると街を出た。
トラックの車上にて。ベネデッタはぼうっと砂漠だらけの景色を眺めていた。
「どうしたんですか軍曹、最近元気ないじゃないですか」
隣の運転席の部下が声をかける。
「いや、威勢のいい食いしん坊がいないと、張り合いがないと思ってね」
「ナビラですか、確かに」
部下が頷く。
「まあ、仕方ないですね。俺たちはよそ者だし、いつかはどこかに行く身ですしね」
「そうっちゃ、そうなんだけどねえ…」
ベネデッタたちは到着すると、村の役人に連れられてさっそく井戸を調査する。ポンプ式の井戸だった。しかし動かそうとしても全く反応しない。
「シャフトが壊れているのかな、これは掘り返してどこが壊れているが調べないとな」
ベネデッタは部下に採掘用の機器を持ってくるように伝える。
「うおっ」
トラックへ向かった部下たちが驚きの声を上げる。そしてナビラを連れて部下たちが戻ってきた。
「ナビラ…お前どうして…」
「ベネデッタたちが国に帰っちゃうと思って、そしたら…いてもたってもいられなくて…」
「はあ…」
ベネデッタはため息をつく。結局ナビラのことは基地経由で学校に伝えることになり、ナビラはベネデッタたちの作業を待ち一緒に戻ることとなった。
井戸を掘り返すも炎天下では作業にならないので木陰で休憩を取る。サハラ砂漠は秋とはいえ日中の気温は30度を下らない。
「なんでこんなことをしでかしたんだ」
ナビラと果物の缶詰を食べながら、ベネデッタは険しい顔で質問する。
「ベネデッタがいなくなったら、あんなパン、もう食べられないんじゃないかって思って…」
ナビラがしょぼくれてそう答えると、しかめっつらをしていたベネデッタはその言葉に堪えきれずに笑い出す。
「プッ…、くくくっ、どこまでも食い意地の張ったやつだ」
「わ、笑うことはないでしょ!?」
ナビラは怒りながら反論する。
ベネデッタたちが作業をしている間、ナビラは村の中を歩き回っていた。ガルダイアほど大きな街ではないが、いままで一度も街から出たことのないナビラにとってはなにもかもが新鮮だった。様々な店や家を見て回る。美味しそうなお菓子を売っている店の前で目を輝かせるも、財布のお金が足らないことにがっかりする。ベネデッタにお金を借りられないか思案していると路地の裏でボソボソと低い男たちの声が聞こえた。
「フランス軍の奴ら、なんでこんなところに…」
彼らは確かにそう言った。ナビラがそっと近づくと兵隊が持つような武器を持った男たちが話込んでいるのが見えた。
「井戸を直しに来たって話だが、本当かねえ…」
「俺たちが迂回してガルダイアを攻撃する準備をしていることがバレたんじゃ…」
ナビラは音を立てないように注意しつつ、それでも急いでその場を後にする。慌てて作業中のベネデッタを呼び出した。
「今度はどうしたんだ」
「あっちに武器を持った人たちが!」
ナビラがそう言い終わるか終わらないかするうちに銃声が鳴り響いた。隊員たちはとっさに持ち場を離れ、遮蔽物のある場所に身を潜める。ベネデッタもナビラの頭を抱きしめると同じ様に隠れる。村人たちは慌ててその場から離れていった。ベネデッタは腰から拳銃を取り出すと叫 ぶ。
「全員、戦闘態勢! 互いにフォローしながら安全な場所を確保しろ!」
小さな商店に立てこもり、相手の攻撃に応戦するベネデッタと隊員たち。広場を挟み睨み合う。向こうも必要以上に近づかず膠着状態となる。
「駐車場で待機させていた連中は?」
「分かりません」
「まさかここが独立派の拠点だったとはね!」
ベネデッタは裏口に移動すると部下たちを呼び寄せる。
「それにしても相手の手勢はそこまで多くないようだ。…こちらを工兵だと思って侮っているのか? 腐っても我々は帝国外人部隊だぞ。田舎民兵ごときが、格の違いを見せてやろう」
ベネデッタは全員を扉に集めると移動の準備を始める。そしてナビラに近づく。
「ナビラ、もし何かあったらこの紐を引っ張れ。煙が出てすぐお前の場所に駆けつけられる」
ベネデッタはナビラに発煙筒を押し付けた。
「お前は終わるまでここに隠れてろ。絶対に動くなよ」
ナビラは両手で発煙筒を受け取ると黙って頷いた。ベネデッタたちは外に出る。そして戦闘慣れせず遮蔽物に身を隠しきれていない民兵たちの身体を次々と撃ち抜き始めた。彼女たちの射撃は正確だ。
フランス第三帝国外人部隊ーーーフランス帝国繁栄のため200年もの間、世界各地で戦い続けた歴戦の部隊。その伝統を受け継ぐベネデッタたちは難なく広場を制圧し駐車場に侵入する。そして警備をしていた民兵を倒し拘束されている仲間たちを救った。
「リーダーは誰だ。戦いを止めさせろ!」
負傷させた民兵にアラビア語で厳しく問いただす。
しかし次の瞬間、轟音と共に駐車していたトラックのうちの1台が豪快に吹き飛ぶ。慌てて物陰に隠れるベネデッタたち。
キュラキュラとキャタピラの金属の擦れる音とディーゼルエンジンの低い駆動音が場を支配する。
「あれは……少し厄介な相手だな」
大砲を車体と砲塔に1つずつ積んだ戦車が現れた。80年ほど昔、この土地を争った大国同士の戦争でフランスが使ったものだった。
「B1戦車か!」
部下たちがアサルトライフルで射撃するも、金属の虚しい反射音がするだけだ。
「装甲がやっかいですね。旧世紀のガラクタとはいえ戦車。対物ライフルでもあれば、イチコロなんですが…」
部下がぼやく。
「せめて爆薬があればどうにかできるんだが」
そう言いベネデッタは様々な資材を積み込んだ自分たちが乗ってきたトラックを睨む。しかしそこはすでに戦車の射程内で迂闊に近づくことはできない。
「…私が囮になって戦車の注意を引きつける。その間にお前達はトラックから爆薬を取り出して来い」
ベネデッタは立ち上がり物陰から飛び出すタイミングを伺う。すると少年のような声が頭上に響く。
「こっちだ!」
ナビラだった。屋根の発煙筒を戦車に投げつける。すぐさま煙が吐き出され、戦車と周りにいた民兵たちを覆い隠す。
「でかした!」
その隙を見てベネデッタがトラックへと駆け出す。突然の煙に相手は混乱してベネデッタの動きすら把握できていない。部下たちの援護射撃の下、ベネデッタはトラックに飛び込むと、爆薬の袋をいくつか取り出す。
慣れた手つきで爆薬に雷管を突き刺し即席の爆弾を作り上げると、それを戦車に向かって投げつけた。
轟音。
煙の中で慌てて反撃する民兵たちの銃声が聞こえる。煙をかき分け戦車が前進してくる。爆弾の衝撃でパニックを起こしたのだろう。そのままベネデッタたちと戦うでもなく、村の通りから広場に向かって駆けてゆく。ベネデッタたちは取り残された民兵たちを制圧すると、部下の一部を倒した民兵たちの見張りに残し、残りは戦車を追った。ナビラもそれを追いかける。
「ナビラ、よくやったぞ。兵隊の素質あるんじゃないか?」
てっきり叱られると思っていたナビラはその言葉に笑みをこぼす。ベネデッタたちが戦車の後を追うと、戦車は掘り返された井戸の溝にはまって動けなくなっていた。
フランス軍の援軍が村に到着し、民兵たちは武装解除された。ナビラとベネデッタはその様子を水を飲みながら眺める。
「これに懲りたら大人しくしてろよ?」
しかしナビラは首を横に振る。
「やだ! 今日この村に来て、新しいものたくさん見れたもの。こんなの、街の中にいるだけじゃわからないし」
「まったく、こいつは…」
怖い目にあったはずなのに懲りないナビラを前に、ベネデッタは可笑しそうに笑う。
この地域を始めとした北アフリカの独立勢力との戦いは、その半年後、政治的な解決を見せることになる。これらの地域は帝国から独立し、その軍隊は撤退を始める。
ベネデッタが去る日が来た。
「まだしばらくアルジェにいると思うから、何かあったら手紙でもよこしてよ」
ベネデッタはそう言うと、彼女の駐屯地の住所が書かれたメモを渡す。ナビラはそれを大事そうに受け取る。
「ベネデッタはこの仕事、楽しい?」
「楽しいかどうかで仕事はするもんじゃないからな。自分にとってやりやすいというか、居心地がいいというか…まあ嫌なこともたくさんあるけどね。でも、イタリアのド田舎にいた自分に とって、この仕事が自分と世界を繋ぐ架け橋になってくれたのは確かだね」
「架け橋…」
「あんたが大人になって、もしこの街から出たくなったらいつでも呼んでよ。迎えに来てあげるから」
ベネデッタはにかりと笑う。ナビラは小さく頷くのだった。
結局ナビラは大人になるのを待たずに、16歳のとき父親から押し付けられたお見合い話が原因で家族と大ゲンカの末に家を飛び出した。ベネデッタからもらった住所を頼りにアルジェまで長距離バスを乗り継ぎ、そしてそこで軍人としてのキャリアを始めることになる。
◆◆◆
「暑い…」
実家に滞在して数日。シャツと短パン姿のナビラは朝の日差しとそのじりじりとした暑さで目を覚ます。冷房は止まっていた。ナビラは上半身を起こすと額の汗をぬぐう。
「アブデルめ……まともに修理もできないのか…」
幼馴染のいい加減な顔を思い出してため息をつく。するとスマートフォンが鳴り響いた。ナビラはそれに出る。
「やあ、ナビラ。実家は満喫してる?」
ベネデッタだった。
「社長、いまどちらに? こちらは書類も揃ったので戻ろうと思います。マルセイユの事務所へ向かえばいいですか?」
「それなんだけどねえ、しばらく大勢での仕事はやめようと思って」
「はあ、そうですか」
「それでね! ちょうどナビラにいい仕事をもらってきたんだよ!」
ベネデッタがナビラのスマホに仕事内容を送る。それをナビラは読み上げる。
「クライブ商会の戦闘指導員? 相手は紅茶マフィア……?」
「そう、マフィアの子女たちの教育にベテランの兵士が欲しいんだって。ナビラなら年も近いしいいかなって。…たまにはこんな仕事もいいでしょ?」
「場所はエディンバラですか? …エディンバラってどこです?」
「イギリスだよ」
「イギリス…行ったことありませんが、ご飯、美味しいですかねえ…」
「フフッ、きっとナビラは気に入るよ。 イギリスは世界の大国だからねえ。…世界中の美味しい料理が集まってるよ」
「ほう、それは楽しみですね…!」
こうしてナビラはイギリス行きの準備を始める。そしてその後イギリスの地で生活を始めたナビラは、この時この仕事を引き受けたことをひどく後悔するはめになる。イギリスのご飯は…まあ、控えめに言って、そんなに特筆すべきものでは無かったためである。
しばらくは主に食事事情からベネデッタに騙されたと憤っていたナビラだったが、しかしそのイギリス行きは、また別の世界へ繋がっていた。
ナビラはイギリスの地で『エディンバラ・シンジケート』通称『クライブ商会』幹部の娘エミリ・トーヴィーの護衛兼教育係となる。そしてその2年後、エミリの海外交流の付き添いとして、日本の地を踏むことになるのだった。
<Fin>
【おまけ:ナビラ・ダルランの経歴】
[0歳] フランス帝国チェニス・アルジェリア王国ガルダイア市にて役人の娘として生まれる。
本名ナビラ・ムフスィー。
[12歳] フランス帝国軍ベネデッタ・オリアーリ軍曹と出会う。
[16歳] 家出。アルジェでベネデッタと再会。外人部隊に入隊。
入隊時に隊は偽名を付ける慣例があったので、ナビラは適当に当時のフランス大臣の名字をそのまま付け『ナビラ・ダルラン』となる。
空挺部隊に移籍していたベネデッタと共にキャリアを積む。
[19歳] フランス国籍取得。帝国内務省の特殊部隊にスカウトされる。
[20歳] フランス共和制へ。内務省特殊部隊が解体されナビラは無職となる。
ベネデッタが立ち上げた民間軍事会社『オリアーリ商会』に入社。
[22歳] 会社から出向でイギリスの紅茶マフィア『クライブ商会』に戦闘教官として招かれる。
エミリ・トーヴィーの護衛兼教育係となる。
[24歳] エミリの海外交流の付き添いで日本へ渡る。
そしてヨコハマ・シンジケートの依頼を受けてコウベの地へ調査に向かう。