研究の目的

葉緑体といえばチラコイド膜。そのチラコイド膜は極性脂質による脂質二重層をベースに、光合成タンパク質や色素が集まってできています。葉緑体の脂質の振る舞い(合成や輸送、タンパク質や色素との関わりなど)が分かれば、チラコイド膜がどのように作られどのように維持されるのか、すなわち、葉緑体の形成と発達の不思議を明らかにできるのではないか、そう考えて研究しています。

脂質とは

「炭水化物・蛋白質などとともに生体を構成する主な物質群の総称。(広辞苑 第七版、岩波書店)」すごく範囲の広い定義ですね。。。


生体膜を構成する脂質

片側に親水基(水と良く馴染む)、反対側に疎水基(水と反発し合う)をもつ極性脂質というタイプの脂質でできています。このような特徴を持った脂質分子が親水基を外側に、疎水基を内側にして多数並び、2重の層を作ります。脂質二重層とよばれるこの構造が生体膜の基本となります(図1)。

図1. 脂質二重層の模式図

リン脂質と糖脂質

生物には大きく分けて、リン脂質と糖脂質という、2つの極性脂質のクラスが存在します。リン脂質は親水性の頭部にリン酸を含むのに対し、糖脂質はリン酸ではなく、グルコースやガラクトースなどの糖を持ちます(図2)。リン脂質はほとんどの生物で主要な膜構成成分となっており、例えば、大腸菌では膜脂質のほぼすべてがリン脂質で占められています。ヒトの赤血球でも、膜脂質の約70%がリン脂質で占められます。


葉緑体の脂質

植物特有の細胞内小器官である葉緑体の膜は、リン脂質を主体とした一般的な生体膜とは大きく異なり、その多くが糖脂質で占められます。特に、光合成初期反応の場であるチラコイド膜では、全膜脂質の80%がガラクトースを含む脂質であるモノガラクトシルジアシルグリセロール(MGDG)とジガラクトシルジアシルグリセロール(DGDG)で、残りの10%程度が硫黄を含む糖脂質、スルホキノボシルジアシルグリセロール(SQDG)で占められています。リン脂質としては唯一、ホスファチジルグリセロール(PG)という、これも動物細胞ではあまり膜に使われない脂質が、最後の約10%を占めています(その他、ホスファチジルイノシトールというリン脂質も若干量あることが示されています)。 一方、葉緑体以外の膜は、植物細胞でも大部分がリン脂質で作られています。どうして葉緑体だけがそのような不思議な脂質組成をしているのでしょうか。その鍵を握るのは、葉緑体の細胞内共生説です。


葉緑体の脂質組成はシアノバクテリアとよく似ている

葉緑体は、もともとは植物細胞とは別の生き物であったと考えられています。太古の昔に、酸素発生型の光合成を行っていたシアノバクテリアのなかまが植物細胞に取り込まれ、それが進化の過程で植物特有の細胞内小器官になったというのが、現在もっとも有力な説です。そして、シアノバクテリアは葉緑体とよく似た脂質組成をしています。つまり、3種の糖脂質(MGDG, DGDG, SQDG)とたった1種のリン脂質(PG)です。このことからも、シアノバクテリアと葉緑体は共通の祖先をもつことがうかがい知れます(図3)。ただし、これらの脂質を合成する酵素の由来は両者で大きく違っているのは興味深い点で、それについていずれ別ページに書きます。


葉緑体の脂質の役割

太古の昔に植物細胞内に入り込んで以来、ずっとシアノバクテリアだったころと同じような脂質を使ってきたとすると、そこにはどのような理由があるでしょうか。ひとつの可能性として、そういった脂質が、光合成と切っても切り離せない関係があったからということが考えられます。おそらく、シアノバクテリアも太古の昔から今に至るまで、ずっと上述したような脂質をチラコイド膜に使ってきたのでしょう。よほど深い事情があるに違いありません。その隠された事情こそ、私が葉緑体の脂質に着目するひとつの大きな理由です。

図2. リン脂質と糖脂質の模式図


図3. シアノバクテリアと高等植物のオルガネラにおける脂質組成の比較

小林 (2009) 光合成研究, 19:52-58 より

葉緑体の膜脂質研究で分かること

単細胞藻類などでは、基本的に葉緑体はずっと葉緑体です。光合成により光エネルギーを利用可能な形にするのが課せられた使命です。一方、多細胞化した陸上植物、特に高度に複雑化した種子植物では、葉緑体は色々なタイプに分化します。種子の細胞中では、葉緑体はチラコイドのような内膜系をほとんど持たない原色素体に退化していますが、植物体の発達の過程で、葉では葉緑体、根や花弁では光合成をしないタイプの色素体(アミロプラストや有色体など)に分化します。植物の一生を考えると、光合成を行う葉緑体の発達がやはり非常に重要なわけですが、その仕組みや過程は、分子レベルでは未だによく分かっていません。ところで、葉緑体とは、チラコイド膜を発達させて光合成を行う色素体のことですので、葉緑体になるかどうかは、チラコイド膜を発達させるかどうかで決まるといえます。さらに、チラコイド膜のベースは脂質二重層ですので、膜脂質の存在や振る舞いがその命運を握っているといっても間違いではないでしょう。そのようなわけで、葉緑体の膜脂質のことが深く理解できれば、葉緑体の発達の仕組みや過程、その制御を明らかにできると考え、研究を行っています。