【第5回】福元広二 先生
【第5回】福元広二 先生
英語史・英語学を専門とする研究者の先生方にインタビューをするコーナー。今回からは新シリーズとして法政大学の福元広二先生に英語・英語史との出会いやその魅力、研究についてのお話を伺いました。
法政大学 文学部英文学科 教授
専門は英語史・英語学。特にシェイクスピア作品をはじめとする初期近代英語期の意味論、文法化、歴史語用論を中心に研究を行っている。広島大学にてPh.D.を取得。鳥取大学講師・准教授、広島修道大学教授などを経て現職。
(*所属等はインタビュー当時のものになります)
── 英語との出会いを教えてください。
英語に興味を持ったきっかけは、おそらく中学校時代の英語の先生との出会いだったと思います。中学2年生と3年生の2年間担当していただいたのですが、とても素晴らしい先生でした。中でも特に印象に残っているのは、定期テスト前に設けられていた1時間の質問の時間です。先生は教室の前に座り、どんなに細かいことや些細なことでも真剣に答えてくださいました。英語が得意な人も苦手な人も、何でも質問してよいという形式だったので、本当に充実した時間でした。時には1時間では終わらず、延長することもありました。そうした環境の中で、英語について考えたり質問したりすること自体が楽しくなり、英語が好きになっていったのだと思います。ただ、たとえば「goの過去形はなぜgoedではなくwentなのですか」といった質問をすると、「それはそのまま覚えなさい」と言われることもありました。当時はそれを不思議とも思わず、「そういうものなのだ」と受け止めて丸暗記していました。それでも、文法の誤りをどう直せばよいかなどを丁寧に教えていただけたことは、自分にとって大きかったと思います。
── 英語史との出会いはどのようなものだったのでしょうか?
私が入学した大学は、1年生の段階では専攻が決まっておらず、2年生からコース分けされる制度でした。1年生のときに第二外国語として選択したドイツ語の先生がとても素晴らしく、ドイツ語にも強く惹かれたため、2年生からドイツ語のコースに進むことも考えました。ただ、将来は英語の教員になりたいという思いがもともとあり、その進路とのつながりを考えて、最終的には英文コースに進学しました。英文コースには、イギリス文学、アメリカ文学、英語学の先生方がおられ、そのうち英語学の先生が英語史をご専門にされていました。そこで初めて「英語史」という言葉を知り、英語学や英語史という分野の存在を意識するようになりました。
学部2年生の頃は、英語史についての知識はほとんどなく、最初はただ授業に出ているという感覚でした。授業では、英語で書かれた英語史の教科書を学生が分担し、自分の担当箇所を発表していきました。初めのうちは授業を淡々とこなしているだけという感じでしたが、2年生から4年生まで英語史の授業を履修し、さらに英語学演習でChaucerやShakespeareの作品を読むようになると、次第に面白さが分かってきました。予習のためにOEDやグロッサリーを引き、研究書を調べていくうちに、ばらばらだった知識の点が線でつながっていくような感覚がありました。また、英語史の本といってもその内容や特徴はそれぞれ異なるのだということも、いろいろな本を読み比べるなかで初めて理解できました。
── 卒業論文の研究テーマは何でしたか?
英語学講義で意味論の本を読んでいたとき、私は意味論、特に動詞の意味変化に興味を持ち始めました。そうした関心から、動詞の意味変化が借用によってどのように生じるのかにも目が向くようになりました。そこで、英語本来語と借用語の競合関係を論じたRynell (1948)1を参考にし、卒業論文では古ノルド語(ON)から借用されたtake以外のいくつかの動詞を取り上げ、ON借用語が英語にどのような影響を与えたのかを考察しました。アングロサクソン人と同じゲルマン系の民族であるバイキングたちの言語、すなわち古ノルド語から借用された動詞が英語に入ってきたことによって、もともとあった本来語は廃れたのか、意味変化を起こしたのか、あるいは現代英語にも残っているのか、そうした点を調査しました。今回のインタビューを通して、今でも私が英語の動詞に関心を持ち続けているのは、卒業論文の研究が出発点だったのだと改めて感じました。
── 教員になるのが夢だったとのことですが、大学院への進学はいつ決められたのですか?
学部生の頃から英語史を学ぶことに面白さを感じていましたので、その延長として大学院進学も考えました。しかし、小さい頃からの「教員になりたい」という夢を捨てきれず、大学卒業後すぐに高校の英語教員になりました。高校で教えることも本当に楽しかったのですが、英文法を教えていて、生徒から「なぜですか」と聞かれるたびに、自分自身が中学生の頃に先生へいろいろ質問していたことを思い出しました。高校生にも英語史の知識を伝えたいと思いながらも、学部レベルの知識では限界があると感じ、もう少し深く学問として勉強したいという思いが強くなりました。そうして、教員を辞めて大学院に進学しました。
── 大学院生活はどのようなものでしたか?
大学院の授業はすべて演習形式で、中英語、初期近代英語、後期近代英語の文学作品を学生が担当し、発表するというやり方でした。形式自体は学部時代と同じでしたが、驚いたのは調べ方の徹底ぶりでした。少し大げさに言えば、文学作品の一語一語をすべてOEDで調べているような感じでした。それだけではなく、グロッサリー、校訂本、研究書などを根拠として挙げながら詳しくコメントすることが求められました。そのため、大学院では授業のコマ数は少なかったものの、毎日、OEDという重たい紙の辞書を引く作業に追われていました。もちろん当時はまだパソコンもありませんでしたので、いつも図書館にこもって、辞書を引いたり資料を調べたりしながら予習をしていました。
修士論文では、当初はChaucerを研究したいと考えていましたが、授業や演習を通して、次第に初期近代英語の多様な表現や文法現象に強く惹かれるようになり、初期近代英語で論文を書こうと思うようになりました。Shakespeareはすでに研究が非常に進んでいましたので、彼と同時代のBen Jonsonの劇作品における言語的特徴を調べることにしました。学部時代の英語学演習でBen Jonsonの The English Grammar (1640) を読んでいたこともあり、ラテン語を模範とした彼の英文法観と、彼の劇作品に見られる実際の文法とを比較するのも面白そうだと思ったからです。研究を進めるうちに、王、貴族、平民、召使いなどさまざまな立場の登場人物が現れる劇作品は、言語使用の違いを比較しやすい資料であることに気づきました。そのため、初期近代英語の文法を、身分や性別による違いという観点から研究すると面白いのではないかと思うようになりました。そして最終的に、修士論文ではBen Jonsonの劇作品をデータとして、いくつかの項目を取り上げ、語用論や社会言語学の観点から調査しました。ただ、当時はまだ「語用論」という用語が十分に普及・定着しておらず、文体論や社会言語学という言葉を使って説明していました。しかし、実際に扱っていたのは、登場人物どうしの関係や場面に応じた言語使用の違いでしたので、その後、大学に就職してから「語用論」という言葉が広まり始めたとき、自分が取り組んでいた分野はまさに語用論だったのだと自覚するようになりました。
── 語用論の分野が生まれる時期に、ちょうど福元先生も語用論に関心を持たれたのですね。
そうですね。私の学部生時代は1980年代でした。当時はまだ語用論の研究書もほとんどなく、私が知っていたのは毛利 (1980)2とLeech (1983)3くらいでした。1990年代になると、語用論に関する単行本も徐々に出版されるようになった印象があります。私が大学院を修了し、大学に就職してしばらく経った1998年には、日本語用論学会の第1回大会が開催されました。そこからさらに語用論研究者も増え、この分野が広く知られるようになっていったのではないかと思います。ちょうど、日本において語用論という分野が立ち上がっていく時期を体感していたように思います。
── 博士論文に向けてはどのように研究が進展していったのでしょうか?
大学院の博士課程を単位取得退学し、大学に就職してからは、法助動詞の意味論について研究していました。そうしているうちに、文部科学省から在外研究の機会をいただけることになり、初期近代英語を専門とするSilvia Adamson先生のご指導を仰ぐことにしました。先生は当時ケンブリッジ大学で教鞭を執っておられたので、在外研究先もケンブリッジ大学に決めました。ところが、その後Adamson先生がケンブリッジ大学からマンチェスター大学へ異動されたため、私も最初はケンブリッジ大学に在籍していましたが、のちにAdamson先生のもとで学びたいと思い、マンチェスター大学へ移りました。マンチェスター大学に行って幸運だったのは、Silvia Adamson先生だけでなく、David Denison先生、Nigel Vincent先生、William Croft先生といった、文法化に関心を持つ先生方が多くいらっしゃったことです。そこで文法化についての授業を受けたり、相談に乗っていただいたりするなかで、博士論文は初期近代英語における文法化をテーマにしようと決めました。
ちょうどその頃、Windows 95(1995年)の発売によってパソコンも普及し始め、さらにコーパスも利用されるようになってきました。Helsinki CorpusのCD-ROM版も発売され、研究データとして活用できるようになりました。そこで博士論文では、初期近代英語の劇作品とHelsinki Corpusを用いて、発話動詞の文法化というテーマで博士論文を書き上げました。博士論文の執筆にあたっては、Elizabeth Traugott先生、Laurel Brinton先生、秋元実治先生らによる文法化に関する一連の論文や単行本がちょうど出始めた頃であり、それらは執筆にあたって大いに参考になりました。
── ご自身の研究の発展と、英語史・英語学研究全体における変化がリンクしていたのですね。
はい。1990年頃から2000年頃にかけて、私が大学院生から大学教員として駆け出しの頃だった約10年間は、語用論や認知言語学といった新しい研究が本格化したことと、パソコンやコーパスが普及し始めたことが、不思議なくらい重なっていた時期だったと思います。私にとっては、まさにパラダイムシフトが起きたような感覚でした。こうした新しい動きの始まりが、自分の関心とちょうど重なっていたからこそ、研究が楽しく、深くのめり込むことができたのかもしれません。世の中全体としては生成文法の時代でしたが、私自身は英語史に興味を持ち、そこから語用論、さらに文法化へと関心を広げていく過程そのものがとても楽しかったですね。
── 博士号取得後はどのような研究をされてきましたか。
日本における歴史語用論研究は、2005年に日本語用論学会で行われた「歴史語用論」のシンポジウムから始まったように思います。その後まもなく、学習院大学で「歴史語用論研究会」が始まりました。そして現在では、「HiSoPra*」(歴史社会言語学・歴史語用論研究会)という研究会へと拡大・発展しています。私は、博士論文以来、発話動詞や文法化を通して発話行為や対人関係に関心を持っていましたので、これらのシンポジウムや研究会に参加しながら、歴史語用論の観点から研究を続けてきました。特に、私は劇作品をデータとして、話し手と聞き手との関係、あるいは話し手の社会的役割や属性に主な関心を持ち続けています。研究テーマとしては、発話動詞だけでなく、初期近代英語期における語用論標識(pragmatic marker)全般へと関心の幅を広げてきました。現在は、その中でも特に、主語と動詞を含む挿入節である評言節(comment clause)について、文法化の観点から研究しているところです。
1 Rynell, Alarik. The Rivalry of Scandinavian and Native Synonyms in Middle English: Especially Taken and Nimen, with an Excursus on Nema and Taka in Old Scandinavian. C.W.K. Gleerup, 1948.
2 毛利可信 『英語の語用論』 大修館書店、1980年。
3 Leech, Geoffrey N. Principles of Pragmatics. Longman, 1983.
こちらは『英語史新聞』第13号にて公開されている、福元先生へのインタビューの前編と同一の内容になります。第14号の後編の公開にあわせてこちらのページも更新されますので、次号の公開をお待ちください!