【第2回】矢冨弘 先生
『英語史新聞』4号より始まった、英語学・英語史を専門とする研究者の方にご自身のルーツや英語史の魅力を伺う新企画。第2回は、『英語史新聞』の発行元であるkhelf内でもご講演をいただくなど、大変お世話になっている熊本学園大学の矢冨弘先生にお話を伺うことが出来ました!
矢冨弘 先生
熊本学園大学 外国語学部 英文学科 講師
英語史、社会言語学、文献学が専門。とりわけ助動詞doの発達や三人称単数語尾の-thから-sへの変遷、二人称代名詞thouの衰退などに関心を持ち、講演、執筆も多数。
(*所属等は『英語史新聞』第7号発行当時のものになります)
英語・英語史に興味を持ったきっかけは?
私は山口県出身で、田んぼに囲まれたようなところで育ちました。家庭は田舎によくある保守的な感じで、親も特別教育熱心というわけではなかったですね。英語や海外などとは全く無縁の環境でした。英語との出会いは中学校の義務教育。正直、最初は英語は好きではなかったですね。。。
---!?
単語とか綴り、文法とかの「なんでこうなるの?」という疑問が大きかったんです。中学校の先生に尋ねても、「覚えなさい」という一辺倒な答えしか返ってこないことも多く、疑問は解消されないままモヤモヤとしていました。ただ、高校生になると少し心境の変化があり、そういった疑問はとりあえずしまい込んで、英語をコミュニケーションのツールとして勉強しようと転換しました。実際、自分の英語が通じるという感覚がクセになって、大学でも英語を専門的に学びたいと思うようになりました。大学進学後は英語の運用能力を高めたり、フランス語やドイツ語といった外国語を学習するうちに、語学で身を立てたいという思いが強くなりました。同時に、言葉の不思議な魅力に惹き込まれていきました。例えば、「眼鏡」は英語ではglasses、フランス語ではlunettesと複数形なのですが、ドイツ語ではBrilleと単数形だと知って、なんでだろう?と一人で疑問に思っていました(笑)大学在学中には翻訳家になるためにいろいろな本を文字通り読み漁っていて、そのとき偶然英語史の本に出合うことになります。中学生の頃の疑問が次々に氷解していくことに、雷に打たれたような衝撃受け、知的興奮を覚えました。
大学から大学院へ
大学院への進学は決めていたのですが、ずっと翻訳家を志してきましたので、翻訳をやるのか英語史をやるのか悩みました。しかし、先ほど述べたような経験をしてしまった以上、もう英語史を専門的に勉強するしかない!となぜか自分の中で思い込んでいました。当時の大学では英語史を専門とする教員はいなかったため、大学の先生に片っ端から相談したところ、ある先生から京都大学の家入葉子先生を紹介していただきました。先生方の反応は「なぜまた英語史を?」という感じだったのですが、めげずに相談してみてよかったなと今でも思います。そしてすぐに連絡をとり、夜行バスで京都まで家入先生に会いに行きました。その時に、一口に言語学といってもいろいろな分野があり、様々な大学院にいろいろな専門分野の先生がいらっしゃることがより体感的に理解でき、学問の道が開けたような気がしました。様々な大学院を見たのですが、最終的には京都大学の家入先生のもとで英語史を学び研究することにしました。
大学院での研究は?
中学生の時から助動詞のdoについては疑問を持っていました。疑問文や否定文なんかで使う、あのdoですね。その発達段階に特に興味があったので、初期近代英語(1500-1700年の英語)の英語を研究することにしました。作品については、初期近代と言えばシェイクスピアかなと。いろいろと調べているうちに、シェイクスピアのdoについては個々の作品に関しての研究があるのですが、すべての作品を扱っていたものはなかったということがわかりました。なので、修士論文ではシェイクスピアのすべての作品のdoを調査しようと決めました。メジャーなテーマとメジャーな作品を掛け合わせたとも言えそうですね。
---do以外とかも考えたりはされたのですか?
doについては先行研究も数多くて、それらを調べるだけでも大変でした。だからこそ、たくさんの文献を漁っているうちに引き返せない感みたいなのもありましたね。。。あとは僕、結構勢いで進めてしまうような部分があって、研究のやりやすさよりも、興味があるのであればとりあえず突き進んでみようという感じですね(笑)。
博士課程、グラスゴーへ
修士課程に入ったときはまだ決めていなかったのですが、やっぱりもっと研究をしたいと思って、博士課程への進学を決めました。その時には海外に行って、有名な研究者がゴロゴロいるようなところに身を置きたいなと漠然と思っていました。大学院を選ぶ際には、指導教官を見つけなくてはならないのですが、きっかけは修士2年目のときに大阪で開催された国際学会です。そのとき偶然、とても感じの良い英国紳士と出会ったんですね。ビビッときました(笑)後々、グラスゴー大学のジェレミー・スミス(Jeremy Smith)という英語史の権威だということがわかり、これは縁だなと思ってグラスゴー大学の博士課程に進学することに決めました。khelf主宰の堀田隆一先生含め、スミス先生はこれまでにも日本人学生を指導されたこともあることもポイントでした。連絡したところ「来ていいよ」とのことだったので、すぐ行きました。
---すぐ行ったのですか!?
そうですね、すぐ行きました…行けば何とかなるかなと思って。実際、何とかなりました(笑)。京大の修士課程のときもそうですが、とりあえず勢いで行っちゃうんですよね。あとは当時、堀田先生に相談した際の「すぐに行った方が良い」とのアドバイスもより僕を後押ししてくれましたね(笑)博士課程での研究テーマですが、私は継続してdoの研究をと考えていたのですが、スミス先生は他の言語現象にも目を向けていくべきだと考えていました。初めは思う所もあったのですが、せっかく地球の裏側まで来て、素晴らしい先生に指導してもらえるのだから、博士課程のうちはできるだけスミス先生の考えを受け入れて、吸収していこうと考えるようになりました。その結果、言語変化のhow & whyに対して、言語使用者を主体としてコミュニティとアイデンティティの関係で捉えるという研究に発展させることができました。イギリスでの研究生活で、自分の研究の幅を大きく広げることができたなと実感しています。
ここからは『英語史新聞』第7号の内容になります。
矢冨先生は研究ということについて、どんなところに魅力を感じますか?
大学の頃までは、どんなことにも「答え」があり、誰か偉い人がその答えを知っているんだと漠然と思っていました。例えば受験の問題だと、絶対に答えが用意されているじゃないですか。でも、実は世の中そんなふうにはなってなくて、答えがないことに溢れていることに気付きました。そういった答えのない問題に対して、自分で答えを見つけ出し、それを他の人にも説明することが出来るというところに魅力を感じますね。僕結構、言われたことを素直にそのままできないっていうか、こう、指示通りにできないところがあるんですよ(笑)。でも研究って、論理的にやってさえすれば、自分なりのやり方でもある程度許されるんですよ。むしろオリジナリティという点で評価される場合もありますね。そういう所が好きだし、自分に向いてるかなって思います。また、僕の場合は近代の英語を研究しているわけですが、その当時の人々のことが見えてくるのもいいなと思う所です。言葉は人間を写す鏡なわけですが、文献を読み込むことで当時の人々の営みが少しづつわかってくるようになる(気がする?)のも、研究をしていて面白いなと思えるところです。
矢冨先生が思う英語史の魅力とは?
ロマンですね!(笑)。僕の小さい頃の夢は魔法使いになることでした。魔法使いといえば、火の玉を飛ばしたり、未来を予知したりするイメージがあるかもしれません。もちろん成長するにつれて魔法使いという職業がないことも、ダーマ神殿で転職ができるわけでもないことに気付くのですが、現代における一番近い職業は科学者や研究者なんじゃないかと勝手に思っています。化学を応用して火の玉を作ることもできるだろうし、気象学を学べばある程度未来の天気や気候を予測できます。その知識がない人にとってはまるで魔法ですよね。そんな魔法使いの一つのイメージとして、古(いにしえ)の謎の文字を解読したり、古めかしい文献を読み耽るというのもあるかと思います。深夜に手元のライトだけで中世の写本を読んでいるときなんかは、思いっきり自分の世界に浸っていますね。
あとは学問分野自体の魅力ですね。英語史は、学んだり研究したりすることでとても有益な分野だと思います。例えば、ゼミで卒論指導をするときは、①まず疑問をもって、②それに対して答えるための道筋を自分で立てて調査し、③わかりやすく人に伝える、という3つのプロセスを大切にしています。他の分野でもそうだと思いますが、英語史という分野は文化や日常的な慣習など、多岐にわたる分野と関係していますので、さまざまなアプローチがしやすいと思います。あと、英語って中学や高校で習う分、多くの人にとって身近ですよね。だからこそ、素朴な疑問ってたくさんあると思うんですよ。さっきの話ともすこし重なるんですが、僕にとっての言語研究は人間理解の延長にあるものだと思っています。当時の人々が何を考え、何をしていたのかという所まで踏み込んで議論できるのも、英語史の魅力の一つかと思います。
貴重なお話をありがとうございました!最後に、英語史新聞の読者に一言いただけますでしょうか…?
ここまでお読みいただきありがとうございました。英語史に興味のある方々、狭い世界なので実際にお会いしたりお話しすることがあるかもしれません。そういう機会を楽しみにしています。また、英語史はもっともっと認知されるべき、様々な応用がきく分野だと思いますので、ぜひ周りの方にも(この英語史新聞から!)薦めていただければ嬉しいです!
私の推し本
Evans, Mel. The Language of Queen Elizabeth Ⅰ: A Sociolinguistic Perspective on Royal Style and Identity. Blackwell, 2013.
武内信一『英語文化史を知るための15章』研究社, 2009年.
まずぱっと考えて出てくるのは、Dr Mel EvansのThe Language of Queen Elizabeth I: A Sociolinguistic Perspective on Royal Style and Identity (2013)ですかね。タイトルの通り、エリザベス1世の個人言語についての社会言語学の研究で、僕がイギリス留学に旅立つ直前に出合った本です。読んだときワクワクが止まらなくて、自分もこんな研究がしたい!と強く思って、研究生活の大きなモチベーションになりました。助動詞のdoや関係代名詞who/whichの使用とその変化を多岐にわたる視点から分析したもので、歴史社会言語学の手法を学ぶのにとても参考になりました。Evans先生は比較的若手の研究者で、このまえイギリスの学会でお会いして、現在も新進気鋭の英語史学者として活躍しておられました。こちらは研究書ですので、ややとっつきにくいかもしれません。
もう少し一般的な本であげますと、最近とても楽しく拝読したものに『英語文化史を知るための15章』 (武内信一、2009)があります。こちらは、いわゆる一般的な英語史の本とは少し違うのですが、文化的、文学的な視点がふんだんに詰まっています。英語文化史と銘打っており、「人」を中心に、「歴史」「文化」「言語」にアプローチすることが冒頭でも示されています。まさに僕の興味のある、文献学的要素と社会言語学的要素を組み込んだオリジナリティある視点だと感じました。例えば、アーサー王伝説が建国神話として政治的に利用されてきた経緯であるとか、ジェームズ1世のたばこ反対論が当時の政治・宗教的情勢と深く結びついていたりといったことです。言葉そのものはもちろん、人々がどのように言葉を捉えていたのかという所がとても興味深いです。僕自身、いつかこのようなオリジナリティのある英語史の本を書くことができればなと思います。