『英語史新聞』4号より始まった、英語学・英語史を専門とする研究者の方にご自身のルーツや英語史の魅力を伺う新企画。記念すべき第1回目は、『英語史新聞』の発行元である khelf で数年に渡りご講演いただく等ゆかりの深い、専修大学の菊地翔太先生にお聞きします。

前編となる本号では、波乱に満ちた英語学習や、恩師との思い出を語っていただきましたが、紙面の都合上掲載できなかったお話を完全版として HP で公開いたします。


菊地翔太先生

専修大学 文学部 英語英米文学科 講師。


初期近代英語の戯曲における文法(形態・統語)、特に関係詞が専門。

また、世界英語や、GloWbE、eWAVE 等の英語変種コーパス・データベースについて多数講演、執筆。

──英語・英語史に興味を持ったきっかけを教えて下さい。


 英語との出会いは小学生のときでした。小学校4年生の頃、母の友人のイギリス人と一緒に外出する機会があったのですが、彼は街の看板などで間違って使われている英語を見つけるたびに、語学的な観点からどこがおかしいのか説明してくれました。例えば、近所のペットショップが “We love dog.”と書いてある看板を掲げているのを見て、「この店に犬を預けたら、もう2度と帰って来ないよ」と冗談交じりに話してくれたことを覚えています。看板の英文を直訳すると「私たちは犬の肉が好きです」という意味になるんだよと教えてくれました。


──可算・不可算名詞を学ぶ際によく使われる例ですが、本当にそんなことがあるんですね。


 このような経験を通して、英語の面白さや奥深さに早い段階から目覚めていたと思います。

 他にも、中学生の頃に、NBAの選手が“Ball don’t lie.”と言うのを聞いて、doesn’tではなくdon’tが使われていることを不思議に思いました。「ボールは裏切らない」という意味の表現で、ファールの判定が誤審だったと主張する時によく使われます。典型的には、ファールの結果として(不正に)獲得したフリースローを相手が外した場合に使われますね。

 中学校に入って英語を本格的に学び始めてからもずっと英語に夢中でした。中学生の頃は、英会話を心から楽しんでいて、グループ英会話の大会では県大会まで行くことができました。話す際にはあまり文法を意識していなかったのですが、徐々に正しい文法に従うことが美徳だと思うようになっていきました。


──それはかなりの変化ですね。


 高校1年生の時に海外研修でイギリスに行ったことがターニングポイントでした。自分の言いたいことが思うように伝えられず、相手が言っていることもよくわからなくて。自分はあまり英語ができないのではと落ち込んでしまいました。一緒に行った友人は問題なくコミュニケーションがとれていたことも、コンプレックスの原因になっていたように思います。

 そこで、勝負する場を変えようという気持ちになり、文法と単語の学習に没頭し始めたのが海外研修からの帰国後ですね。「受験英語は裏切らない」(笑)との想いから、受験英語を極めてまずは読み書き能力を向上させようと考えるようになりました。そのような方向で英語を極めたいと考えたときに、後の母校となる東京外国語大学に進学したいという気持ちが芽生えました。母校である日立第一高等学校の先生方(特に、担任の磯崎先生、英語の青柳先生、世界史の井坂先生)も進学に向けて惜しみないサポートをしてくださいました。


──海外研修に行くと、以前よりもコミュニケーションに前向きになりそうなものですが…。


 受験英語ばかりやっていて本当に英語が使えるのかと周りからも心配され、高校2年生の頃、英会話スクールに通い始めたのですが、学校で学んだ文法や語法を間違える度に悔しい思いをするのが嫌になり、徐々に行かなくなってしまいました。“apologize to人 for 理由”と言わなければいけないところを、“apologize for人 to理由”と言ってしまったことをネイティブの先生に指摘されたことが一番悔しかったですね(笑)。


──コミュニケーションよりも文法や単語を覚える方が好き、という考えは変わらず大学に進学されたのですか?


 はい。英語を使ったコミュニケーションよりも、英語という言語そのものに強い関心がありました。恥ずかしながら、進学時には、受験英語ができる方だと思い込んでいたので自分の英語力に自惚れている部分がありました。そんなときに恩師の浦田和幸先生(東京外国語大学)に出会って、自分がいかに無知かを思い知らされました。浦田先生の学問へのストイックな姿勢や、学生との高い次元の学びを通じて自分をさらに高めようとする姿勢に憧れて、研究者を志すようになりました。


――それ以前までは研究者の道は考えていなかったんですか?


 全く考えていませんでした。周りの友人と同じように一般企業に就職するんだろうなと漠然と考えていました。浦田先生と出会って、研究者を目指そうというスイッチが入ったように思います。浦田先生の授業を通じて、英語史を学ぶとこれまでの学習で抱いてきた英語に関する素朴な疑問の多くが解けることを知り、知的好奇心が強く刺激されました。


──その後は、浦田先生のもとでご研究をされたんですか?


 はい、大学3年生のときに浦田先生のゼミに入りました。ただ、その当時は勘違い期に入っていて、ネットで調べた知識を披露して得意げになっていたんです。


──そこはネットなんですね(笑)。


 そこがポイントなんですよ。そういう姿勢を浦田先生は見逃さないわけです。初回のゼミの授業で発言した際に、浦田先生に「たしかに面白いことを言ってくれたね、でもそれはどこで調べたんですか」と聞かれて、「インターネットです」と答えると、「インターネットのどこですか」と追及されました。「学問の世界ではきちんと参照すべき辞典や書籍があって、そういうものを確認せずに論じるのは甘いよ」と指摘されて、泣きそうになりました(笑)。浦田先生は、私が大学院に進学できるよう、折に触れて私の甘いところを厳しく指摘してくださいました。先生は、学生からの質問に対して直接はお答えしないという指導方針でした。例えば、「図書館のこの辺りにある本を見てみたら」、等と示唆するような形で助言してくださいます。先生からのご助言をもとに自分で調べたことを報告すると褒めてくださる、そういうスタイルの先生でした。それが私にはとても良かったですね。「アメとムチ」というのも先生から学んだ教育上の哲学のひとつだと思っています。学部4年生になると参照すべき書籍や研究の作法というものが少しずつわかってきて、卒業論文ではShakespeareの関係詞について調査しました。


──恩師の影響がかなり大きかったのですね。


 英文法に敏感な中高時代を過ごしたのちに、大学で英語史に出会い、英語に見られる不規則性や多様性の背景に歴史があることを知ったことで、この分野の面白さを実感しました。そして、熱意を持って指導されている浦田先生の姿勢に感銘を受け、浦田先生のような教育者・研究者になりたいという気持ちが強くなりました。浦田先生との出会いがなければ、他の道に進んでいたかもしれません。


──大学院ではどのように過ごされていましたか?


 卒業後は、浦田先生の薦めもあって、東京大学の大学院に進学し、寺澤盾先生(現在青山学院大学)のもとで研究を行うことになりました。研究者になりたいという自分自身の目的の達成のために大学院の門を叩きましたが、進学後は、英語史の裾野を広げ、皆で盛り上げていこうという寺澤先生をはじめとした先生方に強く影響を受け、自分も一翼を担いたい、次の世代にも刺激を与えられるような研究者になりたいという想いを強くしました。寺澤先生が毎年開催されていた駒場英語史研究会(※1)では、英語史を専門としている関東の大学の先生方や学生と親睦を深める機会があり、自分もこの共同体の一員として責任を持って英語史に向き合わなければいけないという気持ちをより一層強めることになりました。khelf主催の堀田隆一先生と出会ったのも駒場英語史研究会です。お会いする度に「菊地君、最近調子はどう?」とお声をかけていただき、とても励みになりました。

 大学院時代は、多くの先生方や先輩方に支えていただきながら、のびのびと研究に打ち込むことができた人生においてとても貴重な時間でした。寺澤先生には、修士論文から博士論文にいたるまで長期間にわたり、厳しくも温かいご指導をいただき、私の研究を正しい方向へと導いていただきました。寺澤ゼミの先輩である中山匡美さんと野々宮鮎美さんにも大変お世話になりました。理想のロールモデルであるお二人の存在は、私にとって常に心の支えでした。


──先ほどお話にありましたが、現在もShakespeareの文法をご専門にされています。そのきっかけについても聞かせていただけますか?


 高校時代は「学校文法・受験英語大好き人間」だったので(笑)、そこで教わったことが唯一の正解だと思っていたんです。しかし、大学でShakespeare講読の授業を受けて、過去の英語は現代英語と大きく異なっていて、現代のルールが必ずしも当てはまらないということに初めて気がつきました。特に目を引いたのが関係詞の使われ方でした。私は中学時代から関係詞に強い関心があり、特に、表現にバリエーションがあることや釈然としないルールが存在することを疑問に思っていました。前者の例には、「物が先行詞の時はthatでもwhichでもよい」、「目的語の機能ではwhomが使われるがwhoも使われる」等がありますね。また、後者の例としては、「非制限用法ではthatは使えない」、「目的語の機能の関係代名詞は省略が可能だが、主語の機能の関係代名詞は省略できない」等のルールを指摘できると思います。腑に落ちない思いを抱きながらも英語はきっとそういう言語なんだろうと思い込んでいたので、Shakespeareの作品で、非制限用法で使われているthatや“There is a man wants to see you.”のような主語の機能の関係代名詞が欠落している現象に出会い、現代の標準英語では認められないような用法が400年前には普通に使われていたことを知ったときには強い衝撃を受けました。どのような条件でこのような関係詞の用法が現れるのかを自分の手で明らかにしたいと思い、卒業論文では、四大悲劇を取り上げ、文法的機能(主語・目的語等)、先行詞の種類(人間・物)、関係節の種類(制限節・非制限節)といった統語的な切り口から関係詞の分布を調査しました。

 卒業論文では議論できなかったのですが、劇作品を読んでいく中で、登場人物によって関係詞の選択が異なるのではないかという漠然とした印象を抱いていました。このような視点の研究が歴史社会言語学の分野で盛り上がりを見せていると大学院進学後に寺澤先生からご教示いただき、修士論文では、劇中の登場人物の階級・性別・年齢などの社会言語学的な変数に焦点を当てた研究を行いました。


──博士課程に進んで以降の研究についても教えて下さい。


 同時代の他の作家と比較した際に、Shakespeareの関係詞の使い方がかなり独特だということに気がついたのがきっかけで、博士課程ではShakespeareとFletcher(※2)の比較研究を行いました。作家間に見られる関係詞の使い方の違いに着目すれば、執筆者が不確かな合作に執筆分担の証拠を提示することができるかもしれないという可能性が念頭にありました。歴史社会言語学のアプローチを取り入れてこの問題に迫ってみたいとの思いから、博士課程の途中でスコットランドへ留学に行き、同様の研究を過去になさっていたJonathan Hope先生(ストラスクライド大学)に1年間師事しました。

 もともとはwh-で始まる関係詞のみを調査しようという計画だったのですが、Hope先生との初回のミーティングで、初期近代英語期の関係詞に見られる特に面白い用法を挙げるよう言われたことがきっかけで、計画は大きく方向転換することになりました。思いついた用法を次々に挙げても、Hope先生はあまりよい反応を示されなかったのですが、主格ゼロ関係詞(※3) について言及したところ、先生の態度が一変し、「それだ。コーパス(※4)を使って調査ができないか」とおっしゃいました。このような経緯で、留学先では、初期近代英語期の演劇のテキストからどのようにゼロ関係詞を収集するかという問題に取り組むことになりました。当時はコーパスを専門にしていたわけではなかったのですが、Hope先生が主導するプロジェクト(Visualizing English Print (VEP) Project)のメンバーに加えていただき、初期近代英語期に出版された演劇を収録した大規模コーパスの編纂に携わりました。私は、ゼロ関係詞の収集の効率化を目標に掲げながら、統語的な情報が付与されたコーパス(parsed corpus)を作成することになりました。多少横道には逸れたのですが、自分にとって良い修行となりました。結果的に、そのときに作ったコーパスのおかげで、当時の劇の全体的な傾向に照らし合わせながら、現在調査している二人の作家の用法を理解することができるようになりました。留学先でのこのような経験が、現在、コーパスの講習会の機会をいただいたり、コーパス関連の論文を執筆したりしていることに繋がっているのかもしれません。


──菊地先生は先ほどお話にもあった駒場英語史研究会や、『英語史新聞』を手がけるkhelfでも、GloWbEやeWAVEといったWorld Englishes(世界英語)のコーパス・データベースについてご講演をなさっています。そのきっかけについて教えて下さい。


 恩師の寺澤先生が元々のご専門の古英詩だけでなく、歴史社会言語学や歴史語用論等、様々な領域でご研究されているのを見て、研究者として複数の軸を持ちたいと考えていました。そんな時にスコットランドに留学し、World Englishesへの関心を強めることになりました。留学先のグラスゴーでは、ナイジェリア、インド、ドイツからの留学生と寮で共同生活していました。留学生の英語、特にナイジェリア出身の留学生が話す英語は、英語史研究者の視点から見てとても興味深いものがありました。3人とも普段は標準英語を話していたのですが、ナイジェリアから来た留学生は、ナイジェリア出身の友人との会話でとても特徴的な英語(ピジン)を話していたことが印象に残っています。また、ラテン語由来の単語を日常会話で頻繁に使っていて、例えば、間違いを指摘するときには、“That’s a fallacy.”って言うんですよ。fallacyは「誤謬」という意味で使われる英検1級レベルの単語です。なぜそんなに難しい語ばかりを使うのかと彼に聞いたら、幼い頃に祖父がより一般的なbuyではなくpurchaseと言ったときに意味がわからなかったのが悔しくて、辞書1冊を通読して語彙力を高めた結果、気がついたら現在のような言葉遣いをするようになっていたそうです。


──菊地先生の海外研修の話じゃないですが、ナイジェリアの方も極端ですね(笑)。


 ただ、フラットメイトの彼だけでなく、ナイジェリア出身の彼の友人達も同じように難しい単語を使っていたんです。ナイジェリアではラテン語由来の語が相当権威を持っているらしく、彼に動画で見せてもらったナイジェリアの政治家のスピーチは、もはやラテン語で話しているような印象を受けました。実際にナイジェリアという国で語彙の階層が社会的地位と強く結びついていることを知れたのは大きな収穫でしたね。

 留学先では英語を母語としない留学生達と英語で話す機会が多く、国際語としての英語の便利さを実感しました。お互いの国の文化・社会・歴史について話したり、時には過去の戦争について議論したりすることもあって、一昔前には一般的ではなかったことが英語のおかげでできるようになっていることを肌で感じることができました。多様な英語に触れるなかで、それぞれの英語に寛大な気持ちで向き合わなければいけないという気持ちが強くなりましたね。

※1駒場英語史研究会…現在は青山英語史研究会として開催されています。

※2 Fletcher…John Fletcher(1579-1625)のこと。Shakespeareとほぼ同時期に活動したイングランドの劇作家。

※3主格ゼロ関係詞…主語の機能の関係代名詞が「省略」されている現象のこと。

※4 コーパス…言語研究のために構築された言語資料の(電子的な)データベースのこと。

後編では、英語史の魅力やおすすめの一冊について伺います。

4月発行予定の『英語史新聞』5号をお待ちください!