住職の独り言
住職の独り言
夕方の法事が終わった後、お茶のお接待の隣の部屋ではお斎の準備が進んでいる。
兄弟、子ども、孫と揃っている。
このお斎は楽しいだろうな〜。
ちなみにお寺の近所のお寿司屋さんが閉店した。
よくお斎で利用されていた料亭も閉店している。
コロナ以降にお接待や親族揃って食事をする機会は減ったのだろう。
そしてお斎のニーズが減ってしまった
法事の後にお弁当を配っているけど、食事をふるまうだけじゃもったいない。
お斎を一緒に食べる目的が違うんだよ。
故人を偲んで食事をする喜びが無くなりそうなのがイヤ。
お寺に帰ったら、坊守とお寿司を食べに行きました。
回転寿司ですけど。
20260425
人口減少社会のお寺
お寺は今でも家とお寺の付き合いを続けています。
現代は家から個人に変化しています。
それでも家族は一番小さな単位の社会ですから、人間が人間を産み育てるという間は無くなることはないと思うのです。
ただ、寺を支える基盤を家だと考えると厳しい状況なのです。
人口減少社会とは、単に家の数が減るというわけではないのです。
結婚観、家族観の変化=結婚率の低下
家庭から個人へ。社会が個人を支えようとしてもマンパワーは圧倒的に足りない。
人口減少の次に始まるのは「孤独」と「貧困」の問題だろうな。
これ10年前から言ってたように思います。
未来の話ではなさそうです。
小倉組の総会である「組会(そかい)」が開催された。
28ヶ寺の住職と総代、小倉組の教化団体の長が集まる会議である。
ボクは議長に指名された。
浄土真宗寺院の総会だから特別なことはなく、一般的な流れです。
散々総会を開催してきたので、横から見ていた議長の仕事は意志を示す必要はなく、淡々と議題を進めるだけと理解している。
だから特別な緊張する場面はないのである。
財政が厳しい宗派からの予算削減の通達に対して、構成する側となる小倉組執行部は悩ましいところだと拝察します。
予算削減を進める宗派のコメントで「持続的な運営ため」という言葉を聞いて、ここでもそうなのよねと思う。
守らないといけないのは何だろう。
それは「組織」なのか、「人」なのだろうか。
組織は人のためにあるはずだから、組織を先に守ると聞こえてしまった。
この独り言は批判じゃないのです。
ボクは組織を守るために暴走して失敗した経験を持っているから
少し心にトゲが刺さってしまった。
頑張れ!小倉組。
20260421
朝、幼稚園の前を掃除していたら、近所の方が声をかけてくださった。
「浄念寺さん玄関に安養山と書いていますよね。
ウチの実家のお寺は安養寺というですけど関係はあるのですか?」
浄土真宗寺院の山号にルールはありません。
本来は山にお寺が建てられていたので、「比叡山延暦寺」みたいに言われていました。
浄土真宗は人が住む場所に寺院がありますので、山号にはその寺の由縁とかが織り込まれています。
ちなみに浄念寺は道原に建っていた頃は「歓喜山」という山号だったのでした。
小倉の街に移転したときに、組内に同じ山号があったので、新たに「安養山」と名告るようになりました。
「安養」とはお浄土の平穏で安らかな状態を表します。
今どきの時代なら「ウェルビーイング」だそうです。
20260417
ボクはコペンを駆って仏事に行っている。
小倉の街中の駐車場に駐めて法事に行く。
車に戻ると外国人の方がじっと見ている。
袈裟を着ているボクが珍しいからだろうな。
近づくと話しかけてきたのだ、
英語は当然苦手だが、言っている意味はボンヤリわかった。
「良い車だね」(だろう)
そっちか!と思いながら、
かわいくて非力だが運転すると楽しい車である。身振り手振りで語る。
車をいろいろ指さしながら、褒めてくれているようだ。
最後の言葉がわからない・・・
熱いまなざしでボクを見ている。
同じ言葉を繰り返している・・・横に乗せてって言ってるの?
ソーリー!アイムソービジー。
オー!〇△△□(>_<)
彼は立ち去っていった。
ごめんね。
20260415
高校卒業を迎えた卒園児たちが幼稚園に遊びに来ていた。
日曜日でとても応対できなかったのだが、うれしいのです。
二年後のタイムカプセルを楽しみにしていますと。
小さなベンチに座っている大きな男の子たち
共通の歴史を持つ彼らの未来を思いました。
ちょうと法話を録画しようとしていたので、彼らを思いながらお取り次ぎをさせてもらいました。
最後の一言が「いってらっしゃい!」
どこに居てもみほとけ様は一緒だよ。
20260430
ご法事でお勤めしながら、昔から気になっていたお仏壇の中にある短冊。
手に取ってみると、龍谷大学男声合唱団の大先輩の筆であった。
先代住職の頃に講師でお招きしていたな〜。
筆の立つ方で絵も上手に描かれる。
法座の時に講師が数が限られてるから、年長者の方にお配りしますね。
亡母はうれしそうに持ち帰ったんですよ。
大先輩もお亡くなりになって久しいのです。
なんかうれしかった。
20260312
2月の法話は山崎ヨンさんの言葉から
ネットの記事を読んで組み立てた法話です。一次資料に触れずに二次資料から作っています。
(配信法話でもお伝えしております)
法話の勉強をしていた頃、阿弥陀さまの救いを讃える法話をするのだと教えてもらいました。
仏徳讃嘆はお西(本願寺派)の法話の特徴だそうです。
それに対して、機の問題(凡夫である私の問題)から法話を展開するのはお東(大谷派)の特徴だとも教えられました。
今となってはどちらも阿弥陀さまの救いに向かうので気にしていなかったのです。
「不安はわたしのいのちやもん 不安とられたら生きようがないわ」
摂取不捨の強さと慈しみを感じたのです。
自分の中で、隣のお寺の前々住様さまが書かれた本を思い出したのです。
「癌も我が身なり」
都合の悪いことばかりを切り捨てていく現代の生き方。
切り捨てて切り捨てて
最後にたどり着くのはどうしても切り捨てられない、「自己」にたどり着く。
「わたし」とはどこまでが「わたし」?という法話を思い出す。
202603228
ギリシャ神話に出てくる、神の怒りをかった王の国に、スフィンクスが現れて人間の知恵を試すという物語。
タイトルのクイズはその問いでもあります。
答えは人間です。
朝はハイハイして歩く赤ちゃん、昼は成長して歩く姿、夜は老いて杖をついて歩く姿。
幼稚園の園長だからでしょうか、年を取ると子どもに戻っていくように感じています。
(イヤな事を前にしてお腹が痛くなるとかですね)
へー!ホー!、そうなのですね。
本人の前では感心しておりますが、若い世代の方と話すと、全く違った認識で、経緯を聞くとその言葉の理解ができることもあります。
「虐待案件」と疑われる時
幼稚園にいると分かるのです。
事実は分かりません。でも
幼い子の言葉でもしっかり対応しなくてはなりません。
年老いた方の言葉でも対応はしなくてはなりません。
我が子が罪もなく語る言葉に、親が傷つくことがあるのです。
老人の言葉で子どもたちが傷つくこともあるのですね。
僕たちは個人を切り離さずに家庭と向き合わないといけませんね。
20260203
学生時代に友人からヘルマン・ヘッセの詩集をもらう。
若き日のボクはえらく気に入ってしまった。
続いてヘッセの作品を読みたくて小説『シッタールタ』を手を伸ばす。
仏教を学んでいた当時のボクには、許容範囲が狭く、理解不能で読めないのである。
挫折した。
草薙剛氏出演のお芝居を目的が違うのだが、妻と二人で観に行った。
ゴータマブッダとシッタールタ、登場人物の名前は実在でも別人の設定なのですね。
西洋人のイメージする世界観
情報化された現代のおじさんはすぐに分かった。
当時の情報化されずに、読み込めなかった若き日の自分に40年ぶりに会えたような気がした。
それ、君が勉強したことと違うからね(^_^)
恥ずかしそうに笑う若き日の自分がいる。
20260117
お坊さんは筆を取る機会があるでしょ・・・
現代人の中では比較的に取る方かもしれないけど、書くのは位牌の字ぐらいですから。
門徒さんのウチで巨大な硯と大きな筆を頂いた。
「私が持っていても使わないから」
いや、ボクも小筆と小さな硯で充分なのですよ〜!
結局ありがたく頂いてしまった。
お布施は堂々と頂きなさい。
ペコペコ頭を下げるのは金に媚びているようだ。
お前に渡したいのではない、仏法に頂いているのだ。
お布施は頭を下げずに、そのまま額に押し頂くのだ。
お前は大したことなくても、仏法を汚さぬように
堂々と頂きなさい。
師の言葉が今も残っている。
ありがたく頂きました。
お寺のどこかに飾らせてもらおう。
1月6日のニュースにあるように鳥取で勤行中に地震に遭ってしまった。
昨夜の酒席で地震の時に御本尊を連れに本堂の中に入るか?という話題。
木造の本堂が揺れたときに、つい天井を見上げてしまった。
そして周囲を見回した時に、昨夜の接待で一緒だった法中たち。
目が合ってしまうのです。
同じ事考えてるんだろうな・・・このまま落ち着くのか、それとも余震がやってくるのか
同じ事を考えている仲間がいる。どう判断するのだろうか。
慌てることなく冷静にその場にいる自分。
日頃から話すことの大切さを感じた。
あ、自分自身は「後生の一大事」は語らんな〜
安心と書いてあんじんと読む
これ仏教用語なの。
江戸時代後半から明治にかけて、「あんしん」と読んで現代の意味で広がったそうだ。
「あんしん」という言葉はよく使われますが、人によって基準は全く違います。
どんなに安全を証明しても、「もしもの時は?」と言い出したら「あんしん」は難しい。
もともとは、阿弥陀さまの救いに遇って、色あせず確かな「あんしん」を得る事を「あんじん」と言うそうだ。
勉強が苦手なボクは
この「あんじん」という言葉をずっと避けていたのだろうな~。
知らない事は恥ずかしいけど、知らない事を知るって気持ちいいのです。
法中の忘年会が終わった後、帰ろうと思うと若い後輩がボクを誘うのです。
いやいや、もうおじいちゃんだから若い人達で飲みなさい。
「順滋さん、若い人間と飲まないじゃないですか、一緒に飲んでくださいよ」
うん?圧が強い。
あまり体調は良くないけど、まぁ付き合うか。
若いメンバー行きつけのバー。
閉まっている部屋を開けてもらい、なだれ込んだ人数を数えると13人。
上の四人が金を出す・・・。
後輩たちが絶え間なくしゃべってくる。
幼稚園連盟で14年間会長をやっていたから、お坊さんの後輩とあまり飲んだことがない。
最近、酔うとトイレは近いし、年取った分お酒が飲めないのである。
元気が良いんだな~。
酒は距離を縮めます。
後輩がすこし愛しく思えた。
酒席は控えるようにしたんだけどな~
小倉組仏教壮年会が主催で寺院交流会が開催為れた。
ボウリング大会である。
私にも敬意を持つ先輩がいる。
師は始球式をするそうだ。
分かるのだが
布袍姿(僧衣)にボウリングシューズを履いている。
ボウリング場とお坊さんはあまりにも絵になるから写真を撮ってしまった。
SNSにはアップしません!と本人の前で言ってしまったので、写真はアップしない。
僧衣とボウリング場は偏見かもしれないが馴染まない。
ふと僧衣が馴染む場面はどんな時でどんな場所だろう。
前回ネタに続きでもある。
僧侶として社会の中で生きているのだが、僧衣が社会にもっと馴染むために何かが必要だなと思った。
後輩の僧侶から近所の居酒屋さんに連れて行ってもらった。
美味しい!こんなに美味しいお店だったのか
日本酒が飲めないのに、お酒と料理が合うから困る。
お坊さんの後輩の飲む機会が増えた。
正確には幼稚園の後輩と飲む機会が少なくなった。
幼稚園連盟の仕事で連日飲んでいたからでもある。
お坊さんは上下関係があって面倒だけど、運命共同体なんだろうな〜。
切れない縁も良いものだ。
懐かしい通りを歩いていると、知らないお店が並んでいた。
後から知るのだが、この秋にオープンした店と昨年オープンした店だそうだ。
渋い居酒屋風の定食屋さんとおしゃれなパスタ屋さんが並んでいる。
まずはパスタ屋さんを覗く。
おしゃれな店内に女の子たちが食べていた。
ふと、店内の女の子と目が合ってしまった。
「こわい」(おしゃれな若い女の子が怖いと思うおじいちゃん世代ですから)
それから隣の定食屋さんを覗くとカウンターの奥に黒い服を着た大きな男の人
着物?・・・まあ、お客さんひとりというのも気楽である。
扉を開けると、なんとお坊さんだった!
居心地が一気に良くなった。
ほっけ定食も美味しく頂きました。
友人が来たる。
他者を悪く言わない(怒ったときは別。
えええ!そこ?というように褒め方がすごく細かい。
プレゼントはひとつでは終わらない。
カラオケが大好き。
この人は「人たらし」である。
お寺で一緒にしゃべっていた。
これまた細やかなお土産やプレゼントを持って来た。
返すものがないボク。
10月の法語ハガキ「無敵の人とはつよい人ではなく、敵がいない人」
「無敵」とはしゃべりながら
「君みたいだね」とプレゼントした。
見送りながらぽつり。あなたはボクの目標なんだ。
関東にお住まいで、次の世代はもう小倉に地縁がなくなるとのこと。彼らに任せるわけにはいかない。
「納骨堂をこれからどうすれば良いでしょうか?」
イメージが散骨、海洋葬や樹木葬なんだよね
とあるお葬儀が終わって、門徒さんがおひとりで残っていらっしゃる。
「お帰りはどうなさいますか?」
「バスに乗って帰ります」
いやいや、この道はバスが少ないのよね。
「送りますよ。乗りにくい車ですけど」
車高が低くて、頭を下げて、身体を曲げないと乗りにくいのです。
ご苦労をおかけします。
車だから送るのですから、大したことはありません。
それでも大変感謝を頂いた。
これが「もったいない」である。