住職の独り言
住職の独り言
学生時代に友人からヘルマン・ヘッセの詩集をもらう。
若き日のボクはえらく気に入ってしまった。
続いてヘッセの作品を読みたくて小説『シッタールタ』を手を伸ばす。
仏教を学んでいた当時のボクには、許容範囲が狭く、理解不能で読めないのである。
挫折した。
草薙剛氏出演のお芝居を目的が違うのだが、妻と二人で観に行った。
ゴータマブッダとシッタールタ、登場人物の名前は実在でも別人の設定なのですね。
西洋人のイメージする世界観
情報化された現代のおじさんはすぐに分かった。
当時の情報化されずに、読み込めなかった若き日の自分に40年ぶりに会えたような気がした。
それ、君が勉強したことと違うからね(^_^)
恥ずかしそうに笑う若き日の自分がいる。
20260117
お坊さんは筆を取る機会があるでしょ・・・
現代人の中では比較的に取る方かもしれないけど、書くのは位牌の字ぐらいですから。
門徒さんのウチで巨大な硯と大きな筆を頂いた。
「私が持っていても使わないから」
いや、ボクも小筆と小さな硯で充分なのですよ〜!
結局ありがたく頂いてしまった。
お布施は堂々と頂きなさい。
ペコペコ頭を下げるのは金に媚びているようだ。
お前に渡したいのではない、仏法に頂いているのだ。
お布施は頭を下げずに、そのまま額に押し頂くのだ。
お前は大したことなくても、仏法を汚さぬように
堂々と頂きなさい。
師の言葉が今も残っている。
ありがたく頂きました。
お寺のどこかに飾らせてもらおう。
1月6日のニュースにあるように鳥取で勤行中に地震に遭ってしまった。
昨夜の酒席で地震の時に御本尊を連れに本堂の中に入るか?という話題。
木造の本堂が揺れたときに、つい天井を見上げてしまった。
そして周囲を見回した時に、昨夜の接待で一緒だった法中たち。
目が合ってしまうのです。
同じ事考えてるんだろうな・・・このまま落ち着くのか、それとも余震がやってくるのか
同じ事を考えている仲間がいる。どう判断するのだろうか。
慌てることなく冷静にその場にいる自分。
日頃から話すことの大切さを感じた。
あ、自分自身は「後生の一大事」は語らんな〜
安心と書いてあんじんと読む
これ仏教用語なの。
江戸時代後半から明治にかけて、「あんしん」と読んで現代の意味で広がったそうだ。
「あんしん」という言葉はよく使われますが、人によって基準は全く違います。
どんなに安全を証明しても、「もしもの時は?」と言い出したら「あんしん」は難しい。
もともとは、阿弥陀さまの救いに遇って、色あせず確かな「あんしん」を得る事を「あんじん」と言うそうだ。
勉強が苦手なボクは
この「あんじん」という言葉をずっと避けていたのだろうな~。
知らない事は恥ずかしいけど、知らない事を知るって気持ちいいのです。
法中の忘年会が終わった後、帰ろうと思うと若い後輩がボクを誘うのです。
いやいや、もうおじいちゃんだから若い人達で飲みなさい。
「順滋さん、若い人間と飲まないじゃないですか、一緒に飲んでくださいよ」
うん?圧が強い。
あまり体調は良くないけど、まぁ付き合うか。
若いメンバー行きつけのバー。
閉まっている部屋を開けてもらい、なだれ込んだ人数を数えると13人。
上の四人が金を出す・・・。
後輩たちが絶え間なくしゃべってくる。
幼稚園連盟で14年間会長をやっていたから、お坊さんの後輩とあまり飲んだことがない。
最近、酔うとトイレは近いし、年取った分お酒が飲めないのである。
元気が良いんだな~。
酒は距離を縮めます。
後輩がすこし愛しく思えた。
酒席は控えるようにしたんだけどな~
小倉組仏教壮年会が主催で寺院交流会が開催為れた。
ボウリング大会である。
私にも敬意を持つ先輩がいる。
師は始球式をするそうだ。
分かるのだが
布袍姿(僧衣)にボウリングシューズを履いている。
ボウリング場とお坊さんはあまりにも絵になるから写真を撮ってしまった。
SNSにはアップしません!と本人の前で言ってしまったので、写真はアップしない。
僧衣とボウリング場は偏見かもしれないが馴染まない。
ふと僧衣が馴染む場面はどんな時でどんな場所だろう。
前回ネタに続きでもある。
僧侶として社会の中で生きているのだが、僧衣が社会にもっと馴染むために何かが必要だなと思った。
後輩の僧侶から近所の居酒屋さんに連れて行ってもらった。
美味しい!こんなに美味しいお店だったのか
日本酒が飲めないのに、お酒と料理が合うから困る。
お坊さんの後輩の飲む機会が増えた。
正確には幼稚園の後輩と飲む機会が少なくなった。
幼稚園連盟の仕事で連日飲んでいたからでもある。
お坊さんは上下関係があって面倒だけど、運命共同体なんだろうな〜。
切れない縁も良いものだ。
懐かしい通りを歩いていると、知らないお店が並んでいた。
後から知るのだが、この秋にオープンした店と昨年オープンした店だそうだ。
渋い居酒屋風の定食屋さんとおしゃれなパスタ屋さんが並んでいる。
まずはパスタ屋さんを覗く。
おしゃれな店内に女の子たちが食べていた。
ふと、店内の女の子と目が合ってしまった。
「こわい」(おしゃれな若い女の子が怖いと思うおじいちゃん世代ですから)
それから隣の定食屋さんを覗くとカウンターの奥に黒い服を着た大きな男の人
着物?・・・まあ、お客さんひとりというのも気楽である。
扉を開けると、なんとお坊さんだった!
居心地が一気に良くなった。
ほっけ定食も美味しく頂きました。
友人が来たる。
他者を悪く言わない(怒ったときは別。
えええ!そこ?というように褒め方がすごく細かい。
プレゼントはひとつでは終わらない。
カラオケが大好き。
この人は「人たらし」である。
お寺で一緒にしゃべっていた。
これまた細やかなお土産やプレゼントを持って来た。
返すものがないボク。
10月の法語ハガキ「無敵の人とはつよい人ではなく、敵がいない人」
「無敵」とはしゃべりながら
「君みたいだね」とプレゼントした。
見送りながらぽつり。あなたはボクの目標なんだ。
関東にお住まいで、次の世代はもう小倉に地縁がなくなるとのこと。彼らに任せるわけにはいかない。
「納骨堂をこれからどうすれば良いでしょうか?」
イメージが散骨、海洋葬や樹木葬なんだよね
とあるお葬儀が終わって、門徒さんがおひとりで残っていらっしゃる。
「お帰りはどうなさいますか?」
「バスに乗って帰ります」
いやいや、この道はバスが少ないのよね。
「送りますよ。乗りにくい車ですけど」
車高が低くて、頭を下げて、身体を曲げないと乗りにくいのです。
ご苦労をおかけします。
車だから送るのですから、大したことはありません。
それでも大変感謝を頂いた。
これが「もったいない」である。