フォーラム3
京都学派教育学の〈亀裂〉
──木村素衞と森昭、あるいは形成的表現と政治的実践の対立の根底──
報告者:川上 英明(山梨学院短期大学)
司会者:神代 健彦(京都教育大学)
京都学派教育学の〈亀裂〉
──木村素衞と森昭、あるいは形成的表現と政治的実践の対立の根底──
報告者:川上 英明(山梨学院短期大学)
司会者:神代 健彦(京都教育大学)
本報告では、森昭(1915-1976)が晩年に詠んだ短歌「形而下と形而上とのいや深き/亀裂に我は心なゆるか」に見られる、形而下と形而上との〈亀裂〉というモチーフを、「京都学派教育学」の内側に見出すことを試みる。近年の京都学派の哲学と教育学の関係に関する思想史研究では、「国家」という論点をめぐり、木村素衞(1895-1946)の国民教育論が俎上に載せられている。本報告では、木村の『国家に於ける文化と教育』に対する森の批判に着目し、両者の対立が、「形成的表現」と「政治的実践」の対立であったことについて、彼らの思想の背景に想定される、西田哲学と田邊哲学の――特に「行為的直観」と「行為的自覚」の――対立と重ね合わせて検討する。
本報告では、まず、『国家に於ける文化と教育』に対する森の書評を取り上げ、そこでの論点が、形成的表現と政治的実践の対立や、木村の教育思想の生命論的傾向(「国家的生命」の問題)にあったことを明らかにする。次に、木村における実践や行為の含意を、彼の「ポイエシス=プラクシス」原理の検討を通して分析し、その西田哲学からの影響に着目し、木村の生命論的傾向の思想的背景を解明する。これに対して、森は、書評の翌年に刊行した『教育理想の哲学的探求』などにおいて、教育と政治の関係を考察しつつ、政治的実践について論じていた。本報告では、当時の森の立場が木村を批判させる要因であったこととともに、森が、西田の行為的直観を批判した田邊の行為的自覚の系譜に位置することこそ、その批判の背景であったことを論証する。
だが、本報告は、木村と森の対立の根底に、京都学派の思想圏という共通性をも見て取ろうとするものである。根底を同じくする対立という意味での両者の〈亀裂〉を見出し、そこから生まれ出た諸々の教育思想のゆくえ――森の「教育人間学」や、「戦後教育学」を含む――を描き出す思想史という展望が、本報告の示唆する可能性となるだろう。
※ 対面+オンライン同時双方向型