フォーラム1

教育における「啓蒙」の行方 


──フロイトからフロム、そして大拙へと至る思想史の検討を通じて──


 

報告者:森田  一尚(大阪樟蔭女子大学)


司会:関根  宏朗(明治大学)



啓蒙が野蛮化する事態に直⾯してもなお、教育が啓蒙的な営みの⼀端であらざるをえないのだとしたら、私たちは啓蒙の運動にどのように向き合えばよいのか。本発表では、精神分析に潜む啓蒙の問題に独⾃の仕⽅で光をあてたエーリッヒ・フロム(1900−1980)の観点に着⽬し、彼のフロイト論と鈴⽊⼤拙論を再検討することを通じて、上述の問いに答えるための⼿がかりを探ってみたい。


ユダヤ⼈であったフロムが⽣きた時代、啓蒙の運動は⼀つの極限に達した。ナチスを逃れてアメリカに亡命したフロムは、1930 年代後半には、それまで協働していたホルクハイマーと袂を分かつことになったといわれている。しかし、アドルノとホルクハイマーが後に剔出した「啓蒙」にまつわる諸問題は、精神分析家フロムにとっても無視することのできない 重要な課題であったはずである。


フロムはフロイトを、「啓蒙期合理主義の偉⼤なる最後の代表者であり、その限界を証明した最初の⼈」と評しつつ、フロイトの精神分析を「修正/刷新(revision)」することに⼒を注いだ。「修正/刷新」の作業は、1950 年代から禅の宗教家である鈴⽊⼤拙の著作にふれることで前進し、とくに東洋的な啓蒙(eastern enlightenment)、つまり⽇本語で悟りと呼ばれる思想や境地に関⼼を抱くなかで発展していった。このことから、フロムの頭の中にあった思想地図には、啓蒙主義から東洋的な啓蒙(悟り)へと⾄る⼊り組んだ道が、おぼろげにでも描かれていたと考えられる。


フロムは啓蒙の問題をどのように処理しようとしたのか。本発表では、この問いに取り組むことによって啓蒙と教育の関連について⼀つの⾒⽴てを提⽰し、さらにその⾒⽴てに基づいて、現代⽇本におけるいくつかの教育学思潮の展開を追う予定である。


※ 対面+オンライン同時双方向型