フォーラム1

マルク=アントワーヌ・ジュリアンのペスタロッチ受容

報告者:吉野 敦(大分大学)


司会:綾井 桜子(慶應義塾大学)


【概要】

産業革命とフランス革命、二つの革命とともに幕を開けた近代社会の黎明期というべき19 世紀の初頭、スイスの教育思想家ペスタロッチの「メトーデ」がヨーロッパ諸国の教育家たちの関心を集めていた。隣国フランスでも、このスイスの教育家の教育法を取り入れようとする動きがあった。その中心となったのが、比較教育論の祖とも評されるマルク=アントワーヌ・ジュリアンである。当時の啓蒙主義的な博愛家たちとともに民衆階層への初等教育の拡大浸透に努めたジュリアンは、その活動の一環として、ペスタロッチの学校を訪問、1812 年に『ペスタロッチの教育方法の精神』(Esprit de la méthode d’éducation de Pestalozzi)を出版する。この著作は、当時フランス語で読みうる最も充実したペスタロッチ教育論の解説書であった。しかし、奇妙なことに、この著作の冒頭でジュリアンは、自分が「不幸にもドイツ語の知識を全く持ち合わせておらず」、メトーデやペスタロッチの学校に関する「ドイツ語で書かれたどんな著作も」参照することができなかったと告白する。ある種の弁解であるとともに、「メトーデの精神」を洞察するために言語は障壁とならないという大胆な主張をも含むこの告白は、他方でフランスにおけるペスタロッチ受容を条件づける、ドイツ語圏とフランスの文化的距離を象徴的に示している。ドイツ語とフランス語という二つの言語が教育思想史のなかで演じてきた役割を考慮するとき、ペスタロッチというドイツ語圏スイスの教育思想家の言説が、異なる文化的・歴史的風土をもつフランスにおいて、いかに解釈され、いかなる意義を与えられたのかという問いは、重要性を帯びたものとなる。本報告では、こうした問題意識のもとで、当時のフランスの社会情勢や政治的争点、教育思想的課題をもふまえつつ、ジュリアンの著作を中心として、フランス側のペスタロッチ受容に関わる教育言説を検討し、その特徴を明らかにする予定である。