近況報告・寄稿

深志高校の武勇伝

インターハイ、のち、ロック座、のち、旅立ち  
ー松本深志高校テニス部、Aさんの武勇伝ー


            22期 荻原志ほ


 S50年、私達は長野県高校テニス大会で、男女ともに団体優勝しインターハイに出場する事になりました。しかしながら、県大会優勝が目標でしたので、インターハイ本戦で勝とうと思う仲間はいなかったと思います。

 県大会が終わると、3年生はテニス部OBとなり、受験勉強をはじめました。テニスコートでは、2年生の新キャプテンを中心に、新人戦に向けた現役の練習がはじまっていました。

 8月、インターハイ本戦は、東京の神宮外苑コートで行われました。6月以降、たいして練習もしていない私達は、ケガをしないで試合をして帰る事、をめざしていてプレッシャーも無しでした。本戦は、予定通り1回戦であっさり負け、みんな宿舎に向かいましたが、男子シングルNo.2のAさんは、「俺、ちょっと行くとこあるから…」と、分かれていきました。なんと、Aさんはラケットを持ったまま、1人で浅草のロック座にストリップを見に行ったのです。びっくり!Aさんは、18歳にして、おじさん体型で、おじさん顔でしたので、ロック座の人も普通に入れてくれたのかもしれません。

 そのうわさはテニス部以外の男子にも広まって、その後、東京の大学に進学した男子で、ロック座にいった人がいたとのことです。

 ただ、その話は長いこと女子には㊙️にされていました。

深志高校では、時々女子には㊙️の事がおきます。例えば、クラスマッチで全校優勝した日、女子は先に帰して、男子と担任が居酒屋で酒盛りをし、駅近くのO君の家にみんなで押しかけ、さらに飲んで雑魚寝し、翌日、担任と男子は二日酔いだった、とかね(笑)

もう、50年近く前の事で時効です。

良い時代でした。

 話はかわりますが、私達高校の同期は、卒業以来ずっと1月2日に新春テニスと新年会をしています。松本は冬でも屋外でテニスができます。ただ、気温は-10℃を下回る事もあります。ときには、粉雪まじりの強風で目も開けられない中、ダウンジャケットを着てテニスをした日もありました。そんな日に屋外でテニスをする物好きは、私達だけでしたね(笑)

 社会人になって、地元に帰ったAさんは、毎年コート2面と飲み会の会場を予約して、各地から集う仲間を迎えてくれました。

 10年くらい前、Aさんは、「俺、癌なんだけど、奥さんの作るご飯がうまくてさ…」と言うのです。そんな深刻な事を、そんなに軽やかに話すの?と、またびっくり!

 その後、Aさんは、大型バイクを手に入れて、やりたかったツーリングに出掛けたりしていました。時は流れ、Aさんの奥さんから訃報が届きました。何人かの仲間と松本のお寺に行き、旅立ったAさんにお別れをしました。

 Aさんは、ユニークで、マイペースで、とてもいい人でした。病気になってからも、仲間には辛い様子を見せる事もなく、飄々と人生を生きていきました。


 Aさんへ

そちらでもツーリングしていますか。

天国のロック座にも、キレイなおねえちゃんはいるんですか。

いつか聞かせてね。  (合掌)