近況報告・寄稿

全日本医師テニス大会のご報告


25期 尾﨑 茂

 

10/79と松山市で開催された頭記大会に参加したので簡単にご報告します。

🎾男子ダブルスは65Aクラス(16ドロー)で雨中の準優勝、シングルスはオープンクラス(32ドロー)1Rは何とか勝ちましたが2R敗退という結果でした。

ダブルスペアは4年前の札幌大会で初めて組み、やはり準優勝だった赤水尚史先生(和歌山県立医大内科前教授、堅実なサウスポー)で、表彰式のショットです(事務局の女性たちは恥ずかしがって?嫌がって?振り返ってはくれませんでした)。後ろに見えるのは「坊ちゃん球場」。

🎾もうお一人は、岡山大学OBの田宮隆先生(香川大学医学部脳外科前教授)。田宮先生はS56卒のインカレ選手で、S55の米子での西医体で長谷、小暮、今井、武田の四天王(と言われていました)を擁する金沢大学医学部テニス部の3位を阻んだ名手です。確か、小暮先生との対戦だったと思いますが、これがインカレ選手のプレーかと、敵ながら感動した覚えがあります。今回65Dで直接の対戦はなく、優勝ペアにQF5-6の惜敗でしたが、シャープなフォアが印象的でした。

🎾おまけです。レセプションで、清水善造のお孫さんのゲストスピーチがありました。1920年のウィンブルドン決勝(正確には前年優勝者と決勝で対戦する権利を得るためのチャレンジラウンドの決勝)で、米国のチルデンに惜敗した、あの清水善造です。転倒したチルデンに「柔らかなボール」を返して逆にエースを取られた逸話はよく知られていますね。私も小学校の道徳の教科書で読みました。あの球は実は清水の打ち損じだったとか、清水のマッチポイントで米国の線審が意図的に誤診をしたとか、様々な憶測もあるようですが、お孫さんは、少なくとも清水善造のショットコントロールは極めて精確だったので打ち損じはあり得ないと話されていました。写真はその時の準優勝カップです。皆さんも、想像を逞しくして楽しんでみて下さい。