謙遜の3段階
165 謙遜の第一段階
永遠の救いのために必要な謙遜の段階である。すなわち,全てにおいて主なる神の掟に従えるよう、できる限り身を低くして、自分を卑しくする事である。従って、例えこの世の造られた全てのものの主とされようとも、又自分の命のためであっても、神の掟にせよ、人間の掟にせよ、背けば大罪になる掟を破ろう等とは考えもしない。
166 謙遜の第二段階
第一の段階よりも一層完全な謙遜である。すなわち、もし主なる神への奉仕、及び自分の霊魂の助かりのためにどちらも同じく役立つなら、貧しさよりも富を、不名誉よりも名誉を、短命よりも長寿を望む事なく、いずれにも傾かない態度をもつと言う事である。その上、例え全世界を手に入れるためでも、あるいは、命を失う事になろうとも、小罪を犯そう等とは考えもしない。
167 謙遜の第三段階
最も完璧な謙遜である。すなわち、第一と第二の段階を含め、もし主なる神の栄光と賛美が同じであるならば、我が主キリストに一層誠実に倣い、似た者になるため、貧しいキリストと共に富よりも貧しさを、侮辱に飽かされたキリストと共に名誉よりも侮辱を望み、この世の学者、賢者とみなされたい望みよりも、かつて愚者、狂人とみなされたキリストのために、愚者、狂人とみなされる事を望み、選ぶのである。
168 注意
このようにして謙遜の第三段階に到達したい人には、前記の「三組の人」の三つの対話を行うのが極めて益となる。主なる神への等しく、又はより大いなる奉仕と賛美になるならば、主により良く倣い仕えるために、我が主がこうした第三のより深く、より良い謙遜の段階に自分を選んで下さるように願うべきである。
「霊操」ホセ・ミゲル・バラ訳新世社