メモ

霊操的日常生活の助けとして

001 神への対話:あなたは一日に何回

・神の名を呼び求めていますか?

・意識の究明を捧げていますか?

・「感謝」を三位一体に言っていますか?

・神の愛を体感していますか?

・疑問を尋ねていますか?

・不満や非難,暴言までも,何でも話していますか?

・罪を告白していますか?

・ゆるしを願っていますか?

002 神による慰めだとわかる3つの状態

心が静かな状態になって

①理由がないのに喜びが増す

②涙-喜びや悲しみで流す涙は恵み

③信望愛が深まる.

自覚的慰め:イメージが来るような感じ.

霊的慰め:静けさ,深さ,やすらぎ,平安

003 選び:祈りや行いのこと

一般的な選ぶ=AかBかどちらか2択.

しかしこのコミュニティでは,2択を選びとはしませんし,2択になっていたら,それは選びをさせないための働きを受けているかも知れません.

選び:神がよしとする2つの良い選択肢から,更により良い方を選ぶという祈りや行い.

より良い方を,み旨としていただける喜びを感じます.

004 イグナチオ・デ・ロヨラの霊性:一例として,暗闇がない.霊的暗夜がありません.

①暗闇がない:十字架の聖ヨハネ,コルコタの聖テレサ等,暗闇の神秘も味わいました.

聖イグナチオ・デ・ロヨラの自叙伝には,このような記述はありません.「上達して,いつでも神と対話できるようになった」と口伝しています.

005 霊操の3体験

①愛されている体験

②ゆるされている体験

③召かれている体験

006 罪の3レベル = 軽①<②<重③

①行為としての罪:悪いことをした,嘘をついた,盗んだ.

②生活態度としての罪:神に向かわず,神がいないかのように生きること.

③自己否定:自分に価値がない,神に愛されていないと否定する.自分の存在価値を否定する.

自分の根源的良さを否定する「根源的罪」(根源的自己否定)で,最も重い罪.

①,②に糾明が偏る傾向のある方は,③をSentirさせない働きがあるかもしれません.

③のあとには,神に愛されている実感へ通じるからです.

007 嫌な体験を思い出す3つの理由:

私が,

①神に委ねていないか

②神に癒やされていないか

③その両方か

008 観想の3プロセス

①思い出す

②味わう そこにとどまる

③神が何を啓示したいか,悟らせたいかを,感じる

009 慰め2つ

①自覚的慰め イメージが来るような感じ

②霊的慰め 静けさ,深さ,やすらぎ,平安,霊主キリスト人の動きがある.

010 霊操2番 ものを悟り,それを内的に味わうこ

El sentir y gustar de as cosas internaamente

霊操の「気づき」を説明している

011 センティルする:Sentirする 聖イグナチオが霊操で表記していることば

感じとる,霊的五官で感じとる,内的知識を感じる という”感じる”という動詞

日本語の感じる,英語のfeel でもないため,用語で「センティルする」と表現したい

感じるというだけの場合もありまして,その後にセンティルしていくこともあります.

012 グスタする:Gustarする 聖イグナチオが霊操で表記していることば

Sentirを内的に味わうという語感の”味わう”という動詞

日本語の味わうではないため,用語で「グスタする」と表現したい

013 相互現存と神を見出すの意味

神が私の内にいて,私が神の内にいる.

「全ての中に神を見出す」をより良く体感するための別訳として,全てを超えて神を見出し,神の中に全てを見出す.

014 教会の本質(神は愛25) 東京教区ニュース353号2018/6月号2頁5段目

教会の本質は3つの務めによって表される.

・神の言葉を告げ知らせる(宣教・ケーリュグマ)と,あかし(マルテュリア)

・秘跡を祝う(典礼・レィトゥールギア)

・愛の奉仕を行う(奉仕・ディアコニア)

これら三つの努めは,それぞれが互いの前提になり,また互いに切り離せない.

015 祈りとは

①祈りは神交:神と私の心が交わる.どんな形でも交われば祈り,交わらなければ祈りではない.

心の交わり.祈りが深まると,言葉がなくなる

②祈りは静かなポイント:私の静かなポイントに触れるなら祈り.祈りは言葉ではない.

016 祈ったのか,考えたのかの判断法

・祈りは考えではなく,気持ち

「私は思う・・・」:主語+動詞で話す時=判断や考えで,祈った結果ではない.

祈りのあとに,「思う」という言葉が出てきていると,祈りと考えが混乱している状態.

「感じる」感情用語=気持ち:考えず,感じて,それを味わうのが祈り

★神と対話していたら,「祈りながら……だと思った」のフレーズは出ない.

暖かくなる,穏やかになる,平和を感じる,体の深いところで,何かが溶ける用な感じ…等の表現になる.

017 3つのしんか進化・深化・神化

018 3つのかいしん:改心・回心・開心

019 静けさ

神は,全てを静かにする静かなるもの

私が静けさを感じたら,それは神が静けさをくださった

※このような定義を,神からいくついただいていますか?それを書き出してください.

020 聖霊の息吹が働いた時

落ち着き,気持ちが楽になり,すべてが容易になる.

021 内的な3つの神化を判断する心の状態の,ほんの一例

①ケブラント(Quebrant ご受難で打ち砕かれるイエス)の自覚

②神交:神と私の心が交わる五官の自覚

私は思う・・・」:主語+動詞で話す時=判断や考えで,心交ではなく,「感じる」感情用語=気持ちの時,は五官で自覚していて心交している.

その結果,神の愛を五官で感じ,身体が熱く感じたり身体が打ち震える体験

③神は,全てを静かにする静かなるもの と感じる感性

私が静けさを感じたら,それは神が静けさをくださった

④天国:私の居場所,人生の本当の本番 人生は死んでからが本番という自覚

⑤イエスの陰府への歩みと全ての被造物を天国へ抱き上げたことに参加する体験

⑥罪に身体が震える体験

⑦賛美と感謝で身体が震える体験

⑧自分自身が「愛」であると感じる体験

⑨静けさすら静になる体験

⑩十字架上のイエスに抱きつく体験

⑪ご復活の歩みに同伴する体験

⑫寂しい夜(聖木曜日,誰からも背を向けられた夜の通称)の心をイエスからみせていただいた体験

⑬御交の三位一体や聖マリアを感じる体験

⑭ご受難のイエスを見つめる聖マリアのみ心を感じる体験

⑮聖マリア→主イエス・キリスト→御父へと私の願いが導かれる体験

⑯期待以上の恵みに感謝する体験

⑰万感の思いを込めた賛美を「感謝」という言葉でしか表せない体験

⑱御聖霊が身体に満ちてくる体験

⑲スシペ(霊操234番)が生き方の前提になる体験

⑳毎朝,毎晩の祈りが定式化し,自分らしい祈りの文言になり,一般究明か特別究明も容易にできる.

㉑イエスに強く惹きつけられたり,捕らわれたりする体験

022 悪魔

悪魔は,十字架がわからない.謙遜がわからず,近づけない.

教会は御傷という謙遜の中から生まれた.

謙遜の中にいれば,愛だけの中にいて,悪魔の影響を受けない.

究明により謙遜の中に住めるよう願いましょう.

023 体感の分け方

神が触れた,入ってきた:静けさや,穏やかで温かいという,体感

悪魔が触れた,入ってきた:騒がしく,ざわつく,体感

識別したつもりで,喜びをいっとき感じても,後味がざわついて,深く満たされない感じなら,それは恵みではないかもしれないので,自分の体験で判断ができるようになり,再度選ぶことができるし,何度も神に尋ねてみて,教えてもらえる.

024 三位一体の祈り方:7通りあって,それぞれ味わいや喜びが違い多様.

1~7はそれぞれの位格と向き合うイメージで,あなたはどれが心と一致しますか?

例:御父=御父と向き合う

1.御父

2.御子

3.御聖霊

4.御父と御子 又はその御交

5.御父と御聖霊 又はその御交

6.御子と御聖霊 又はその御交

7.御父と御子と御聖霊 又はその御交

更に丁寧に言うと,11通りになります.

024 イエス像

ご受難のイエス像が好きな方,ご復活のイエス像が好きな方,その両方.またいずれもピンとこない方.あなたはどんな感じですか・

025 マザー・テレサの祈り

私達のCharity Communityの感性(意識の究明,聖イグナチオの霊性,イエスの聖心)が現された祈り

信じなさい.

イエスはあなたたちに渇いています.

自分は愛に値しないと思っているときですら,

イエスはあなたたちを愛しているのです.

もし、ほかの人々から受け入れられないときも,

自分で自分を受け入れられないときでも,

イエスはいつも,あなたたちを受け入れてくださいます.

イエスから愛されるために自分と違ったものになる必要はありません.

信じなさい.

あなたたちはイエスにとってかけがえのないものなのです.

あなたたちの苦しみを、すべてイエスの足元に運びなさい.

ありのままでイエスから愛されるためには、ただ心を開くだけでいいのです.

残りのことはイエスがしてくれます.

マザーテレサ

026 臍(へそ)の彼方

意識のレベル(自我・煩悩)の奥に臍があり.その彼方に,落ち着く自分がいる

自分の威厳と尊厳は,臍のはるか彼方の静かな処に感じるもの

027 DNAのゲノム

生物の設計図はわずか4種類の塩基(A・T・C・G)で書かれています.それで,人のDNAのゲノム(すべての遺伝子情報)は,重さは1グラムの2000億分の1,その幅は1ミリメートルの50万分の1で,このゲノムに,32億ものA・T・C・Gが書き込まれていて,そのゲノムが,誰でも60兆あるそうです.

(出典:「人は何のために「祈る」のか」142頁 村上和雄共著/祥伝社黄金文庫)

では,一つのAは,60兆分の1の1ゲノム内で,さらに32億分の1個,更にその1/4

1÷(60兆✕32億)=1÷768,000,000,000,000,000,000,000 です.

この1つのAに主イエスが住まわれていたら,本当にはるか彼方にいらっしゃいます.主イエスは,私の中で,私のヘソのはるか彼方に住んでいるのでは?

028 人生は死んでからが本番

・ヘレン・ケラー女史「死ぬことは ひとつの部屋から次の部屋に入っていくのと同じなのよ.でも 大きな違いがあるの.だって次の部屋では目が見え音が聞こえるんですもの...」

・イシドロ・リバス神父SJ「死って,劇場の幕があがるようなもの.観客だったあなたが今度は舞台にいます.」

029

030 2つの旗

031

032 原理と基礎

=Compassionate=あなた方の父が憐れみ深いように,あなた方も憐れみ深い者となりなさい

033 寂しい夜:聖木曜日,誰からも背を向けられた夜の通称

「さびしい夜」をこえて

私たちは普段,イエスとの3つの体験を日々重ねています.それは,愛されている体験,ゆるされている体験,招かれている体験です.四旬の間は特に,この3つの体験を深く感じられた方も多いと思います.そして聖木曜日を迎えます.逮捕されたまま孤独に過ごした聖木曜日は,『さびしい夜』という言葉で呼ばれています.長い夜です.皆去ってしまい,どれほどの孤独感を感じられたかを,私は祈りで,少しだけ感じています.感じたその孤独感は普段も心から消えません.孤独感をいただいて,本当に心から感謝しています.

さて,バルタザール神父は「過越の神秘」という著書の中で,イエスの3つの歩みを分かちあってくださいます.それは,十字架への歩み(聖金曜日),死者への歩み(聖土曜日),御父への歩み(復活の主日)です.

イエスがどんな気持ちでこの歩みをされたのかは,想像するしかありません.そこで,この想像を日々培う手立てがあります.ミサでご聖体をいただく私たちは,「ご聖体にまでなって,私達の中に入っていこうと望まれるイエスの心を毎回味わう」ことができます.私の味わいでは,イエス一人で私の中を歩まれ,私の体は,「さびしい夜」をこえて,私の中を歩まれる主イエスの喜びを毎回感じます.

034 神の国は近づいた。悔い改めて,福音を信じなさい。 別訳

神の国は近づいた。⇒ほら,神の国は今もうここにある.

悔い改めて⇒=考え方を全く変えて,もう神の国はココにあると知って,

福音を信じなさい⇒福音を信じましょう.

035 主 という文字

王: 天 のー,地の一, それをつなぐ 十字架で,王

主:王の上に点.王の中の王は主イエス,しかもご受難で斜めになっている

036 Munus Suavissimus:みこころ:いとも甘美な努め

037 ライフオリエンテーション:「Peak Experience」が要点

嬉しかったこと,成功したとき,ありがとうと言われたとき,自分が役にたったとき,褒められたとき,愛されたとき等

038 EHYE:3つの意味

私はある Exd3.14 3つの意味

①ある ②ともにいる ③あなたを存在させる

039 観想の3プロセス

①思い出す ②味わう そこにとどまる ③神が何を啓示したいか悟らせたいかを感じる

040 キリストの三つの「しなさい」

①信じなさい ②互いに愛し合いなさい ③これを私の記念として行いなさい

041

042 写真撮影時のカトリック的かけ声:ジーザス マリア

例:カトリック信徒が被写体になる集合写真で唱和するかけ声で,チーズやピースではなく,カトリック的な言い方を模索中.

ジーザス マリア

カトリック信徒なら、教会で,集合写真を撮る時におすすめします.チーズ,バターはやめましょう。

撮影の際に,皆さんに,「皆さん,ジ~~ザスと言ってくださいね.ジ~~の時にシャッター押しますから!」と話して,1枚目を撮ります.

次に,「もう1枚撮りますね.今度は,マリア~~と言ってください.ア~~の時にシャッター押しますから!」と2枚目を撮ります.

カトリック信者なら,皆さん喜んで大きな声を揃えてくださいます.

★実は,撮っている人だけが感じる奇跡がおきています.ジーザスと言う時と,マリアと言う時で,皆さんの顔が変わるんです.チーズ,バターでは,こうはなりません.

043 あなたの誕生

霊魂と肉体があなたの誕生によって生まれて,あなたの帰天によって,霊魂だけが永遠に行き続ける.

霊魂が原初からあって,たまたま今肉体と一致しているという考え方ではなさそうです.