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歴史の教科書3冊


 「リスキリング」が話題だ。

 しかし私は仕事に役立つ技術の習得、あるいは資格の取得、こうしたものにまったく関心を持てない。「だから貧乏なんだ」と、自分でもそう思う。


 しかし「学び直し」には興味がある。

 大学研究者のインタビューの仕事が面白いのは、新しい知識に触れられるからだけでない。中学や高校で学んだことを思い出したり、その内容に思わぬ方向から光が当たるのが楽しいからでもあるのだ。

 大学生の時に家庭教師のアルバイトをして、中学の内容を学び直した時も楽しかった。大方は忘れていたし、教科書もあらためて読むと「よくできているな」と思えた。


 社会人になってからは、「いつかは歴史を勉強し直そう」と思っていた。

 小説やテレビドラマの影響もあって、私に限らず「もう一度勉強するなら歴史」という人は多いだろう。そうした人向けの本も数多く出ている。しかし自分が使った教科書がまだ手元にあれば、まずはそれをめくってみてはどうだろう。


 私が高校で学んだ世界史の教科書は、『世界の歴史(改訂版)』(昭和52年発行/山川出版社)だ。日本史は選択しなかった。

 事項・地名・人名・年号などが次々と出てくるので、当時は開くのも難儀だった。定期試験の直前に暗記して、終わるたびに忘れた。


 しかしその教科書の中で、ある事項の記述だけは、当時の私に強い印象を与えた。それは「パリ・コミューン」である。

 本文は次の通り抑制的だった。


屈辱的な講和に反対するパリ民衆は,71年3月パリ = コミューンを宣言した。これは世界で最初の労働者による自治政府であったが,2ヵ月後に政府軍に鎮圧された。


 ところが図版(当時の銅版画)に添えられた説明文は熱かった。


パリ = コミューン成立を祝う民衆軍

民衆にとってコミューン政権が政府であり,軍隊は民衆の軍隊であった。兵士は民衆からの自発的な義勇兵が圧倒的であり,大砲は対プロイセン戦争にさいして民衆が拠出した金属で鋳(い)られた。


 「民衆」というパワーワードの意図的な連発。私は「カッコイイ」と思い、「教科書でもこんなふうに書けるのか」と思った。

 さっそく高校の図書室に走って『パリ・コミューン』という本を借りた。難しくてまったく分からなかった。

 しかし私の歴史への興味を、かろうじてその後につないでくれたのは、絶対にこの記述だ。その証拠に、処分しきれずに今でもその教科書を持ち続けている(だから転記できた)。とうとう大学では、無謀にも歴史関係のゼミに入って卒論まで書いてしまった(日本史だが)。


 「歴史を勉強し直したい」という人の多くが、山川出版社の「もういちど読むシリーズ」をつい買ってしまう。

https://www.yamakawa.co.jp/general/mouichido


 今の高校生が学んでいる教科書でも、当時のままの復刊でもない。高校の時に山川の教科書で学んだ大人をターゲットにしつつ、新知識やこぼれ話を盛り込んで、面白く読めるように工夫してある。

 というわけで、私も2冊買ってしまった。


①『新もういちど読む 山川日本史』(2017年)

https://www.yamakawa.co.jp/product/59090


②『新もういちど読む 山川世界史』(2017年)

https://www.yamakawa.co.jp/product/64090


 とても時間がかかったが、2冊とも通読した。そしてどちらも素晴らしく面白かった。

 ①は、高校で履修しなかったこともあって新鮮だった。②はコラム「新常識」が面白く、またショックを受けた。


 それにしても限られたページ数に収めると、「人類の歴史は支配と戦争の歴史(=覇権の抗争史)に他ならない」ということが、実に鮮明になってしまう。特に世界史は、まるで早回しのフィルムによるスラップスティックのようだった。

 あらためて自分が、きわめてまれな平和な時代に生まれ育った幸運を再確認した。


 ちなみに②のパリ・コミューンの本文の説明は、40年前とほとんど変わっていなかった。しかし図版は入っておらず、もちろん「民衆」の連発もない。

 残念である。というわけで高校時代の教科書は、死ぬまで捨てられそうにない。


 ①②を読んだ勢いで、もう少し歴史を勉強しようと思ってネットで調べてみた。するとこの本の評価が高かった。


③『市民のための世界史』大阪大学歴史教育研究会 編(2014年/大阪大学出版会)

https://www.osaka-up.or.jp/book.php?isbn=978-4-87259-469-0


 大学の教養課程の授業で実際に用いられていて、しかも高校で世界史を学ばなかった学生も受講することを想定して編まれた世界史の教科書だ。ただし高校の教科書とは一味も二味も違う。それどころか、「この教科書は、現役高校教員への挑戦状でもある」と宣言して始まるのだ(p3)。


 人名や年号を可能な限り省き、世界全体の歴史の大きな流れ、そして各地(国家に限らない)の相互関係を詳述している独創的な教科書なのだ。なるほど「世界史を学ぶ=人名や年号を覚えて試験で点を取ること」と、「歴史を研究する=史料に基づいて未知の事実を明らかにすること」の違いがよく分かった。


 衝突や論争を恐れない物言いは関西だからなのだろうか、大阪だからなのだろうか、それとも大阪大学だからなのだろうか。

 「終章 どのように世界史を学ぶか」は特に楽しい。たとえば冒頭の「読者への問い」にはこうある。


歴史学者は、本ばかり読んでいる「浮き世離れした」人々だろうか。歴史学など学んでも、就職の役に立たないのだろうか。


 個人的には「なぜ(戦争に強いだけで文化度は低かったはずの)遊牧民族が、(人口が多く中原を支配していた)漢民族を抑えて建てた王朝が長く続いたのか」という疑問が氷解した。遊牧民族はオアシスなど小規模の定住農耕集団を支配する経験を持っていたし、商業の重要性を知っていたし、被支配民族に対する寛容・非寛容両面の支配に長けていたからだったのだ。


 歴史の勉強は楽しい。専門家が非専門家向けに、工夫と苦労を重ねて書いた教科書は楽しい。

 というわけで、もう少し歴史の本の話を続けたい。