006
河合隼雄の対談本3冊
私は若い時、不登校の子どもや引きこもりの若者の支援活動に関わっていた。
その時期を中心に、臨床心理学者である河合隼雄(かわい・はやお)の本をずいぶん読んだ。とは言っても教育や家族について一般向けに書かれたものばかりで、専門性が高いものは歯が立たなかった。
河合の書くものは、心理療法家としての豊富な経験に支えられている。具体例が多いから読みやすくて分かりやすいし、しかもその先の考察は広くて深い。とても勉強になった。今でも時々読み返すが、もっとも繰り返し読んだのは、小川洋子との対談をまとめたこの本だ。
①『生きるとは、自分の物語をつくること』小川洋子・河合隼雄(2008年/新潮社)
→(2011年/新潮文庫)
https://www.shinchosha.co.jp/book/121526/
最初の対談は、小川の『博士の愛した数式』が映画化され、河合が推薦文を書いたことがきっかけで行われた。実は河合は数学者を目指していたことがあったし、高校で数学を教えていたこともある。
「魂」をめぐるこの対談に感激した小川の希望もあって二度目が実現し、この本のタイトルになったテーマで対話が展開した。
(文庫版・p47・小川)
人は、生きていくうえで難しい現実をどうやって受け入れていくかということに直面した時に、それをありのままの形では到底受け入れがたいので、自分の心の形に合うように、その人なりに現実を物語化して記憶にしていくという作業を、必ずやっていると思うんです。
(略)
臨床心理のお仕事は、自分なりの物語を作れない人を、作れるように手助けすることだというふうに私は思っています。
予定されていた三度目の対談は実現しなかった。河合が倒れ、そのまま亡くなったからである。
果たして「生きるとは、自分の物語をつくること」だろうか。もちろん正解はない。しかし自問してみる価値は絶対にあるし、この本はそれを考えるためのヒントに満ちている、と私は思う。
だから大学で教えている「物語を読む」の授業は、最後にこの本を勧めて締めくくることにしている。
②『なるほどの対話』河合隼雄・吉本ばなな(2002年/NHK出版)
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000053762002.html
→(2005年/新潮文庫)
https://www.shinchosha.co.jp/book/135951/
河合隼雄の対談本はどれも面白いのだが、この本には何度かドキッとさせられた。
河合がプロの心理療法家に厳しいことは、他の著書を読んで知っていた。しかしそうでない人には限りなく優しいと思っていたので、この発言には驚いた。
(2002年版・p85)
吉本 その変わっていない日本的しがらみというのは何かの役に立っているんでしょうか。日本の何を支えているんですか?
河合 やっぱり能力のない人を支えている強力な武器でしょうね。
ズバリ「能力のない人」である。「河合隼雄も本音では能力主義か」と思った。
しかし落ち着いて前後の記述を含む文脈を読み直すと、そうではなかった。「人が存在すること」自体が全てであり、能力は些細な問題なのだ。
(p213)
河合 失敗した事例は、論理的に説明可能なんですよ。で、本当にうまくいった事例は、論理的に説明できないのではないかと思っているんです。
野村克也が好んで語った、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」を思い出して笑った。
プロ野球と臨床心理学は遥かに遠い。しかし小川洋子の小説『博士の愛した数式』はその間を結んだ、とも言えるだろう。
最後にやや専門的なものを。哲学者の中村雄二郎を相手に、河合の心理療法の代名詞とも言える「箱庭療法」について語った本だ。
③河合隼雄・中村雄二郎『トポスの知 箱庭療法の世界』(初版1984年/阪急コミュニケーションズ)
→(新装版1993年/TBSブリタニカ)
→(新・新装版2017年/CCCメディアハウス)
http://books.cccmh.co.jp/list/detail/2025/
内容については、公式サイトに河合による長文の説明があるので省略する。全体的に私には難しかったが、とても勉強になった。
また、たとえば中村が箱庭における触覚の重要性を指摘したり、理学療法などのリハビリが、技芸ではなく科学を志向するすることへの違和感を表明したりする件(くだり)には目を開かれた。
この本を知ったのは、なんと宮沢章夫の『牛への道』である。公式サイトにある通り「奇想天外・抱腹絶倒のエッセイ集」なのだが、読書は本当に油断大敵だ。
(1994年/新潮社)→(1997年/新潮文庫)