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小川洋子の小説3冊
仙台の出版社プレスアートが発行する『仙台闊歩』は、生活にちょっと余裕がある層向けの情報誌だ。グルメや旅行などの記事が、主に紙面を飾っている。私は20年ほど前の創刊時から、この雑誌に本の紹介を書いていた。
https://www.pressart.co.jp/topics_category/kappo
毎回6冊を取り上げるのだが、選ぶのがまず大変だ。最近出た本の中から、雑誌の読者層を考え、小説を日本の作者と翻訳ものから各1冊以上、1冊は写真集や絵本などビジュアル本を入れて…などと考えながら、しばしば半日以上も書店の中を歩き回ったものだ。
もちろんその後で読むのも大変、短い字数で紹介する中に自分ならではの視点を盛り込むのも大変、最後にキャッチーな見出しをつけるのも大変。しかし本好きとしては、この上なく楽しい仕事だった。
その第6号の原稿を書くため、例によってウンウンうなりながら広い書店内を巡っていた私の目に、この本の表紙が飛び込んできた。
①『博士の愛した数式』(2003年/新潮社)
https://www.shinchosha.co.jp/book/401303/
https://www.shinchosha.co.jp/book/121523/
その瞬間「これだ」と確信した。ちなみにこの仕事は6年ほど続いたが、こうした直感に恵まれたのはこれ1回きりだった。
帰宅してすぐに読んだ。期待以上に素晴らしい小説。張り切って書いた原稿は次の通りだ。
(見出し)
数式の美しさとそれを上回る人の絆の温かさ
軽やかな筆遣いで描いた長編小説の収穫
(紹介文)
数学が苦手な人も、タイトルだけで読むのを敬遠してはいけない。これは上質の恋愛小説であり、家族小説であり、教育小説であり、闘病小説であり、そして優れた野球小説だ。
「私」は高校を中退して子どもを生んだ。相手の男は逃げた。それから十年。取り柄は家事だけだから、家政婦紹介組合から仕事をもらえば、どんな家に行っても誠心誠意はたらいて、息子と自分とを養ってきた。
今度の派遣先は、交通事故で脳に障害を負い、八〇分より前の記憶を持つことができなくなってしまった老数学者の一人暮らし。その日から、今までになく困難で、今までになく喜びに満ちた毎日が始まった。
障害に苦しみながらも謙虚で優しい老数学者に認められることで、「私」と息子は、あらゆる種類の自己嫌悪や自己卑下から解放される。母子は、その恩返しとして希少な「江夏豊野球カード」をプレゼントしようと奔走するが、老数学者の病は急速に進行していた…。
設定も展開もドラマティックだが、筆は実に軽やかだ。「私」と息子とが老数学者に数学のレクチャーを受ける場面から感じられる情愛の濃さなど、どのページにも人間という存在に対する慈しみが満ちている。
二つめの文にある「恋愛小説」は、読み手をミスリードしようと意図的に入れた。数学と聞いただけで逃げ腰になる人は必ずいる。そうした読み手に対して、「家族小説」などその後の「正しい」4つの表現だけでは、読むのをやめてしまいかねない。ライターの仕事で一番大切なことは、とにかく最後まで読んでもらうことなのだ。
もちろん特異な恋愛小説として読むことも不可能ではない。たとえば博士と義姉との。あるいは「私」と逃げた男との。そして「私」の母と、不在の父との。しかし読み筋としては良くない。
テレビとマンガで育った身としては、物語は素直に楽しみたい。したがって実は小川洋子の出世作にして芥川賞受賞作である『妊娠カレンダー』(1991年/文藝春秋)は、読んではいたが苦手だった。
小説は合う合わないが大きいし、それで良いと思っている。だから私と好みが逆の人がいても全く気にならない。私は小説については、深読みや複雑な読み、ましてや作者の意図や執筆の背景を探ることなどには興味が持てないのだ。
小川洋子の世評はその後も高まり、海外でも翻訳が評価されるなどして活躍している。私も全作ではないが、過去にもさかのぼって作品を読み続けた。しかしなかなか趣味に合うものには出会えなかった。
そうした中で、私が読む喜びに満たされた作品が次の2作だ。内容は書かないが、自信を持っておすすめしたい。ただし『博士の愛した数式』のような「救い」はなく、万人向けとは言い難い。
②『人質の朗読会』(2011年/中央公論新社)
https://www.chuko.co.jp/bunko/2014/02/205912.html
③『ことり』(2012年/朝日新聞出版)
https://publications.asahi.com/product/14373.html
https://publications.asahi.com/product/17676.html
のちに大学で「物語を読む」という授業を担当することになった時も、『博士の愛した数式』は強く推すことにした。今の学生たちにとっては「生まれる前の本」であるという事実に軽いめまいを覚えるが、若い世代にもぜひ読んでほしい。