授業の感想についてお書きください。
福寿みのり
山形さんの授業を受講して、改めて日本人としての自分について考えました。海外に行くと自分が日本人であるんだなと感じる瞬間も多く、その度に自分は日本人であるのに日本のことを知らないのだと思い知らされます。また、その海外に住んでいる日本人としてその国をどのように捉えること・接することができるのかを考えます。山形さんは、手漉き紙や軍票から文化面や歴史面といった多角的にフィリピンと日本人を考えられていてとても興味深かったです。特に、軍票は日本人としては接しにくく占領した歴史は私が直接的に危害は加えてないものの、日本人として誇ることができる歴史ではなくどのように接するべきかわからなくなります。結論を出すことは難しいですが、山形さんの中でどのような気持ちになったのか気にあったので作品を直接鑑賞したいと思いました。
また、自分の表現を探す手段として素材から考えてみるという点に関心を持ちました。子供が色んなものを触って学んでいくような感覚に似ているのかなと思いました。触るという行為は、当たり前に日常で行なっているので重視することは少ないですが、いざ真剣に考えてみると奥が深く新しい感覚を与えてくれるので次の企画などに活かしてみたいなと思いました。"
田沢茉彩
講義の中で最も興味深かったのが、マニラのアートギャラリーについての話である。マニラのアートギャラリーは海外志向が強く、積極的に香港やシンガポールなど国外のアートフェアに出展している。こうした環境の中で国際的に活躍したり、その国に帰化したりしたアーティストが逆説的に自身の祖国についてより深く考え、思いを馳せるようになる。この話は講義前半でトピックに挙がった、ポキン村で唯一無二の紙作品をつくり続ける志村氏や「日本人としての自分とは何か」を自問しながらアート活動を続ける山形氏にも通じていると感じる。村の土着信仰であるアニミズムに日本との共通性を見出して作品に落とし込んだり、日本製の軍票を大量に集めた作品を作ったりする行為は生まれ育った場所から遠く離れた土地にいるからこそ、祖国との繋がりを絶やすまいと奮闘しているようである。長い植民地時代を経て、何度も宗主国が変わる経験をしてきたフィリピンという国にアイデンティティをもつアーティストたちは海外からどのような思いでアート活動を続けているのだろうか。大国との戦争、支配、格差など歴史的・社会的問題を経験したフィリピンを外から客観視することで新たな自己発見、作品のインスピレーションが湧いてくるかもしれない。海外へ行ったマニラのアーティストたちも志村氏や山形氏同様に、アートを通してアイデンティティを自問し、離れた祖国を思い、どうにかして繋がりを保とうと作品をつくっていることだろう。
lyu tong lin
まず、ジブーヤスの皮を剥くパフォーマンスのエピソードが印象的でした。このパフォーマンスは、日本人としての自分は何かを考え始めます。フィリピン人と比較的な視点を持っており、非常に深いメッセージが込められていると感じました。
また、日本人アーティストとの交流や、彼が作った紙を使用した作品についての話も非常に興味深かったです。アーティスト同士が互いに影響を受け合い、新たな創作の可能性を探る姿勢は素敵だと感じました。和紙という素材が持つ日本の歴史や文化的背景を感じながら、それを作品に取り入れることで、より深みのある表現が可能になるという点も、非常に共感できました。
さらに、軍票を使用した作品についての話も印象的でした。軍票は歴史的な背景を持つ素材であり、それを現代のアート作品に取り入れることで、過去の出来事や歴史的な文脈を現代の視点から再解釈することができるという点は、非常に斬新でありながらも深いメッセージが込められていると感じました。軍票を調べたところ、日中戦争における日華事変軍票以降は各種の軍票が発行されるようになったことを初めて知りました。
この講義を受けて、「自分探し」を通して、作品を作るということは私自身のアートに対する考え方やアプローチも大きく変わり、今後の創作活動において、素材を重視するという新たな視点を取り入れることができると思います。また、歴史の勉強にもなりました。
吉村常葉
今回は貴重な現地での活動のお話を聞かせていただきありがとうございました!今回の講義で特に印象に残った点は、「日本人としての自分は何か」でお話しいただいた「日本人であるという説明ができない、日本人としてどう考えているか説明できない」という山形さんの気付きです。自身がバックグラウンドを持たない土地で何か行動を起こす際に重要になってくる考え方であると感じました。私も実際フィリピンでアート作品を制作するとなった時に、どうしてもフィリピン文化や政治に制作意図の中心が偏ってしまっていたことに気付きました。私が日本で身につけてきた価値観と現地の習慣を比較してどうなのか、日本人である私だからこそできる表現は何なのかと考えるきっかけになりました。この価値観を念頭に置くと山形さんの軍票を使用した作品は非常に価値が高いものであると感じました。一日本人としてフィリピンとどう関わることができるのか、非常に興味深かったです。また、素材から着想を得た作品作りに注力しているアーティストを初めて知ることができたので、新しい着眼点を知るきっかけになりました。また、マニラのアートマーケット・ギャラリー雑感を聞いていて、いい意味でアート制作を鳥瞰していらっしゃると感じました。山形さん自身で制限を決めずに思うがままに身を委ねて作品制作される姿(違ってたらすみません)に憧れの念を抱きました。本日は改めて貴重なお話をありがとうございました!私の視野のリミッターが外れたような気がするので、柔軟な思考で作品に向き合っていきたいと思います!
我謝伊吹
フィリピンのアートやギャラリーの事情を実際にフィリピンで活動されていた方のリアルな話を聞くことができて面白かったです。特に面白いと思ったのは、日本人としてのアイデンティティに悩まされていた時に、それらを模索していく手がかりとして「素材」を起点として考えるという点です。確かに、日常の中のアートという観点で考えてみても、日本では絵画や彫刻といったようなアート作品は一般的にあまり馴染みがないですが、手仕事を基礎とした焼物や織物、染物などの伝統工芸品や、水墨画・日本画などのような自然のものを素材にし、手仕事で作り上げていく芸術作品は、我々の日常の中に根付いていると感じました。そういった自然的な素材自体が日本っぽさを有しているのかなと思いました。その一方で、フィリピンでは、歴史の中でどのような芸術形態が育まれ、フィリピンの人々により身近に存在しているのかと疑問に思いました。
また、手漉き紙を作っている志村さんの住むポキンという村では、カトリックと融合し、土着信仰やアニミズム的な信仰が残る街というのも興味深かったです。今、ゼミのグループ研究で、映像におけるアジアの「信仰」の不気味さというテーマで研究を行なっており、映像におけるアジアの信仰では、西洋の信仰文化に比べ、アミニズムや土着信仰・思想が強く、自然や、自然を素材とした宗教モチーフなどの表象が多く見られます。
フィリピンでは、統計的にカトリックの割合が多いですが、実際のフィリピンに住む人々は、どのくらいの熱量で、どのような意識で宗教と向き合い、そしてそれが日常生活や社会通念にどのような影響を与えているのかについて興味が沸きました。
水本侑里
マニラのアートマーケット・ギャラリーの感想において、現代アーティストから売れるのは絵または彫刻だけという嘆きがあったというのがすごく印象に残った。私はまだ学生でアーティストではないが、いつも制作するたびに立体および参加型作品を思いつき形にしている。これを生計立てるために使ったことはなく、売り出すためにも使っていない。目的が、自分の作品を通した日々の自身の過ごし方の振り返りの'機会を与えること'であり、そもそもが売買目的ではないため、お金にしたときの価値を考えたことがなかった。それでも、もし商売にかけたら確かに私の作品は売れないと思った。大小など関係なく、現代を生きる人間として日々に思うこと,それを問題として提議する手段がアーティストにとっての現代アートであり、それをどこかに持ち出せる形・素材のみで作り上げるのは難しい。企業と雇い主という関係にならない限りアイデアをうることもできず、かといって制作のために必要な費用になる販売の場を逃すのも悔しい。現代アーティストがのびのびと制作を続けるためには、アーティスト本人の作品による収益ではなく、国や企業などといった団体からの継続した支援を受ける必要があると考える。そのためには、団体側とアーティストとで思想の一致・共感を与え続けるパートナーとして個々の活動に揺るぎない信念を持って取り組み発表し続けることが大切なのではないかと考えた。
佐藤果穂
海外に行くと、どうしても自分が”日本人”としてどうした振る舞いをすることがふさわしいか考えてしまうことがある。何かしらの主張を行ったり、考えを共有する際、その人が今までどのような文化、環境で過ごして来たかを知ることで、より深く理解することが出来ると思う。そして、そのように相手の考えを推測するうえで、国籍という情報は非常に重要であると思う。そのため、日本人として自分がどのような作品を作ることができるか悩んでいたという気持ちが、少し理解できるような気がした。
また、軍票というものを今回の授業で初めて知った。調べた結果、大東亜戦争軍票という日清戦争以降に製造されたものであり、フィリピンだけでなくインドネシア、ミャンマー、マレーシアなど占領地ごとに異なる通貨を発行していたことがわかった。”THE JAPANESE GOVERNMENT”と日本が発行元であるのにもかかわらず、ほかの国の通貨単位が刷られているこの紙幣は、フィリピンと日本で起きた歴史を風化させない重要な資料の一つのように感じられた。またさらに調べた結果、この軍票に刷られているデザインは、リサール記念碑、彩文、そしてアカバ畑の物があることが分かった。リサール記念碑は、フィリピン独立の最大の功労者と言われるホセ・リサールの記念碑であり、フィリピンは世界最大のアバカ輸出国であり、そのためこの二つのデザインが採用されたのだと考えられる。戦争は、一方の国が一方の国をただただ虐げているというイメージがあり、それは基本的に間違った認識ではないとも思っている。しかし、戦時中は敵対しており、占領地にしていた歴史もあるが、こういった部分では相手国の大切にしている文化や伝統を尊重していたのかもしれないと感じ、この紙幣がどのような思惑で制作され、どのようなことを思ってこのようにデザインされたのか、もっと知りたいと思った。実物をぜひ見てみたいと思ったため、現地に行ったら古道具屋に行って探してみたい。
東海林樹衣子
山形敦子さんがフィリピンに一切つてがないところからアート活動を始められたとこに驚きました。
日本人としての自分とは何かという問いについて考えるために玉ねぎを用いたところが面白いと感じました。たまねぎの皮を剥き続けたら最後に1円玉が出てくるというパフォーマンスでは、自分という存在の根本を突き詰めたら最終的に残るものの価値は曖昧でまだ模索している途中だということが表されているように感じました。1円玉はひとつで買えるものはほとんどないけれど、硬貨である以上沢山集まれば大金になるため、価値がないというわけではないという微妙な物体であり、そのような人や状況によって価値が異なる1円玉を、一神教信者にとっての神に変わる存在と比べることで、この作品を見た日本人をシュールな気持ちにさせると同時に日本人としての自分とは何かを問わせるように仕向けられていると思いました。
富裕層のコレクション欲が高いことでギャラリーが充実するのは良いことだと思うけれど、転売目的で作品が購入される場合があることや、大量のコレクションが所狭しと並べられているという話を聞いて、それらの作品があまり丁寧に扱われていないのではないかという印象を少し受けました。これまでの講義でフィリピンについて学んできて、フィリピンはアート活動を行うのに適している場所というイメージがついていましたが、上記のような状況を知った上でフィリピンで活動するアーティストたちの中には、販売した作品が本当に価値を見出されているのかという疑問を持ちながら活動している人もいるのではないかと思いました。フィリピンのアートに関する少し雑とも感じさせるような姿勢はアーティストたちが作品の価値について改めて考える機会を与えていると考えました。