タガログ語がフィリピンでメインで使われていると思っていたが、公用語としての言語でありマザータングと地域で話されている言葉は異なっているのだと理解することができた。日本の映画では、そういった状況になることが少ない、加えて私はどちらの言語も理解することができないのでその状況を体験することができないが不思議な感覚になった。そのため、フィリピンにおける多言語の状況をより深く知りたいと思った。加えて、日本の映画は東京に一極集中のようなイメージを持っているがフィリピンでは多くの地域に作品があり、また地域によってテーマも多様であることに関心を持った。
以前から日本とフィリピンの関係に関心を持っているので、『インビジブル』を鑑賞したいと思った。日本には多くのフィリピン人が住んでいるのにも関わらず、公共施設の標識などにタガログ語は記述されていない。日本に住むフィリピン人は、どのように日本で暮らしているのかを知るきっかけにこの映画がなるのかもしれない。改めて考えると、どんな国の人よりもフィリピン人は近い存在なのによく知らないと思った。フィリピンの映画を見たことがなかったので、見てからフィールドスクールに行きたい。
今週の授業では、フィリピンの社会と映画における表象について学びました。まず、フィリピンの経済成長について、そのスピードの速さに大変驚かされました。特に近年のフィリピンの経済成長は目覚ましく、東南アジアの中でも注目される存在となっています。
また、授業を通じて、フィリピン映画の歴史や現在のトレンド、そしてその社会的・文化的な影響について深く理解することができました。特に、フィリピンにおけるインディペンデント映画が印象的でした。その中でも「マキシモは花盛り」という映画は非常に興味深く、ぜひ観てみたいと思いました。
授業で取り上げた映画を通して、フィリピン映画は、単なる娯楽の枠を超えて、社会問題や歴史的背景を描く重要なメディアとして機能していると感じました。これにより、映画を通じてフィリピンの社会構造や文化を理解することができました。
さらに、フィリピンから日本への移民問題についても興味が湧きました。昨年マニラでタクシーの運転手に話を聞いたところ、彼の兄は日本に定住しており、周りの多くのフィリピン人も日本に住んでいるとのことでした。フィリピン人が日本に移住する理由には、経済的な機会や生活の質の向上を求めていることが挙げられます。日本はフィリピン人にとって、安定した職場環境や安全な生活が魅力的な場所となっています。そのため、フィリピンと日本の関係は、経済的なつながりだけでなく、移民に伴う文化的な交流や人的交流も含まれていると思います。
今回の授業を通じて、フィリピンの経済成長と映画産業に対する興味が一層深まりました。これからもフィリピンについてさらに学び、その成長の過程や文化的な側面を探求していきたいと思います。また、フィリピン映画をもっと観ることで、その国の社会や文化をより深く理解し、国際的な視野を広げていきたいです。
今回は貴重な授業をしていただきありがとうございました。フィリピンの社会を表象の観点から見つめることで、より一層フィリピンで学ぶことが楽しみになった講義でした。今回のインディペンデント映画の知識が、前回の講義で、マニラ新聞嘱託記者の澤田公伸さんのフィリピンの政治社会に関する講義を受けた際に得た知識に繋がることがありました。これはあくまでも私の推察に過ぎませんが、フィリピンが国としてジェンダーギャップの是正に取り組む機運が上昇しているという背景があるからこそ、国内で性的少数者をテーマにしたインディペンデント映画が数多く製作されるのではないかと考えました。全体的に、日本映画に近い感覚で鑑賞できる作品が多いような印象でした。またテーマは変わりますが、技能実習生に関しての一点疑問点があります。フィリピンでは海外への出稼ぎが多く、その中に日本も含まれているというお話があったと思います。歴史的な円安が進み、日本の国際競争力が低下している昨今、フィリピンにおける出稼ぎ先としての日本の捉え方、またそれに伴った恋愛映画の潮流は変化を見せるのでしょうか。フィリピンも決して貧しい国ではないと感じているので(格差はありますが・・・)、日本への憧れも減少し、それが表現方法にも影響を与えるのではないだろうかと考えました。この疑問点に関しては、今すぐ答えが出るものではないと考えるので、世界の変化を見つめていきたいと思います。改めて、本日は貴重な授業をありがとうございました!またフィリピンでお会いできることを非常に楽しみにしています!
映画の予告の中に出てくるタガログ語を聞いて、「靴」を意味する「サパトス」など、スペイン語同じ単語がいくつか出てきて、植民地時代にスペインがフィリピンに与えた言語的影響が現れていることがわかりました。実際にフィリピンに行った時に、スペイン語を知っていることでどれくらいタガログ語が理解できるか興味が湧きました。
今回の講義で初めてインディペンデント映画の存在を知りました。大手制作会社や商業主義に依存せず低予算で制作することで万人受けを意識することなく制作側が本当に社会に訴えたい内容にすることができる点がインディペンデント映画の魅力だと感じました。インディペンデント映画は貧富の格差やドラッグ、売春、少数民族など現在もフィリピンで深刻な問題となっていることの実態を生々しく伝える重要な手段であり、また、フィリピンの中心地だけでなくさまざまな地域の特徴を取り上げた作品が多くあり、フィリピンのローカルな魅力を伝えることもできるため、もっと多くのフィリピン映画が日本を含めた海外で公開されるべきだと思いました。
映画「HALAW」の舞台となっているサンボアンガは、講義で紹介されていたようにスペイン語系クレオール言語のチャバカノ語が話されている地域で、この映画にチャバカノ語が登場すると聞いて本編を観て実際のチャバカノ語を聞いてみたいと思いました。
フィリピンのインディペンデント映画は、日本と比べて、ジェンダーや貧困など個人的なレベルから政界腐敗や民族意識といった集団的なレベルまで幅広く社会問題について取り扱っている点が印象的であった。これは映画を通じて社会に対するメッセージを伝え、さらに社会を変えたいという強い思いのあらわれである。
授業動画内で紹介されたなかでもっとも興味を惹かれた映画は日本に来た移民をテーマにした作品である。授業内で在日フィリピン人はベトナム、中国、インドネシアに次いで4番目に多いと言われていたが、実際に、いわゆる地方都市である私の地元にもフィリピン人と日本人のハーフの同級生が数人いたり、近所にあった工場で外国人技能実習生として水産加工業に従事するフィリピン人を見かけたりしたことがある。また、国内の人手不足を外国人材で補完するため今年度から外国人の受け入れ枠を拡大し、運送業や鉄道業など新たな特定技能分野も追加された。今後、外国人材の活用は進み、フィリピンをはじめとするアジアを中心とした国々から多くの外国人技能実習生が流れ込んでくることが予想される。
このように日本全国に散らばるフィリピンの人々がどんな思いで働いているのか、どんな問題を抱えているのかを可視化させる上で、映画という手法はとても有効であるように思う。
その一方で、日本におけるフィリピン映画の知名度は低い。授業を受けるまで「フィリピン映画」と聞いて思い浮かぶ映画タイトルはメジャーかインディペンデントかを問わずひとつもなかった。社会に対する思いが直接的に表現されたフィリピン映画の知名度が上がることは日本人にとってごく身近にあるフィリピンコミュニティの現状を知ることに繋がるのではないか。
インディペンデント映画というものを今回の授業で初めて知った。
フィリピンの365年の植民地支配の歴史からできた固定観念に縛られた表象や自虐の感性に対抗し、フィリピンの社会や人々にどのように新たな自画像を構築していくかをテーマに制作されているこれらの映画の予告をいくつか視聴し、ファンタジーのような浮世離れした内容の物は少なく、リアリティーのある物が多いという印象を持った。インディペンデント映画について知るうちに、最近インターネットなどを通して耳にすることが増えた“ポリティカルコレクトネス“という言葉が浮かんだ。ポリティカルコレクトネスとは、” 社会制度やあらゆる表現を差別・偏見のないものに変え、人種や性別、年齢、障害の有無などによるマイノリティ・社会的弱者を守るための運動“のことである。実写版リトルマーメイドで、黒人の女性がアリエル役を務めたことで物議を醸したりなど、アメリカの映画でも最近はこうした多様性や人間の尊厳に目を向けた作品をよく目にすることが増えたように思う。映画の世界を全くのファンタジー作品とするのではなく、多少なりとも現実を結び付けて制作する傾向にあるような雰囲気を感じる。また、どうしてもこうした社会的なメッセージが強い内容の映画には、商業主義から図らずとも離れししまう傾向があるのではないかと感じた。
気候・気温が変動する日本に対して,フィリピンは平均気温が日本より高温かつ一定で、それに伴って我々がよくフィリピンと言って思い浮かべるバナナや葉っぱといった植物が生育するのだなと改めて思った.
'色分け'して多様さを示すときは、隣り合う色との組み合わせを奇抜にしすぎないことで,その本来の目的がわかりやすくなるなと思った。見方の問題ではあるが、フィリピンに住んでいる民族や言語に関して色分けして見てみると非常に多様に存在していることが分かった。図で見せるときはやはりわかりやすさ見やすさが大切、そのためには奇抜になりすぎないことが重要だと思った。
映画の中でも登場するように、フィリピンの社会の構造としてマザートングと地域言語とが分かれていることがまず不思議に思った。自分が所属する民族の言語が1番内側、自分にとって身近に存在していて、その一つ外側には自分が属するエリアの言葉が必要になる。
これは、他者とのコミュニケーションが多いことを表しているのではないかと考えた。自分がいる場所にとどまることなく外に興味が向いている、こともあると思うが置かれている環境として言語が複雑化しているため、生きていく上で不可欠なのだなと感じた。私が東京に生まれ育ったからかもしれないが、今の時代そこまで周りと話し合わなくても、大学や仕事などで引っ越ししない限りそこまで多くの言語もコミュニケーションも必要ないと思う。しかし方言ではなく言語の異なる人々が周りにいる環境ならば、少し買い物に都内に出たりするだけでも、ある程度の人数が理解できる言葉を表記し理解することが求められるため、教育における言語・社会の重要性がより高まる。結局社会は人との関わりの中で形成されていると思うと、人として必要な教養が早くから求められるフィリピンという環境は、大変な分精神力が高められるのではないかと個人的には考えた。
日本でも社会風刺の映画が最近は増えてきており,賞をもらう傾向が強まったように見えるが、フィリピンはもっと母数が多いのが特徴的だ。社会と文化共に興味をもち、そしてその繋がりを深め隔離させないようにすること、触れやすくする構造を人々が互いに生み出しているのが素敵だと思った。日本では企業メセナや文化庁など、機関として大きな資源を持つところが文化に触れる機会を増やすことを一つの目的として定めなければ意外と関係がまだまだわかりづらい状況にあると思う。それに対して、人々の関心が社会に向けられ、それを伝えるメディアとして文化コンテンツが使われているのが興味深いなと思った。
私は映画を見ることが好きで、ゼミでも映像の認知について研究しているが、フィリピンの映画は見たことがなかったので、フィリピン映画の特徴や社会との関わり方について知ることができて良かった。特に、フィリピンの様々な国に支配されてきた歴史や、他言語が飛び交うカルチャー、湿気が多く年中温暖な気候、多くの島からなる島国という特徴がフィリピン映画どのような影響を与えているのか興味が湧いたし、フィリピンのインディペンダント映画を実際に見てみないと掴めないこともあるので、実際に見てみようと思った。
また、添付されていた鈴木さんの、ナビマニラの記事に、フィリピン映画では、若いフィリピン人の映画制作者が、自分が持つ社会への思い、メッセージを映画で直接的に描き、映画というアートによって社会を変革することができると信じているとおっしゃっていた。一方、日本では社会に対しての思いを直接的に描く作品はあまり多くはなかったり、比喩的に表現されていることが多いので、こその違いはどこにあるのかと疑問に思った。フィリピン人は自分たちの住む国に対して、どのように思っているのだろうか。そのような日本との違いを今回の研修で学んでいきたいと思った。