ロード・ナ・ディト(平野真弓、マーク・サルバトス)
このワークショップでは、インスタレーション・アートという表現について考えます。1日目のレクチャーでは、フィリピンにおけるインスタレーション・アートの言説と実践について学び、その後の実習・活動時間を使って、各自の置かれた環境・文脈との関係からインスタレーション・アートについて考え、作品(またはプロポーザル)を制作し、2日目の後半で発表します。
今回制作したあなたの作品について説明してください。
水本侑里
普段なかなか使われない階段の床の素材をフロアごとに変えるという提案を通して、中で体験しても外から見ても「人」の感性があってこそのInstallation artとして考案した作品です。キャンパスの中でも新しく、無駄のない設計で外からも情景を眺めることのできる階段ですが、利用者数がなかなかおらず勿体無いと思っていました。数の増加と共に、忙しくて硬くなりやすい思考を、触感・視覚を通して楽しめる空間にしたい、この考えから危険性は特に考えず、階段含め建設でなかなか床の素材として使われなさそうなものを床材として採用し、校舎の内外どちらからも楽しさを感じられるアート作品として提案します。
青木怜奈
作品タイトル「私たちは絶対的な規制に対しどうすべきか」
制作意図:私たち、特に日本人は禁止事項に従順である。一方で何にも縛られない自由な場を好む一面もある。自由を愛し続けるならば、禁止事項に対しその背景や意図を深く考え直し、自分達の自由のためにあるべきものかを捉え直す必要がある。
作品の内容:芝生と木製ベンチしかおいていないシンプルな富士見坂屋上は、のんびりできる場として学生に人気である。私はその場から、ルールがない故に自分達の赴くままに使い方を選択できる「創造性」を感じた。そこで、今回のテーマである「新しい関わり方」については、むしろ「制限の多い場」へと変化させ、「自分達の自由や創造性を確保し続けるには規制に対しどのような態度でいるべきか」を再考する場所に変えようと思う。具体的には、規定された禁止事項に該当する行為をした訪問者を注意し、その際どのような反応になるかを、訪問者自身、もしくは別の訪問者が俯瞰するパフォーマンスを行う。訪問者には、自分達がクリエイティビティを失う後ろ盾には沢山の規制が潜んでいるのではないか、その規定は本当に存在する必要があるのか、等を考えてもらいたい。
ユヒョジン
図書館の隣にある裏道はあまり知られていない。なぜあまりに知られていないのかと考えてみたら、人通りが少なく道自体が暗いからではないかという結論が自分の中で出た。グラフィティという手法を使って法政大に通っている人ならみんな描けるようにスプレーペイントやマーカーを用意していく。このように壁を描くという行為でみんなが参加できるパフォーマンスであり、人通りが少ない道をアピールすることができると思ったのでこの作品を制作した。
伊東小町
「架空のポスター」
富士見ゲートの廊下に架空のパンフレットを展示する。普段は運転免許や海外留学に関するパンフレットが置かれています。そこにアルバイトや就活といった、より学生生活に身近なテーマの問題を取り上げた架空の冊子を展示したら、というインスタレーション作品です。大学内の何気ない廊下に、身近なものに関連する挑発的なワードやデザインが現れることで、違和感を感じて考えるきっかけになるのではないかと考え提案しました。
大原芽生
「HOSEI Camp Night」
法政大学は、市ヶ谷という都会に大きく存在している。その広い空間を学校として利用されるだけではもったいないと思い、学生がいなくなった夜間に他の活用ができるのではないかと考えた。キャンパス内では色々な規律が存在したり、そもそも学びの場であるためみんな真面目な態度をとったりする。それとは反対に、夜間のキャンプ利用では、普段縛られていることから解放され、人々が自由に過ごせる場所を提供したい。
今回の講義と制作を踏まえて、「インスタレーション・アート」とは何かについて説明してください。
水本侑里
「インスタレーション・アート」とは、何か一つで完成するのではなくその置かれる場所や参加する人などあらゆる手段・材料が全て揃ってこそ成立する、不完全な全体空間の創造物と言える。意図してなかったことも起こり得、ずっと固定されずに変化があるからこそ味が出る、その点で非常に自由な作品形態であると考える。また、開催方式については時間や空間をしっかりと予定立てて周知させてから実施することもあれば、「衝動」を大切に突発的に行われることもある。
青木怜奈
インスタレーション・アートにおいて大切なことは、訪問者をあらゆる形で巻き込むことにあり、空間を用いた展示・パフォーマンスと訪問者による、一種のセッションのようなものである。
ユヒョジン
今回の講義と制作と通してインスタレーション・アートでは無限な可能性をもつパフォーマンスであると思う。自分が作った作品に社会的な要因や環境的な要因などが含まれている意味を与えること、もしくは自分の中で起きている衝動のままで描く作品で大きくこの二つで分けられると思う。また、インスタレーション・アートでは個人一人で行うことは難しく、多くの人と制作する場合が多いのである。このように作品を制作するという共通の目的を持って多くの人と関わることができ、この過程によってコミュニティが形成することができるのではないかと思う。
伊東小町
空間と素材を効果的に用いながら、観客との関係を意識させる作品。1960年代のインスタレーションの登場により、従来の平面的な作品とは異なり、多様な素材を用いることができるようになりました。中でも身近な素材を用いることで、日常生活を見直したり、生活に関連した社会的なメッセージを投げかける作品も制作されるようになりました。
大原芽生
インスタレーション・アートは空間を利用した展示である。一点からただ鑑賞するのではなく、作品を色々な角度から見つめることができ、その世界に入り込むことができる。そのような特徴から、その空間と社会や観客との間に新たな関係性が築かれる。
授業の感想
水本侑里
4人ともそれぞれに描いている像が異なるものの、自由や解放を求めているように感じ、メッセージ性には共通点があるのではないかと考えました。自分では思いつかなかった、素材の中でも特に’プチプチ’に関しては耳で音としても楽しむことができるという意見をいただき、目・耳・肌など五感に訴える素材で作られた空間、8階分の階段として設計してもとても興味深いと思いました。建設で使われなさそうな素材として毛とプチプチと木材(剥げていてちょっと危なそうに感じるが、一応コーティングは軽くされているものを想定)を選びましたが、確かにMarkさんに言われた通り建設中の工事現場で使われる、「不完全性」を備えた素材でもあると思いました。これを踏まえるとあえてブルーシートを使ったり工事中に足の踏み場として使われるような鉄を使ったりしてもとても面白いと思いました。今後アイデアを組み立てる時、素材を選ぶ上でその共通点やコンセプトに関してもっと考えるようにします。実現性を考えてすごく真剣にアドバイスやご指摘をもらえて本当にためになったしとても楽しかったです、ありがとうございます。
青木怜奈
(昨日の授業の感想になりますが)Markさんの仰っていた「フィリピンの現状が深刻だからこそユーモアを交える」という話が印象的でした。私は、ユーモアは人から人に伝染させることで初めて成立すると考えるが、その意味で訪問者を”巻き込んでいく”インスタレーション・アートとは相性が良いのだろうと感じた。
ユヒョジン
今日の授業の中で発表したみんなの作品を見てすごい印象的な感じをもらい、自分では考えられなかったところで斬新なアイデアを見ることができたと思いました。また、先生たちからのフィードバックだけではなくみんなの意見や感想を聞いて他の方法としても自分の作品が扱うことができると思いました。準備する時間が短いにもかかわらずみんな面白いアイデアを出したのですごい印象に残りました。
伊東小町
受講生の作品案を聞いて、普段通っているキャンパスが可能性に満ちた空間だと感じました。大学に似つかわしくない素材を用いたり、展示することによって生まれる違和感を楽しむことができました。素材と空間の相乗効果が生まれるプロセスはとても興味深かったです。このワークショップを通して、「いたずら心」や「衝動」というキーワードと共に自分の中に思い描いた思考をシンプルに形に起こす実践ができました。また、空間や鑑賞者を意識して作品を制作する貴重な経験になりました。
大原芽生
同じ課題でも、それぞれが全く違う案を出していて刺激になった。また、自分の案に対してフィードバックをくださり、自分が想像していなかった角度から考え直すことが出来た。日本の大学でキャンプ実現するには色々な障壁があるが、フィリピンや韓国では実際にそういったことが行われていると知り、近隣の国々でも文化には大きな差があることを感じた。