担当教員の専門は近現代詩です。 近現代の詩歌を研究したい人はもちろん歓迎しますが、本ゼミではジャンルにこだわらず近現代の幅広い文学を研究対象にすることが可能です。
とは言え、先行研究が少ないマイナーな作家や作品を研究するには戦略が必要となるでしょう。なぜそれを卒論のテーマに選ぶのか、たとえ担当教員に難色を示されても説得的な理由と展望を示せるなら、何を選んでどう苦しむも自由です。
吉田ゼミでは、さまざまなジャンルを選ぶ人たちと作品の読みをめぐって真剣に議論する中で、どんな作品であっても研究に値するテーマを見出し、解釈し批評できる力を鍛えてほしいと思います。
担当教員 吉田恵理
2024年度卒業論文
北原白秋『海豹と雲』論―「神」に表現されるもの―
草野心平『日本沙漠』のなかの「蛙」詩
川上弘美『センセイの鞄』論——「恋愛を前提とした」唯一の関係
吉屋信子『わすれなぐさ』における女の〈友情〉
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』論——自己犠牲と「ほんたうのさいはひ」——
伊藤計劃『ハーモニー』論——現代SFとポストヒューマン時代の〈女の子〉の身体
太宰治「駈込み訴へ」における全体と個人の対立
中原中也「朝の歌」論——詩の形式と「歌」
西加奈子『円卓』論―声と文字のあいだ
太宰治「待つ」論——弱者に寄り添う文学——
入沢康夫『ランゲルハンス氏の島』論——「擬物語詩」の可能性——
中島敦「文字禍」論——語られる文字の霊——
安部公房「S-カルマ氏の犯罪」論―「名前」と「獣」―
勇嶺薫『赤い夢の迷宮』論——はやみねチルドレンの悪夢——
【修士論文】
近代におけるスサノヲの受容と生成―芥川龍之介・武者小路実篤・北原白秋―
谷川俊太郎の「詩劇」——ラジオドラマにみる「詩」と「劇」の葛藤
窪田空穂の「調子」——震災・戦争詠から「捕虜の死」へ
2023年度卒業論文
村田沙耶香作品における「正常」—— 「コンビニ人間」を中心に
夢野久作『ドグラ・マグラ』における「精神」—— 同時代の精神医学に関連づけて
石垣りん詩における〈食〉
寺山修司『毛皮のマリー』における「変装」
小川未明童話における〈移動〉
凪良ゆうBL小説における恋愛と家族
坂元裕二『大豆田とわ子と三人の元夫』における〈雑談〉と〈脱家族〉コミュニティ
〈愛〉と〈拒絶〉の関係性—— 最果タヒ詩論
中原中也「月の光」論—— ヴェルレーヌと中也の月下世界
辻村深月『冷たい校舎の時は止まる』論—— 成長しない生徒たちと学校空間
森見登美彦『熱帯』論—— 小説をめぐる小説について——
朝井リョウ作品における「多様性」と「性」の正しさ—— 『正欲』を中心に
【修士論文】
トリックに隠された動機—— 江戸川乱歩「陰獣」と「屋根裏の散歩者」を中心に
2022年度卒業論文
川上弘美『神様』における「私」の変容と異種との共存
芥川龍之介『桃太郎』論
三島由紀夫における「文武両道」—— 『太陽と鉄』を中心として
「だまされる才覚」の正体 —— 『プラネタリウムのふたご』論
大江健三郎『「雨の木」を聴く女たち』論
近現代の怪異・ホラー小説の系譜における澤村伊智『ぼぎわんが、来る』の特異性
「堕落論」と読む「桜の森の満開の下」
角田光代『八日目の蝉』論 —— 母性について
辻邦生『夏の砦』に見られるイマージュの手法
窪田空穂『土を眺めて』における挽歌の性格と長歌の興り
2021年度卒業論文
虚実の狭間に —— 『孤島の鬼』から見る乱歩作品における空想と現実
山田詠美『放課後の音符』論
桜庭一樹の少女少説の世界 —— 『青年のための読書クラブ』論 ——
梨木香歩『西の魔女が死んだ』論
三秋縋『君の話』論
野崎まど『バビロン』論
組み込まれた物語性 —— 谷川俊太郎『トロムソコラージュ』論
長野まゆみ『テレヴィジョン・シティ』論 —— 解放をめぐる闘い
言葉によらない対話の表現 —— 瀬尾まいこ『僕の明日を照らして』を中心に——
太宰治「女生徒」論 —— 矛盾する「私」の有り様——
綿矢りさ作品における女性像 —— 『勝手にふるえてろ』を中心に——
桜庭一樹『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』論—— ジェンダーから見る桜庭一樹——
研究分野
小説に限らず詩を扱っているゼミ生もいます。もちろん戯曲などでも構いません。卒論に向けて戦略を立てられるなら挑戦してもよい、というのがこのゼミのスタンスです。近代だけでなく現代作品もOKです。ちなみに私も現代作品が研究対象です。
ゼミの概要
90分2コマ連続、3・4年生合同です。前期は4年生、後期は3年生の発表となります。毎週1人ずつ、自分で選んだ作品の研究を発表します。先行研究に対して発表者がどの位置に立っているのか、どんな根拠をもって、いかなるアイディアを出して自分の考察を論証していくのか。緻密な検証が求められますが、発表を聴いている周りの方々がみなさん、質問などを寄せてくれる時間もたっぷりあります。その指摘が、のちの研究に生かされることが往々にしてありますので、臆することなく自分の研究過程を発表してほしいと思います。
担当教員・吉田恵理先生
せっかくなので最近のお話をいたしましょう。昨年9月、坂口安吾研究会・中原中也の会の合同大会がおこなわれました。そのパネルディスカッションで司会をされたのが、吉田恵理先生です。坂口安吾・中原中也の研究者であるパネリスト2名の考察に鋭い質問を投げかけた上で、安吾や中也の交点となる議題を深掘りしていくディスカッションを取りまとめていらっしゃいました。(私もその場にいました。)
もちろん、ゼミでも鋭い指摘をくださいます。先生のご専門は近現代詩ですが、「研究分野」でも述べた通り、しっかりとした展望があるなら、ゼミ生が選んだどんな文学作品も受け入れてくださいます。どうやらゼミ生に対しても、どんな作品でも読める力を養ってほしいと望んでいらっしゃるようです。
むすびに
毎週作品を1つ読みます。それが通年で発表者25人分ほどあります。速読できればよいという話ではありません。自分の作品さえ読めればよいというわけでもありません。自分が読むのに苦労する作品に出会うこともあり得ます。どうでしょう、つらいでしょうか。私は本を読むのが遅い上に、読んでいるうちに眠くなってしまうことが多いので、だいぶ前から少しずつ読んでいないと間に合いません。それが毎週続くのは正直つらいです。
でも、この環境に今後なかなか出会えないと思います。あるゼミ生が、何か理由があって選んだ作品を、自分も、読むだけでなく何か考察する機会があり、発表者の考察だけでなく、それ以外の人の意見を聴くこともできる。それが25回あるんですよ。なんと贅沢な1年でしょう。いや、2年分で50回ですか。ほんと稀有な時間ですよ。
ぜひ、この至上贅沢な時間を楽しんでいただきたい。自分の研究にはどうぞ悲鳴をお上げください。悩み苦しみ絞り出たそのカケラを、積み上げては崩し崩され、なかなかピースが埋まらないもどかしさにまた悲鳴を上げ・・・。一度一呼吸置き・・・。再び、積み上げ作業に没頭するみなさんと切磋琢磨したく願います。
2023年度 文学フリマ
2023年度 ゼミ合宿
2024年度ゼミ合宿
2024年度卒業生追いコン
𠮷田ゼミネット係作成