本当!? ほととぎすの由来

平安時代後期の代表的な歌人、源俊頼が著した『俊頼髄脳』には、次のような「ほととぎす」の名の由来を伝える物語があります。

   ほととぎす鳴きつる夏の山辺には
   くつていださぬ人やわぶらん
じつは今の百舌(もず)が昔は「ほととぎす」という名であった。昔、その百舌は沓縫(くつぬい、くつを作る職人)であったが、ある鳥が沓を注文して、沓手(くつて、くつの代金)を前払いしたところ、「4月、5月になったら必ず沓を届けます」と約束して去った。ところが、その後、沓縫の百舌はいっこうに現れない。注文主の鳥は、「だまされた」と気づき、「沓は作ってもらえないにしても、せめて前払いした代金だけでも取り返そう」と思って、約束の4月、5月になると、「ほととぎすよ、ほととぎすよ」と呼んで、あちこち探し回る。けれども、百舌の姿は見えない。百舌はそのころ、いないわけでないけれども、秋に声高に鳴くようにはせず、ひっそりと「おおげさなこと」などとつぶやきながら隠れているのである。この話が間違いであるならば、掲げた歌のように昔の歌合に詠まれることがあろうか。

もともとは今の百舌(もず)が「ほととぎす」という名の鳥であったのだが、くつ職人であった「ほととぎす」(今の百舌)がくつの代金を持ち逃げしたために、注文主の鳥が「ほととぎすよ、ほととぎすよ」と盛んに探し求めた。すると、そのようにさかんに呼んだ鳥―沓の注文主―のほうが「ほととぎす」と言われるようになったという趣旨でしょう。現代の人たちにとっては、にわかに信じがたい話でしょうが、これが、『寛平御時后宮歌合』にある「ほととぎす鳴きつる夏の山辺にはくつていださぬ人やわぶらん」という和歌の説明として記されています。この話は、今年度の授業でいっしょに読みました。この他にも、ほととぎすについてはさまざまな伝説があります。往古の人たちがそれらをどれほど本気で信じていたかはわかりませんが、こうした物語や伝説をこの鳥のイメージに重ねてとらえていたとは確かでしょう。古典文学を読むにあたっては、このように景物に関して現代人にはあまり知られていないとらえ方がなされている場合もあったということを、考えに入れておくべきでしょう。それらを知ることで、作品が作られ、読まれた当時の理解により近づくこともできるのです。