明治維新後、川内南キャンパスに師団司令部、川内北キャンパスには歩兵第十七連隊と輜重兵大隊(後の輜重兵第二連隊)が設置されました。第十七連隊は、第二十九連隊、陸軍教導学校と変遷し終戦を迎えます。その後は米軍を経て、本学の敷地となります。下の図(左側が北)では、「陸軍用地」と記載された場所が、仙台陸軍教導学校となります。 (見出し画像提供:東北大学史料館)
1926年「仙台市全図」(仙台市歴史民俗資料館提供)
「仙台陸軍教導学校」のあった場所は川内北キャンパス中央部にあたり、現在のグラウンドの辺りには「扇坂練兵場」・「扇坂兵器庫」、テニスコート周辺には「輜重兵第二連隊営」がありました。
空撮写真 1945年5月24日米軍撮影(上が北)
(国土地理院提供)
米軍期の建物は、当初は本学の講義棟として利用されました。写真「川内構内の様子」は1960(昭和35)年頃のものです。右奥の三角屋根の建物はチャペルでしたが、教養部大講義室として使われました。
「キャンプ・センダイ」の建物配置
川内構内の様子(東北大学史料館提供)
この写真は、1963年12 月2 日に撮影された川内キャンパスの様子です。建物の大部分は、米軍期の建物です。これらの建物を転用し大学の授業が行われていました。新しい建物として現在の萩ホールの前身である50 周年記念講堂が見えます。現在も残るロータリーと千貫沢を基準にして見ると大体の位置関係がわかります。
(国土地理院提供)