第一章 「帝国憲法現存・日本国憲法講和条約説」の概要

純粋法理上は『日本国憲法』は無効

1946年、『日本国憲法』は『大日本帝国憲法』の改正という手続きをとって成立しました。しかし、『日本国憲法』の成立の過程は、『大日本帝国憲法』の改正としては、無効なのです。もちろん、これはあくまで法理上の話であって、政策上の話ではありません。しかし、日本は法治国家ですから、法理論の話を無視して政策論を語るわけにはいきません。

『大日本帝国憲法』の改正規定は、『大日本帝国憲法』第73条に定められています。

「第73条 将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ

2 此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノニ以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス」

この規定によると、『大日本帝国憲法』の改正は、勅命によって発議され、発議された案が帝国議会(今の国会)の衆議院と貴族院議員の双方での三分二以上の賛成で憲法の改正が成立する、ということになっています。勅命は、内閣(政府)の輔弼(助言)・副署(同意)と枢密院の諮詢によって出される天皇陛下の命令です。事実上、政府が憲法の改正を提案するわけですが、政府が提案した案が帝国議会や枢密院で反対されれば憲法の改正は成立しないわけで、帝国議会のうち、衆議院は国民の選挙で選ばれるわけですから、政府が好き勝手に憲法を改正できないようにしているわけです。

一方で、帝国議会が政府の提案した改正案を修正することはできません。ところが、『日本国憲法』が成立する際には、帝国議会の衆議院と貴族院の双方で、それぞれ修正されています。後述するように、政策論としてはこの『修正』にもいい面があったのですが、法理論としては間違っているわけです。

さらに、『大日本帝国憲法』第73条は、あくまで「憲法の条項」の改正規定であり、憲法の表題や前文(告文、憲法発布勅語や憲法上諭)をも改正することはできないのです。なのに、『日本国憲法』は『大日本帝国憲法』の表題や前文もすべて変えて成立しました。なので、『日本国憲法』は『大日本帝国憲法』の改正によって成立した憲法典としては、無効なのです。

『日本国憲法』は一種の講和条約である

『日本国憲法』は憲法典として無効である、といっても、現に『日本国憲法』に基づいて法律が制定され、政府は運営されています。そのような中、『日本国憲法』は完全に無効であるとする「憲法(旧)無効論」(完全無効論、単純無効論)は、法理論としては成り立つかもしれませんが、政策論としては無意味です。

『日本国憲法』の成立は『大日本帝国憲法』第73条における憲法改正の手続きとしては無効ですが、『大日本帝国憲法』第13条における講和条約の締結としては有効です。こういうと、「『日本国憲法』の成立は講和条約締結の手続きを経ていないではないか!」という人もいますが、それは『大日本帝国憲法』第13条で定められた天皇陛下の講和大権の解釈に対する誤解と、無効規範転換の法理への無知からくる誤解です。講和条約は一般の条約とは異なり、正式な条約締結の手続きを経なくとも、講和条約としての実態があれば有効となります。例えば、『ポツダム宣言』は『大日本帝国憲法』第13条における天皇陛下の講和大権の発動として受諾されたわけですから、一種の講和条約であるといえますが、条約締結の手続きを経てはいませんし、中国との戦争状態を終結するために1972年に締結された『日中共同声明』も条約締結の手続きは経てはいませんが、講和条約としての効力を持っています。

「帝国憲法復原=徴兵制復活」というデマ

また、講和条約の規定は、憲法典の通常規定部分よりも優先されます。『ポツダム宣言』も占領期間中は憲法よりも優先されました。つまり、『日本国憲法』が一種の講和条約であるということは、『日本国憲法』の規定は『大日本帝国憲法』の通常規定部分よりも優先されるということですから、今『日本国憲法』に基づいて法律が制定され、政府が存在しているという現実とも、全く矛盾はないわけです。当然、『日本国憲法』第18条(苦役の禁止)の規定が『大日本帝国憲法』第20条(兵役の義務)の規定よりも優先されるので、徴兵制が復活するようなこともありません。『日本国憲法』が無効だと徴兵制が復活する、というのはデマです。

この場合、『日本国憲法』は連合国に所属する一一ヶ国が設立した「極東委員会」の指導下で成立したわけですが、一方、日本側も帝国議会で「義務教育の延長」や「生存権の創設」といった条項の追加を提案し、極東委員会の同意の下で成立しています。つまり、『日本国憲法』は極東委員会を設立した十一か国と日本の間で結ばれた講和条約なのです。

『大日本帝国憲法』は現存している

『大日本帝国憲法』の改正が成立していないということは、『日本国憲法』が施行された1947年5月3日以降も、『大日本帝国憲法』は残っていた、ということです。しかし、『大日本帝国憲法』が失効していたことが証明されると、『日本国憲法』が憲法典として有効である、ということができるようになるわけです。

ところが、『大日本帝国憲法』は一種の講和条約である『日本国憲法』によってその既定の大部分は凍結されているものの、この根本規範部分(根幹部分)や国家緊急権に関する規定は講和条約よりも優先されるので、『大日本帝国憲法』の根本規範部分や国家緊急権に関する規定が、1947年5月3日以降も使用されていれば『大日本帝国憲法』は今も現存していることになります。『日本国憲法』は一種の講和条約ですから、その成立根拠である『大日本帝国憲法』の講和大権の規定は、当然、戦後も有効なはずです。

事実、戦後の日本は『日本国憲法』が成立した後も、『サンフランシスコ平和条約』や『日ソ共同宣言』、『日本国とインドネシア共和国との講和条約』、『日中共同声明』といった講和条約を締結しています。これについては、『日本国憲法』第七三条第三号の規定を根拠に締結された条約である、という主張もありますが、そもそも『日中共同声明』は前述の通り、条約締結の手続きを経ないまま講和条約として成立していますし、『日本国憲法』第九条では次のように定められています。

「第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

これについては、詳しい解釈は別の機会に述べますが、第二項前段の「戦力の不保持」の部分は「前項の目的を達するために」という限定詞があるので、自衛隊が合憲であるという解釈も成り立つ余地はあるのに対し、後段の「交戦権の否認」の部分にはそのような限定詞はないので、「例外なく、認めない」ということです。そして、この「交戦権」とは宣戦から講和に至る一連の国家緊急権と交戦権限の総称であり、講和条約の締結も交戦権の発動なので、『日本国憲法』の規定では講和条約を締結できないのです。ということは、『大日本帝国憲法』第一三条の講和大権の規定が発動したからこそ、我が国は『サンフランシスコ平和条約』や『日ソ共同宣言』をはじめとする諸講和条約群を締結することができたわけです。