憲法論議を国民の手に!

「帝国憲法現存・日本国憲法講和条約説」の概要と『「地球共生・地方分権」型自主憲法』確立への道

「戦争参加法制」賛成派にも、「憲法9条」維持派にも、騙(だま)されるな!

『日本国憲法』第9条をめぐる議論は守旧派の罠!

「国体擁護」を訴える右翼も、「人権擁護」を訴える左翼も、なぜか、憲法論議では「9条」の是非と解釈しか語らない――

守旧派エセ保守政権と反日左翼勢力の不毛な論議に騙されてはならない!

国民のための憲法論議を行うために、知るべきこと。

はじめに

現在、日本では「憲法論議」が盛んにおこなわれています。しかし、実際に行われているのは、ほとんどが『日本国憲法』第9条をめぐる議論です。確かに、『日本国憲法』第9条をめぐる議論は、日本の国防に直結する問題ですから、重要な議論であることは事実です。

しかし、そもそも、憲法というのは、「国のあり方」を決めたものです。明文化された憲法のことを「憲法典」といいますが、「日本の国体」や「国民の人権」について記すことが、憲法典の第一の目的です。ところが、日本では、日ごろは「日本の国体を守れ!」と叫ぶ右翼の人たちも、「国民の人権を守れ!」と叫ぶ左翼の人たちも、憲法論議について口を開けば「9条改正に賛成!」「9条を守れ!」「憲法9条はこう解釈すべきだ!」という、話ばかりしています。

自衛隊は『日本国憲法』第9条に違反している、という人がいるかと思えば、安倍政権が強行採決した「戦争参加法制」が憲法には違反しない、という人もいます。そして、多くの国民はそういう議論ばかりを聞いていますから、憲法論議の「本当の争点」に気付いていないのではないのでしょうか?

いわゆる「9条論議」は、国民の目を憲法論議の本当の論点からそらすための罠です。憲法論議は、国民の生活に直結する問題です。そもそも、「法理論上の憲法論議」と「政策論上の憲法論議」では、全く異なります。それを混同しないことも、憲法論議では重要な論点です。

第一章 「帝国憲法現存・日本国憲法講和条約説」の概要

純粋法理上は『日本国憲法』は無効

1946年、『日本国憲法』は『大日本帝国憲法』の改正という手続きをとって成立しました。しかし、『日本国憲法』の成立の過程は、『大日本帝国憲法』の改正としては、無効なのです。もちろん、これはあくまで法理上の話であって、政策上の話ではありません。しかし、日本は法治国家ですから、法理論の話を無視して政策論を語るわけにはいきません。

『大日本帝国憲法』の改正規定は、『大日本帝国憲法』第73条に定められています。

「第73条 将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ

2 此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノニ以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス」

この規定によると、『大日本帝国憲法』の改正は、勅命によって発議され、発議された案が帝国議会(今の国会)の衆議院と貴族院議員の双方での三分二以上の賛成で憲法の改正が成立する、ということになっています。勅命は、内閣(政府)の輔弼(助言)・副署(同意)と枢密院の諮詢によって出される天皇陛下の命令です。事実上、政府が憲法の改正を提案するわけですが、政府が提案した案が帝国議会や枢密院で反対されれば憲法の改正は成立しないわけで、帝国議会のうち、衆議院は国民の選挙で選ばれるわけですから、政府が好き勝手に憲法を改正できないようにしているわけです。

一方で、帝国議会が政府の提案した改正案を修正することはできません。ところが、『日本国憲法』が成立する際には、帝国議会の衆議院と貴族院の双方で、それぞれ修正されています。後述するように、政策論としてはこの『修正』にもいい面があったのですが、法理論としては間違っているわけです。

さらに、『大日本帝国憲法』第73条は、あくまで「憲法の条項」の改正規定であり、憲法の表題や前文(告文、憲法発布勅語や憲法上諭)をも改正することはできないのです。なのに、『日本国憲法』は『大日本帝国憲法』の表題や前文もすべて変えて成立しました。なので、『日本国憲法』は『大日本帝国憲法』の改正によって成立した憲法典としては、無効なのです。

『日本国憲法』は一種の講和条約である

『日本国憲法』は憲法典として無効である、といっても、現に『日本国憲法』に基づいて法律が制定され、政府は運営されています。そのような中、『日本国憲法』は完全に無効であるとする「憲法(旧)無効論」(完全無効論、単純無効論)は、法理論としては成り立つかもしれませんが、政策論としては無意味です。

『日本国憲法』の成立は『大日本帝国憲法』第73条における憲法改正の手続きとしては無効ですが、『大日本帝国憲法』第13条における講和条約の締結としては有効です。こういうと、「『日本国憲法』の成立は講和条約締結の手続きを経ていないではないか!」という人もいますが、それは『大日本帝国憲法』第13条で定められた天皇陛下の講和大権の解釈に対する誤解と、無効規範転換の法理への無知からくる誤解です。講和条約は一般の条約とは異なり、正式な条約締結の手続きを経なくとも、講和条約としての実態があれば有効となります。例えば、『ポツダム宣言』は『大日本帝国憲法』第13条における天皇陛下の講和大権の発動として受諾されたわけですから、一種の講和条約であるといえますが、条約締結の手続きを経てはいませんし、中国との戦争状態を終結するために1972年に締結された『日中共同声明』も条約締結の手続きは経てはいませんが、講和条約としての効力を持っています。

「帝国憲法復原=徴兵制復活」というデマ

また、講和条約の規定は、憲法典の通常規定部分よりも優先されます。『ポツダム宣言』も占領期間中は憲法よりも優先されました。つまり、『日本国憲法』が一種の講和条約であるということは、『日本国憲法』の規定は『大日本帝国憲法』の通常規定部分よりも優先されるということですから、今『日本国憲法』に基づいて法律が制定され、政府が存在しているという現実とも、全く矛盾はないわけです。当然、『日本国憲法』第18条(苦役の禁止)の規定が『大日本帝国憲法』第20条(兵役の義務)の規定よりも優先されるので、徴兵制が復活するようなこともありません。『日本国憲法』が無効だと徴兵制が復活する、というのはデマです。

この場合、『日本国憲法』は連合国に所属する十一ヶ国が設立した「極東委員会」の指導下で成立したわけですが、一方、日本側も帝国議会で「義務教育の延長」や「生存権の創設」といった条項の追加を提案し、極東委員会の同意の下で成立しています。つまり、『日本国憲法』は極東委員会を設立した十一か国と日本の間で結ばれた講和条約なのです。

『大日本帝国憲法』は現存している

『大日本帝国憲法』の改正が成立していないということは、『日本国憲法』が施行された1947年5月3日以降も、『大日本帝国憲法』は残っていた、ということです。しかし、『大日本帝国憲法』が失効していたことが証明されると、『日本国憲法』が憲法典として有効である、ということができるようになるわけです。

ところが、『大日本帝国憲法』は一種の講和条約である『日本国憲法』によってその既定の大部分は凍結されているものの、この根本規範部分(根幹部分)や国家緊急権に関する規定は講和条約よりも優先されるので、『大日本帝国憲法』の根本規範部分や国家緊急権に関する規定が、1947年5月3日以降も使用されていれば『大日本帝国憲法』は今も現存していることになります。『日本国憲法』は一種の講和条約ですから、その成立根拠である『大日本帝国憲法』の講和大権の規定は、当然、戦後も有効なはずです。

事実、戦後の日本は『日本国憲法』が成立した後も、『サンフランシスコ平和条約』や『日ソ共同宣言』、『日本国とインドネシア共和国との講和条約』、『日中共同声明』といった講和条約を締結しています。これについては、『日本国憲法』第七三条第三号の規定を根拠に締結された条約である、という主張もありますが、そもそも『日中共同声明』は前述の通り、条約締結の手続きを経ないまま講和条約として成立していますし、『日本国憲法』第九条では次のように定められています。

「第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

これについては、詳しい解釈は別の機会に述べますが、第二項前段の「戦力の不保持」の部分は「前項の目的を達するために」という限定詞があるので、自衛隊が合憲であるという解釈も成り立つ余地はあるのに対し、後段の「交戦権の否認」の部分にはそのような限定詞はないので、「例外なく、認めない」ということです。そして、この「交戦権」とは宣戦から講和に至る一連の国家緊急権と交戦権限の総称であり、講和条約の締結も交戦権の発動なので、『日本国憲法』の規定では講和条約を締結できないのです。ということは、『大日本帝国憲法』第一三条の講和大権の規定が発動したからこそ、我が国は『サンフランシスコ平和条約』や『日ソ共同宣言』をはじめとする諸講和条約群を締結することができたわけです。

第二章 『大日本帝国憲法』は天皇主権の憲法ではない

帝国憲法を無視したから軍国主義体制が成立したのです

さて、戦後の日本では、反日左翼勢力が戦前の日本を必要以上に否定するために「『大日本帝国憲法』は軍国主義の憲法である」とか「『大日本帝国憲法』は天皇主権の憲法である」というデマを広めています。もっとも、この種のデマは、戦前の軍国主義者が自分たちの立場を正当化するために作ったものであり、その軍国主義者の主張を反日左翼勢力が自分たちに都合のよいように加工して利用しているわけです。

安倍首相は『日本国憲法』を無視して「戦争参加法制」を強行採決させましたが、戦前の軍国主義者も同じようなことをしていました。例えば、1928年に『治安維持法』を改悪し、最高刑を死刑にするなどしましたが、この『治安維持法』改悪案は一度帝国議会で廃案になっていたにもかかわらず、政府が緊急勅令という形で無理やり成立させてしまいました。この手続きには多くの憲法学者が憲法違反であると指摘し、緊急勅令の発布の審査を行う枢密院でも憲法違反であるとの反対意見が存在したのですが、政府が反対意見を押し切って強行採決してしまったのです。『大日本帝国憲法』では国家の緊急事態の際に、一時的に法律と同じ効力を持つ緊急勅令を定めることができる、という規定はありましたが、一度国会で廃案になった法案を緊急勅令で制定させることはできないのです。また、日本の軍国主義体制の象徴である「大政翼賛会」も帝国憲法に違反していました。『大日本帝国憲法』にも様々な問題はありましたが、憲法を無視しなければ、日本も軍国主義体制になって戦争に突き進むことはなかったわけです。

それにしても、『大日本帝国憲法』を無視した軍国主義者も、『日本国憲法』を無視している安倍政権(守旧派エセ保守政権)も、ほんとうにそっくりです。『大日本帝国憲法』にも『日本国憲法』にも様々な問題はありますが、だからと言って憲法を無視していると、大東亜戦争(アジア太平洋戦争)と同じ歴史を繰り返すことになりかねません。

帝国憲法は「天皇主権説」ではなく「天皇機関説」

今の日本では、小学校・中学校・高校等のほとんどの歴史や公民の教科書で、「『大日本帝国憲法』は天皇主権の憲法だった」と記されています。しかし、これは、デタラメです。高校の歴史の教科書も、よく読むと戦前の日本では『大日本帝国憲法』について「天皇主権説」と「天皇機関説」の二つの解釈があったことが記されています。天皇機関説とは、天皇といえども憲法よりも下に位置する、という学説で、昭和天皇も支持していましたし、昭和初期までは天皇機関説が正統な憲法学の学説であるとされていたのです。

『大日本帝国憲法』第4条の規定も見ても、『大日本帝国憲法』が天皇主権説の憲法ではなく、天皇機関説の憲法であることは明白です。

「第4条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」

天皇は海外の専制君主とは異なり、独裁者ではないのです。あくまで、憲法の規定に従って、憲法の下で国家元首の仕事をされているのが天皇陛下なのであり、「天皇不親政の原則」というのはこの国の常識でした。

それを、一部の軍国主義者が議会を無視するために法理上間違いであることが明白な「天皇主権論」なるものを押し付けたのです。しかも、軍国主義者の人たちは、憲法はもちろん、天皇陛下の意向をも無視するような暴挙にも出ていたのです。そうやって彼らは戦争によって取り返しのつかない事態を引き起こしたわけですが、彼らを支持したマスコミや政治家、そして、そうした政治家を選んだ国民の責任を忘れてはなりません。戦前の軍国主義者の行為は、今の安倍政権にそっくりです。

そして、戦後になり、日教組(日本教職員組合)をはじめとする反日左翼勢力が、戦前の軍国主義者の主張を利用して「昔の日本は、天皇が海外の専制君主のように支配する独裁国家だったのだ。」と、必要以上に戦前の日本を否定する宣伝を行ったため、教科書までそのようなデマの影響を受けてしまっているのが現状です。安倍政権も、戦前の軍国主義者も、戦後の反日左翼勢力も、自分たちの都合のよいように憲法を無視・曲解する点では、同じ穴の狢(むじな)なのです。

第三章 地方分権と地球共生のための新憲法が必要

二十一世紀型の憲法が必要

『大日本帝国憲法』も『日本国憲法』も法理上の問題については先ほど指摘した通りですが、政策上はどちらにも良い面と悪い面の両方があります。また、当時としては良くても、今の時代には合わない部分もあります。そこで、今の時代にも通用する『大日本帝国憲法』と『日本国憲法』のよい面は引き継ぎ、さらに新しい時代に対応するための条項も取り入れて、国民のための自主憲法を確立させる必要があります。

地方自治の原則を盛り込もう

我が国の正統な自主憲法は、法理上は先ほど述べたとおり、良くも悪くも『大日本帝国憲法』なわけですが、この憲法典には地方自治の規定はありません。また、憲法並みの効力を持つ一種の講和条約である『日本国憲法』には、確かに地方自治の規定はあるわけですが、地方公共団体(地方自治体)は国会の定める法律の範囲内でしか条例を制定できないなどの問題があります。情報化が進む現在、地方にはより独自性の高い政策を行うことが求められます。そもそも、過密に苦しむ都市部と、過疎化が進む田舎という風に、各地方の課題はそれぞれ別々なのです。ところが、今の体制では政府が地方の政策にいちいち干渉してきます。そんなことではだめなのです。

自主憲法には「非核三原則」の明記を!

原子力の恐ろしさは、一度放射線で汚染された土地は、きわめて長期間、放射能の影響力が残ってしまう、というところにあります。日本は二度の原爆投下や、福島第一原発事故で、原子力の恐ろしさは身に染みているはずです。パラオやミクロネシアといった国では、非核憲法が制定されています。日本でも、自主憲法に非核・反核条項を盛り込んで、「道義の上に立つ大国」としての、真の積極的平和主義外交を展開すべきです。

政府の地球環境保全の義務を定めよう

今の憲法には、当然のことながら、地球環境保全の規定はありません。それは、憲法ができた当時の事情から推察すると、仕方のない面でもあります。しかし、新しい時代の憲法にするためには、『大日本帝国憲法』や『日本国憲法』のように国民の経済活動の自由を重視するだけではなく、国民により良い環境の下で生存する権利があること、政府は国際社会と協調して地球環境保全に努力する義務があること、さらに、国土の生態系は保護されるべきものであること、などを盛り込んでいくべきです。

「新しい権利」について

先ほど、国民の環境権について触れましたが、知る権利や肖像権、プライバシーの権利といった「新しい権利」についても憲法に明記する必要があります。こういうと、『日本国憲法』第13条の幸福追求権の拡大解釈で新しい権利を認めていけばいい、という意見もありますが、幸福追求権の拡大解釈では、政府や裁判官の裁量の余地が大きくなってしまいます。

具体例を挙げると、例えば高浜原発の再稼働は、一時期は国民の幸福追求の権利を侵害している、として裁判所が中止命令を出しましたが、その後、裁判官が変わると今度は原発再稼働を許可する決定を下してしまいました。原発の問題は国民全体で議論すべき重要な問題であるにもかかわらず、裁判官の気まぐれで変わってしまうというのが、今の日本の現状なのです。

(註:これは、平成27年12月31日発行時点での本党の認識である。その後、高浜原発は稼働停止の仮処分が下り、平成28年7月8日現在、再稼働は行われていない。)

第四章 国民の人権を抑圧する「自民党憲法改正草案」

改憲論議の本当の争点は「9条」ではない!

2012年4月28日、自民党は「自由民主党憲法改正草案」(以下、自民憲法草案)を発表。そして、同年12月16日の総選挙で勝利し、安倍晋三が再び総理になります。しかし、マスコミは自民憲法草案の第9条にばかり注目するばかりで、自民憲法草案の「本当のこわさ」には全く触れていません。確かに、自民憲法草案の第9条は、アメリカの侵略戦争への参加を可能とする規定があるなど、かなりの問題がありますが、国防軍を持つということ自体は大した問題ではありません。(韓国のように、先進国を名乗りながらいまだに徴兵制を採用している時代遅れの国と比べれば、はるかにましです。)

自民憲法草案の本当の恐ろしさは、そんなところにはありません。自民憲法草案は、国民の基本的人権の抑圧を目的とする、恐ろしい憲法案なのです。

表現の自由がなし!不当逮捕されても弁護士が呼べない!

例えば、自民憲法草案第21条では、表現の自由が著しく制限されています。それだけではなく、自民憲法草案第34条の規定が実現してしまうと、警察に不当逮捕されても弁護士が呼べない、という暗黒時代になりかねません。わかりやすくするために、『日本国憲法』第34条と自民憲法草案第34条を並べて対比してみます。

【日本国憲法】

「何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。」

【自民憲法草案】

「何人も、正当な理由がなく、若しくは理由を直ちに告げられることなく、又は直ちに弁護人に依頼する権利を与えられることなく、抑留され、又は拘禁されない。

2 拘禁された者は、拘禁の理由を直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示すことを求める権利を有する。」

ここでは、正当な理由と理由告知と弁護人依頼権のうちの一部がなくても抑留拘禁され得るとも読める文言になっています。「正当な理由」があれば弁護士を呼ぶ権利が剥奪されてしまうのです。何が「正当な理由」かは警察による判断の余地も大きいわけですから、警察に不当逮捕され、その結果抑留されても、直ちに弁護士を呼ぶことはできないわけです。

さらに、公務員による拷問と残虐な刑罰を禁止している第36条も、次のように変えられています。

【日本国憲法】

「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。」

【自民憲法草案】

「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、禁止する。」

つまり、拷問の禁止が絶対ではなくなるのです。

徴兵制が復活する?「自民憲法草案」第18条の恐怖

前述の通り、「帝国憲法現存・日本国憲法講和条約説」では、『大日本帝国憲法』第20条で定められた兵役の義務よりも、『日本国憲法』第18条の規定のほうが優先されるので、徴兵制が復活することはありません。ところが、自民憲法草案では、その『日本国憲法』第18条までもが変えられようとしています。

【日本国憲法】

「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」

【自民憲法草案】

「何人も、その意に反すると否とにかかわらず、社会的又は経済的関係において身体を拘束されない。

2 何人も、犯罪による処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」

ここで、「いかなる」から「社会的又は経済的関係において」に変わったため、社会的経済的以外の関係では拘束されても問題ない、という解釈も可能になります。現実問題として、そのような拘束があるのかを判断できるほど明確な条文ではありませんが、「軍事的」拘束も禁止していないと解釈できる、という指摘もあります。

「奴隷的拘束」から「身体を拘束」に変わったことだけに注目すれば、禁止される拘束の範囲が広がったということになります。奴隷的拘束も「身体を拘束」の一種として禁止されています。しかし、禁止の範囲が広がった一方で、「いかなる」の文言がなくなり、例外が許されるようになりました。

さらにいうと、意に反していなくても身体拘束されないことになったということは、仮に私人間に直接適用してしまうと、労働や通勤通学や生徒指導の多くが禁止されかねません。徴兵制は、これまで「意に反する苦役」に当たるため違憲とされており、意に反する苦役の禁止は2項でそのまま維持されていますが、国防軍も国防義務(自民憲法草案前文3項、同9条の3)も「公益及び公の秩序」による制約も憲法尊重義務(同102条1項)もなかった現行憲法下での「意に反する苦役」に当たるとの議論がそのまま妥当するわけではありません。意に反する苦役かどうかは憲法の趣旨に照らして判断されるのですから、新憲法上の重要な国益である国防軍に参加することは苦役ではないと解釈することが可能になるという恐れがあるのです。

第五章 自主憲法確立の手続き

「自主憲法」とは?

一口に「自主憲法」といっても、いろいろな意見があります。自民憲法草案を支持している「新しい憲法を作る国民会議」(自主憲法制定国民会議)は『日本国憲法』の改正によって自民憲法草案のような憲法にしようとしているようですが、そのような憲法が自主憲法だとすると、彼らが目指しているのは人権抑圧型自主憲法であり、戦前の軍国主義体制の復活です。そもそも、「自主憲法制定」という言葉の使い方は間違っています。憲法の「制定」だと「これまでの憲法を廃棄して、新しい憲法を制定する」という意味になり、法理上は革命です。新政未来の党は、そのような乱暴な議論ではなく、自主憲法の「確立」を目指しています。

すでに述べたように、我が国の正統な自主憲法は『大日本帝国憲法』ですから、帝国憲法改正の手続きによって自主憲法を確立すべきです。また、その内容も、自民党のような人権抑圧型自主憲法ではなく、「地球共生・地方分権」型自主憲法にするべきです。

それでは、「地球共生・地方分権」型自主憲法確立の手続きを説明します。

帝国議会と枢密院

『大日本帝国憲法』を改正するには、内閣が枢密院の裁可も得たうえで、天皇陛下の勅令という形で帝国憲法改正を発議し、帝国議会の衆議院と貴族院の両方での三分の二以上の賛成を得る必要があります。ところが、今の日本には枢密院も貴族院も存在しません。なので、天皇陛下の緊急勅令の形をとって、自主憲法確立のために枢密院と貴族院を一時的に復活させる必要があります。また、当然のことですが、衆議院議員選挙で新政未来の党の主張する「地球共生・地方分権」型自主憲法に賛成する議員が三分の二以上、当選しなくてはなりません。そのためには、「地球共生・地方分権」型自主憲法に賛成する人たちを増やしていくための国民運動を行う必要があります。

『日本国憲法』の四大原則は堅持

一般に『日本国憲法』の三大原則は「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の三つがありますが、新政未来の党は『日本国憲法』はわが国の民主主義傾向の復活強化のための講和条約ですので、「議会制民主主義」「基本的人権の尊重」「平和主義」「国際協調」の四大原則が『日本国憲法』の四大原則であると考えています。

この四大原則を破棄すると、講和条約の破棄ということになり、アメリカや中国に日本と戦争をする口実を与えてしまいます。なので、『日本国憲法』の破棄の手続きを行うまえに、『日本国憲法』の四大原則を堅持したうえでの新しい「地球共生・地方分権」型自主憲法を確立しないといけません。

補論 「戦争参加法制」について

2014年、安倍政権は『日本国憲法』違反の集団的自衛(交戦)権の行使を容認する閣議決定を行い、2015年には集団的自衛交戦権の行使や外国軍(アメリカ軍)への後方支援を含む内容の「戦争参加法制」(いわゆる安保法制)を「平和安全法制」と称して強行採決しました。安倍政権は表向きの理由として尖閣諸島周辺における中国の脅威を挙げましたが、「戦争参加法制」に離島防衛の規定はほとんどなく、維新の党が提出した離島防衛の規定も盛り込んだ対案は十分な審議もせずに否決したことでもわかるように、安倍政権の本当の目的が尖閣防衛などではないことは明白です。

この「戦争参加法制」には、アメリカの侵略戦争の後方支援に参加することを防ぐ規定はなく、国際法にも違反します。イラク戦争がアメリカによる国際法違反の侵略戦争であったことは、今や世界の常識なのですが、安倍首相はいまだにイラク戦争が間違いであったことを認めていません。アメリカはイラク戦争でたくさんの一般市民を虐殺しました。安倍首相の政策だと、日本も将来、同じことに参加してしまうかもしれないのです。

◇主要参考文献◇

・芦部信喜〔高橋和之補訂〕『憲法〔第4版〕』(岩波書店)

・宮澤俊義『法律学全集 憲法Ⅱ』(有斐閣)

・清宮四朗『法律学全集 憲法Ⅰ』(有斐閣)

・樋口陽一・佐藤幸治・中村睦夫・浦部法恵『注釈 日本国憲法(上巻・下巻)』(青林書院)

・自由民主党「自民党による日本国憲法改正草案Q&A」

・「自民党憲法草案の条文解説」(http://satlaws.web.fc2.com/)

・谷口雅春『私の日本国憲法論』(日本教文社)

・南出喜久治『國體護持總論』

・植草一秀『アベノリスク』(飛鳥書店)

・NHKスペシャル『日本国憲法誕生』