いままで工学ばかりやってきた人間が
「言語文化って楽しいな」と思うようになった話

この記事は「言語學なるひと〴〵 Advent Calendar 2023」11日目の記事です.

あまり自分のことを書くのは好きではないのですが,たまには書いてみようと思い筆をとりました.

まずは自己紹介

東京大学 大学院情報理工学研究科 猿渡・高道研究室で講師をやっている.

生まれは熊本県天草という離島です.中学校卒業と共に島を離れ,

と進み,学位取得後は現在の大学にいる.

高専の頃に保育士補(保育士の補助的なやつ)として働いていたのもあり,子どもたちの役に立つ仕事に就きたいと思っていた.

博士進学の意志を固めたときに,指導教員に「研究をしないといけないから大学教員にはなりません」と宣言したのに,何故かいま大学教員をやっている.

ただ,研究をコンテンツとした教育活動の大事さを感じたことと,研究者として振る舞うことの需要を感じた今では,大学教員になったことに後悔はしていない.

きっかけは歌舞伎

自己紹介のとおり,田舎生まれなのと工学育ちが災いして文化教養というものにほとんど触れてこなかった.そんな折にたまたま見かけたのが東京駅の「團菊祭五月大歌舞伎」の看板だった.

思い立ったが吉日ということで,東京駅発の新幹線の中でチケットをとり,次の週に見に行った.題目は「祇園祭礼信仰記 金閣寺」(以降,金閣寺)である.

金閣寺は,室町時代を舞台とした雪姫をめぐる物語である.詳細は省くが,桜の木に縛られた雪姫がつま先でネズミの絵を描くと,そのネズミが実体化して縄を食い破ってくれるシーンが有名である.(どうでもいいが,このシーンのせいで姫の名前が桜姫と混同しやすい.名前が雪姫なのは,雪舟の孫だという設定だからである)

自分の心を震わせたのは,練られた演出や表現ではなく,文化を絶やさず紡いできた群衆の力である.群衆による過程があったからこそ,自分の感じる空気感を過去の人間と共有できているのだろう.ということで,自分は,言葉や行動を通して群衆が形成してきた空気感や熱意に感動させられる人間なのだろう と最近思うようになった.

話は変わるが,ジョジョの奇妙な冒険 part 6 に

というシーンがある.時間を操る能力(スタンド)を持つDIOと,魂を形にできるプッチの会話である.

前述した心の震えも,時空を越えたスタンドによる攻撃なのだろう.異なるのは,ジョジョの奇妙な冒険でスタンドは基本的に実個体(正確には幽個体)によって定義されるが,前述した文化は実体と実体の間に定義されることである.そういう意味では,part 8 のカツアゲロードという空間に近いのかも知れない(ロードに住むオータム・リーブスと住民の間で形成される空気感).

ということで,この震えを自分の研究活動に活かそうというのが最近の流れである.

そして研究へ

ということで手弁当的に研究を始めた.楽観的な人間なので「今は何もわからんが,頭より先に手を動かせばいずれ頭が動くようになるだろう」と思っている.

「言語文化と言えば遠野だろう」という安直な考えから,遠野に遊びに行ってきた.花巻駅から釜石線に乗る.とにかく遠かったが,遠野伝承園とカッパ淵の空気感を味わえたのはとても良かった.

この体験を通じて,東北民話音声のコーパス化と復元に取り組んだ.この音声は,昔話採集家の熱意と仙台文学館の努力により残っていたものである.いまの自分の役目は,この熱意と努力を次の世代に紡ぐべく,情報技術でなんとかすることだろう.

別の研究として現在,地元(熊本県天草)の役場と連携して言語文化保存に取り組んでいる.天草は熊本県に属するが,地理的に近い長崎県との交流が盛んである.ということで,私の喋る方言も熊本弁よりは長崎弁に近い.とは言うものの,15歳で地元を離れ人生の半分以上を違う土地で過ごすと,自分の中の方言文化が加速度的に失われていることを実感する.ということで自分のためにも保存を進めている.

実施していると,空気感,文化,熱意を紡ぐことの難しさをひどく感じる.言語の実体だけ残すのであれば,自分は少しだけ心得がある.ただ,前述したように紡ぐべきなのは実体と実体の間に定義されるものである(このときの実体とは,言葉だけでなく,人間,環境も含む).この解決に詳しいのは,私のような工学研究者ではなく言語学者の皆様なのだろう.ということで,今後は言語学者の皆様と強く連携していきたい.

(以降,余談)

とまあ,これまで自分のモチベーションに基づいて話を進めたが,最後にそれ以外の視点から今の活動をまとめておく.

1つめは「メディア情報工学だけで研究室を運営していくのは,これから厳しいんじゃないか」である.昨今のAIブームで情報系の人気が高いのは分かる.AIでどうにかなる未来が見えている安心感もあるし.が,このブームが去った後にメディア情報工学(音,画像,言語などを工学的に扱う分野)が1つの研究分野として残るとは思えない.じゃあ,その未来を見越して研究室を運営すべきなのでは,と思う.

2つめは「残りの人生で何ができるか」.自分の母親が鬼籍に入った年齢を考えると,自分の残りの人生は10年ちょっとという可能性もある.遺伝病とかでは多分ないのであくまで1つの可能性である.もしそうだとして,次の世代に何をしてあげられるだろうか.

最後は「自分のための研究はだいぶやりきった.次は他人のための研究をしたい」である.10年以上研究をやってきて,以前に比べれば「自分の中のモチベーションに基づく研究の熱意」はだいぶ落ち着いてきた.歳を重ねると恩返ししたくなるというが,いまの自分がまさにそうかもしれない.職業として研究をやっていく上でよく「自分の中のモチベーションが大事」というが,自分はそのフェーズを過ぎてしまったのかもしれない.(この文章を研究者が見ているかも知れないので一応補足すると,研究への熱意が減ったわけではなく,研究する理由が変わっただけである)

そういう意味で,いまの活動は自分なりの生存戦略なのかも知れない.

まとめ

研究頑張ろう.