令和5年8月度句会選句
水喧嘩あらぬことまで捲し立て 譲 知
加賀ことば洩れ来る路地や青簾 純 子
しびれた手ぐ❘ちょきぱ❘と墓参り 恵 美
喘ぎつつ油蝉鳴くビルの壁 敬 子
荷を置きて鍵のありかや夏の夜 悠 子
終点や蝉世界なる丘の街 恵 子
三十七度、八度、九度、四十度。地球が高熱で喘いでいます。
念力のゆるめば死ぬる大暑かな 村上鬼城
木の枝の瓦にさはる暑さかな 芥川龍之介
云ふまいと思へど今日の暑さ哉 作者不詳
江戸時代も、大正時代も皆暑さには閉口していますが、今の時代から比べたらどれほどの暑さだったでしょうか。
クーラーのない時代ですから逃れられようのない暑さであったと思いますが、クーラーがあっても過ごし方次第で体に危険の及ぶ暑さです。どうぞご自愛ください。
令和5年7月度句会選句
歓声の海の公園揚げ花火 譲 知
梅雨の蝶紛れ入りたり花時計 純 子
万緑の熱海の海や蜑(あま)の影 恵 美
母と子の爆睡のバス夏の海 敬 子
風鈴や夕餉の盆の一つにも 悠 子
六地蔵見ゆればすぐよ梅雨のバス 恵 子
コロナ禍で中止になっていた金沢の海の公園の花火が今年は行われるとの事、心が沸き立つ思いで
す。規制されていた行動も緩和され、旅行に出かける家族も多くなってきました。万緑に包まれい
る山々から目を海岸に移すと、海辺に蜑(漁師)たちが忙しそうに働いています。このような景風
がこれからも続いていくことを願っています。
令和5年6月度句会選句
荷を置きて鍵を探せる薄暑かな 悠 子
小判草みよがし顔に揺れをりぬ 恵 子
道尽きて風止むところ夕螢 純 子
髪切って青葉の風の街をゆく 敬 子
雲あやし家路を急げ鳴子百合 酔 狂
三日ぶりの紫陽花並木今盛り 恵 美
笑ふこと一つさがさう梅雨湿り 譲 知
私たちが住むこの丘の街も梅から始まって、椿、辛夷、桜、躑躅、さつき、紫陽花、その他卯の花、連翹、雪柳、菖蒲、小手毬、などなど街路樹や緑道、公園、家々の庭、などで多くの花々が私たちの目を楽しませてくれます。俳句の材料にも事欠くません。これからしばらくは若葉から青葉そして万緑へと移り変わり、やがて夏の日ざしの中に花水木、夾竹桃、百日紅などが咲きだすでしょう。
俳句は、季節へのご挨拶とか、この美しい自然が、永遠に美しいままでありますように。
令和5年5月度句会選句
祭壇の遺愛のカップ柏餅 恵 美
缶けりのあとの楽しみ心太 譲 知
鎌倉や窓に溢るる藤の花 悠 子
重ね置く亡夫の汁椀春愁 敬 子
尻もちに固き痛さや大蚯蚓 恵 子
春惜しむ文字の褪せたる道標 純 子
朝晴や男女別なき春田打 城生子
譲知氏の句の季語「心太」についてなぜこの漢字を当てはめたのか不思議に思い、調べてみました。
ところてんの歴史は古く、天草を煮溶かす製法は遣唐使が持ち帰ったとされている。当時はテン
グサを「凝海藻」(こるもは)と呼んでおり、「凝る」が転じて「こころ(心)」、「海藻」が太い海藻の意味で「ふと(太い)」(こころふと)と呼ばれ、漢字で「心太」があてられた。室町時代に湯桶読みで「こころてい」と呼ばれ、さらに「こころてん」が江戸時代になり「ところてん」と記されるようになった。
他にも諸説あるそうですが、言葉の意味と音韻が時代を経るにしたがって変化していった面白さ
を感じます。
令和5年4月度句会選句
ふらここや飛行機雲の崩れ行く 悠 子
桜満つ女流作家の大机 恵 子
テーブルに未開の手紙風光る 敬 子
テーブルに包みしままや桜餅 恵 美
昼間来て夜もまた来る桜かな 譲 知
木洩れ日の谷戸連翹の花明かり 純 子
踏切の天道虫の死骸かな 城生子
中国で流行した「鞦韆(しゅうせん)」「半先戯(はんせんぎ)」と呼ばれたものが、日本に伝わり「ゆさわり」「ふらここ」と名を変えて現在の「ぶらんこ」になったそうです。「鞦韆」が中国の「春夜」と題する詩の中にあり、ここから春の季語になったといわれます。
女流作家の大机は吉屋信子のもの。
連翹の別名に「いたちぐさ」というものがあります。
令和5年3月度句会選句
春日射す居間の障子やほの灯り 酔 狂
誰からも聞かれなき夢春の暮 城生子
鳶の輪や辛夷の花を一めぐり 悠 子
つまずきて草むらの陰花すみれ 恵 美
野良猫の夜じゅう鳴きぬ春疾風 敬 子
剪定の音のひびきや丘の街 譲 知
梅咲くや青空の画布引き締まり 純 子
鶯餅の嘴揃ふ老舗かな 恵 子
合評あれこれ
・春日と冬の季語障子は季重なり・季違いだが季語としての重みが春日の方が強いのでこのままでよい。
・夢とは自分の抱いている将来の希望、目標、意欲等等・・・それを齢を重ねた自分に対して誰も聞いてこない
という悲哀の籠った句。同感
・鳶 俳句ではトンビとは言わないとのこと
・影(日向)→陰(日陰)
・春疾風夜中に猫の鳴き止まず(原作)→野良猫の夜じゅう鳴きぬ春疾風と語順を変えることで野良猫が表現できる。
・剪定の音のひびきへ振り向きぬ(原作)→音の響きや丘の街に変えると場所やひろがりが感じられる。
・梅が咲きだしたことで、春先の少しぼんやりした空も明るさを増し、引き締まったように見える。画布引き締まりの表現が妙
・鶯餅嘴揃ふ(原作)→鶯餅の嘴揃ふ で鶯が嘴を揃えているようすをイメージした和菓子が店先に並んでいる春らしい様子が浮かんでくる
令和5年2月度句会選句
碧空のこの地の暮し郷(さと)は雪 純 子
青空の飛行機雲や春立つ日 恵 美
日の色の殊更赤し今朝の春 敬 子
梅が香にさそわれ開く手弁当 譲 知
寒晴れの磯に富士映ゆ白秋碑 恵 子
洗ひ物終へて一息日脚伸ぶ 悠 子
青空や梅一輪を探しあて 酔 狂
少年の足(あ)裏(うら)美し春の土手 城生子
紅梅白梅が満開になり、金沢自然動物園にも観梅の人々がたくさん訪れている。
漢字の梅は仮名で書けば、ウメだが発音は、昔はンメだった。
馬も同様、ウマではなく、ンマであった。
金田一春彦氏によると元来の言葉は万葉集の時代にはウメ・ウマでったものが平安朝になって発音がみだれ、ンメ・ンマになったそうだ。表記は「むめ」「むま」である。それがげんだいの仮名表記に引きずられて千二百年を経てウメ・ウマに戻った。
酔狂氏の句、「うめいちりん」と読もうか、「んめいちりん」と読もうか・・・・・どっちがいいかな?
令和5年1月度句会選句
初詣子は参道のチョコバナナ 恵 子
歳晩の街三越の袋下げ 純 子
朝日影御節を前に手を合せ 悠 子
花束の中に水仙隣より 恵 美
石蕗の花一点門を灯しをり 敬 子
しはがれ声こぼし飛び立つ初鴉 譲 知
明けましておめでとうございます。
皆様お元気で新年をお迎えのことと存じます。句会のメンバーも
と言いたいところですが、体調を崩され句会をお休みされた方がいらっしゃいました。
コロナの患者数もまた増えてきました。体調に気を付けてこの冬をのりきりましょう。
令和4年12月度句会選句
笹鳴きへつと立ち止まる小径かな 譲 知
路地尽くや一木赤き山茶花に 恵 子
行き尽きし白山道や返り花 敬 子
草履よりスニーカー好き七五三 純 子
吹き溜まりの紅葉一葉枕辺に 恵 美
凩や竿ごと落ちる洗い物 悠 子
虫死んで平常心のなほつづき 城生子
十二月の句会は十一月に作った句を披露しあいますので秋の句が多いのですが、今年一年間
皆、四苦八苦して作句に取り組みました。
長い間作っていると、見るものがマンネリになってきます。
来年こそは、感覚を鋭くし、感性を磨いて取り組みたいと思います。
令和4年11月度句会選句
独り居の電話の長き夜長かな 悠 子
敬老日衰へ知らぬ石頭 譲 知
尼寺へ飛び石伝ひ柿落葉 恵 子
掃き掃除の庭の日向や石たたき 恵 美
追ひつかれ追ひぬかれたり秋の道 城生子
石畳風の走るや落ち葉舞ひ 酔 狂
刃の光刺しゆく切り絵秋澄めり 純 子
椋鳥の大群風の騒ぎ出す 敬 子
「石たたき」が鉱物をたたき割るという意味のほかに、セキレイの別称であることを初めて知った。
そういえば、植物にもいろいろな別名がある。
彼岸花は、曼殊沙華だけでなく死人花、捨子花とも言うらしい。なんとも恐ろし気な名前である。
満点星はどうだんつつじ、芍薬には、夷(えびす)草(ぐさ)・卯月花・貌佳(かおよ)草(ぐさ)など。
果物も、実芭蕉や甘蕉と書いてバナナと読むらしい。
命名した人は、どのような発想をしたのだろうか 。
令和4年10月度句会選句
秋の灯や明日の準備の眼鏡拭く 恵 子
独り居や碗に山盛り栗ご飯 悠 子
秋の蝶眼鏡で追ふや好々爺 酔 狂
行く秋や遺品の眼鏡ビーズ用 恵 美
せせらぎの風を乗りつぎ秋茜 純 子
散り敷きし桜紅葉を掃きあぐね 敬 子
新米や塩のむすびのつややかに 譲 知
寂しさに犬の吠えてる秋の暮 城生子
今月の兼題は「眼鏡」です。
ここに載っている他に次のような句をつくりました。
置き忘れの眼鏡は棚に秋の朝 譲 知
推敲の眼鏡の湿り夜の長き 純 子
秋日和書店の爺の鼻眼鏡 敬 子
令和4年9月度句会選句
一局終ふその手につるべ落しかな 譲 知
雨意の風木の間抜け来ぬ処暑の朝 純 子
蛇去りしその後かくも騒がしき 城生子
ぎしぎしと唐黍むくや湯のたぎる 悠 子
秋うらら朝の七秒スクワット 恵 美
蜻蛉の羽音の荒し基地の街 恵 子
折れ帖のさまざまな秋書道展 敬 子
青空を燃やすがごとし凌霄花 酔 狂
いまだにコロナに明け暮れる毎日ですが、さすがにもう
限界・・・遠くへ行くのはまだ気おくれがするけれど、
少しずつ人との交流を再開し始めた気配が感じられる句を
詠まれた句会でした。
令和4年8月度句会選句
気に入りの夏シャツ朝の三千歩 純 子
蜩の虜となりて宮拝す 恵 子
手招きや庭のトマトを頂きぬ 悠 子
電線の一鳥黙し遠き雷 敬 子
草むらの風にたはむる猫じゃらし 恵 美
不機嫌は自販機にもあり夏盛り 城生子
紅芙蓉閉じて裏山黄昏るる 譲 知
種の違い奏でる曲や蝉時雨 酔 狂
コロナの罹患者が過去最大となる日が続いています。気を付けていても、いつかかったかわか
らないという例をよく聞きます。
ワクチンをうったせいか重症化する率が少なくなってきてはいますが、その恐ろしさを感じな
くなりつつあることが怖い気がします。規制が緩くなっているとはいえ自己防衛専一に他なら
ないと思います。
令和4年7月度句会選句
朝食の珈琲とパン沖縄忌 純 子
露天湯に昨夜の火蛾浮く山の朝 恵 子
夕風のふっとよぎりぬ初螢 譲 知
後ろより声かけてきし金魚売 城生子
噴水に人待つ時の長さかな 悠 子
サイダーを零せし橋や幼き日 恵 美
甘酒やきのうは冷やし今日熱く 敬 子
ワクチンの四回目接種、子どもや孫たちと会うのをためらっている夏休み、故郷へのお盆の帰
省、墓参りの中止、・・・・・
コロナの患者が過去最大を記録する日々をテレビで見ながら、恨めしく、恐ろしく思いつつこの
暑さに耐えている毎日です。
令和4年6月度句会選句
ぼやけたる明けの明星梅雨の入り 譲 知
小車草律儀に花弁切り揃え 酔 狂
してはならぬことを成す国雹の降る 敬 子
乾し物の庭を狭しと若葉風 純 子
夏痩せし好きなものから食べにけり 城生子
独り居の庭を覆ふや柿若葉 悠 子
どくだみのそぐわぬ名前白き花 恵 美
息乱す駅の階段薄暑急 恵 子
紫陽花の花が色とりどりに咲きそろい、雨の日に趣を
そえ、山間のせせらぎには蛍が飛び交い、梅雨の季節な
らではの風情を感じる毎日です。
酔狂氏の句、小車草はたんぽぽや、にがなに似た黄色い花で花弁の
先端が鋭利な鋏で切り取ったような感じで、自然現象には見えない
不思議さが感じられる花です 。
令和4年5月度句会選句
すがるもの風に託せり瓜の蔓 敬 子
コロナ禍の制限解除五月晴れ 酔 狂
大空へ尾びれひらりと鯉幟 悠 子
歳一つ失しのうたごとき春惜しむ 城生子
包丁に水のひかりや初夏の朝 譲 知
骨折の左手かばひ五月来る 恵 美
どの人も防疫マスク街五月 純 子
茎立の右往左往や尼の寺 恵 子
コロナ禍が下火になってきたかと思うと、また多くなってきたり、
なかなか収束の気配がみられません。そのような中でも季節は
花から葉へと着実に移りかわっていきます。
句会のメンバーもこのひと月、色々なことが起こりました。
転んで骨折をした人、鬱々として日々過ごした人、気分転換に
街へ出かけたり、旅行したりした人、新しく趣味を始めた人、等等
御身大事に、心楽しく過ごしましょう。
令和4年4月度句会選句
鶯や姿見えぬも目で追ひぬ 悠 子
緋の色も棘もわが身に木瓜の花 敬 子
門曲る母似の背や紫木蓮 恵 子
静けさや開けたる窓に菜種梅雨 酔 狂
幾年ぶり父母に灯ともす彼岸かな 譲 知
拝殿へ磴五十段木の芽張る 純 子
最近は心音聞かず暖かし 城生子
蕗の薹土をおしのけただ一つ 恵 美
春が足早に進んでいきます。昨日は、花だけだった桜が、朝には葉っぱが見えていました。「花は葉に」「花万朶(はなばんだ)」「花筏」「花吹雪」「飛花落花」、俳句で「花」といえば桜のことを指しますが、美しく形容する言葉が並びます。しかし、
さまざまの事思ひだす櫻かな 芭蕉
飾った言葉のないシンプルな句ですが、まさにその通りと、実感する句で す。
令和4年3月度句会選句
外出は軽き上着や春浅き 悠 子
老犬を曳く老夫婦草青む 恵 子
仁王像眼窩の奥の余寒かな 敬 子
戻り寒鉛筆の芯二度も折れ 城生子
背伸びして梅が香の濃し散歩道 恵 美
せせらぎの縁を彩りいぬふぐり 純 子
目白待つ紅絞りてふ椿かな 酔 狂
コーラスの声の明るし花菜風 譲 知
酔狂氏の句・・・紅絞りという椿から
俳句では、山(つば)茶(き)、山椿、藪椿、乙女椿、白椿、赤椿、一重椿、八重椿、伊勢椿、唐椿、玉椿、千代椿、つらつら椿、落椿 、散椿など傍題が多い。その椿の語源だが幾つかある。
まず、光沢のある様からツヤハキの義。次に、葉が厚いところからアツハキの義。また、朝鮮語のツンバク→ツニハキ→ツバキの説もある。別に、全く異なる解釈に「鍔木」説がある。落ち椿を見ると中央が抜けて刀の鍔のように見えるからである。
(青木信雄・田中庸之「ことばヲッチング」より)
令和4年2月度句会選句
元日の干支の話や山月記 悠 子
如月や河津桜に誘われて 酔 狂
遅れ来るバス音重し凍つる朝 純 子
街角の地蔵二体や梅一輪 恵 美
遠き孫へ念力の声豆撒す 譲 知
稲荷社に揚げの供物や春を待つ 恵 子
伐採の五十年の樹霜柱 敬 子
どの枝も空捉えたり初景色 城生子
「山月記」について
一九四二年「文学界」に発表された中国清朝の説話集「人虎伝」を素材にした
中島敦の短編小説。
唐代、若くして科挙に合格するほどの優秀な人物李徴という男が身分の低い役人として働くことに耐えきれず、
詩人として名声を上げようとするが、せいこうせず、元の役人に戻るが、以前の仲間や、後輩の下で働くことに
自尊心が傷つけられ、出張した際に発狂して走り出し、いつの間にか虎の姿になって、山へ消えて行方知れずに
なってしまいました。そして、人食虎として恐れられるようになったある日、かつて友人だった袁傪をおそいかけ
てしまい「あぶないところだった」とつぶやきます。その声に袁傪は李徴だと気づき声を掛けます。李徴は、虎に
なったいきさつや、苦しみを語り、自分が人間であった証に詩を袁傪に託して草叢から出て虎になった自分の姿を
見せ、数回吠えて消えていきました。
(編者注;この山月記は、多くの国語の教科書に取り上げられているそうです。)
令和4年1月度句会選句
誕生日を子等の集ひて三日かな 恵 美
とめどなき鍋物談義日向ぼこ 純 子
一病も笑ひ飛ばすぞ明の春 譲 知
象の脚ムチが動かす師走かな 城生子
硝子戸の空拭ききって年の暮 敬 子
病気怪我ダブルプレーや歳納め 酔 狂
買物の肩に重しよ年用意 悠 子
鎌倉や十日戎を帰る人 恵 子
明けましておめでとうございます。
下火になってきたコロナ禍が正月早々新種に変化して、またまた勢いを盛り返してきました。
しかし、それにもめげずに安全策を取りながらも、全員元気に、八日に初句会を開きました。
今年も、身の回りの出来事や季節の移り変わりに目を向け、常に新鮮な感性を養っていきたいと思い
ます。
皆様も、ぜひ、ご参加くださることを期待しています。
令和3年12月度句会選句
昏れ初むる三渓園や鴨の声 譲 知
冬初め木々をかすむる二羽の鳶 悠 子
石段を小石落ちくる十二月 城生子
夫の忌の寺の石垣返り花 敬 子
江ノ電の子らに膨らむ小春かな 恵 子
大家族なりし日遠く炬燵猫 純 子
冬至の湯母の背中をふと想ふ 恵 美
句会では、それぞれが作ってきた句をお互いが感想を述べあったり、批評し合ったりしてそれをもとに推敲してより良い作品にしあげていきます。例えば、
譲知の句は元は、
鴨の声残り三渓園昏れる で破調の句でしたが、読んでいてぎごちなさがあるの
で表記のようになおしました。
悠子の句も
秋高し木々をかすめる鳶二羽 でしたが、季節的には冬なので、冬初めとし、鳶(とんび)は俳句ではトンビとは言わないとのことで、二羽の鳶(とび)となおしました
城生子の句
石段を石ころ落ちくる寒の入り でしたが、強く、寒い風に吹き飛ばされて階段を
落ちてくる石は小石としたほうが、情景があっていることと、寒の入りは一月半ば
の頃をさすので、十二月としました。
敬子の句は
夫の忌の穏やかな日や返り花 でしたが、返り花で穏やかな日の雰囲気は伝わって
くるので場所をはっきりした方がよいということで法事を行った寺の石垣とし、情景をより鮮明に表現しました。
恵美の句は
冬至の湯この一年を思う時は、「思う時」が曖昧なので、何を思うかをはっきりさせたらどうかということで、母の背中をふと想ふ になおしました。
このようにいつも知恵をしぼりあって、ワイワイ言いながら楽しく勉強しあっています。
令和3年11月度句会選句
木の実落つ実時廟へ坂がかり 純 子
入院の祖父やかけ寄る千歳飴 譲 知
雨あがり日陰に明るく石蕗の花 恵 美
雲流れ揺るる紫苑の枯れ初むる 酔 狂
たいていは老人と牛冬田打ち 城生子
露の世の露の身なれど衣被 恵 子
木の実降る五百羅漢の前うしろ 敬 子
秋日和呼べば駆け来る小犬かな 悠 子
街に出ると、急にカートを引いている人を多く見かけるようになりました。コロナの患者が減少 し、緊急事態宣言も解除され、待ち望んでいた旅行に出かける人がいっせいに動き出したのでしょ う。心浮き立つ一方で、第六波の不安もぬぐえません。このまま収束し、新しい年が無事に迎えら れることを心から願うばかりです。
令和3年10月度句会選句
三叉路のミラーに確と秋の色 敬 子
釈迦堂の北條の紋秋澄めり 純 子
昼灯す鴫立庵や秋の色 恵 子
柿の実に飛び交ふ鴉声荒し 悠 子
ひとところ俄かに燃えし柿紅葉 譲 知
乱れ萩行く径ふさぎほしいまま 恵 美
強情は女にもありいぼむしり 城生子
渋柿や焼酎に漬け友を待つ 酔 狂
恵子の句 鴫立庵
西行が大磯あたりの海岸を吟遊して詠んだといわれている歌
心なき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮れ
を江戸時代初期、小田原の崇雪という人物がこの歌にちなみ、標石を建てた。日本三大俳句道場と
しても有名。
城生子の句 いぼむしり
螳螂(かまきり)のこと。かまきりに疣(いぼ)をかじらせると治るという俗信から「いぼむし
り」の異名がある。
令和3年9月度句会選句
受話器より新涼の声里の声 純 子
植木屋の鋏の音と背の汗 悠 子
くずかごに紙くず多し敬老日 城生子
籠り居る窓に明るし百日紅 敬 子
逸早くつるぼの咲きて秋めきぬ 恵 子
碧天の雲うするるや秋浅く 譲 知
コロナ禍の力なき声蝉しぐれ 酔 狂
咲き初むる紫式部母の花 恵 美
暑い夏が過ぎて秋、そして、やがて枯れ枯れとした寒い冬に向かう。秋風はそこになんともいわれぬ寂しさや悲しさをもたらします。おのずと詩情はそそられます。
淋しさに飯をくふ也秋の風 一茶
吊橋や百歩の宙の秋の風 秋桜子
阿蘇山頂がらんどうなり秋の風 朱鳥
秋風には他にいろいろな言い方があります。
金風の翳す仏顔ほのに笑む 亜浪
山荘の今朝爽籟に窓ひらく 草堂
その他、素風、悲風、鯉魚風、万葉集には白風(あきかぜ)ともあります日本人の細やかな心情がうかがえます。
令和3年8月度句会選句
草から葉へ低空飛行秋の蝶 恵美
七夕や握る綿飴児のほほに 悠子
俳諧の猫の気配や熱帯夜 恵子
不揃いのトマトもありて故郷の便 敬子
ゑのこぐさ真昼の杜の闇ゆらぐ 純子
青柿の音なく落ちる雨の朝 譲知
満月や年金供に祝い酒 酔狂
コロナのますますの蔓延、大雨の被害、恐ろしさに身の縮まる思いの毎日です。何か、人間には見えない計り知れない魔の力がこの地球に働いているのではないかと想像したりもしますが、そうではなく、やはり人間が作り出したものであると思わざるをえません。しかし、季節は同じように巡ってきて、虫の音、木々の落葉、風の涼しさに秋の訪れが感じられるこの頃です。どうか、怒りを鎮めて穏やかな地球を取り戻してくださいとやはり祈ってしまいます 。
令和3年7月度句会選句
シーバスの白き航跡梅雨晴間 純子
海恋ふか貝風鈴の鳴りやまず 譲知
夜明け前夏鶯の頻りなり 恵美
夏木立羽音迫れる鴉二羽 悠子
合歓咲くや漁村の昼の深閑と 恵子
アスファルトの一分の隙間月見草 敬子
濡れ縁に待宵草と空見上げ 酔狂
オリンピックが開催されました。新型コロナの蔓延がまたまた厳しくなってきた中、「人類の平和」を願う祭典であったはずのオリンピックが平和を脅かされる事態に、どうか無事に終わってほしいと願ってしまいます。