哲学カフェ『数学はなぜ哲学の問題になるのか』ブックフェア選書リスト

「歴史的存在論」をめぐる多種多彩な作品が収められた論文集。数学の証明、言語、科学的推論のスタイル、人々の種類。さまざまな存在者が「歴史化」され、そして哲学はそれにどう向き合うべきかが吟味される。最初期の野心作、メタ哲学的自己批判、貴重なフーコーについての論考、そして幻想的な「夢」エッセー。(手前味噌ですが) 彼の哲学のエッセンスが凝縮された、ハッキング入門に最適な一冊。

イアン・ハッキング『確率の出現』広田すみれ・森元良太訳, 慶應義塾大学出版会, 2013年.

現代的な確率概念は、1660年前後の短い期間に突然「出現」した。この概念的突然変異を準備した前提条件は何か。ルネサンス期の「低級科学」の勃興がもたらした知識観の揺動を手がかりに「確率の出現」を説き明かし、哲学者たちがどうやっても解きほぐせない確率の「二面性」の出自を明るみに出す。スリルたっぷり、ハッキングの出世作にして会心作。

ジェームズ・フランクリン『「蓋然性」の探求―古代の推論術から確率論の誕生まで』南條郁子訳, みすず書房, 2018年.

『確率の出現』に対しては、話としてはおもしろいんだけど歴史としてはいろいろと微妙なところもあるよね、というのは出版当初から批判されてきたところ。そこで、ちょうど最近訳出された本書。惹句には「ハッキングの『確率の出現』の成功以来信憑されてきた単純すぎる確率前史を塗り替える」とあるが、さあ果たして。

スティーヴン・シェイピン, サイモン・シャッファー『リヴァイアサンと空気ポンプ―ホッブズ、ボイル、実験的生活』吉本秀之監訳, 柴田和宏・坂本邦暢訳, 名古屋大学出版会, 2016年.

科学には複数の推論の「スタイル」があり、それらはある特定の時期と場所に生まれた歴史的存在者であるというのが、ハッキングの「スタイル・プロジェクト」の基本的な考え方。彼によれば、本書は、そのうちの「実験室」スタイルの誕生を描く「創世神話」である。神話には英雄がつきものだが、ここでの英雄は人ではなく、装置。つまり空気ポンプである。

菊地原洋平『パラケルススと魔術的ルネサンス』ヒロ・ヒライ編集, 勁草書房, 2013年.

科学的推論のスタイルには「死んだ」スタイルもある。ハッキングがその一例としてあげるのが、パラケルススの「類似」や「しるし」の概念を用いた推論体系である。「死んだ」ものだけあって、彼の思考スタイルはわれわれにとっては少々オルタナティブすぎるのだけれど、まあそう慌てずに、彼の遍歴を当時の知的・社会的・文化的コンテキストを踏まえつつ冷静に跡づける本書から始めましょうか。

Reviel Netz, The Shaping of Deduction in Greek Mathematics: A Study in Cognitive History, Cambridge University, 1999. (Amazonへのリンク)

科学的方法はなぜ客観性をもつのか。人間に普遍的に備わった認知能力を基盤としているから、というのがひとつの答え。でもハッキングの強調するとおり、科学には歴史性がべったりとはりついている。だから認知科学では足りない。人間の認知能力の活用方法の発展過程を、その局所性・偶然性込みで研究する「認知歴史学」が必要だ。そんなマニフェストを掲げつつ、古代ギリシャ数学の証明の実践を詳細に描いた力作。

藤村龍雄編『フレーゲ著作集1―概念記法』勁草書房, 1999年.

すべての真理を機械化すべしという「ライプニッツ的な証明の理念」は、いまや夢ではなく現実に遂行可能なプロジェクトだ。本書のフレーゲはこう宣言する。提示された独特の表記法は現代の目には異様に映るものの意外と合理的だし、所収の関連論文は彼の当初の目論見がどこにあったかをよく伝えてくれる。たんなる歴史的意義を越えた興味をいまなおたたえる、現代論理学創始の書。

野本和幸・土屋俊編『フレーゲ著作集2―算術の基礎』勁草書房, 2001年.

数学の哲学のみならず広く哲学的分析一般のお手本とされる、論理主義的な「数の分析」を提示した名著。その議論はたしかに「お見事!」の一言なのだけれど、そこにはつねに、「演繹的証明はなぜ知識を拡張しうるのか」「なぜ数学は応用可能なのか」という、数学の哲学の最重要問題への目配りがあることにも注意したい。こういうところがフレーゲは偉い。

マックス・テグマーク『数学的な宇宙―究極の実在の姿を求めて』谷本真幸訳, 講談社, 2016年.

近代の科学が発見したのは「この世界は数学によってうまく記述できる」ということだった。本書はそれを超えて、あのピタゴラスを現代に蘇らせる。「万物は数なり」? そう、「この宇宙は数学的構造そのものである」。現代の宇宙論と量子力学で、この世界と人間の意識の根源に迫る、ハイパー・ピタゴラス主義の怪著。

飯田隆編『リーディングス数学の哲学―ゲーデル以後』勁草書房, 1995年.

『数学はなぜ…』で何度もくり返し表明されるように、ハッキングは現代の分析的な数学の哲学に対して深い絶望感を抱いている。しかし何がそんなに気に入らないのか?「ゲーデル以後」、つまりハッキングとほぼ同世代の論者たちの代表的論考を集めた本書で、改めて、われわれはどこで「間違った」のか、考えてみるのもよいかもしれない。

照井一成『コンピュータは数学者になれるのか―数学基礎論から証明とプログラムの理論へ』青土社, 2015年.

チェスも、囲碁も、将棋もやられた。入試問題だってもうAIのほうがうまく解けるかもしれない。とすると次は数学、だろうか。でも、コンピュータが数学をするってじっさいのところどういうことだろう。本書は、比較的オーソドックスな数理論理学と計算機科学の観点から、ただし圧倒的なわかりやすさで、コンピュータと人間が (対決ではなく) 協調して行う数学の「対角線方向への未来図」を描き出してくれている。

酒井泰斗・浦野茂・前田泰樹・中村和生編『概念分析の社会学―社会的経験と人間の科学』ナカニシヤ出版, 2009年.

ハッキングおもしろいよねーと言いながらも、自分であんな研究をするかと考えると尻込みしてしまいますよね (だってあんなに調べ物できないし)。そんな怠惰な哲学者(私)とはちがって、社会学の分野でそれをちゃんとやっているのが本書。ハッキング的な「歴史的存在論」「現在の歴史」を下敷きに、社会生活のさまざまな場面における、われわれと「概念」との相互作用が丹念に記述されています。