京都推論主義ワークショップ

[12.15追記] たくさんの方のご来場ありがとうございました。各発表のスライドなど資料をアップロードしました。

推論主義 (inferentialism) にかんする情報共有、意見交換を目的とするワークショップです。

どなたでもご来場いただけます。事前連絡、登録も不要です。お問い合わせは大西 takuro.onishi[at]gmail.com まで。

日時:2017年12月10日 (日) 9:30-17:00

場所:京都大学・吉田泉殿セミナー室 http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/about/campus/facilities/kyoshokuin/izumi

発表者 (50音順):大西琢朗 (京都大学)、島村修平 (日本大学)、朱喜哲 (大阪大学)、白川晋太郎 (京都大学)、毛利康俊 (西南学院大学)

タイムテーブル

9:30-10:30 大西琢朗 関係意味論、シークエント計算と明示化 [スライド]

10:30-11:30 島村修平 非単調的で関連性に敏感な推論を扱うための様相的推件計算の体系NMMRについて [スライド]

11:30-12:30 白川晋太郎 推論主義における表象的な真理 [スライド]

12:30-13:45 ランチ

13:45-14:45 毛利康俊 推論主義から見た法的思考 [レジュメ]

14:45-15:00 休憩

15:00-16:00 朱喜哲 推論主義からみた統計的因果推論 [ペーパー] [スライド]

16:00-17:00 島村修平 非形式的な推論における変項の意味の問題―ラッセルのパラドクスに対する推論主義的応答 [スライド]

アブストラクト

大西琢朗 関係意味論、シークエント計算と明示化

論理学のモデル論の一種である「関係意味論」(いわゆる可能世界意味論)は、現在では様相演算子だけでなく、さまざまな論理結合子、さまざまな論理をカバーする普遍的な枠組みと見なされている。ではこの枠組みを、現実の推論実践に引きつけて理解するにはどうすればよいか。この発表では、ブランダムの「暗黙的コミットメント」の概念を拡張することで、関係意味論が推論主義的・表現主義的に理解できるということを示す。基本的なアイディアは、われわれはある一定の推論において、命題間の論理的関係だけでなく、そのような推論を可能にする、状況(situation)間の関係にも暗黙的にコミットしている、というものである。ここではそのような関係を「推論リンク」と呼ぶ。引き立て役は、とくに関連性論理の分野で提案されている「情報意味論」である。本発表の推論リンクの概念はもともとこの情報意味論から得たものであるが、ただし、情報意味論に決定的に欠けているのは、ブランダムの「明示化」に当たる考え方、明示的なものと暗黙的なもののあいだの、あるいは推論的構造と命題的表現のあいだの相互関係についての考え方である。発表の後半では、証明論の分野におけるシークエント計算(正確にはその拡張であるディスプレイ計算)の構造を参照しつつ、情報意味論に対する推論主義的・表現主義的枠組みの優位性を示す。

島村修平 非単調的で関連性に敏感な推論を扱うための様相的推件計算の体系NMMRについて

Motivated by semantic inferentialism and logical expressivism proposed by Robert Brandom, in this paper, I submit a nonmonotonic modal relevant sequent calculus equipped with special operators, □ and R. The base level of this calculus consists of two different types of atomic axioms: material and relevant. The material base contains, along with all the flat atomic sequents (e.g., Γ0, p |~0 p), some non-flat, defeasible atomic sequents (e.g., Γ0, p |~0 q); whereas the relevant base consists of the local region of such a material base that is sensitive to relevance. The rules of the calculus uniquely and conservatively extend these two types of nonmonotonic bases into logically complex material/relevant consequence relations and incoherence properties, while preserving Containment in the material base and Reflexivity in the relevant base. The material extension is supra-intuitionistic, whereas the relevant extension is stronger than a logic slightly weaker than R. The relevant extension also avoids the fallacies of relevance. Although the extended material consequence relation is defeasible and insensitive to relevance, it has local regions of indefeasibility and relevance (the latter of which is marked by the relevant extension). The newly introduced operators, □ and R, codify these local regions within the same extended material consequence relation.

白川晋太郎 推論主義における表象的な真理

言葉の意味を推論における役割によって規定しようとする推論主義にとって、もっとも困難な課題のひとつは、「われわれは言葉を用いてこの世界について何ごとかを語っている」というあたりまえの事実を説明することである (cf. MIE 137)。ブランダムの推論主義によれば、ある文が意味をもつためにはそれが他の文と推論関係を構成していれば十分である (MIE 131)。(論理学や数学における文のみならず)「これはリンゴだ」という経験的な文であっても、「これは果物だ」「これはミカンではない」といった他の文と推論関係に立っているなら十分に意味をもつ。この文が意味をもつために、「これ」や「リンゴ」といった語がいかなる対象を指示しているのか、その文が真であるのはどのようなときか、といった表象的な事柄を考慮する必要は一切ないというわけである。しかしそうだとすると、言語と世界との関係はいかにして確保されるのだろうか。

ブランダムも推論主義には言語的観念論———言語は世界と無関係にそれだけで充足した体系を構成している———に陥る懸念があることを認めており(MIE 330-1)、その懸念を解消するために、世界のありかたを反映しているという意味で「客観的に正しい」という観念が推論主義の枠内でも成り立つことを示そうとしている (MIE chap. 8など)。しかしその議論の説得性にはおおいに疑問がある (白川, 2015)。

本発表では、推論主義から言語的観念論の懸念を取り除く方法を考えたい。具体的には、表象的な真理や指示の概念を(ブランダムのように理論的に導出するのではなく)はじめから導入するのだが、同時に、そのような表象的概念が成立するためには推論の存在が不可欠であると論じることで、表象主義になるわけではないことも示す。結果として、言葉の意味を規定するためには(等根源的な)推論と表象の概念が共に不可欠だということが明らかになるが、こうした「弱い推論主義」が言語的観念論に陥らない推論主義だと論じる。

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MIE Brandom, R. (1994). Making It Explicit, Harvard University Press.

白川晋太郎 (2015).「ブランダムにおける客観性」,『アルケー』No. 23, 関西哲学会.

毛利康俊 推論主義から見た法的思考

判決作成過程に典型的にみられる法的思考の実際の姿をどのように描き、その合理性をどこに見るかについて、法律家たちは過去150年にわたってさまざまに論争を繰り広げてきた。しかし、この間に生じた論理学の革新や言語哲学の展開にもかかわらず、法的思考をめぐるこれまでの論争は表象主義的な言語観・論理観を暗黙の前提にしてきたように思われる。その結果、いくつかの未解決問題が残された。法的思考は単純な形式論理の適用ではない。ではそれはどのようなものか? 形式論理ではないとしたら、論理外の実質的考量を密輸入しているのではないか? 密輸入であるとしたら、そこでは法的概念の恣意的歪曲が行われているのではないか? 推論主義はこうした未解決問題に新たな光を投じる可能性を持つ。それは論理というもの、言語の意味というものの根本的な問い直しを含んでいるからである。

朱喜哲 推論主義からみた統計的因果推論

推論主義はセラーズのいう「理由の論理空間」(EPM76)の構造を明示化するプロジェクトといえる。この空間では、理由を与え、求めるという正当化の実践が営まれる。こうした信念間の推論関係とそれらを主張する実践を統べる規範を明らかにすることがブランダムの方法論である。こうした「理由の空間」の住人を取り結ぶ関係性は、すべからく規範的なものである。では、一般に「規範的」とは思いがたい関係性である「因果性」や「法則性」「同一性」といったボキャブラリーで言い慣わされる関係性もまた「理由の空間」においては規範的な関係として扱われるべきなのだろうか。

この問いの背景には、セラーズの「理由の空間」の外部にあるものとして「因果の空間」(Rorty, PMN157)あるいは「自然の空間」(McDowell, MWxviii)を想定し、正当化が統べる「理由の空間」から因果性を排除する解釈をとるローティと、各々のアプローチから因果性や法則性を「理由の空間」のうちにおいて扱おうとするブランダムやマクダウェルとの対立がある。後者のアプローチには、一見するとそれらが科学がその解明をめざすような世界の法則性や因果関係を、しかるべく扱えなくなるのではないかという懸念が浮上する。

本発表では、わたしたちがもちいる因果性についての現在有力なボキャブラリーである統計学のそれに着目し、回帰モデルおよび非巡回的有向グラフによって扱われる統計的因果推論およびそこから引き出される自然言語での因果的なボキャブラリーをともなう推論を、ブランダム推論主義においてどのように取り扱えるかを検討する。

島村修平 非形式的な推論における変項の意味の問題―ラッセルのパラドクスに対する推論主義的応答

What do variables mean? This question is known to perplex Russell (and his followers), who believes that the meaning of a name is its referent and that a variable is a name. One natural way out of this impasse is to think that a variable is not actually a name, but rather a (part of) logical operator, and that the meaning of a logical operator is explained by specifying its inferential role instead of its referent. In this talk, I shall pursue this inferentialist line of reply to Russell’s paradox on variables. First, I argue that the standard inferential rules for the universal quantifier in familiar proof systems (e.g., NJ and LJ) are flawed for the following reason: In the presence of (some) nonlogical axioms, they do not satisfy a condition that is supposed to be essential for the meaning of the universal. Second, I propose an alternative proof system, QNM, which circumvents this problem. Finally, based on the relevant inferential rules of QNM, I offer a Brandomian logical inferentialist expressivist explanation of the meanings of variables and universals.

謝辞

本ワークショップはJSPS科研費関連性論理の哲学の再構築:推論主義の立場から」17K13317の助成を受けています。