それは,私達人類はまだ戦争を未然に防ぐことができないからです。何千年という人類の歴史の中で無数の戦争があったのに今でもそうです。そしてひとたび戦争が起きれば,人間の自由や基本的な人権は簡単に無視され,無数の悲惨なことがまた繰り返されるのです。
最善の方法は、私達のような普通の人々によって戦争を防ぐことでしょう,戦争の犠牲者はいつも普通の人々なのですから。もし多くの人が戦争がいかに悲惨であったかを知っていて,どうやって起こったかを理解していれば,同じ道をたどることは避けられるのでしょう。でも現実には、それは容易なことではありません。戦争はあまりにひどいから,話したがる人はいないんです。そしてしばらくするともう思い出すこともなくなり,そのうちにどこかまた別のところで起こることを許してしまうという悪循環です。私の知っている限り,民主制のもとでは、人々は戦争を始めようと直接投票で決めたことはありませんが,未然に防いだこともありません。戦争が始まってその残虐行為が明らかになってから,デモで戦争に反対することは時々起こります。でも,被害者にとってはそれでは遅すぎるのです。
だから,私はこの戦争についての沈黙を少しでも崩したいと考えます。
沈黙がどう起こるのか見てみましょう。
戦争が終わると人々は喜びにひたり,しばらくは戦争の話をしますが,それはそう長いことではありません。
戦争中に殺人暴行拷問強姦といった悪行を自ら犯した人々は,罰から逃れる為に話そうとはしません。
そんな悪行を命じたり,助けたり,知っていても止めなかった人々も,敢えて話そうとはしません。
そして,政府や軍の組織も,国の名誉や利益を傷つける恐れのあるそういう事項は、敢えて調べたり話したりはしたがらないものです。
犠牲者の多くも,余り話しません。誰も嫌な体験を思い出したくはないもので、中でも自分の愛する家族や友人には話そうとはしません。同じ茨の道を通ってきた限られた友人だけが集まった時だけ,こっそりと話すことがあるくらいです。
他の人々、メディア,学校などでも,しばらく立つと戦争への興味は薄れてきます。誰だって基本的に嫌な話を聞きたくはないのです。被害者の中には,勇気を振り絞って同国人の人々の理解と同情を求めようとする人もいますが,歓迎されません。政治家も,戦争について話しても,支援者が増える訳でも票が集まる訳でもないから,話そうとはしない。
こうして沈黙が広がっていき,支配的になります。そのうち皆が忘れた頃,世界のどこかでまた戦争が起き,それをニュースで聞いても多くの人はまた残虐行為が繰り返されるのだと意識することすら余りありません。最近では,国と国との間の戦争という形だけでなく,新しい別の形でも起きるようになってきました;テロ戦争、国の中での移民問題,アラブの春から世界に飛び火したオキュパイ運動,そして日本の原発事故の後の危機。
この悪循環は,自分の国が何か悪いことをした時により顕著になります。日本が終戦までに東アジアの国々で捕虜や一般人にしてきたこと,オランダがインドネシアが独立を宣言した後に覇権を取り戻そうとした軍事活動(オランダでは警察活動と呼ばれる)や植民地時代のこと,アメリカがヴェトナム、アフガニスタン,イラクでしたこと… 私に知る限りドイツだけが例外的に,自らの負の歴史に直面することに成功していて他国からも評価されていますが、他の普通の人類にとっては,恐らく難しすぎるのでしょう。
でも簡単な話,私達は自らの負の歴史に直面し,そこから教訓を学ぶ方法をまだ発見する必要があるのです。そうしなければ,私達はまた同じ過ちを犯すでしょう。だから沈黙を破る必要があるのですが,これはなかなかの強敵です。平和活動家や,研究者が時々話しますが,彼らの声は余り大きくはない。私達普通の人間も,貢献する必要があるのです。そして何か持続できる方法を見つけることが寛容です,そうでなければまたじきに沈黙が勝つのです。
私達の結論は,この沈黙を破るためには特別の対話が必要ということです。