Post date: Jun 04, 2014 3:37:18 PM
実の父を知らず 幻の父を想い求め 捜し続ける彼らの気持ちは、父のありがたみを知る人間ならば国境を越えて心に響いてきます。私も話を聞くたびにもらい泣きします。
2015年制作のドキュメンタリー『子供たちの涙~日本人の父を探し求めて~』の予告編、監督:砂田有紀さん 上映情報はこちらへ。
2014年6月4日
オランダの有名なパーカッションプレーヤーのニッピー・ノヤ氏は、インドネシアで日本人の父親とインドネシア人女性の母親の間に産まれました。彼らの2年にわたるロマンスの結果でした。でも彼が最後のに父親を見たのは彼がわずか8ヶ月の時でした。日本が降伏し、父は日本に帰らなくてはならなかったからです。彼の母によれば、彼の父が彼をニッピー(小さな日本)と名付けたそうです。彼はその後母親とオランダに移住しましたが、オランダでの生活は大変でした。多くのオランダ人は戦争中日本の暴力の犠牲になり、彼らにしてみれば、ニッピーは敵(かたき)の子どもだったからです。
彼は若くして家を飛び出し、不良の仲間に入り、刑務所に送られました。出所してすぐ、理由は本人にも分かりませんが 彼は確信してボンゴを買いました。独学で演奏を学びプロになり、有名なパーカッションプレーヤーとして他の有名なミュージシャンとともに世界中を廻るようになりました。
1992年、彼が父を最後に見てから47年後に、ある日本人に彼の父親探しを依頼する機会に恵まれました。調査の結果、残念ながら彼の父は既に他界していましたが、ニッピーの兄弟が見つかり、ニッピーの父の墓参りができないかという希望/質問を伝えました。その兄弟は、亡くなった父からそんなことは聞いていなかったから、驚き 戸惑い即答はできませんでしたが、他の兄弟や家族とも相談した上で、一度試しに会ってみようということになりました。父の子がオランダにいるというのは本当なのだろうかと不安を抱えながら 彼ら一同空港で、ニッピーと彼の母が来るのを待っていましたが、到着ゲートに姿を現したニッピーは父と瓜二つで、疑いは一瞬にして晴れてしまいました。彼らは固く握手を交わし、肩を抱き合いました。日本で、初対面の人々が抱きしめあうというのがいかに奇異であるかは言うまでもないでしょう。
ニッピーは兄弟達に父がどんな人であったのか尋ねましたところ、祭りの太鼓を叩くのがうまい人だったという答えが返ってきました。ニッピーはようやく分かりました、どうして彼が刑務所を出た後ボンゴを買ったのか。彼の父が彼を助ける為のメッセージであったに違いありません。(オランダ語の記事)
ニッピーの兄弟の娘、つまり姪も二人音楽家でピアニストでした。その姪の一人が下のビデオに出てくる後藤あおいさんです。去年、ニッピーと彼の二人の姪の演奏する特別な「ファミリーコンサート」がオランダのユトレヒトで開かれました。彼女の作曲した「子供達の涙」という今日も演奏され、これは砂田さんのドキュメンタリーの台にもなりました。とても素晴らしい、感動的な光景でした。
でもこれは、日本の家族が見つかり 父と再会するか家族との交流が始まったとても稀なケースの一つです。ボランティアでこの父親/家族捜しを長年してきたのは、元ジャーナリストの内山馨氏ですが、彼が引き受けて15年打ち込んだ75件の父親探しのうち、ここまでたどり着いたのはわずか20件です。父親本人に再会できたのはわずか2件でした。残りの何百人というオランダに住む日系2世は、今でもいつか日本の家族と出会う夢をいまでも見続けているのです。
日本がインドネシアを3年半占領した間に、いったい何人くらいの日系2世が産まれたのかははっきりしませんが、予想は数千から1万5千人まで幅があります。
これらの情報は、最近出版された「オランダからの白い依頼状―インドネシアで生まれた日系二世の父親捜し」武井優著に書かれています。著者が依頼状が『白い』と呼ぶのは、父親を特定する為にできるだけ情報を書こうとしても、彼らがいかに父親との再会を望んでも、知っている事が限られていてあまり書くことができないからです。最初は日本政府がこの依頼を引き受けたのですが、主にこの情報不足が理由で はかどりませんでした。そんな折に内山氏が半分のケースを引き受け、一人で私立探偵のように日本中を駆け回り、手探りで探し始めたのです。昨年彼は、東京のオランダ大使館から、彼のこの稀な献身と偉業を讃えた公式の感謝状を授与されました。
この日系2世(オランダ在住の私にとっては半分日本の同胞)のグループに多くの私の友人がいますが、彼らのグループに参加するたびに、胸にこたえる話に出会います。この問題はとても複雑で、少なくとも次の3つの層の悲しさ/難しさが関わっていると思います。
子供は両親を選ぶことはできませんが、この子たちは戦争の結果虐待されたこと。戦争が人々を口を閉ざさせ、問題はしばしば悪化しました。多くの子供たちは父親が日本人であったことを知らされず、自分たちの姿がどうして他の兄弟や友人と違うのか どうしていじめられるのかも初めは分からず、そのことをちゃんと分かるように説明してくれる人もいなかったのです。子供たちに残す傷の深さは計り知れません。一方で日本という国は、彼らのとっては見た事も思い出せもしない幻の父の古里で、一種の夢の国なんです。だから彼らの日本に対する思い、愛、誇りはファンタジーのように純粋で美しく、この点では私は彼らに教わる事も多いのです。
犠牲者自らがさらに新たな被害者を作り出す例であること。戦争中は、彼らの母親は日本人に近い事で オランダ人達のように捕われたりひどい目にはあわずにはすんだのですが、戦争が終わり父親達が去った後、残された母親達と子供たちが生き残るのは大変困難でした。多くの彼らは、日本軍のインドネシア占領中に虐待の犠牲になったオランダ人や混血の人々とともに、オランダに移住しました。オランダに着いても、国の手当を受けながらその人々と一緒に限られたキャンプ/収容所のような環境で生活するしか手はありませんでした。この環境で、日系2世の子供たちは、自らも日本の犠牲者だった他のオランダ人達の怒りに直面し、新しい被害者となったのです。とても悲しく たちの悪い悪循環です。
日本は彼らの父親の祖国であり、日本が敵国人に膨大な憎しみを抱かせのにも関わらず、その日本の無関心であること。私にとっては半分は日本の同胞である彼らに会うたびに、私自身一種の恥と罪悪感を意識せざるを得ません。そもそも悪かったのは僕自身の祖先なのに、インドネシアを始めアジア中で暴虐を尽くしたのは日本軍なのに、その恨み/とばっちりを彼らが受けたからです。つい最近 朝日新聞の記者がオランダまで来て、精力的に多くの彼らにインタビューし、彼らの感動的な声を紹介するいい記事が掲載されました。でも記事の冒頭に、『オランダの日系2世たち…反日感情の強い社会で、差別やいじめに苦労した「戦争の落とし子」だ。』と書いてあります。インドネシアがオランダの植民地だった事と、日本が1942年に占領した事実は書いてありますが、日本ではほとんど知られていない現地での日本軍の虐待(民間人および捕虜強制収容所、強制労働、性の奴隷)については記述がありません。これでは、「戦争の落とし子」である彼らは、非友好的で冷たいオランダ社会の犠牲者であるかのようですが、それではあまりにも一方的で理不尽だし、それは記者の意図でもないでしょう。私見ですが、これはイアン・ブルマ氏が 自らの過去の暴力についての「日本の記憶喪失/健忘症」と指摘した病気の症状のひとつだと思います。日本人が、戦争で受けた被害については声高に話すけれど、自らの犯した加害についてはあまり語らない事は、世界で広く知られています。(自国の加害とをちゃんと向き合ったのはドイツくらいなので日本だけではありませんが…) 年齢が上の多くの日本人は知っていたけれど、話を続けて記憶を引き継いでいく習慣/システムを築く事には失敗しました。今の若い世代はほとんど知りません。戦後日本は米国により平和的で民主的な国家に改造されましたが、戦争の被害の賠償は限定的でした。第一次大戦後に敗戦国ドイツに課せられた賠償があまりに多額で、それが第2次戦争を引き起こした反省からです。肝心の責任者である日本自身の代わりになって、この「戦争の落とし子」たちがそのつけを支払わされたのです。そのことに多くの日本人は気がついてもいないでしょう。ツイッターでこの朝日の記事の反響が見られ、多くの人がかわいそうな子どもに同情し心を動かされているのが分かりますが、僕自身が拭うことのできない恥や罪の意識は見つけられません。(中には、オランダではそれほど反日感情が強いのかと驚く声もありますが、それは誤解でオランダ全体で反日感情が強いのではありません。戦後すぐに彼らが育った環境では、同じようにインドネシアから帰ってきたオランダ人との共同生活で、反日感情が強かった事は想像に難くありません。でも皆成長してオランダ全体に浸透していくに連れ、また60年の月日が経つうちに相対的に薄まっていきました。でも、一部のインドネシアから来た人々のグループで今でも強く、その根の深さには驚かされます。)同じような恥や罪の意識の欠落を、(日本軍が慰安婦と呼んでいた)性奴隷についての日本の記事で感じる事もよくあります。まるで地球の裏側で、赤の他人が別の赤の他人に被害を与えたかのごとく、被害者に対する共感や同情も感じられない事も多い事を 一人の人間/日本人として悲しく思います。
しかし一方で、私はこの朝日新聞の記事を高く評価もするのです。戦争の落とし子達の気持ちや感情をうまく伝えているし、それらを使って感動的な人間性のある話にまとめる事に成功しているからです。より多くの日本人の彼らの問題を知ってもらう役に立つことに疑いがないし、うまくいけば、彼らが長い間夢見てきた、日本の父親や家族を見つけ交流を始める助けになるかもしれない。そうなれば、とても素晴らしいことです。
日本社会は、自らの暗い過去について、長期的に語り続ける方法を見つけ、そんな話の場所を確立する必要があると思います。個人としてそうした人々は家永三郎氏や本田勝一氏を始めとして多くいるし、この私のブログもミッションもささやかなその試みですが、どれも社会全体から見るとまだ例外的存在でしかありません。そしてこの重要な課題を政府や政治家達に任せられない事も、安倍氏や彼のお友達が熱を上げている事を見れば明らかでしょう。逆に目を覆わんばかりのことばかりしています。
彼らのグループが二つあります。リンク:JIN(オランダ語 一部日本語)Sakura(オランダ語)
2017年制作のドキュメンタリー 『父を捜して〜日系オランダ人 終わらない戦争〜』
前編
後編