Post date: Dec 11, 2013 9:34:30 AM
2013年12月13日
僕の重要な友人で いつも励みとなったヴィム・リンダイヤー氏が、2013年12月6日午後10時40分 静かに息を引き取りました。ネルソン・マンデラが他界した翌日でした。二人ともかつての敵との和解で知られた人でした。
ヴィム、
君は、他の人々を鼓舞するような人生を送ったね。僕はそれに感動すると同時に、君や君の3人の両親にとっても それは幸福なことだと思う。彼らは、君のことをさぞ誇りに思っていることだろう。
1、君は戦争が終わってから55年もたった後で、日本人との和解を見つけた。それは、日本人との対話を通じて、そして彼らをかつて憎んだことについて彼らに許しを請うことを通じてのことだった。このことに、僕は今でも感動している。
2000年 釜石で地元の高校生を前にした君のスピーチから;
「私があなた方日本人を憎んだことをお許しください。憎む代わりに、あなた方を敬い愛することを学びました。私はこのことを心の底から申し上げます。そしてこれは、亡き母の最後で貴重な言葉にそうものです。」
1945年7月 インドネシア ジャワ島の日本軍抑留所で、君の母ネルが他界する前に君に残した言葉;
「戦争は憎しみによって育まれる。愛こそが平和の礎。」
後で君自身が語ったように、和解こそが 戦争の後前向きに進む為にできる唯一ポジティブなステップだ。でも今でもこれは困難で、ほとんど見かけない。君がいなかったら、僕は『和解』の深い意味も、これが何を成し遂げることができるかについても知らなかっただろう。
僕らが始めて出会ったのは、2001年の日蘭対話の会だった。つまり君の釜石でのスピーチの翌年だ。君は僕のことを何も知らないのに、昼食の間中 釜石に人々がいかに素晴らしいかを情熱を込めて話し続けた。でも君の家族が戦争中そして戦後の辛酸な体験については、一言も口にしなかった。あの時だけでなく今まで、君もアドリも一言もない。今思い返すと、あれこそが 君たちの「人を敬い愛する」行為の実行だったんだね。その後10年かかったけれど、確かに僕は君たちから「人を敬い愛する」ことを教わったと思う。
2、もう一人の母アドリが言ったように、君は父ヴィム・シニアと彼の日記を 彼が戦争中捕虜として捕らえられていた釜石へ連れ帰った。
「あなたは、お父さんを日本に連れ戻したのです。しかし、今度は屈辱感をかみしめ、馬鹿にされた、ろくでなしの捕虜、奴隷としてではなく。日記の形式を借りた本書の題名『ネルと子どもたちにキスを』にそれは余すところなく言い尽くされています:そこには、著者が愛妻と四人の年端もいかない子供の安否を気づかい、妻子からむごくも引き離されていることの苦しさ、家族がどうしているのか皆目分からないもどかしさ、果たしていつか再会出来るのかどうかという不安が赤裸々に綴られています。」
3、僕の国である日本の人々と、君はかけがえのない友情を築いた。村岡先生を始めとするオランダに住む日本人達と、加藤さんを始めとする釜石の人々と、黒川省二さんを始めとする水巻の人々と、等々。
4、行動や和解についてのメッセージで、君はメリンダやラルフや僕や他の人を鼓舞してきた。
君と君の3人の両親が、素晴らしい人間的な生き方を示してくれたことを心から感謝する。君たちは僕の人生を変えた。
今ごろ 君は、3人の素晴らしい両親と再会していることだろう、母ネルとは68年ぶりに、父ヴィム・シニアとは23年ぶりに、母アドリ2年ぶりに。特にネルとヴィム・シニアには、これでやっと彼女の言葉と彼に日記がいかに君を助けてくれたかを報告できるね。素晴らしい再会になりますように。
アドリに約束したように、君や彼女だったらどうするかを考えながら、これからも僕は生きていくよ。
心からの感謝を寄せて、アドリにもよろしく、
星野 文則