2014年11月30日
東アジアの戦争自身はもう70年前に終わっているのに、この戦争の歴史についての解釈や被害への対応を巡って今でも日本と周辺の国々でもめています。一旦戦争が起きると、多くの人々が命を落とし怪我をし、生き残った人にも深い心の傷を残します。これらをすべて元通りにすることは不可能ですが、人間にできる最善は元の敵国同士が和解することです。でもこれが現実には難しい。一体どうやったら和解に向かうことができるのかという問いの答としてよく耳にするのは次の二つです。
歴史を勉強して忘れない。
加害者が被害者に謝罪/賠償する。
どちらも重要なことだと中国/韓国/日本の多くの人が認めるだろうけれど、一方でそれぞれが(充分かどうか疑問としてもそれなりに)これらを進めてきましたが、肝心の中国と韓国対日本の間の和解は一向にすすみません。このジレンマを打開するアイデアとして、
3. 歴史の教訓を現在の社会に反映し、文化を進化させる
という点も欠かすことができないことに気づいたので紹介します。
すぐにピンと来ない方のいるかもしれませんが、被害者の立場に立てば容易に想像がつくでしょう。あなた自身が被害者で、加害者と和解をしようかと考えているとします。加害者は忘れたりごまかした入りせずに罪を認め、はっきり謝罪したとします。ここまでは、前向きに捕らえていいでしょう。でももし、知らないところで同じ加害者が同じような非道を繰り返していたら、あなたは加害者と和解ができますか? 加害者の謝罪は、口先だけのリップサーブスだと考えませんか?
現実の歴史解釈の問題は複雑ですが、この点から考えると分かりやすくなると思います。例として慰安婦問題を取り上げます。
日本のナショナリスト達の主張は「慰安婦とは、性奴隷ではなくただの売春婦である」から、他国に批判される問題ではないということです。つい最近も読売新聞がこの点を再確認する記事を発表し、ワシントンタイムス、NYタイムス、ガーディアン等はすぐに批判をしました。その理由は「この解釈は世界の歴史研究の解釈とは違う」という表現ですが、言い換えれば この主張を認めてしまうと売春行為の報酬を払えば彼女達に性行為を強制しても構わないと認める、つまり特定のグループの人々に対する『新人種差別』を容認することになるからです。
『新人種差別』とは私の造語ですが、『人種差別』という表現は 慰安婦の問題の場合には強すぎるのではという違和感を持つ人のいるかもしれないので説明します。一部の人の利益の為に、別の人の基本的人権が蹂躙されることが「差別」です。それが個別の事件なら例外的な事故ですむかもしれませんが、特定のグループが別のグループを持続的に差別すると、より重大な構造的な問題となり「レーシズム/人種差別」と呼ばれます。多くの場合は肌の色や文化の異なる別の人種の間で起きたことが多かったので、「人種差別」と呼ばれます。これが制度化されると、「奴隷制」だと思います。でも、日本の慰安婦問題の場合では、(元蘭領インドにいたオランダ人女性を除くと)差別した日本も差別されたアジア人女性も同じアジア人種で、特に中国韓国の場合は日本と同様に儒教の影響の強い文化を持っていました。また日本の中にさえ、唐行きさんと呼ばれる差別された女性達がいました。つまり差別する側とされる側に明確は人種の違いはないので、『新人種差別』という造語が必要となった訳です。でもこれも人種差別と同じように深刻な問題で、占領地に於いて制度化された社会を奴隷社会とよく似ていたと思います。慰安婦の中には報酬を受け取っていた女性もいるから、人種差別ではないという反論があるかもしれません。でも、人権蹂躙をお金で買うことは許されませんから、この反論は無効です。(慰安婦だけでなく捕虜や労務者の強制労働も、同様だと思います。戦死することを強いられた多くの兵士や特攻の学生達の人権蹂躙も、靖国神社に祀られるという名誉を引き換えに正当かできるものではありません。)
一般的に第2次大戦後の世界では、モラルが前進した地域が多いと思います。人間は肌の色や文化に関係なくは皆平等で、誰もが基本的人権を保障されるという国連憲章にも唄ってあることです。これは、それまで 宗主国/植民地、白人/その他の有色人種、家父長制などの文化のあった男尊女卑、といったいろいろな形であった構造的な人種差別を廃止しようというねらいでした。つまり歴史の教訓を現在の社会に反映しようと始めたのです。だから「売春婦」という人々を新人種差別することは、現代の世界のモラルに対する大きな違反なのです。
戦前の日本では、欧米の諸国には劣等感を持つ一方で、同じアジアの国々に対しては優越感を持ち、彼らを馬鹿にして彼らの人権を蹂躙し、アジアで新人種差別することに抵抗の少なかった日本人も多かったようです。日本の中で下級兵士は酷使されていたこともそれを促したでしょう。戦後もう70年経とうとしてますが、はたして日本でも 戦後は同じようにモラルが前進したでしょうか? 戦後の憲法には基本的人権が書かれましたし、改善された部分も多いでしょう。でも日本の外から眺めていると、この『新人種差別』という問題がいまだにはびこっている、今でも見下され馬鹿にされ差別されているグループはいろいろいるのではと疑うことが、特に311の後しばしばあります。最近目に余るようになった嫌韓国/嫌中国ヘートスピーチはまるで戦前のようです。他にも、風俗業で働かざるを得ない女性達、70年間米軍基地を押し付けられたままの沖縄の人々、311の福島原発事故と津波のせいで今でも避難生活を続けている人々、特に仮設住宅暮らしの人々、ブラック企業で働かざるをえない非正規雇用の人々、奨学金返済で困窮する20代ホームレスの人々、生活保護を申請しようとしても役所の窓口で妨害される人々、全国各地に公害で苦しめられた人々、援助が始まるまで何十年もかかったり配偶者探しで苦労した原爆被爆者の人々…
つまり、戦争が終わって70年もたとうとしているのに 特定のグループを差別した戦前の『新人種差別』の文化は、形を変えて今でもいろいろな形で根強く温存されているようには思えます。言い換えれば、戦争の教訓がまだ充分反映されていない、戦前の文化に暗い部分を克服できていないのです。これでは、元被害者の人々が日本と和解するのは難しいと思います。初めにも書いたように彼らの立場に立って見てください。日本人が彼らの被害の歴史についてよく知っていても、日本政府が一度謝罪をしても、今でも昔と同じような差別が続いていると分かったら、その元被害者や子孫が日本と和解できると思いますか? 口先できれいごとを言っても、実質的には何も変わっていないと考えるでしょう。
だから、『歴史の教訓を現在の社会に反映する』という点も、和解をする為には必須条件だと思います。そしてこの作業は、他の国との和解や外交のためになるだけではなく、日本の人々自身の生活向上の為にもなることは明白でしょう。
次に他の2点についても掘り下げます。
歴史を知るということはもちろん重要ですが、複数の国がそれぞれの国益だけを考えて歴史を自国中心に解釈し、それぞれの歴史観に大きな違いがあっては、それは本当の歴史ではありません。現在の中国と韓国の歴史観と日本のそれとの間に大きな違いがあるのがいい例です。歴史の研究には、複数の視点から一つの事件を考えることが必須で、さらに他の国と共有できるような歴史でないと 和解の役には立ちません。
そしてこの成果は、歴史研究家や政治家の間で共有するだけではなく教育にも反映して、国民/アジアのすべての人々とも共有することも重要です。
だから、慰安所を管理した側の説明として「慰安婦はただの売春婦である」と言うだけで、元慰安婦の証言や視点を排除する安倍政権や歴史修正主義者の歴史観は、「身勝手なエゴイスティックな歴史観」ではあっても「共有された歴史」ではありません。
謝罪や補償というのは、もう少し掘り下げる必要があると思います。慰安婦制度への日本軍への関与を認め謝罪した河野談話や日本の侵略戦争の非を認めた村山談話があったことは大変意義のあったと思いますが、これらに相反する政治家達の声が定期的に上がったりしては元も娘もありません。批判の多いアジア女性基金による元慰安婦への補償も、異議がなかった訳ではありません。どちらも、一過性ではなく、被害者側に納得してもらうまで続ける、持続して効果のあるものにする必要があると思います。
最後に繰り返しますが、次の3点が、『三位一体』となって同時に充分機能すれば、アジアでも戦後の和解に近づくことが可能になるでしょう。
自国だけでなく他国の視点からも調査した歴史を、他国と共有する
共有する歴史を持続的に認知し、双方が納得するまで必要な対応処置(謝罪、補償を含む)をする。
歴史の教訓を現在の社会に反映する
今までは国と国とのレベルで話をしましたが、個人のレベルでもこの3点は有効です。元蘭領東インドで日本の占領を生き延びたオランダ人の友人が何人も知っていますが、その中には日本との和解を見つけることのできた人も何人かいます。彼らのプロセスを見ても、詳細は異なっても何らかの形でこの3点どれも必要であったと思います。
彼らの体験した暗い体験に、日本人が耳を傾けて聞いてくれる。
話を聞いた上で、日本人が彼らの痛みの同情し、共感する。
そうして友人関係を築いていく過程で、この日本人の友人は戦争中に遭遇した日本人とは違い、同じ価値観を共有する人間だと実感することができる。